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あれはもう生まれながらにして私と違う人間。天才中の天才。私が一日必死に努力してやっと出来ることを五分でやっちゃう人。
レディローズを一目見た私の見解は、こんな感じだ。
だいたい、あれで社交パーティー出席初めてとか嘘であって欲しいよ。会場中の視線集めても特に気にしていないみたいに、普通に堂々としていたからね。自分が視線を集めるのは当たり前みたいに。もしかしたらレディローズは性格が高飛車かもしれないな!
……まあそんな事は実際どうでもよくて、問題は私だ。私がじゃあこれからどうするのか。
うん、答えはもう出ている。天才が五分で何かをこなすなら、私はそれをこなす為に一日努力すればいい。私が、ええとレディローズのだいたい三百倍ぐらい頑張ればいい計算かな。よし、頑張ろう。
と、思って頑張り始めて三日。
シャーリーが私を何とかして休ませようと四苦八苦して来る。私は止まると死ぬから、泳ぐのやめると窒息するマグロみたいなもんだから、そういう生き物だと思って放っておいてくれればいいものを。
「リリアナ様、どうしてそんなに無茶をなさるのですか…….お身体を壊してしまいます」
「頑張りたいからよ。身体は壊すとその間出来る事が少なくなるから、気を付けるわ」
「そういう事ではなくて……リリアナ様は今もう既に、同年代の中で抜きん出過ぎているぐらいです」
「それじゃあダメなのよ。誰に勝っていても、勝ちたい相手に勝てなきゃ」
成長に影響出ないといいなって最低限の範囲では食事も睡眠もとっているし、健康管理は大丈夫。
なのにシャーリーは、うーと泣きそうな声で唸っている。そっちに目は向けないから表情がどうなっているかはわからないけど。忙しいから。
いやでも、待てよ。実力行使で禁止されたら時間の無駄になるからこういうのは今のうちに言っておこう。
私は目も手も止めて、一度シャーリーに向き直った。シャーリーはやっぱり泣きそうな顔をしていた。私はそんな彼女に言う。
「一時的に取り上げたって無駄よ。何度だって繰り返すわ。それに、何もない部屋に閉じ込められたところで、自分の血で文字を書いてお勉強する。身体をくくりつけられたら貴族の名前を覚えているだけ暗唱するかしら。口を塞がれても、脳が動くならいくらでも出来る事はあるわ」
だから私の時間を奪うだけの行動はやめてね。と微笑んで、絶句しているシャーリーにまた背を向けお勉強を再開する。
貴族の爵位毎の権限範囲がどうも広過ぎて覚えきれないんだよね。平民相手ならだいたい全部貴族の我が儘通るからいいんだけど、貴族同士でのやり取りとなると、覚えるの面倒臭い。覚えるけど。
「どうして、そんなに。どうして」
シャーリーがまた聞く。同じ質問に答えるのは時間の無駄なんだけど。
「世界でたった一つ欲しいものがあるから」
私が幸せになりたいが為に、私が死ぬ程努力する必要がある。おかしな事は何も無い。
それから暫く、シャーリーは黙って私を見ていた。視線を感じはするけど集中力の訓練をしていると思えばどうという事はない。
どれぐらい経ったか、シャーリーは一度部屋を出て行きまたすぐ戻って来ると、机に小さなお皿を置いた。
「チョコレートです。せめて、これだけは食べてください」
……チョコレート、かぁ。視線も向けずにちょっとだけ考える。
チョコレートはなぁ、お肌に悪いんだよなぁ。一番好きな食べ物と言われればそうなんだけど、うーん。
でも好意に背いてばかりで確執になったら嫌だし、まあ少しならいいか。
「ありがとう」
お礼を言って皿に手を伸ばし、その茶色がかった黒い塊を一つつまんで口に入れる。
甘くとろけていくそれは確かに美味しい。お肌に悪くても糖分補給は脳には良いし。……んー、でも。
「これ睡眠薬とか配合されていないわよね?」
「そ、そんな騙すような事は……!」
「ならいいわ」
何だろう、少し味に違和感を覚えたというか、この世界でも前食べた時の記憶ではもっと甘かった気がしたんだけど。気のせいかな?
