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私はこれ以上ナナちゃんと話していても話が平行線になるだけだと察し、溜息を吐く。ナナちゃんも口を尖らせていたので、同じ事を思ったのかもしれない。
「もういいやー。後はフィーちゃんに任せよーっと」
そう匙を投げたナナちゃんが、部屋に戻ろうと数歩の距離を先に歩いて行く。
私はその背中を見て、それから後ろを見た。階下へと続く階段を見下ろしながら、今飛び降りてしまおうかと思って。
でも……その終わり方では、自らの意志で命を終えたと周りから思われないかもしれない。ナナちゃんに迷惑が掛かるかもしれないし。
そうやって階段を見下ろしている私に、声が掛かった。
「今死なれると見ていて可哀想なのでやめてもらえますか?」
居たのは知っているけど、気配を消すのはさすがに一流か。半分存在を忘れていた双璧の死神の一人が挑発的な言葉を掛けて来た。
私はそんな男を睨むように見る。
「私に対してそうってことは、やっぱりナナちゃんを護る為についてきたのね。お義兄様とは別の、彼女を守りたい誰かが裏に居るって事かしら」
笑顔で言い返してやった。半分当てずっぽうだけど。
転生者のナナちゃんを何故そんな人間が気に掛けるかなんて皆目見当がつかないし、守りたいのではなくナナちゃんを警戒していたから付いて来ただけとも思えなくもない。
幸い、私とナナちゃんのしていた話し合いの内容は、前世で同じ事故に遭った転生者でもない限り察するのは無理だろうから、誰かの陰謀の手助けにはならないだろう。
私の言葉に、突っかかって来た方の双璧の死神の片眉が上がる。話し方と反して存外頭に血が上りやすい性格のようだ。
そんな私達の間に、もう一人の双璧の死神が物理的にも無理やり割り込むように入って来た。
「まあまあまあまあ! それについてリリアナ様とセス様に迷惑は掛けねぇから、気にしないで!」
「別にいいけど」
私は別に彼等と喧嘩する気は無いのでそうあっさり引いてから、タメ口の方の死神の双璧を観察するように見る。
ふーん…仲裁の言葉は、私の当てずっぽうの話を正解とも不正解とも言わずただ流すものだった。どうやら口調と反して実質は、敬語の方が直情型でタメ口の方が熟考型みたいだ。
わざわざ普段、表面上は口調通りの行動をとっているのには何か理由があるんだろう。
「それもただの遊びだから」
私の考えを読んだように、タメ口の方の死神の双璧は空気を変えるように笑んだ。
私はこれ以上関わると面倒臭そうだし痛い目も見そうだと思い、それにも深く突っ込まずに彼等に背を向け会話を切り上げた。ナナちゃんに続くように部屋に戻る。
ナナちゃんの言葉からして、フィー……恐らくレディローズと今度は話し合えと言われるのかと思うと、どうにも気が進まずのろのろと部屋のドアを開けた。
部屋に戻ると、どうやらナナちゃんはレディローズを相手に何やら話しているらしい。聞こえやすいところまで歩き進むと、困ったことにナナちゃんは好き勝手言っていた。
「聖女様はさ、考え方も聖女様なんだよね。ナナとは違い過ぎてお話ししてもずーっと平行線だから困ってるんだよ」
「それは此方の台詞でもあるのですが…あなたの言っている事は天国がどうとか地獄がどうとか、スピリチュアルな話過ぎて会話になりませんわ」
前世の事には触れずに、呆れたように私も反論した。
しかし、久しぶりに前世を知っている人間と話したからだろうか? 気を抜いた言葉を言ってしまった。…スピリチュアルって、今世にもある言葉だったか? あんまり使わないカタカナ言葉って、大抵無かった気がする。
案の定、何故何がどうしてそうなったのか部屋の隅でフランスパンを齧っているノランは、わかりやすく首を傾げて不思議そうな顔で私を見ている。その傍らに立つゼロも、引っかかっているようにじっと観察するように私を見ていた。
私は誤魔化す意味も込めて言葉を続けた。
「それにナナちゃんには悪いですが、やはり私にはレディローズとも話す事なんてありませんわ」
レディローズを見もせずに突き放した。
こんな状況になったからには、一言謝りたいなんて昨日までの望みは無かった事にした方がいい。謝ってすぐ命を断たれてもレディローズも気分が悪いだろうし。
そんな中突如、威圧感のある声で私は名前を呼ばれた。
「リリアナ」
