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私が次に目を覚ますと、そこは馬車の中だった。
身体は一切身じろぎせず揺れと聴覚だけでそう判断した私は、感覚から考えて縛られもしていない事がわかり、そうピンチでもないなと思う。ドレスに隠して太ももに括り付けているホルスターもあるし、護身用の小型ナイフは奪われていないようだ。
メルヴィン君なら私の護身術の腕は嫌という程知っている。何せ三歳からの幼馴染だ。セス様と違って、メルヴィン君とは人目が無い所では普通の子どもみたいな遊びをした事も頻繁にあったし、護身術の訓練を遊び紛いにした事もあった。
未来の私に人質の価値があると思っていたあの頃の私は、一人で攫われても誰にも手間取らせずどうにか出来る範囲まで力をつける事を目標とし、我ながら目標の高い私が合格と思うぐらいの腕にはなった。
目だけ薄く開けて見回す限り、どうやらこの馬車は私が乗って来たものだ。御者の声にも覚えがあるし、脅されて目的の場所まで走らされているようだ。
だったら誘拐犯は弓なんかの飛び道具は無いと思っていいだろう。教会に飛び込んで来た時、木材を持っていたような男だし。
さて、私は此処を自力で抜け出せるだろう。
たぶん、メルヴィン君もそう判断している。私は黙って捕まっているような女じゃないと。
……うん、気絶させられる前の私はどうかしていたな。メルヴィン君の交友関係は置いておいて、メルヴィン君を疑っても仕方ないのに。メルヴィン君は私を裏切らない。
だけど、私はもう帰らない事に決めていた。
私の心は穏やかで、攫われたこの状況にむしろほっとしていた。
私は今の状況を利用して不意打ちするでもなく、寝かされていた身体をゆっくりと起こした。そして私を注視した巨漢の誘拐犯に微笑みかける。
「やっと私をこの世界から消しに来てくれたのですか? 死神さん」
私が気絶した後に奪われたのか自ら取ったのか理由は定かじゃないけど、もう顔を布で覆っていない巨漢は私を変なものを見る目で見ている。
「次期王妃の人質としては私、あまり価値がありませんわよ。いくらでも代わりの効く凡庸な人間ですもの」
この状況で私が一切慌てず普通に話しているせいか、誘拐犯の変なものを見るような目はむしろ気味の悪いものを見るような目に変わって来た。
死ぬのは別に怖くない。自分でするには勇気が足りなかっただけ。
いつ死んでもいいように、自分の犯した罪をすべて告白した遺書は既に書いてある。自室の机の鍵付きの引き出しに入れてあるそれは、誰にいつ私が殺されたとしてその誰かが罪に問われないよう、自殺と疑いようのない文面にした。意識を失う前に引き出しの鍵は咄嗟にその場に落とせた。
だからもう後戻りは出来ない。
だけどさすがに、自らこの世から消えたにしてはおかしいと思われるような消され方では迷惑が掛かるよね。
「馬車は猛スピードで走っている。逃げるのは不可能だ」
私の余裕が逃げ出せると思っている故だと思ったからか、誘拐犯はそう牽制して来た。
別に逃げられるだろうけど、それはそうと成る程。確かに。いい事を聞いた。
私は走り続けている馬車のドアを開けた。私の突然で特に予備動作もない行動に付いて来られなかったのか固まっている誘拐犯を置いて、私は馬車から飛び降りようとし……やめた。
「失敗する確率の方が高そうですわね」
にっこりと笑って振り返った私に、誘拐犯ははっとして我に返ったようにドアを閉めた。
「そ、うだ。逃げるなんて考えるのはやめるんだな」
そういう意味での失敗ではなかったんだけど。まあいいかと、特に訂正はしなかった。
「おい、何をにやにやしているんだ」
不気味そうに、恐れるように、だけどそれを隠す為にだろう威圧しながら誘拐犯が私を睨む。
全部お見通しなのをちょっと申し訳なく思った。
だけど、無意識に笑ってしまっていたのか。私は出来るだけ申し訳なさそうな顔を作った。
「あら、ごめんなさい。嬉しくて。……元々追い詰められ切っていると思っていたのですけど、さらにもう一段階自分で自分を追い詰めたお陰で、出来そうだなって」
