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これまでの経験により私のメンタルが鍛えられ過ぎていたお陰か、私はぞんがい速やかに王宮暮らしに順応した。むしろ私よりカイン子爵が急過ぎると駄々をこねていた。
そしてそれからすぐ、シャーリーが辞めてから専属のメイドが居なかった私に、遂に新しい専属のメイドが就いた。
「ティファです。メイドではなく侍女とお呼びください」
そう頭を下げた目の前の女性。私は見覚えがあった。
少し若い頃のシャーリーと似た顔立ちにシャーリーと同じ水色の髪にピンク色の目、というのもそうだけど、何よりレディローズと共に居るのを何度も見かけた事がある。
要するに彼女は、元レディローズ付きのメイドだ。シャーリーとの関係は…そういえば前にシャーリーから妹が居ると話を聞いたことがあったような気もする。この子がそうかな。
しかしそんな子が私のメイド、いや侍女となるとは。奇妙な縁だ。
わざわざ侍女と呼べというって事は、数居るメイド達の中でも侍女の立場である事を重視する、プライドの高い子なんだろう。それに、レディローズの所でずっと侍女と呼ばれていたのかもしれない。あんまり仲良くしようとして来なそうだから、結構結構。
そう私がつらつら思っていると、顔を上げたティファが突然私を思い切り睨むように見ながら口を開いた。
「私はあなたが嫌いです。私の最も敬愛するフェリシア様と私を引き離したから。けれど仕事は完璧に熟しましょう。このような不敬な言葉を吐いた私をこの場で斬首してくださっても構いませんが」
私はぱちぱちと二度瞬きし、じっとティファを見る。
わかりやすい憎悪。最初から明確に理由まで言って、挑発でもなさそうなこの殺したければ殺せという堂々とした文句。
さてはこの子、素直ないい子だな。しかも今、私と初対面なのに二人きりにさせられる程の信頼を周りから得ている。トラブルを起こされたくなくてお城での監視体制に置かれているこの状況で、だ。私の侍女として選抜されて来たからには相当頭も良いだろう。優秀だ。
私を嫌って仲良くなる気がないのがさらに私にとって好都合な事が可哀想だけど。
「よろしくね」
私は無理やりティファの手を取って繋いだ。あからさまに嫌そうな顔をされたので、うまくやれそうだと思った。
「じゃあ私やる事があるから、そこに座って適当に紅茶でも飲んでいて」
「いえ、立っています」
ぱっと手を離した後、椅子に座るのを促せば即却下された。それならそれで私は別に困らないので、黙ってドアの横に立っているティファをそのままに調べ事を再開する。
ティファに構っている時間は生憎ない。
セス様を幸せにすると決めた私は、まず絶対にやらなければいけない事があった。ゲームでは主人公がやってくれた事。つまりレディローズがやるはずだった事。
それは、救国だ。
正直今までの私は、セス様と恋愛さえ出来れば良かったので戦争とか救国とかそこまで気にしていなかった。何より、ティーア学園入学前にはゲーム通りレディローズとセス様を結婚させ、ゲーム通りレディローズが何とかしてくれるものだと思っていたし。
でもレディローズがそれを出来ない状況下になったのだから、私がやらざるを得ない。この国キャボット国と隣国ガリオン国との戦争を、食い止められるものなら食い止め、ダメでも被害を最小限にしなければ。
そこで私は今、王宮の資料室でひたすらガリオン国について調べていた。
そうして数日かけ、王宮でも学園でも時間を費やし、ある程度の資料を速読し終えた。
学園の裏庭の隅にあるベンチで隠れるようにしながら、さて、と集中して資料内の数ある要素を繋げて導き出される事を考えた。
……うん、やっぱり明らかにおかしい事がある。
ガリオン国は現在、不気味な程に平穏だ。
ゲーム通りなら、ガリオン国は今財政難。不作や流行病で恐慌に陥っているはず。
なのにそんな様子が、全くデータ上から読み取れない。私は端から端まで、疑うように見た。今にも戦争を仕掛けようという状態なら、さすがに隠し切れるとは思えない。
公文書を隅々まで偽造したというよりは、財政難ではないという結論が自然。
データを見ると、およそ十年前の頃は多少取繕われているけど不自然な点や隠し切れていない点は多々。かなり国が傾いているのが窺える。だけどその様子が徐々に落ち着いて、五年前にはほぼ持ち直している。
何かの動きがあったのがわかる。ゲームのシナリオから逸れた、国一つの変革だ。
……これ、陰で、何者かが何らかの目的で動いているんじゃないか?
