14
こじんまりとした教会を前に仁王立ちしている私は、満足感溢れる笑みを浮かべていた。
「こうよ。これよ。私が求めていたものは」
このいかにも人気の無さが窺える外観、きっと私を聖女様なんて変な勘違いをして騒ぐ人々は此処には居ないに違いない。
本日早朝から馬車に乗り、城下町の端の端にあるこの教会までやって来た私は、上機嫌にシャーリーを振り返る。
「行くわよ」
「はい、お嬢様」
勇んで教会の扉を開けると、そこにはやはり私が望んでいた光景が広がっていた。
中に神父様しか、人が居ないのだ! あれ、神父様じゃなく牧師様か? どっちだっけ…えーと教会だから神父様、でいいはず。違う。確かこの世界だと牧師様なんだ。ややこしいけど、うん、そうだそうだ。…どうでもいい確認だった。
「…お嬢様」
さて、じゃあそんな事より神様へのお祈りを始めようかと上機嫌でさくさくと奥に歩いて行こうとした直後、後ろに居るシャーリーに言葉と共に腕を掴まれ強制的に足を止めさせられた。
シャーリーが私の行動をこんなにも物理的手段で無理やり止めて来るだなんて珍しい。心なしか声も険しいし。
私は大人しく奥に進もうとするのをやめ、シャーリーを見上げた。焦ったような顔をしているシャーリーは膝を曲げ、私に囁く。
「ジャック・ガンホース様です」
ジャック・ガンホース…?
ファミリーネームがある。そしてこの世界の一つの法則…有力貴族のファミリーネームには高確率で動物をもじったものが入っている。ホース、つまり馬…ええと馬の家といったら確か爵位は伯爵。
しかし、そんなお方の名前を今焦った顔で私に告げるという事はつまり……。
私は再度前を見て、この空間には私とシャーリーとさらに後ろの私の護衛と、それ以外にはたった一人の人間しか居ない事を確認する。
「…あのお方が?」
消去法で注意深く見るも、その人は明らかに牧師様の格好をしている穏やかそうな雰囲気の若い男性だ。牧師って、貴族がお遊びでやるような事では無いと思う。さすがに罰当たりだ。
しかし、私の視界の隅でシャーリーは確かに頷く。シャーリーがそう言うなら…そうなんだろう。私に教える為に、シャーリーも貴族の顔と名前をよく覚えるようにしているはずだし。
「挨拶を…するべきなの? けれどその、普通の事情で此処にいらっしゃるのかしら?」
「……わかりません」
貴族の爵位順序は上から順に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵だ。
要するに子爵令嬢である私より爵位の高いお方にお会いした以上、私は本来ならすぐにでもご挨拶に向かうべきところなんだけど…。
言っては難だけど、こんな辺鄙な場所にわざわざ私みたいな貴族が来たのだから向こうも驚いていいはずなのに、私に対して何のリアクションもない。ガンホース様と違い、私は馬車で来て多少簡素とはいえ貴族丸出しの格好なのに。
……訳ありっぽいんだよなぁ! そんな匂いがぷんぷん香ってるんだよなぁ!! 自分が貴族だって向こうは気づかれて欲しくないのかもしれないし、シャーリーもガンホース様の事情は一切知らないみたいだし、変に関わり合いたくない。
「シャーリー、気づかなかった事にしましょう。私は本当にシャーリーから言われるまで気づいていなかったし、メイドのシャーリーが知らなくても本来問題は無いはずよ。わざわざ関係ない人の事情に触れそうな事はしなくていいわ」
私はシャーリーの返事も聞く前にナイショ話を勝手におしまいにし、すたすたと教会の奥まで歩いて行くとガンホース様に軽くお辞儀だけして、すぐにその横を通り過ぎた。
私とセス様の利益にならなそうな人間はどうでもいい。それより、今は、神様の御前なんだから。
私は、堂々とそびえ立つ十字架のすぐ前で跪いた。自然と口角が上がる。手を合わせ、目を閉じる。
ああ、やっぱりお祈りするならこうだ。この近さだ。此処なら人目を気にして端でお祈りなんてしなくていい。十字架の前は、空気が澄む。
神様に感謝する事だけに集中出来る。同時に、全てを預けて委ねられる。心地が良い。
ああ神様、神様、あなた様のお陰で私は楽しく生きております。不満など、一つとして御座いません。セス様が居るこの世界は、とても素敵で、私は世界一の幸せ者です。
このまま、私とセス様が結婚する運命へお導きください。私、そうしてくださったら、死ぬまで不満の一つも溢さずにあなた様を永遠に信仰致します。
一頻りお祈りして、目を開け顔を上げる。それから再度礼をした。
「ありがとうございます、神様。今日も私は幸せです」
振り返ると、シャーリーと護衛達はいつもの事として、ガンホース様も"あの目"で私を見ていた。
どうやら此処でも私は聖女様らしい。とはいえ、こんな場所で噂になっても大して広まりはしないだろうからいいけど。ガンホース様が訳有りで此処に居るのなら、ガンホース様も私が何処の誰だか知っているもしくは後で知ったとしても、此処で私と会った事をわざわざ誰かに言わないだろう。
という訳で、用も終わったしガンホース様に万が一にも話し掛けられないようにすぐ帰ろう。
そう思い早足に歩き出した所で、私はこの場にいつの間にかもう一人、人間が増えていることに気が付いた。
丁度私が向かう、教会の出入り口。そこには扉から私をぽかんと見つめる子どもが居た。
その子どもは、栗色の髪はボサボサでまったく手入れされていないというかする気が無さそうなのが窺えるし、服もとりあえず纏っているだけでまったく頓着していなさそうな適当なものだ。髪のせいで顔はあまり見えないし、性別もわからない。年は身長から見るに今の私と同じぐらいだろうけど…うーん、前世知識でいう所のスラムを思わせる。此処、そこまで荒んだ町には見えなかったんだけどなぁ。
私が手を伸ばせば助けられるのかもしれないけど…一度恵むだけ恵むのも、なぁ。例えとしてちょっとよろしくないかもしれないけど、捨て犬に対して飼えないのに構うだけみたいで嫌だ。
最後まで面倒は見られないし見る気もないんだから、見て見ぬフリ、するべきだよなぁ…私は、私一人を幸せにする事で精一杯なんだから。
良心が若干痛みつつも、私は子どもを無視するような形で再度早足で歩き出し、その隣を通り過ぎる。
「…ありがとう、ございます」
擦れ違いざま、呟くように子どもの口から発せられた言葉が、何に対してなのか私に向けた言葉なのかそれともただの独り言だったのかはわからない。
ただ、その言葉が心からの感謝に満ち溢れていて、掠れた涙声だった事だけはわかった。
一瞬止めた足を、また動かす。我に帰ったんだろうシャーリーと護衛達が後ろから走って来る足音を聞きながら、私は馬車の前まで来て足を止めた。
知らず知らずのうちに詰まっていた息を吐き出す。
「なにかしら…この、面倒事を回避する為にせっかく此処まで来たのに、新たな面倒事に巻き込まれそうな感じ…」
通う教会を選び直そうかとも思ったけど、立地と人の少なさがこれぐらい良い教会が果たして他にあるのか…あんまり家から遠過ぎると通えないし、近過ぎると人が増えるし…んんんー……。
まあ、私からあの二人に話し掛けず関わらなければいいだけか。大丈夫大丈夫! の、はず!