21
知っているキャラクターと人として会った時よりも、ゲームの舞台を目にしその中に入り生活する事の方がおかしな気分だ。
『救国のレディローズ』のゲームの中心舞台であるこの国の貴族の子供達が十五歳から三年間通う学園、ティーア学園は、どこもかしこも確かにゲームの画面越しで見たのと同じような造りだった。私も皆も自分の意思を持ちこの世界で生きているのにと思うと、やっぱり不思議だ。ゲームが先か、世界が先か、神様じゃないので私には知る由も無いけど。
入学式にあたり、入試一位の新入生代表として挨拶するのは特段緊張する事でもなかった。
体育館の壇上で一時的にとはいえ誰よりも上に立って、探す前からすぐに見つかるぐらい目立っているレディローズを見下ろした。
けれど彼女は私を見てもいなくて、とにかく綺麗で、彼女が何に興味を持ちこれからゲーム上のどの道を進むつもりなのか全く読めなかった。
彼女だけが、この世界でゲームの登場人物のように機械じみている。精巧な作り物みたいに。だけどそれでも誰よりも完璧なので、正しいのは彼女で本物なのは彼女になる。
予定通り何の面白味もない挨拶を終えて壇上を下りた。
席に戻る途中、知り合いの幾人かに声を掛けられたので表面上は友好的に適当に返す。
滞りなく式は進み、終わった。
この後クラス分けが発表され、私とセス様とレディローズは恐らく同じクラスになるんだろうけどその前に、貴族が集められたこの学園ではこの時点で一時間の自由時間、要するに交流タイムが設けられる。
学園内では一々不便が生じる為、身分差による目上の人間への挨拶は推奨されず、しなくても不敬とは一切みなされない。極端な話、王族ともなれば毎日毎日歩くだけで全校生徒や教師に挨拶される事になり、むしろ煩わしく勉学に集中しづらいからだ。
だから好きな人に話し掛け、交流していい。もちろん相手も望めばだけど。貴族ばかりの学園の交流なんて、結局ほとんどはそれぞれ腹の中で打算や思惑がひしめいているものだ。
私は、セス様より誰より先に真っ直ぐそこへと向かった。
だって根底の理由が私とセス様の為なのは確かだけど、私が今後一番この学園で密に関わる事になるのは彼女に違いないから。
やっぱり彼女は大勢に囲まれていたけど、私は臆さず歩いて行った。自然と道は開けた。
私はレディローズのようなあだ名こそ無いけど、容姿は綺麗だしそれなりに人付き合いもして来たし、セス様やメルヴィン君と友人な事もあって、一介の子爵令嬢とは思えない程には結構な知名度がある。人気もある。そのお陰だろう。
さすがに状況の変化によって、彼女の目もやっと私の方を向いた。
「ご機嫌麗しゅう、フェリシア様。これから同じ学園に通う学友として、よろしくお願い致しますわ」
一言一句、違わず、過去に何度も見て未だに暗記していた台詞を言った。リリアナ・イノシーがゲーム開始すぐに主人公に言う台詞。
……レディローズ、これから私はゲーム通りに、貴女にいじめを行うでしょう。それは許される事ではありません。絶対に。貴女は私を許さなくていい。それが、セス様と貴女が幸せになれる道の最適な道ですから。そして私は自分が犯した事への罰を受けますから。
と、そんな色々と複雑な気持ちが心で渦巻いていたけど、外見はしっかりと淑女らしく誰より綺麗に洗練されていると自負している礼をする。
「ええ、リリアナ様。此方こそ是非、よろしくお願い致しますわ」
レディローズは微笑み、私程に洗練されてはいないけれど、所作の一つ一つが何処か目を惹く美しい礼をした。秀才の礼ではない。天才の礼だ。
その礼の仕方も、同じくゲーム通りに返された台詞も、だけどそれは私の予想の範囲内だったので私の心を波立たせはしなかった。
もう一度レディローズが私を見た時、その優しげな笑みの心中を私が勝手に察しさえしなければ、私は平静で居られたと思う。
私は、人の感情には敏感だ。
だってずっと人の感情を気にして、たった一人の心を動かす為に悪戦苦闘して来た。私は天才じゃないから、王妃になるのに必要だからと人脈を広げる為に、人の表情や態度や行動や視線の動き、些細なものまで全て気を配って来た。
無根拠な話ではない。それぐらい出来ていると言い切れる程の経験も実績もある。努力でやれる可能性のある事は全部やってきた。
だから私は、レディローズの笑み方一つで、私が今自分が彼女にどう思われたのか明確にわかった。わかってしまった。
……ねぇ、今この人私の事見て、かわいいって思った。
ねぇ、ねぇ、信じられない。かわいい? かわいいってなに?