私は目を閉じる。頭の中のシミュレーションで、迷わず出来た事に満面の笑みを浮かべた。
「今なら飛べるわ」
いざとなった時、今の私は一歩を踏み出せる。あの見下ろすしかなかった窓の外の風景に飛び込める。それがわかったから、急ぐ事はない。
「……金の為に引き受けたが、こんなネジが飛んだ女の相手はごめんだ」
強く頭を打たれ、私はまた再び気を失った。
次に目覚めた場所は何処かの屋敷の外だった。誘拐犯から無理やり馬車から引き摺り出されながら起こされ、すぐに歩かされる。
屋敷の外観だけで私はこの屋敷が何処の誰の屋敷かわかる。それが相手にとって予想外か予想内かはともかくとして、国内の貴族の家なら分家だろうが全部外観程度は記憶済みだ。
此処はスワローズの分家。
レディローズが居たのは宗家の家だからそこまで関係ないけど、宗家に引き取られたレディローズの義理の弟はこの分家の出だ。
レディローズの義理の弟、シェド・スワローズ。彼はゲームの攻略対象でもあったけど、私はセス様一筋だったので当然興味は無かった。
しかしつまり、この誘拐にはシェドが絡んでいると思っていいだろう。敬愛する彼の義理の姉を貶めた件で恨みを買った。理由としてはそれだけでも充分だ。
何の抵抗もせず戸惑う事もなくさくさくと一緒に歩く私は、誘拐犯からしてみれば面倒が無くて助かるはずなのに、化け物でも見るような目を向けられていた。
入り口まで行くと、案の定と言うべきか人形のように端正な顔立ちだけど無表情な少年シェドが待っていた。私は誘拐犯に腕を掴まれ身動きが取りづらいものの、その中でも出来る範囲での淑女の礼をした。それから顔を上げて、開口一番笑顔で聞く。
「あなたが私を殺してくれる人?」
私を胡乱げに見たシェドは、次いで責めるように誘拐犯を見た。
「……お前、勝手に拷問でもしてリリアナ様の心を折ったのか?」
「ご、誤解です! この女最初からこの調子で!」
なんか私のせいであらぬ誤解が起こったらしい。申し訳ない。
シェドは一つ溜め息を吐いた後、誘拐犯に札束を渡した。かなりの金額のお金だ。
「ご苦労。帰っていいよ」
それを嬉しそうに受け取った誘拐犯がそそくさと去って行く。
私は拘束の無くなった腕をぶらぶらさせ、自由になっているけどいいのかと不思議に思った。
「俺が誰かはわかりますか?」
「ええ、シェド・スワローズでしょう? 目的も理由も推測しやすいですし、特に疑問はありませんが」
「あなたの推測しているものと俺の目的も理由も違うと思いますよ。それより、そんな言い方して逆上した俺に刺されたらどうするんですか?」
「あら、先程の私の言葉も挑発だととられてしまったのね」
そんなつもりは無かったんだけど、言葉って難しい。
抑揚の無いシェドの話し方はどこまでが本心か読みにくいけど、私にとって刺されるかもという恐怖なんて脅しにもなりはしない。
「あなたの事情も私を攫った理由もどうでもいいのですが、私を殺してくれるのですか? 殺してくれないのですか?」
「俺は殺してはあげられません。ただ、今屋敷の中に居る人は殺してくれるでしょう。でも恐らくその前に、既にほぼ壊れていそうなあなたのその心をばらばらに壊されるでしょうね。あの人、あなたの事本当に嫌いですから」
再度聞き直した私にシェドは苦笑いして言った。思っていたより多少は表情が変わるようだ。
しかし首謀者は別に居るのか。それなら私を前にしてのこの態度もある程度納得出来るか。
「嫌なら逃げてもいいですよ。俺は別に困りませんから」
私の沈黙を恐怖のせいとでもとったのか、シェドは突然そんな提案をして来た。拘束しないなとは思っていたけど、本当にこの人は私に逃げられてもいいらしい。
それをいっそ残念に思いながら、私は首を横に振った。
「心も体も、自分では今まで殺し切れなかったからむしろ会いたいわ」
爽やかに笑ったつもりなのに、シェドには肩をすくめてこいつはもうダメだと言わんばかりのリアクションをされた。
「じゃあ、いらっしゃいませ。処刑場へ」
口調に抑揚のない言葉とおどけたエスコートをされながら、私は屋敷の中に招かれた。