一応、睡眠薬じゃなくても変なものが入っていたら嫌なのでそれだけは聞いておこうかと口を開きかけた時、外からぱたぱたでは済まされないばたばたばたという全力疾走しているような足音が聞こえた。
思わずシャーリーと目を合わせ、た瞬間、部屋をノックされ返事する前にもう開けられる。
中に転がり入ってきたメイドの一人の女はどんな事情であれ叱責するべきだろうし、シャーリーが怒ったように何か言おうとしたけど、それさえ遮って彼女はこう言った。
「セス様がいらっしゃいましたぁ……!」
「へぁ!?」
間抜けな声を上げた私は、椅子から瞬時に立ち上がる。
「え、あ、あなたの不敬は全部許すわ! だから、あーもう! セス様!? 何で家に!? 嬉しいけれどでも……っ! と、とにかく、シャーリー準備するわよ! あーでも急いで準備した姿でお会いしなくてはいけないだなんて、迅速に私をとにかくかわいくして!」
「リリアナ様、お、お、落ち着いてください! そこの貴女は床にへたれていないで早く人を集めてリリアナ様の準備を手伝う! セス様の方に割いていない人手全員集める気で行きなさい!」
「は、はいぃ!!」
ばたばたと大慌てでドレスを着て髪を整えて簡易的とはいえ社交パーティーに行く時ぐらいにはしゃんとした姿になった私は、セス様を少しでも待たせない為にと客間まで出来るだけ早足で歩いた。
「失礼します! リリアナ、参りました!」
自分で言っていて、この台詞と勢いだと殿様の前に武士か忍者として現れたみたいだなと思いながらも客間の前で声を出す。
すぐにセス様のお声が入室を許可してくださったので、家に確かにセス様がいらっしゃる感動を覚えながらもドアを開けた。
私を見たセス様は、少し申し訳なさそうに笑う。
「突然で迷惑だろう。城を出てから普通はそう思われるだろうとは気付いたんだが……」
「いえいえいえ、神に誓って私がセス様を迷惑に思うなんて事はあり得ませんわ! もう私ったら先程から暇で暇で、暇過ぎて死ぬのではと思っていたぐらいですので、大歓迎ですしてよ!」
私のせわしない日常を知っている使用人達が私の嘘に渋そうな顔をしているけど、セス様がいらっしゃった瞬間に私の他の予定は全てきれいに消えたから暇なんですぅ。
大歓迎とあまりにも心から言っているせいか、私は嘘が下手らしいわりにはセス様も気づいた様子はなく特に触れては来なそうだ。
「ですが、セス様が我が家にまでいらしてくださるだなんて……どうされましたの?」
「少しリリアナと話がしたくてな。一先ず、立っていないで座れ」
そういや立ちっぱなしだった。私め、図が高いぞ無礼な。
ささっと座って正面のセス様を見る。視線を逸らされた。
……んー? 何だ? 何だろう? やっぱり……「セス様今、リリアナと話したいって! リリアナ嬉しい! きゃー!」と無邪気に幼児テンションで喜ぶに喜べない違和感だ。
そもそもセス様がアポを取らずにいらっしゃったのもおかしいし、ご自分のお勉強の時間を削ってまで私なんぞに会いに来るのもおかしいし、話を早く済ませてさっさと帰ろうとしないのもおかしいし、誠実なセス様が目を逸らすなんて事をされるのもおかしい。嫌な予感がする。
「人払いしてもらってもいいか?」
「はい」
セス様ったらそんな、私と二人っきりでいいのだろうか。私が何かの拍子に襲って来たらとか思わない、よね。五歳だしね。友達と思われているしね。
さすがに王族の方と二人っきりにさせるのはというざわざわした空気を使用人達から感じたけど、問答無用で締め出した。セス様がそうしたいと言っていらっしゃるんだから当然!