普通ならそれは褒め称えるような意味だ。でも、私は本気で、命を懸けるぐらいの気持ちで貴女に挑んで来たのに。ずっと、闘って来たのに。そんな私を見てかわいいって、この人。
同じ土俵にぐらい、私、上がれた気で居たんだけど、貴女にとってはそんな事全然無かったのね。それ、好敵手に対して思う言葉では絶対にないでしょ? この世でただ一人貴女にだけは絶対に、そんなこと思われたくなかった。
貴女からのかわいいは、私を惨めにする侮蔑だ。
ああ――私、この人きらい。
演技なんて必要無いぐらいに今の私、レディローズへの気持ちが真っ黒だ。塗り潰される。
感情の制御は練習したはずなのに、今口を開いたら人目も気にせず負の言葉が溢れそうだった。だから私は彼女に背を向けた。
「またね」
背中に掛かったレディローズの明るい声と言葉の内容が、また不快だった。同時に、そう思う自分も嫌いだと思った。
それからは誰にも話し掛けには行かず、目立たないよう体育館の隅でじっと感情の収まりを待った。それでも何人か話し掛けて来た人は居たので、適当には応対したけど。
やがて交流の時間が終わりクラス分けが発表される。
案の定、ゲーム通り、私とセス様とレディローズは同じクラスになった。授業の為に毎日顔を合わせる事になる日々の始まりも意味する。
教室に向かう途中、セス様が私を見つけて話し掛けに来てくださった。
「リリアナ、同じクラスだな」
「ええセス様、私とても嬉しいですわ。同じクラスでよろしかったですわね、彼女も」
「……周りに聞こえる」
「婚約者なのですから何の問題も無いでしょうが、ええわかりましたわ。気を付けますわね」
笑顔で話す私の心は、むしろ今までと比べれば多少は落ち着いている。セス様の事は今も狂おしい程好きだけど、きっと死ぬまで好きだけど、もう諦めると決めたから。
恥ずかしそうに周囲を睨みつけるように視線を動かすセス様の耳は赤い。
これから私はセス様と会ったりお話したりする頻度を少しずつ減らしていくだろう。レディローズを悩ませセス様と話すきっかけを作り二人の距離を近づける為に、しばらくはセス様にバレないようにレディローズをいじめる必要があるから。それにセス様に私が嫌われるのは仕方ないけど、一番の友達に裏切られるセス様の傷は少しでも浅いほうがいい。私が少しずつ離れた方が、セス様は幸せで居られる。
ああやっぱり私、セス様の事を考えている時の私は嫌いじゃない。自分の気持ちも置き去りにして、幸せを願える。
ちょっとだけ、本当に、聖女様みたい。
そう微笑んだ私を嘲笑い並んで歩く私達を切り裂くように、一人の少女が逆走するように歩いて来た。彼女は私達を見つけるとはっとしたように近づいて来る。
「セス様、私のペンダント……いえ、何でもありませんわ」
不自然に言葉を切ると、誤魔化すように笑ってまた早足に下を向きながら彼女、レディローズは逆走するように歩いて行く。
ああ、レディローズが落とした昔セス様に頂いたペンダントを探している間に、隠しキャラクターではない攻略キャラクター達全員と話をするプロローグイベントだ。
結局ペンダントはその日のうちに見つかる事は無いんだけど、後にセス様が見つけて渡す。
そんなゲーム事情なんて当然知らないセス様は、一人で話を終わらせてしまったレディローズに不満そうなお顔をされた後、踵を返された。
「先に行っていてくれ」
レディローズを追い掛けるように走って行くセス様を見送る私は、黙ってセス様とレディローズとは逆方向、元々行こうとしていた教室までの道をまた歩き出した。
……私が表面上だけレディローズを嫌っていじめるのと、心の奥底からレディローズを憎みながらいじめるのには、何か違いはあるんだろうか。少なくとも被害者や側から見て変わらなく見えると思う。
