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私は、頑張ったと思う。
一年。まだまだ理想の自分には届かなくて。それでもがむしゃらに上だけを見てとにかくお勉強し続けた。
二年。本当の意味での友人は作らなくとも有益な関係となれる表面上の友人を作って、集団での立ち回り方も学んで。
三年。セス様が持ち歩く、レディローズに誕生日にもらったという小さな金色の猫に、嫉妬でぐちゃぐちゃになりながらも笑って彼を支え続け。
四年。信念に比べて感情のコントロールがままならない自分に目を向け、感情を抑えられるようになる為、なるべく客観的俯瞰的に物事を見るように普段から気を付けるようになり。
五年。社交パーティーでも、多少人目を引けるような人間になれて来た。レディローズにはやはりまだまだ及ばないけれど。
六年。私がシャーリーに教えられるレベルじゃなくなったのは随分前の話だけれど、家庭教師探しも大変で、勉学に限らず私が学べる人間は苦労しないともう見つからなくなった。
七年。セス様との時間を増やすように気を配ってみたけれど、セス様のお気持ちは相変わらず。私の気持ちももちろん。
八年。社交パーティーで異性によく声を掛けられるようになる。躱し方も学んだ。歩けば人が振り返るのは、点数や暗記と違ってわかりづらい容姿への努力の成果が目に見えて良いと思った。
九年。ゲームの舞台、ティーア学園への入学まで一年となったので、時間配分をお勉強にまた重点を置いて。復習復習復習。
十年。学園の入試でセス様やメルヴィン君やレディローズも抜いて、一位。入試トップ。その通知の紙が届いたのは昨日の話。それを私は、当たり前に思いながら見た。
――十年。そう十年が経った。
私はレディローズを見たあの日から十年、一日も休まず頑張り続けた。
私頑張ったよ。うん。前世はただの一般家庭の女子高生なの。自分でもこんなに私が頑張れる人間だっただなんてびっくりするぐらい。私、頑張ったね。えらいよね。
私は城下町の外れの外れ、もう十二年も通い続けた教会で、神様に祈りもせず奥の大きな十字架をただぼんやりと見上げながら、自分を褒めていた。
だって私、今、私の理想だった姿になれている。レディローズの隣に立っても、もう絶対に見劣りしない。
「うん。理想には、追いついた、のに、なぁ……」
誰に言うでもなく、虚空に言葉を溶かす。
私はたぶんもう、諦めなければならない。だって十年だ。十年、私は休みなく努力し続け、十年、セス様のお側に居た。
セス様との思い出はいくらでも出来た。
一緒に家を抜け出して二人で城下町を歩き、レディローズへの誕生日プレゼントを選んだ。当然その後すぐ見つかってしまい、二人して怒られた。セス様は庇ってくれたけど、清廉潔白に生き過ぎているせいなのか嘘が下手くそで。私も人の事言えないけど。楽しかったなぁ。
レディローズが中々自分の意見を言わないから、らしくもなくつい子どもみたいに(子どもだけど)突っかかってしまうと悩むセス様に提案し、お芝居みたいにレディローズになりきった私相手に優しく話す練習もした。セス様はいつまで経っても好きな子をいじめる小学生みたいな事を言ってしまい「どんな勉強や外交より難しい」と頭を抱えていらした。レディローズになりきるのは少し憂鬱だったけど、二人でお芝居するのは、楽しかったなぁ。
一度メルヴィン君も交えて三人で遊んだ事もあった。何でそんな事になったんだっけ。えーっと、そう、カードを使った戦略ゲームをしていたんだけど勝敗がつかなくて、こうなったら参加人数を増やそうという話になったんだ。ゲームに関する事しか結局二人は会話していなかった気がするけど、楽しかったなぁ。
……楽しかった、なぁ。幸せだったなぁ。
セス様は、今も変わらずレディローズの事が好きだ。恋愛対象として、彼女の事しか見えていない。
どれだけ私が好かれようとしても向けられる笑顔はいつも友人としてで、レディローズに向ける敬愛と熱情の入り混じった目が自分に向く事は一度だってなかった。もしほんのかけらでも勝機が見えていたら、私は告白しただろう。未来があるなら手段としていくらでも。
…セス様は私を好きにはならない。それはゲームのシナリオ上仕方ない事。人の気持ちとしても仕方ない事。私にそれを変えるだけの力が無かっただけの事。
私はどう足掻いても、セス様にとって大切な一番の友人で、レディローズをセス様が愛している限りそれはもうどうしようもないんだ。だって私のこの恋もどうしようもないから。
もう努力はし尽した。これ以上は自分にはどうしようもない。足掻き方がもうわからない。星を掴むような奇跡は、凡人な私がいくら努力したって起こせないらしい。
自分が悪い、努力が足りないと思っているうちの方が楽だった。だってそれなら、まだ努力をもっとするだけで報われる可能性があるから。
自分は悪くないなんて、だってそれ、諦めるって事じゃないか。だから仕方ないなんて言って振り切れる程度の事に対してじゃないと、そんなの認められない。
私は、認められなかった。自分がどれだけ頑張ってもこのたった一つの私の生きる意味が、望みが、果たされはしないと認められなかった。レディローズに私はどうやっても勝てないと、認められなかった。十年間。
