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その日のうちに、私はカイン子爵にセス様との婚約の報告をした。
「う、ぐ、そうか……そうだよなぁ、リリアナの年なら婚約なんて当たり前だから、お父様も受け入れないとだよな。ずっと念願だったセス様と出来るなんてなぁ。おめでとう」
カイン子爵はそう、大号泣しながらも祝福してくれた。
こんな親を親とも思っていない、自分の破滅に巻き込む気だった娘に勿体ないぐらい優しい親だ。他人事のようにそう思う。
「お母様にも連絡しないとなぁ。ああ、こんな報告ぐらいはさすがに会ってしなくてはな。ティガ国から早く帰って来るように文を送ろう」
「いえ、構いませんわお父様。お母様のお忙しさは承知しておりますから。報告の手紙だけ私から出しますわね」
親ともそんなに仲良くしたくなく一定距離を保ちたい私としては、様々な国で外交をして中々家に帰って来ない母親はむしろ好都合なんだ。そのままで居て欲しい。
でもと食い下がろうとするカイン子爵に、いいからと笑顔で流し口を開いた。
「では私は、お母様への手紙の作成と本日のお勉強をして参りますわね」
言う事は言ったし、早く部屋に行こう。今日からまた次期王妃として恥ずかしくないようにとお勉強に力を入れ、さらにセス様も本当の意味で振り向かせないと行けない。忙しい。
と、いそいそと部屋へ行こうとした私の背中に、カイン子爵の優しい声が掛かる。
「リリアナは甘え下手だから、政略関係なく好きな人と結婚出来るならよかったよ」
発言の何処に焦点を当てても返す言葉に困ったので、私は一瞬だけ振り返って曖昧に笑い返してだけおいた。
もし私がこの家に生まれたのが一度目の人生だったなら、きっと普通に幸せでカイン子爵の事も父親として大好きだったんだろうなと思った。
翌日に学園に行けば、セス様とレディローズの婚約破棄も、セス様と私の電撃婚約も、もう噂として広まっていた。
レディローズは学校には来ていないだろう。本来なら私、リリアナが受けるべき裁判は婚約破棄の翌日にすぐ行われる。となると、今は自宅謹慎中のはずだ。
……レディローズがリリアナにいじめられていてリリアナが罰を受ける本来なら、次期王妃へのとんでもない不敬行為及び殿下セス様を騙そうとした罪により、平民への降格という今まで貴族として生きて来た女子供にとっては、実質死刑となる采配が下される。
しかし、リリアナがレディローズにいじめられていたとなる今回なら、次期王妃へのいじめとはならないわけだし、セス様を騙そうとしていたわけでもないし、しいて言うなら次期王妃の身の上にも拘らず立場をわきまえなかったとはなりそうだけど、本来のリリアナのものよりは罪は軽くなりそうだ。死刑には、さすがにならない……と思う。
まあいい。それより目下の問題としては、レディローズが居ない分、私がより周囲から注目を浴びる事だ。
「おはようございますわ、リリアナ様!」
ふと、仲の良い関係を築いて来たとは表面上も言えない程度の女が話し掛けて来た。
ついこの前までとは違って敬語混じりの話し方と彼女の笑顔の雰囲気から察するに、私の突然の出世にあやかりたい子だろう。私も笑顔で挨拶を返した。
私がこれから王妃になるなら、こういう子達もうまく使っていく必要がある。
レディローズの求心力が凄まじいだなんて、私は嫌という程知っている。今も、私をよく思っていない種類の痛い視線があちらこちらから刺さっている。元々私はカリスマ性においてはレディローズに完敗している。
取り巻きでも連れて歩いていた方が面倒は起こらないだろう。それに、こうしていればセス様も少し私には近寄り難いはずだ。
…私はもちろん、この世界で唯一セス様だけが好き。だけど今は、セス様と居るよりもこの一切気の抜けない好意のかけらも持っていない上辺だけの友人の子と歩く方が落ち着く。