もし世界のこの動きがセス様と敵対した者の力だとしたら…何があったのか、ガリオン国の上の人間に詳しく話を聞かなくてはならない。幸いガリオン国王子もその側近もゲームのキャラクターとしては知っている。むしろそのせいで駆け引きしたくない相手だという気持ちもあるんだけど、多少は対策も立てられるだろう。頑張ろう。
セス様の聖女となる為に。
静かな裏庭のベンチにずっと座って一人そう色々と考えていた私の耳が、微かな音を捉えた。人の足音。近づいて来る。
そっと視線を向けると、メルヴィン君が居た。思わずまたかと顔が引きつる。
退散しようと腰を上げた私に、メルヴィン君は一気に近づいて来ると――私を通り過ぎた。
……え、なに。私に会いに来たと思ったの自意識過剰だった!? 恥ずかしい!
さっきとは別の意味で顔を引きつらせていると、すぐ後ろの地面からガサッと音がした。
振り返ると、私が今腰を上げたばかりのベンチ……その後ろの地面に、私に背を向ける形で腰を下ろしているメルヴィン君が居た。え?
「独り言だけど」
いきなりメルヴィン君が言葉通りとは到底思えない、背中合わせなのに聞き取りやすい声量で声を出す。
独り言だから黙って聞けとばかりのそれに、私は迷いながらも話ぐらいは聞くかとまたベンチに座り直した。メルヴィン君の方は見ずに私も前を向く。
「リリアナは危機感覚えた方がいいかもしれねぇな。レディローズ、元気に生きてたぞ」
後ろからの声のその内容に、私は目を見開いた。
生きて、る? レディローズが? 生粋の貴族の家で育った彼女が、どうやって身一つで放り出されて……。
いや、でも、よかった。生きていてくれたのは、純粋に嬉しい。
「しかも本人に話聞けば、婚約破棄された事も現状も幸せだってよ。何故かレディローズの義理の弟、シェドの現状を気にして来たのも不審だ」
メルヴィン君の声は険しい。
確かに、その話の内容は無視出来ない不可解なものだ。
……さっきの陰で動いているかもしれない人、それがレディローズだという危険性は有り得るんだよね。いや彼女は私の被害者だし悪い人間とは思っていないけど、彼女の影響力は凄まじかったから私の存在によって彼女の動きも多少変わって、それが隣国の経済にまで影響を及ぼしたとか。
さすがに飛躍し過ぎかな? 無いか?
「ちなみにこれを人に言ったのがバレたら、俺はレディローズの奴隷になるらしいから」
何を言っているんだメルヴィン君は。……え、メルヴィン君の声の雰囲気が真面目っぽいんだけど、これもしかして冗談で言っているんじゃないの?
公爵の中でも権力の高いクラビット家のメルヴィン君が、奴隷に?
レディローズ…罪悪感は拭えないけど、確かに警戒するべきかもしれない。
「リリアナと俺が友人だって事は言ってねぇし他人行儀に話しておいた。そこは勘ぐって無さそうだったしもしあいつが何を企んでたとしても俺のせいでリリアナに火の粉は降りかからねぇだろ」
メルヴィン君のこの言い方、どうやら私の為にレディローズに会いに行ってくれただろうに、いざとなっても私の事を守ってくれる気らしい。
いくら優しい人だからって、私の為にそこまでしてくれなくてもいいのに。私はメルヴィン君の人生においてマイナスで、かなり損させてしまっていると思う。
「そもそも友人って、俺が一方的に言ってるだけだけどな」
メルヴィン君がそこまで言ったところで、後ろから立ち上がる音がした。そのまま歩いて行く足音に、私は振り返らず、友人だとは認められないけどそれでも呟いた。
「……ありがとう。独り言だけど」
「どういたしまして。独り言だけど」
メルヴィン君は、私がこの世界から消えるまできっとずっと私と縁を切ってくれないんだろうなと思った。
それは幸せで辛く怖い事だった。




