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一日の寝る時間は三時間を切った。

食事も最低限の栄養素を摂れ、早く食べ終われるものにしてもらっている。こういう時、王宮のシェフは私の要望を完全に叶えるメニューを作ってくれる優秀さなので助かる。どうせ味はしないんだし、栄養さえ取れれば後は食事の内容なんてどうでもいい。

私は、もちろんレディローズの事を考えなければ行けないし、国内で何かおかしな動きをしている団体や金融の動きが無いかありとあらゆる角度から探す事もしている。

そしてそれとは別に、私がこの王宮に住みセス様の婚約者という立ち位置に居る意味を示そうとして、自主的にセス様の殿下としてのお仕事も私が手伝えるものは手伝っている。

セス様も最初は断っていたしそこまでしなくてもとは言ってくださったけど、私がやりたい事だ。最終的には、私に手伝わせた方が効率的に仕事が進むし、殿下しか見てはいけない、やってはいけない事には一切手を出さない、知ろうとしないのを徹底した事もあってか、セス様は私の能力を認め手伝わせてくれるようになった。


忙しくはある。でも時間が足りない程ではない。ただ別の理由で、国内の調査の方に私は限界を感じていた。一個人の子爵令嬢が知れる範囲ではもう調べる事が厳しいのだ。

まさに人についてとお金について詳しい、国内でも屈指の人物には心当たりがあった。でも、セス様の為だったとしても私は助けてとはやっぱり言えなかった。そう私が言うのを彼はまだ待っていてくれているかもしれないけど、それでも。

私にとって大切な人達の中で、私の起こした行動により迷惑を掛けずに済んでいるのは今や唯一彼だけだ。私の為にと自主的に動いてくれてはいるけど、私の罪のせいで辛い想いはさせていない。

だから、そっとしておきたかった。


金融関係はクラビット家が一手に担っているから、そこの下請けの貴族と仲良くなって情報を抜くか。それとも、そもそも国の重要職務に就いている人物に近づくべきか。

そう机の前で頭を悩ませていると、部屋のドアがノックされた。もう食事の時間だったろうかと視線を向ける。


「ニコラス・キャボットだ。今時間は取れるか?」


お義兄様!?

無理に身体を捻って振り返ったせいで椅子から転げ落ちそうになったのを、なんとか堪える。護身術を習ったり姿勢良く歩くために体幹も鍛えておいてよかったなぁと思う。

混乱し過ぎて何故か自分の体幹を褒め出してしまった。ちがう。


「はい、お入りくださいませ」

「……いや、お前も未婚の身だろう。いくらセスの婚約者とはいえ私は中には入れん」


あ、はい、そうだ。この人そういうところお堅い紳士だった。

じゃあ私が出て行くしかないなとさっさかドアまで行って開ける。

双璧の死神を護衛に伴ったお義兄様は、相変わらずにこりともせず立って私を見た。

……私の事が嫌いなはずなのに、何でわざわざ会いに来たんだろう。廊下でたまにすれ違っても、世間話さえしない関係なのに。ご本人が出向かれなければいけない程大事な業務連絡があるんだとしても、ドア越しじゃダメだったんだろうか。

お義兄様は私の顔をじっと見てから口を開く。


「そのままだと身体を壊すぞ」


労りとも事実ともつかない言葉だ。そうなると周りが迷惑するから考えろという意味だろう。


「気を付けますわ。ですが、配分は考えていますのでそうはなりませんから」

「……健康管理の話ではないんだが、まあいい」


じゃあ何だったんだろう。顔を見て言うから、てっきり多少の疲れが顔にも出てしまっていたせいで言われたものだと思ったんだけど。

いやまあ、お義兄様もそんな他愛ない雑談をしに来た訳ではないだろうし、私も深くは突っ込まない事にした。

ややあってお義兄様が切り出す。


「お前は、フェリシアの事をどう思っている」


真剣な探るような目を向けられて聞かれ、私は考える。

どんな意図の質問だろう。私にそれを聞くなんて。

私が言うと、彼女を良く言っても嫌味で、悪く言っても単純に性格が悪い、どうしようもない質問な気がするんだけど。好きとか嫌いとかの単純な感情を抜きにして答えるべきか。