認めたくなかった。
でも、どう誤魔化したって事実は変わらない。世知辛い。神様はいつも私の味方な訳じゃない。
それに、一番の友人として見てもらえている現状は、セス様と視線さえ合わせられなかった前世の自分と比べてどれだけ幸せな事だろう。それで満足、しなければ。
でもこの大きくなるだけなって届かない恋心。これだけは、どうしたらいいんだろう。私はずっとセス様の隣だけを目指して頑張って来たのに、これからどうやって生きろというんだろう。セス様の隣に行く為の努力で、私の毎日の生活は構築されていた。
もうやらなくていいなんて言われても、この先の生き方がわからない。
私は、この世界で自分がリリアナだと気づいた瞬間にもう、セス様を想うこの前世越しの初恋だけを叶えたくてそれだけを見ながら生きて行く事に決めてしまった。セス様の代わりは居ない。私には次が無い。未来が無い。
私の願いは、生きる意味は、セス様の事以外に何も無い。私にとってセス様との恋を諦める事は、生存理由を失う事だ。
ふと後ろを見れば、修道女が私をキラキラとした目で見つめていた。
彼女はいつもそうだ。最初に会った時はもっとみすぼらしかった姿が、今ではかわいらしくも立派な修道女にはなったけど……私を見るその目だけは最初からずっと変わらない。
聖女様と私を呼んでいる事も知っている。本気でそう思っているのは視線だけでも伝わる。
私は、努力し続けたのは確かだけど、ずっと自分勝手にこれまでセス様の事だけを考えて生きて来たのに。
「……聖女様、かぁ」
勝手につけられた呼び名。大層で身に余る。…けど、ちょっといいなと思った。私のこれからの生き方として。
決めた。私、聖女になろう。本当の。
誰もが幸せになる為の必要な犠牲。もう十分この世界で自分は幸せをもらったんだから、セス様の為にゲーム通りの結末を、ハッピーエンドを用意しよう。
私は悪女となってレディローズをいじめ彼女を嵌めようとして、それがセス様にバレて最悪に嫌われ、そして平民となるというこの世界の貴族においての実質死刑を受けるの。……だけどそれを切っ掛けとして、障害を乗り越えたセス様とレディローズの二人は幸せになる。
私がセス様を幸せに出来る。
ただ画面越しに選択肢を選んでいた時とは違う。私の手で、幸せに出来る。
両想いになりたいなんて、そもそも過ぎた願いだった。私は、勘違いをしていたんだ。私の幸せを、役割を、勘違いしていた。
私は、セス様を幸せにする為にこの世界に転生した。セス様を自分の手で幸せに出来る私は、なんて幸福なんだろう。
私がリリアナ・イノシーとして生まれたのはその為だ。役割は最初から示されていた。恋愛ゲーム『救国のレディローズ』をプレイしていた私は、セス様がどうやったら幸せになれるかなんて最初から知っていた。
だけど私は私で、ゲームの世界のリリアナではないから、ずっとセス様の友達としては居てあげられない。そんな事したら絶対私は壊れてしまう。だから、私が壊れる前にセス様を幸せにして私を壊してもらおう。
もう一度十字架に、神様に、私は向き直る。
「神様、ありがとうございます。今日も私は幸せです」
一番の望みが叶わなくても、十分に素敵な道だ。恋はダメでも、愛を捧げられる。
帰ろうと踏み出した足は思いの外軽くて、思わず身体のバランスを崩しそうになって驚いて、それからちょっと笑えた。
足だけじゃない。身体が軽い。ああ、私ずっと重石を背負って生きていたんだなぁなんて、自覚する。だってどれだけ走り続けてもゴールが見えないんだもん。
今は、見える。ゴールが決まった。
馬車まで戻ると、十年経ってもほとんど変わらず綺麗なお姉さんのままの私付きのメイド、シャーリーが私を出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、リリアナ様。なんだかご機嫌ですね」
「ええそうなの、ちょっと心境の変化があってね。晴れ晴れした気持ちよ」
シャーリーはもう、昔は表情がほぼ変わらなかったなんて思えない程に豊かに笑ったり怒ったりくるくる表情が変わるようになった。
彼女なら、私が居なくなっても新しい勤め先を見つけられるだろう。
私を乗せて、馬車が走り出す。
「そうだ、リリアナ様! 帰りに驚かせようと思って黙っていたのですけど…じゃん! チョコレートです! 食べてください!」
「ありがとう」
シャーリーがにこにこと差し出して来た焦げ茶色の塊を見て、私は笑顔を作った。
味がしないから、飲食って私あんまり好きじゃないんだけど。
……私は食べ物の味がわからなくなっていた。五歳頃から食べ物の味が薄くて、それが段々とほぼ無味になって、今では全くわからなくなった。
でも栄養は取らなきゃいけないし、食感はわかるから毎日三食ちゃんと食べているし、飲食を勧められたら断りはしない。
とろけるそれを口の中で転がす。これは、チョコレート。私の好物だったもの。
「美味しい」
心にもないことを言った。
ああ十年も経ったら私もちょっとは嘘、上手になったかなと、やっぱり少し笑えて窓の外を見る。
窓ガラスに映った私は何故かちっとも笑っていなかった。