教室まで行けば、私の机の上が書き殴られた文字で真っ黒で、それを雑巾で消そうとしている人達が居た。
…んー、嫌がらせのはじまりはじまり。
私は冷静かつ客観的にそう思っただけだった。予測の範疇だ。今や次期王妃な私に表立って何かは出来ないだろうけど、レディローズを好きな人達や私の成り上がりが不満な人達はこれからも色々と嫌がらせして来るだろう。それは別にいい。私が悪いから全部受け止める。
むしろ悪事を働くだけ働いて罪人として罰してもらえなかった私には、些細な嫌がらせでも罰を与えてもらえるのはありがたいぐらいだ。
だけどそれより今は、雑巾を持っている子達をどうするか。貴族なんて雑巾持った経験も無いだろうに。というか、一人はお高そうなハンカチで拭いてるなぁ…。
実際の好意なのかそれとも打算なのかはどちらでもどうでもいい。今のこの子達はレディローズよりも私に付く可能性が高い。なら仲良くしておこう。
「ありがとうございます。そのお気持ちが嬉しいわ」
笑顔で好意を伝えた後、教師に頼んで新しい机を用意してもらうからと席に戻らせた。
セス様が教室に来られる前に片付けなければいけないから、雑巾じゃ時間が掛かり過ぎるんだよ。ありがとう、ごめんね。
その時ふと、何処からか背筋が凍る程の冷たく怖い、憎しみがこもっているのが自然と伝わって来るような視線を感じた。私はそれに相手を特定する気もなく振り返らなかった。
翌日、レディローズへの判決が下った。あまりに呆気なく、彼女は平民への降格となった。ゲームらしくシナリオの辻褄を合わせるために世界が軌道修正をしたのか、それとも現実的に考えるのなら権力至上主義なレディローズの両親が彼女を家から切り捨てる為に庇わずむしろ死刑を後押ししたのか。
死ぬだろうな。私だったら前世の記憶があるし貴族自体への執着は無いし、実際するかは別として大変でも生きるだけなら出来るとは思うけど、貴族の家で生まれて貴族として育って来た人間がある日いきなり平民として生きろって放り出されても、生きられないもんな。
私が殺したのと一緒だね。
それでも私は今日も学園へ行って、前を向いて背筋を伸ばしていつも通りの日常を送る。
これからもレディローズを好きな子達から私への報復は続くだろうけど、レディローズの死刑が決まった今日は特に、感情的に後先考えずなりふりも構わずに攻撃して来そうだ。
別に何をされてもいい。私への攻撃は全部受け止めたい。これは私の我が儘だ。勝手に少しでも自分の心を軽くしようとしている行為。
そう思ったところで丁度、腕を乱暴に引かれ草むらに引きずり込まれた。芝生に膝をつく。
さて、もしかして暗殺も有り得るかなと冷静に考えながら受け入れようと目を閉じる。
……。…………。
三分経っても一切何も起こらなかったので、私は逆に動揺し怪訝に思いながら目を開けた。
目の前には、よく知った顔があった。
「俺から離れてお前が幸せになるってんなら見過ごしてやるかと思ったけど、不幸そうな顔してるからやっぱダメだな」
メルヴィン君はそう言って、悪戯っぽく笑う。
何でまだ私に構って来るんだと言いたい気持ちはあった。それか、メルヴィン君相手ならもう黙って腕を振り払い去るべきかとも思った。
だけど今のその言葉だけは聞き捨てならない。反論しない訳にはいかない。
「幸せですわよ」
他の全ての人間を不幸にしたとしても、私は幸せだ。そういう選択をした。
的外れな事言わないでよと呆れるように言った私に、メルヴィン君は声に出して笑う。
「相変わらず下手くそな嘘だな」
「嘘ではありませんし、嘘を吐くのも昔よりずっと上手になりましたわ。でたらめな事を言わないでくださいませ」
「俺達何歳からの付き合いだよ。他の誰がわかんなくても、俺はお前の嘘全部見抜けるって」