さていつでもお話どうぞ、と人払いするような要件って何だろうと不思議には思いながらも視線を送る。セス様は私から視線を逸らしたまま、お言葉を探すように口を僅かに動かしながらやや黙った後、口を開く。
「聞きたい事があるんだ」
「はい、何もかもお答えしましょう」
即答してまたお言葉を待つ。セス様はまた言いづらそうに、少し黙った後に言う。
「人の感情を動かすにはどうすればいい。悪い意味でではなく良い意味での話なんだが」
「……その方がして欲しいと思っていらっしゃる事をする、でしょうか」
「それがまったくわからないんだ」
「直接尋ねるか、あとは手っ取り早いものなら贈り物はどうでしょう? やり過ぎや嫌いな人間からなら嫌がられるでしょうが、ちょっとしたものでしたら顔見知りであれば」
「成る程……」
セス様の言い方から考えると、恐らくまだそんなに会ったことのない相手で……それに加えてセス様のこの反応、そして数日前にあった社交パーティー、このタイミングでの相談、となるとやっぱり……。
…….それ、その相談、私にするー!? いやでもセス様からしたら私がセス様に恋情抱いてるなんて知らないからしちゃうかー……これが実はセス様のお兄様、ニコラス様についての話だったら全然構わないけど違うだろうなぁ。違うよねぇ。
まずいな、今すぐにでも私、セス様に告白するべきじゃないか? 現時点で好きな人が他に居るセス様と恋人になれる可能性はまず無くても、恋愛対象として見てもらえるようにはしておかなければいけない気がする。
流れた沈黙に、セス様が居心地悪そうにしながらもやっと私の方を見た。
「感情的な相談を出来る人間が、俺にはその、お前ぐらいしか……また相談したい事が出来たら、しに来てもいいか?」
気まずそうに、恥ずかしそうに言うセス様は格好良いのにあまりにもかわいい。
自分でも初めての感情で訳がわからなくてどうしたらいいかわからなくて、だから、何でも一人でこなして一人で立とうとするこの人が、ほとんど感情の動きだけで私に助けを求めて来てくれたんだろう。
これ、きっと私が断ったら、セス様はあっさりと諦めてくださるんだろうな。でも普段人を頼らない人がやっと頼ろうとしたのにそれを断られたら、今まで以上に人を頼らなくなっちゃうんじゃないかな。
この人、いつの間に私の事、友達としてそんなに信頼してくれていたんだろう。特別な事なんて何もしてないけど、二年、友達としてずっと付き纏って来た。私はセス様を裏切らないって、頼ったら応えるだろうって、意識的にしろ無意識的にしろ、思ってくれたのかな。
だけど。
……今この相談を受けたら、私はもう告白出来ないままでずるずると友達を続けて行くとこになってしまうだろう。泥沼コースだ。あまりにもわかりやすい。
「もちろん、当たり前ですわ。私がセス様からのお頼みをお断りするはずがございませんもの」
理性的な思考とは裏腹に、私は笑顔で淀みなく言い切った。言い切ってしまった。
あーあ。私、絶対に後悔する。バカな事を言った。でもこれ以外の言葉は私には言えない。
セス様はそんな私に、極上の笑顔をくれた。きらきら輝いているみたいな、幸せな笑顔。
これは、私への笑顔。彼女へのじゃない。だから、私のこれからの苦しみなんて、この笑顔の前ではどうということはない。
「ありがとう、リリアナが居てくれて良かった」
この人はいつも容易く、そして無意識に、私のどうしても忘れられない絶望を光で打ち消してくれる。私の生きる意味を作ってくれる。
ああ、神様、ありがとうございます。今日も私は幸せです。
私は自分の心にもう、セス様以外の誰も入れられるスペースが無い。今の私にはセス様が全て。
だからセス様がそう言ってくれるなら、私はもちろん頑張るけど、まだ頑張るけど、絶対に彼女に勝つ為に努力はし続けるけど、それでももし、もしもダメだったなら。届かなかったら。その時は――
セス様の為に、死にますね。