今の私、たぶんもう表面上だけでは彼女をいじめられないと思う。形として酷い行為をするのに、無心では行えない。
レディローズ、幸せが約束された人。彼女はきっと、ゲームでいうところのバッドエンドの道を選ぶ事はないだろう。実際に目にすると、そんなヘマをする人間には見えない。
とても幸せになる。私が幸せにする。だから、それまでたった一年間でいいから私の憎悪に触れて不幸になってほしい。
私は自分の教室に入ると中をぐるりと見回し、やっぱりゲーム通りに恋愛対象キャラクターの一人、エヴァン・ダグラスは同じクラスなんだなと軽く確認だけして席に着いた。
セス様もレディローズもホームルームが始まっても戻って来なかった。ゲーム通りだ。
勝手に誰かを目で追う事をせずに済んで、気を散らせる事なく考えに集中出来た。
私がレディローズをいじめハッピーエンドを迎えさせるにあたり、一つ問題があった。
今日はまだ会っていない、私の契約の友人メルヴィン君だ。このままだと彼は私の友人というだけで、悪人の友人だったと後に迷惑を被る事になってしまう。他の人ならまだしも、彼はあまりにも良い人なので事前に忠告ぐらいはしてあげよう。それぐらいの義理はある。
初日という事で今日は授業も無く、すぐに放課後となった。
馬車に乗って帰られる前にと、足早にメルヴィン君の教室前に行き彼を待つ。教室の配置どころか学園中のマップをほぼ覚えているので、新入生の中では私は誰よりも早く歩ける。十五年も前の記憶でも、忘れようとせず暗号のように書き留めては塗り潰したり燃やしたりを繰り返したから。
教室を覗けば、メルヴィン君の雪のように白い髪は目立つので、存外簡単に見つけられた。
気付かせる為に声を掛けようと口を開けば、それより先にメルヴィン君が此方を見て気付き寄って来たので、わざわざ目立つ事もないかと声は出さずに近くに来るまで待った。
「俺に用? 珍しい」
「そういう事ですわ。少しよろしいでしょうか?」
「うん」
何だか機嫌良さそうなメルヴィン君を連れて、裏庭のベンチ裏の木の影まで行った。
「うわ、此処建物と木とで全方位から死角だな。…何でこんなベストスポット知ってんだよ」
「知人に聞きました」
「ふーん、まあどうでもいいか。それより人目無いのに何で敬語?」
不思議そうに私をじっと見るメルヴィン君と視線を合わせると、彼の背がいつの間にか私より少し高くなっていた事に気付く。
ああ……契約と線を引いたのに最後の最後でこんな事を考えてしまっているんだから、やっぱり私はメルヴィン君と長く一緒に居過ぎた。
最期の瞬間には私、メルヴィン君の事もきっと少しは思い出しちゃうんだろうね。
「私にはもう近寄らないほうが良いですよ」
メルヴィン君の質問を無視する形で、無表情に突然に、私は突き放した。
「なんで?」
「理由は言いません。契約上の友人であっても後に不利益になりますよという、ただの忠告です」
大きな赤い目が、私の真意を探るように少し細まる。それからメルヴィン君は微笑んだ。
「利用し合うだけの契約の友人相手に、そんな事気にして、随分優しいんだな」
私はその裏を含んだ指摘をするような的を射た言葉に、どうしても少し動揺した。
メルヴィン君があまりにも良い人だから罪悪感で…という言い訳は苦しい。
事を起こす前にこんな事を言って不審がられかねないのに、それに他の表面上の友人達には何も言わないのに、メルヴィン君一人にだけ忠告している時点で確かに特別扱いだ。
やっぱり何も言わなければよかった。馬鹿。私は絶対にセス様を幸せにする為に、ゲーム通りに歩むこの計画を破綻させるわけにはいかないんだから。
「忠告はしましたからね」
私は過ぎた事は仕方ないし後はメルヴィン君次第だと、逃げるようにその場を去った。
メルヴィン君も追っては来なかった。