名前を呼ばれるだけで畏怖の感情が押し寄せる。私は声の主であるお義兄様を見た。
「元々、お前とフィーは話し合いをする予定だった。お前はそれを了承したな。約束は守れ」
それは有無を言わせない命令だった。
難しい顔をしたお義兄様を見てから、卑劣な事をした私の自殺未遂にさえ泣きそうな顔になっていた優しいレディローズの姿を思い出す。
私はきっと正確に、お義兄様の意図を理解した。
「…ふふ」
そうしたらちょっと笑えた。
「ほんと、お義兄様って私に厳しい。…ええ、わかりました。お望み通りにうまくやりますわ」
「…ああ」
短く答えたお義兄様は私に気遣わしげな視線を送り、レディローズの方を見ない。当然だ。だってバレたら困るもんね。
ああ、本当、私って何もかもが当て馬っていうか……婚約破棄のあの一件より前は当て馬にもなれなかったんだから、いっか。
やっぱり結局最後で最期まで私の事なんて嫌いらしいお義兄様は小さく舌打ちし、私から離れレディローズの所に行って話し始める。
お義兄様は嫌な顔をして否定するでしょうけど…私とお義兄様って、いつか陛下や双璧の死神が言っていたように、結構似ていると思うんですよ。もちろん私よりよっぽどお義兄様は優秀で天才だけど、それでも、私も貴方も一途な凡人です。
私もきっと、セス様がレディローズで私がお義兄様の立場としてこの場に居たとしたら、同じ事をお義兄様に言おうとしただろう。
……私の任務はこうだ。レディローズと関係なく、リリアナ・イノシーが死ぬのはどうしようもなかったと、仕方ないと、レディローズと話し合った上で諦めさせてから死ぬ。
要約すると、死ぬなら死ぬでちゃんと最後に役に立てって事だ。
「じゃ、行ってらっしゃいお二人共! ゆっくりお話しして来てくださいね! ナナは二人が居ない間にここでやりたい事が出来たのでやっておきます!」
明るい無邪気な声が、私にいいから行って来いと言うように部屋に響いた。
ナナちゃんもナナちゃんで何かまだあるらしい。ナナちゃんが何をしたいかは知らないけど、まあ双璧の死神もこれだけ人目があればセス様の安全は確保してくれるだろう。
私はレディローズより先に、無表情で部屋を出た。
階段の前まで歩いてから、振り返る。レディローズを正面から見て、相変わらず綺麗だなと思う。似合っていない平民服さえ気にならなくなってくるぐらい。
私は硬い表情のレディローズが真面目な話をする前にと、何とは無しに話し始めた。
「私こういうものにはあまり詳しくないのですが、そこのドアの閉めた時の隙間の無さはやはり防音なんでしょうか?」
今出て来たドアを指差しながら聞いたそれは、本当はドアを初めて見た瞬間からわかりきっている問いだった。でも、レディローズと話す時は貴族としてのマナーがどうしても頭に過る。
相手が知らない知識かもしれない事を鑑みて、自信のある知識でも自信があるように話さない。一歩下がって相手を立てる為に。
「え? ああ、はい。シェドもそう言っていました」
拍子抜けしたようにレディローズが答える。
貴族同士の駆け引きの鉄則。飲ませたい話があるなら相手にむしろペースを握らせ良い気分にさせるけど、断りたい話があるなら相手のペースをかき乱し自分のペースに嵌めさせる。
レディローズは、天才型だ。きっと努力型の人間がどう思考しているのかわからない。
私は続ける。
「先程私、ナナちゃんから少し遅れて部屋に戻りましたでしょう?」
「ええ、そうでしたね」
「その間にこの階段から落ちてしまおうかとも、考えたのですよ」
私がさらりと紡いだ本当の話に、レディローズは絶句しているようだった。それでいい。
……ああ、自分でこうしておいて難だけど、初めてだ。レディローズと私が会話をしていて、主導権を握れている気になるのは。
でも、思ったよりも嬉しくないな。
「私としては死なないでくださりうれしいんですけど…何故、それはしなかったんですか?」
「だってそれだと、自殺ではなく他殺だと思われてしまうかもしれないでしょう?」
一呼吸置いて、私は優しく笑う。
「私は、自殺でなければいけないのですわ。それが私も皆も幸せになれる唯一最後の方法ですから」
私は今まで一度として、レディローズに勝てたことはなかった。
でも今だけは、勝つよ。レディローズの交渉には応じない。私は私も、皆も、貴女も、誰よりもセス様を幸せにしたいから。
