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セス様と婚約者になれた今の私は、前よりずっとこの恋を叶える為のチャンスが与えられているしセス様の近くに居る。

そのはずだ。そのはずなのに何故か、セス様との心の距離はむしろ遠のいている気がする。

私も私で気まずい思いはあるにしても、セス様と婚約してからこの一ヶ月、事務的ではない楽しい会話をした覚えが全く無い。いやもしかしたらあるのかもしれないけど、記憶には残っていない。

少なくとも、心から笑った事はない。セス様と視線も合わないぐらいだから、私がもっと頑張らなければいけないのに。

せめて今の状況の範囲で前向きに幸せに生きていたいのに、私は何をしているんだろう。


それでも、公式の予定はそんな私の焦りに配慮して時間をくれるはずもなく。

今日は正式に、この国の殿下の婚約者として国民に私がお披露目される式典が行われる。

お城の中でセス様とは一時的に分かれて、いつもの社交パーティーの時の比ではない程高価そうなドレスや装飾品を身につけさせられ、髪もざっと一時間は時間を掛けて結われて丁寧にお化粧もされた。

全て終えて完成だと見せられた鏡の中の自分は、確かにとても綺麗だったけど、何だか人間というよりお人形みたいだった。でも良い事、だよね。うん。

鏡の中のお人形が私の動きと合わせて微笑み返して来る。この見た目と雰囲気、うまく言えないけどちょっとレディローズに似ている。

でも、セス様のタイプはレディローズなんだから、私はこのままでいい。何も直す必要はない。


式典まではまだ時間に余裕があるからセス様のお部屋まで行こうと、一人だけ侍女を連れてお城の廊下を歩く。

緊張するだろうから普段連れているメイドや執事を連れて来てもいいと言われたけど、使用人なんて居ても居なくても私の心境は変わらないだろうから連れて来たくなかった。でも体裁的に一人は連れて行った方がいいだろうと、気が利き口数の少ない一人だけ連れて来た。

そうして無言で歩いていると、セス様のお部屋に着く前に私は不幸にも無視出来ない相手と対峙する事となった。

後ろに二人の護衛を連れ、私を氷のような冷えた目で見て来るセス様の兄。ニコラス・キャボット。私がこれからセス様と結婚した場合、義理の兄となる人。水色の目という点だけで言えば、空のような色のセス様の瞳と似た色のはずなのに、凍りついたような鋭いその目は好きになれない。

お城は彼の家でもあるから此処に居るのは当たり前だし遭遇したのは仕方ない事だけど、それでも、やっぱり会いたくなかった。単純に苦手だから。


「御機嫌よう」


挨拶してすぐ廊下の端に避ける。

だけどニコラス様…いやあえてお義兄様と呼ばせてもらう。お義兄様はそのまま立ち去ってくれはしなかった。


「お前は今日から王宮に住むこととなるわけだが、部屋はもう知っているか?」


予想外、というかあまりにも突拍子も無い発言に度肝を抜かれる。


「住む……私が、お城に、ですか?」

「そこからか」


呆れたような顔をされたけど、だってそんなの聞いていない。

……聞いていない、よね? セス様から聞いたけど記憶に残っていないわけじゃ、ない、はず。たぶん。


「あの、しかし婚約しているだけでただの子爵令嬢な私にそれはあまりにも畏れ多く……」

「前婚約者の件があったからな、周りが色々と敏感になっているんだ。不祥事にな」


ああ。理解出来た。私は苦い顔で頷く。

つまり、レディローズが不祥事により婚約破棄とされたから、今度の婚約者である私の事はお城に住まわせるという名目で四六時中監視してやれって事だ。

私がセス様本人が選んだ相手とはいえ、今下手に新しい婚約者にセス様の気に障る事をされてセス様の機嫌を損ね、その火の粉が振りかかるのは皆嫌がるだろう。

実際にはセス様がそんな事をされるはずがないと私はわかっている。だから、周りにそう考える者がいるから私を監視したい、という事までは先入観で思考が働かなかった。


「この国は王家の発言力が強過ぎるからな。理不尽でも命令の拒否は許されない」


皮肉を言うように不機嫌そうにお義兄様が言う。

明確には言葉にしなかったものの、お義兄様がこの国のそういう所をあまり好いていないのは、その言い方と言葉の選択でありありと感じ取れた。

もしかしたら、セス様の理不尽な婚約破棄に従ったレディローズの事も含めての発言だったのかもしれない。

なんせ、私への視線がさっきからずっと、あまりにも冷たい。私はお義兄様の事が苦手ぐらいだけど、彼の方は明らかに私の事が嫌いだろう。

ゲームのシナリオは、レディローズと私の立ち位置がそっくり入れ替わっただけで表面上ほぼ崩れずに終わった。けど、それは本当に表面上だけの話だ。実際にいじめを行っていたのは私。すぐにはわからないようアリバイを作って証拠を残さないようにして人目にも気を付けたけど、それにしたってしっかり調査が行われたとしたならたかが知れている。

お義兄様は全てを知った上で今私の前に居るのかもしれない。


「お義兄様はどこまでご存知なのですか?」


私は探るようにじっとお義兄様の一挙手一投足を観察する。お義兄様は、不機嫌そうに私を睨みつけた。


「お義兄様? 大した心の強さだな。まあ呼び名はいい。許そう。……さて、どこまでか」


自分でもどうかしていると思う、ただの意地のような呼び名を軽く流してくれたお義兄様はお心の広い方だと思う。相当嫌だろうに。

でも、お義兄様に物怖じしているようでは私はこれから何もなし得ないと思うし、セス様と絶対に結婚するという意志だけははっきり持ちたい。だから、私はお義兄様と呼び続ける。

