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馬車から降りて深呼吸する。すっかり馬車に乗っていても酔わなくなった私は、清々しい気分で教会を見上げる。
「ベストコンディションって素晴らしいわ」
私は以前の時と同じように、シャーリーと護衛を伴って教会に入った。具合が悪くない分、私の足取りの軽さはあの時とは段違いだったけど。
中は相変わらず綺麗で、人も結構賑わっていた。素敵な場所だ。神様に祈りを捧げるに相応しい。
以前はいきなり突っ切って十字架の前で祈りを捧げたから、それがマナー違反で注目を浴びたのかもと思ったけど、後で調べると特に問題ある行動では無かったようだった。あの時私が注目を浴びた理由は未だわからない。
でもまあ、今日は端ででも祈れば変に注目されずに済むだろう。たぶん以前はいきなり子どもが目立つ場所で祈り出したから、何この子どもと皆呆然としていたんだと思うし。
私はそう楽観的に考えて、大人しく出入り口に近く十字架からも遠い教会内の端っこに行った。以前の事を知っているシャーリーと護衛さん達は少し戸惑ったように付いて来る。
軽く辺りを見回すと、教会内の誰も特別私に注目しているようには思えなかった。うん、悪目立ちしたい訳じゃなかったから良かった。
私は十字架を見据え、周囲の音をシャットアウトして目を閉じる。
神様、神様。私、セス様と初めてお会いしました。同じ次元、同じ世界のセス様はとても格好良くて、私はまた恋をしました。
神様のお陰です。私をセス様と出会わせてくださりありがとうございます。前世では得られなかった幸せをありがとうございます。
私、たくさん我が侭なんて言いません。私の望みはたった一つ。セス様と恋愛し結婚したい。
きっと私は叶えます。こんなにもお膳立てして頂いたんですから、後は私が頑張るだけ。
私、幸せになれますよね。誰よりも、何よりも、なれますよね? 信じていますから、ご加護をください。
「ありがとうございます神様、今日も私は幸せです」
深く礼をして、目を開ける。音も取り戻す。そこで初めて私は気がつく。
ーー視界の限り、誰もが振り返り私の事を凝視していた。
「……え?」
私は目に映るその光景に、寒気さえ覚えた。前は、まだ、十字架の前なんて注目されやすい場所だったからいい。だけど今回は?
何で皆、わざわざ振り返ってまで私を見ているの…?
訳のわからない大勢の視線というのは恐ろしいものだ。私は視線から逃れるように一歩後退る。全ての視線がそのまま付いて来た。視線恐怖症になりそうな、強い視線の集合。
私は怯え、助けを求めるようにシャーリーを見た。
シャーリーは私の視線に気づくと、誇らしげに微笑んだ。
「あの、シャーリー、やっぱり何か此処、それとも私…?」
おかしいんじゃ…と続けようとした言葉は、いつの間に近づいて来ていたのか、私より少し背の高い男の子が私の顔を高揚したような様子で覗き込んで来た為に中断した。
今の私よりは少しだけ年上だろう、五歳ぐらいの男の子。服装から見てたぶん平民。私に何か用だろうかと動揺したままながら見つめ返すと、男の子は嬉しそうに口を開いた。
「名前なんていう、んですか…?」
辿々しい、明らかに使い慣れていない敬語で聞かれ、今の私よりは少し年上とはいえまだ幼い男の子相手に反射的に優しくしなければと思う。
男の子の様子からして、私の外見の可愛らしさに恋にでも落ちたのかもしれない。なら、名前を明かすぐらいはやぶさかではない。
「私の名前はリリ、」
名前の途中まで言ったところで、続きの台詞を呑み込んだ。
目の前の男の子がどうとかではなく、周りから意味もわからず異様に注目されている不自然な状況下で自分の実名を明かすのが得策ではなく思えたからだ。
「…リリー、よ」
貴族相手に聞かれたのならこの嘘、もしくはあだ名だけを答えるような回答は相応しくないけど、平民相手だし状況が状況だから許されるだろう。
男の子は私の返答に嬉しそうにした。ちょっと罪悪感。
「ありがとうございます!」
男の子はそう大きな声で言って頭を下げると、教会の前の方に走って行ってしまった。
素敵な初恋の思い出になるかもしれないのに、嘘吐いてごめんね…せめて君の中での私だけは清く正しく優しい、まるで聖女のようだったと思い出にしてくれ。
「ママ! 聖女様のお名前、リリー様だって!」
そうそう、聖女……うん?
さっきの男の子が駆けて行った方向を慌てて見ると、男の子が彼の母親だろう人物に頭を撫でられていた。なんて心温まる光景!……じゃなくて。
「…聖女?」
聖女? リリー…って、え、私の事?私が、聖女様?
何を言っているんだ、あの男の子。最近変な絵本でも読んでおとぎ話設定を現実にまで持ち出してしまったのか? そういうの、今の年齢ならまだいいけど大人になってからも続けたら目もあてられない事になるから気をつけるんだよ…? 私も、周り皆良い人だったとはいえ好きな人がゲームの中というのは中々に表立って宣言するには生き難くてね…。
そうやってあの男の子一人が少しおかしいだけの話にしようと思ったけど、残念ながら周りの状況がそれを否定した。
「リリー様…」
「なんて尊いお名前…!」
「聖女様のお名前を教えて頂けるだなんて!」
皆小声ながら、さっきまで静まり返っていた教会内がいきなり騒がしくなる。
私は盛大に引きつった顔でシャーリーの腕を引いた。
「シャーリー、やっぱりおかしいわ」
「…おかしい? いえ、お嬢様。彼等の事でしたら皆、当然の反応だと思いますが」
「は?」
私は思わず、貴族の淑女らしい仮面を外してまぬけな声を上げてしまった。いや、だって、え?
シャーリーは誇らしげで、本当に今眼下に広がるこの光景と人々の話に違和感一つ覚えていないようだった。
そっと護衛達を見ると、彼等も同様に誇らしげな様子だ。ええー…?
あの、私これまさか、四面楚歌なの? 私以外は皆今のこの異様な状況を当たり前に受け入れてるの? うっそでしょ!?
「と、とりあえずもう用は終わったし帰るわよ!」
シャーリーに話を聞きたいのは山々だけど、もうとにかくこの私だけが恐怖を感じる空間から一刻も早く立ち去りたくなった私は、シャーリーの腕を強引に掴んで教会から出ようと早足に出口に向かう。
「聖女様がお帰りだ」
「皆、姿勢を正せ!」
「礼…!」
さっきまでのざわざわした様子とは異なり、妙に規律めいた言葉に恐る恐る振り返る。
私の目には、その場に居た私とシャーリーと護衛の人達以外が皆ピタリと動きを止め姿勢を正し、号令と共に此方に向かって一様に動きの合った美しい礼をしてみせる平民達が映った。
私は半泣きになりながら早足に教会を後にした。ひぃ、本当に何なのあれ怖いよぉ…。
「シャーリー、馬車の中で話聞かせてもらうからね!?」
「話、ですか? はい…かしこまりました…?」
きょとんと、何をそんなに騒いでいるんだろうとでも言いたげに見つめ返して来るシャーリーに、なんとも言い難いもやもやが心に広がる。
何で一人だけわかっていない私の方がおかしいみたいな扱いされてるのか、ほんっと意味わかんない!!