もっともらしい事を言われて口をつぐむ。
でも、それだけの理由で私の嘘が通じないのならそれは私の努力が足りない。もっと、もっと、私はそれが誰相手だろうが全員、王様だって国だって全てを騙し切れるぐらいの人物にならなきゃいけない。
せめてレディローズを超えなければ。どれだけ難しかろうが、それはもう私の義務だ。彼女を蹴落として殺した、私の責任。
そう半ば意識を飛ばしていた私を現実に引き戻すように、メルヴィン君は突然私の両頬を自分の両手で軽く叩き挟む。
「お前は馬鹿だから絶対に自分が不幸なんて認めねぇんだろうな。いいよもう、それで。でもな、約束だ。俺が気が向いたから助けてやるよ、友達」
強制的に視線を合わせられた私は、メルヴィン君の赤い綺麗な目を見ながら、思い出した。
そういえば、そんな約束をした。初めてメルヴィン君と会った時、「気が向いたら助けてね」そう言ったのは私からだった。小さな子どもの口約束。
……この人は、凄いな。本当に。私がつい縋りたくなるような言葉を的確に選ぶんだから。
私は確かに今、揺らいだ。助けて欲しいとは思っていない。私の今の状況は、私が解決するべき問題で責任だと思っている。それでも、嬉しかった。
認める。認めるよ。
メルヴィン君は、私の最高の友達だ。誇らしい程に、最高の友達、だった。
私の自分勝手でこれ以上誰かを不幸にする訳にはいかない。メルヴィン君を不幸にしたくない。それに、大切だと認めてしまった私はむしろ、今すぐメルヴィン君を絶対に私から切り離さなきゃいけない。
前世で死んだ時の事、忘れた日は一度だってない。突然幸せな日々が途切れて、一瞬で大切なものを全て失って空っぽになった。痛くて苦しかった。
友達は要らないの。前世でも友達が居たから。失っていく絶望の感覚を忘れられないから。
家族も、親戚も、先生も先輩も後輩も、親しい人は誰も要らない。今世が初めての関係の人以外要らない。
前世でも今世でもたった一人の恋する人、セス様だけでいい。セス様だけが欲しい。
死んで生まれ変わった事が無い人には、幸せが一瞬で絶望に変わってその後すぐに新しい人生を与えられてぽんと投げ出されて、本当は心の奥底でどうしようもない孤独と悲哀に包まれていた私の気持ちなんてわからないよね。その中で、恋をするっていう生きて行く為の理由をくれたセス様の存在にどれだけ私が救われたのかも、理解出来ないよね。
絶望を忘れるには、まだたったの十五年なの。ねぇメルヴィン君、こんなに素晴らしい友達をまた突然失うのが怖くて堪らないから私から捨てさせて。私から捨てるなら心の準備が出来るから。
「約束って子どもの戯言でしょう? そんなもの、もう時効ですわよ。大体私は助けてほしくなんてありませんし、そもそも根本的に、あなたの事を友達だなんて思っていませんわ。もう関わらないでくださいませ」
意識してなるべく温度の無い言い方で、見下し突き放すような視線を心がけながら言って、メルヴィン君の両手首を掴み乱暴に自分の頰から引き離して立ち上がる。
「だから下手くそだって言ってんだろ」
背中に掛かった声があまりにも煩わしい。
正直にしか生きてこなかったんだから、どれだけうまくなろうとしたって私が嘘が下手なのは当たり前だ。メルヴィン君程付き合いの長い相手になら尚更。
それでもこれからメルヴィン君も騙せる程うまくなって見せるから、いいから今は黙って騙されてよ。
絶対に私は口では認めないから。
「いいよ、別に。俺は面白そうだから勝手にやらせてもらう。最初からそういう約束だ」
何回突き放しても、この人には意味が無いのか。
私は泣くのを我慢しながらも、振り返って助けてと言う事はなかった。それだけは絶対に、言う気がなかった。
助けてもらっていい程の価値なんて私には無いから。