誰にとってどれだけ嫌な奴になっても私はもう気にしない。私が幸せならいいの。


「私はセスに期待しているがフェリシアとも仲がいい。だから、セスの選択には怒っている」


セス様の名前が出た事で、私の身体と脳と心の中心が揺さぶられる。

私は、いい。でも私のせいでセス様が実のお兄様に悪く思われる、それは…それは……。


「そしてわかっているとは思うが、貴様の事は心底好かない」


動揺している私をさらに貫くように、お義兄様ははっきりと言った。

わかってはいた。でも、今面と向かって言われるとまでは思っていなかった。


「フェリシアがいじめなどという幼稚な事をする理由が無い。彼女は貴様の事など歯牙にもかけていなかったはずだ。……フェリシアの地位を奪った貴様にフェリシア以上の働きは出来るのか? 彼女を超えられると思うのか?」


お義兄様の突き放すような言い方に、散々揺さぶられながらも、私はそれをある意味優しいと思った。

お義兄様も天才と呼ばれる人間ではあるけど、でも、秀才でもある人間だ。才能もあるけど、涼しい顔して裏で努力もしているタイプの人。これはゲームで得た知識に過ぎないけど、今まで大部分はゲームとずれていないから今目の前に居る彼もそうと考えていいだろう。

私もずっとレディローズに挑んで来た身だ。彼女の求心力や振る舞いに関しては、私が努力して得られるようなものではないのはわかっている。

レディローズを見て来て、お義兄様もそれを理解しているんだろう。秀才の人間は天才の才能に敏感だ。

だからこそ、超えられないとわかっていて奪ったのかと私に苛立つんだと思う。私がわかっていないのなら、早く理解して諦めろと諭したくなるのもわかる。

レディローズと並んでも見劣りしないぐらいになれた自負はある。けど、総合的に見て私が彼女を超えられたか、これから超えられるのかと問われれば……やる気はある。しなければならないとも思う。でも、はいなんて、嘘でも言えない。

だって努力は痛いぐらいした後だ。しかも、一度諦めた。それでも汚く最後の最後で諦め切れなくてみっともなく手を伸ばしただけで、正攻法ではやっぱり勝っていない。


「努力はしますわ」

「無理だ。彼女は特別で、凡人がどれほど努力しても天才の領域には至れない。……それぐらい、貴様もわかっていると思っていたんだがな。もうやめたらどうだ?」


自分でも馬鹿だと思いながらした発言に、返って来た言葉は辛辣なものだった。

わかっているけど諦められなかった私は俯くしかない。お義兄様の言葉は全てが全て正しくて、私は何一つ言い返せない。

そもそもニコラス・キャボットというのは誠実で紳士的な人間だ。それはゲーム上だけでなく、これまで社交パーティーの時やティーア学園に臨時講師として訪れ実際に見て多少話した中で、何度も実感した。

不誠実で最悪の人間である私に自分の大切な人達が傷つけられた事で、私にだけあからさまに攻撃的な対応になっているだけ。私に傷つく権利はない。

お義兄様の足音が遠ざかっていく。元々答えを聞く気がない問い掛けだったんだろう。

やめたらどうだって、私にとっては死んだらどうだと同じ意味なんだけど。でもそっちの方が正解なんだろうな。


私が一つ深呼吸して気持ちを切り替えながら顔を上げると、何故か目の前にはさっきまでお義兄様の後ろに居た二人の護衛がそのまま残っていて驚く。

確認するように周囲を見回すけど、お義兄様はやっぱりもう居ない。何故この人達は一緒に行かなかったのか、とその二人の顔をよく見て私ははたと気が付いた。

特徴の薄い、周囲に紛れそうな平凡な顔立ちの二人。だけど、私は貴族以外でも国の重要人物の顔は暗記している。

双璧の死神。この二人は、此処キャボット国で一番の戦闘兵器と言われる最強の傭兵だ。

それが何故、お義兄様の護衛として一緒に居たのか、そして彼等が双璧の死神なら尚更何故この場に残ったのか。

身構える私をよそに、彼等はぞんがい軽快な調子で口を開いた。


「一個一個の能力ならレディローズよりリリアナ様の方が上だろうに、同族嫌悪のとばっちりで災難だったなぁ?」

「諦めていたことが思わぬ形、望んでいなかった形で報われる可能性が芽生えてしまって今少々荒れているんですよ。本当に似た者同士ですね」


前者の方の護衛の言葉は、勉学面や基礎的な作法に関して言うならわからなくはなかったのでいいとして、後者の方の護衛の言いたい事がいまいちわからない。特に最後の一言。

しかしそんな事より気にするべきは、双璧の死神達自身だ。

セス様との婚約前には、お義兄様の護衛は別の人物達だったはずだ。双璧の死神が個人の護衛に付いた話なんて聞いた事が無い。

何故、このタイミングでお義兄様の護衛となった? きな臭い。


「それで、お義兄様はもう行かれましたけど、護衛のあなた達は行かなくてよろしいのかしら?」


自分の髪をさっと後ろに払い、追い払うように偉そうな言い方でそう言った。

早く話を聞きたいから威圧感を多少なり出す為にした行為だったけど、双璧の死神の態度は一切変わりなく、その後彼等は結局有益な情報一つ漏らさずに私をからかうだけからかい馬鹿にするだけ馬鹿にして、嫌な気持ちにさせて去って行った。

ここの省略した最後の部分が、レディローズ一巻『とある王宮の廊下での一幕』に続いています。

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