「セス様の事や婚約破棄に纏わることを抜いて言うのなら……不気味ですわ。五歳の頃出会ってから今まで、彼女の考えていることが読めなくて」


今まで私が明確に読めたと思ったのはただ一度。私をかわいいと思っていた、あの表情だけ。

もしかしてレディローズは、自分の思惑にも気付かずただ思い通りに動いている私に油断したせいで、馬鹿でかわいいという意味であんな風に私を見たんだろうか。


「悪い意味ではないのですけど、単純に、私と同じ人間だと自信を持って言えません」


続けるように答えてから、悪い意味ではないと言ったけどこの率直な意見はむしろ普通に悪口を言うより失礼と捉えられそうだと苦笑いした。

だけどお義兄様はそれに気を悪くするような様子もなくぽつりと言う。


「私も、彼女の考えはわからない」


お義兄様は珍しく少し笑った。馬鹿にするでも冷たいものでも作り笑顔でもない、少し幼い困ったような顔で。

これはきっと、レディローズに対してのものなんだろう。お義兄様は彼女の前ではよく笑っているのかもしれない。

ああ、この人も片想い、しているのか。感覚的な事だけどきっとこの推測は正しい。

前に双璧の死神の一人に、お義兄様と似ていると言われた時は何を言っているのかと思ったけど、婚約者だった二人のうちの片方を好きになった者同士という事なら、確かに少しは似ているのかもしれない。

そんな自分と少しでも似ている人間が、分不相応かつ汚い手段でライバルの席を奪ったなんて、そりゃ大嫌い通り越して憎まれても当たり前だろう。余計に腹が立つに違いない。


だけど、またわからなくなった事がある。セス様も、お義兄様も愛したレディローズ。悪い人間とはやっぱり思えない。彼女の考えている事がわからないにしても、人間性の根本的なところ、性根までお二人ともが察せなかったとは思えない。

状況や伝聞からの印象では確かに怪しい。だけど、それらを抜いてみれば、五歳の頃からずっとずっと彼女を見て来た私も、レディローズを嫉妬で憎く思った事はあっても、彼女が悪い人間に見えた事は無い。


「邪魔したな」


お義兄様は本当にそれだけを聞きたかったようで、結局私に聞いて何かわかったのかも不明なままにすぐ帰ろうとした。


「っ待って!……くだ、さい」


私はそう咄嗟にお義兄様を引き止め、それからそんな自分に私もお義兄様に聞きたい事がある事に気付く。

お義兄様が私に似ている。だとしたら、あなたは、


「運命は変わると思いますか?」


運命とは、私にとって、前世の幸福を一瞬で奪い去った理不尽なものだ。変えようといくら努力しようが、嘲笑われるように絶対に掴めなかったものだ。そのくせ因果応報だけはしっかりと突き付けてくるものだ。

そんな、大嫌いだけど絶対に抗えないものだ。

私は自分が運命を変えるなんてこと、とっくに諦めている。セス様に振り向いてもらう事も。

今はセス様にとっての聖女になりたい、それだけだから。

私は、諦めた。でもお義兄様はどう思っているのか。それが聞きたい。

お義兄様は十秒は黙り込んだだろうか。それからそっと目を伏せて、呟くように答えられた。


「わからない」


少し、驚いた。そもそも私はお義兄様も即答で変わらないと言うものだと思っていた。私に諦めたらどうだとあの時言ったのはたぶん、お義兄様自身がとっくに諦めている事を私がしたからだったろうに。

お義兄様のそのご返答。それはつまり、今お義兄様は諦めていないって事だ。


「お義兄様は変えられるといいですわね」


私は心から微笑んだ。

お義兄様が何を思って大嫌いな私の意見なんて聞きたいと思ったのかは知らない。でも、諦めていない人は出来れば幸せになったらいいなと思う。

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