悲観に暮れただけでこんな結論には至っていない。これは幸福の道だ。
私の覚悟にか、レディローズは一瞬言葉を詰まらせた。だけど、それを振り払うように大きな声で訴えるように言って来た。
「そんな事しなくても、私がそれ以上に皆を幸せとやらにしますから貴女は死なないでください!」
真っ直ぐに、眩しい程に、前向きで綺麗な言葉だった。私は思わず自嘲した。
そうね、レディローズなら出来るかもね。出来るんだろうね。嫌な話。私からその役割まで奪わないでよ。
…私の為に、優しい言葉を掛けてくれているのはわかるよ。でも貴女の言葉一つ一つが私には痛い。レディローズはおとなしく、私を嫌ってくれればいいのに。
「本当に、おかしなお方。…いえ、らしいと言うべきなのかしら。貴女がどうお考えになろうが、今私が死ぬのが私自身も一番幸せですのよ」
「……どうして、望み通りにセス様と婚約し次期王妃となったリリアナ様は、全てが思い通りに行ったはずなのにそんなに生きるのが辛そうなのですか?」
困惑したように聞いて来たレディローズの言葉に、今度は私が絶句した。
いや、わかる。仕方ない。レディローズが、私をそう見ているのは仕方ない。落ち着け。レディローズは悪くない。私が悪い。
荒ぶりそうになる感情を収めて、笑みを浮かべ私は優しく答えた。
「ええ、貴女には…私がそう見えるのでしょうね。ですけど私、全て思い通りになんて行っておりませんわ。……全て、何もかも、一つだって、思い通りに行かなかったから私はこうなのですわ」
何故私がレディローズを相手にこんな、事実だとしても負け犬だと認めるような事を言わなければならないのか。思わず生理的に目が潤んだ。
じっと私を見ながらレディローズは何か考えている。私はそろそろ終わりにしようと思った。
もう、いいだろう。お義兄様からの命令でレディローズに付き合うのは、これぐらいで。
レディローズと話すと、私の心が掻き乱され過ぎる。最期ぐらい穏やかな気持ちがいいのに。
「それは、どういう、」
「何故私が、大嫌いな貴女からのご質問全てに懇切丁寧にお答えしてあげなければならないのでしょうか?」
レディローズの言葉を遮り、思い切り突き放した。
相手の言葉を刈り取るぐらいに、一度傷つける。嫌われるという事にもきっとレディローズは慣れていないだろう。だって嫌う事さえも、彼女に対してでは身の程知らずだから。
これでいい。これ以上傷つけたくないから。そのはずなのに、レディローズは未だに自分の事よりも私の事を助けたいとでも言わんばかりに、悲しくて辛くて耐え難そうな顔をした。
「……どうして貴女が泣きそうな顔をするのかしら。優しいお方ですわね。知っていますけど」
レディローズは私の言葉に、さらに泣きそうな顔になった。私は溜め息を吐く。
お義兄様から受けた命令は、どうやら果たせなかったらしい。
「困りましたわね、これでは……いえけれど、仕方ない話だと思いますわ。私がレディローズを思い通りに動かすなんて最初から出来るはずがないのですから」
お義兄様には悪いけど、と少し目を伏せてからレディローズに微笑み、それを最後にさっきから何も言えずにいるレディローズから目を逸らした。
やっぱり気持ちは変わらなかったし、運命も変えられはしなかった。
「ではレディローズ、これにてお話はお終いに致しましょう。どうか、私が死んでも悲しまないでくださいな」
後ろから弱々しい制止の声が聞こえた気がしたけど、私は気にせずレディローズを残して部屋へと戻る為、真っ直ぐドアの方へと歩いて行った。
悲痛な視線が背中に刺さる。
私は――あの時を思い出した。レディローズがセス様と婚約破棄したあの時。私達の立場は逆だけど、状況も違うけど、それでも、最後に振り返ってあげたくなった。あの時の私が貴女に、振り返ってほしかったから。
「大丈夫ですわ、レディローズ。貴女は主人公なのですから、悪役一人退場したところでまだまだ貴女の為の物語は続きます。幸せになれましょう」
きっと意味はわかってもらえないだろう。だけど、悪役である自分が主人公であるレディローズに最後に掛けたい言葉となると、どうしてもゲームの事が滲んだ。
これで本当に終わりだと私はドアに手を掛ける。
「ねぇリリちゃん、『救国のレディローズ』って知ってる?」
後ろから掛かったレディローズの声。有り得ない言葉。運命が変わる音がした気がした。




