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私は見覚えのあるクッションの山に埋もれながら目を覚ました。どうやら馬車の中らしい。ほぼ座席に寝転がっていた姿勢を何とか起こして窓から外を見る。外は暗く、夜の帳が下りている。ふむ、間違い無く帰りの馬車だろう。
……おかしい。私はさっきまでセス様と初対面を果たし、なんとご友人になれ、セス様と手を繋ぎ…?
……その後の記憶が無い。え? 待って、まさかこれ夢落ち?
た、確かに途中から妙に都合よく話が進んだなとは思ったけど、そんな!!
「シャーリー! どこからが夢でどこからが現実!?」
「お嬢様、寝惚けていらっしゃいますね」
私の心からの叫びが、シャーリーにはただのおねぼけ発言に聞こえてしまったらしい。誠に遺憾である。
いや、冷静に考えると今のは私の言い方がまずかったか。
「私が寝ている間にパーティ中の私の事をお父様から聞いたかしら?」
「はい。初めてのパーティで少々ご興奮なさっていましたようで」
あれは少々ご興奮なんてかわいいレベルでは無かった気がするけど、シャーリーからその言葉が出て来るという事は少なくともセス様とのあの初対面は現実だったようだ。
「何を聞いたの? もっと詳しく!」
「そうですね、メルヴィン・クラビット様とセス・キャボット殿下とご友人になられた事と、殿下とお嬢様についての又聞きのお話を少々」
「夢じゃなかったのね!!」
私はバンザイした。その勢いにより、クッションが一つ上に飛んだ。
「ちなみに私、セス様と会ってお話ししてご友人になった後の記憶が無いのだけど、まさか気絶した訳では無いわよね!?」
「はい、やや放心していたご様子で旦那様はご心配なされておりましたが、ご立派に振る舞われていたとの事です」
「そう! なら良かったわ!」
あの夢のような幸せな出来事が現実で、その後特に問題も起こしておらず心配は必要ないとわかった私は、みるみるテンションを上げて行き大声で話し始めた。
「あのね、あのね! 私の好きなお方って実はセス様なのよ! もう、王子様の中の王子様として私を助けてくれて、あぁあ! 格好良かったわ…っ!!」
「え?」
私がハイテンションできゃっきゃシャーリーに話していると、私の反対隣から素っ頓狂な声が聞こえた。
振り返ると、カイン子爵が普段は自身の瞼と頰の肉に半分埋もれているお目目をかっ開いている。
「え、あれ? お父様、いらっしゃったの?」
「隣にずっと居たよ! そもそも行きも馬車一緒だったのだから…それより、リリアナ好きって!? 殿下を!?」
なんて事だ。馬車が狭いのはクッションにより私が固定されているせいだけかと思ったら、カイン子爵がクッションに隠れていたとは…。カイン子爵に知られると面倒臭そうだから隠そうと思っていたのに、興奮し過ぎて周りが見えず即行で自分の口からバラしてしまった。
私はすぐに気持ちを切り替え、私の肩を掴み詰め寄ってくるカイン子爵を見つめ返し胸を張った。
「バレてしまったからには仕方ありませんわ! いいですか、お父様。娘もいずれお嫁に行くのですわ。幸せな恋愛婚においては、その前に好きな方が出来るのも自然の摂理!
むしろセス様のような素敵なお方に恋した私をお祝いくださいまし! いいえ、それより生産的に応援してくださいな!!」
「三歳で…無理……泣きそう……」
カイン子爵は情けない声を上げて沈んだ。私はわれやれと呆れ、それでも出来ればカイン子爵も私の恋のサポート役にさせたいので、もう少し粘るかと、今度は優しく諭すように声を掛けた。
「お父様、リリアナは恋に生きます。ここは早々に諦めて私をバックアップするべきですわ。何ならセス様の婚約者にと私を王様に勧めてくださってもよろしくてよ?」
「無理……」
「もうっ! シャーリーからも何か言ってあげて!」
涙声で私の諭しをすぐに却下するカイン子爵に、元々堪え性の無い私は業を煮やしシャーリーに話を振った。
しかし、シャーリーの顔を見ると、いつもと同じ無表情ながら気落ちしているようなどことなく暗い雰囲気がする。え? まさかシャーリーまで反対派?
「…お嬢様。恐れながら、殿下は恐らく公爵家のお方とご婚約なされるかと思います」
「まあ、でしょうね。それでも確率零パーセントじゃない事は何事も努力してみるべきなのよ。零パーセントだと思っていた事でさえ、何かの拍子で叶う場合もあるのですもの」
零パーセントの恋が少なくとも零パーセントじゃなくなった私が言っているんだから説得力はバッチリだろう。シャーリーからすれば、何でこいつこんなに自信満々なんだろうって感じだろうけど。
「それは……それでも叶わなかったら、お嬢様はどうなさるのですか?」
否定的かと思ったけど、もしやシャーリーは競争率の高過ぎる王子様を相手に恋した私を心配してくれていただけだったんだろうか。
シャーリーの表情はやっぱり読めないけど、声が若干暗い。これは私の有り余るポジティブ思考で染めて上げなくては。
「婚約出来なかったらという事? そんなの、気にせず前に進み続けるだけよ。最悪、結婚出来なかったとしても心さえ奪えれば側室チャンスだってあるのですし、一度や二度や十度や二十度上手く行かなくたって、私は諦める気なんて無いわ」
私にとってこの世界で大切なのはセス様たった一人だけなんだから、その程度で諦めるはずがない。だいたい、婚約なんて親同士がセス様が五歳の時点で勝手に決めてしまうものなんだから、それを崩せない事なんてわかっている。最初から、崩せたらラッキーなんだけどなぁ、程度の気持ちだ。
私の言葉に、シャーリーの返答は無い。何か考えているようにも見えるけど、どういう感情での考え事なのかはさっぱり不明だ。
とりあえず、我が家の中での話ならカイン子爵よりシャーリーの方が味方にはつけたいんだよなぁ。
「お父様にはもう少しお時間が必要みたいだけど、シャーリーは応援してくれるわよね?」
「…はい。私は、応援しています」
「ありがとう!」
どことなく歯切れは悪いものの色好い返事に笑顔でお礼を言う。
一時はどうなる事かと思ったけど、私の人生順調じゃないか!
「ところで私、良い事に気がついたわ! 話している方が何故か酔わない! 気が紛れるからかしら? という訳で、着くまでの間私とセス様の出会いを話します!」
「それは楽しみです。メルヴィン様とのお話もして頂けますか?」
「え? いや、メルヴィン君なんてどうでもいいわよ。そんな話したってつまらないし」
「そ、そうですか…」
事実を言っただけなのに、何故かシャーリーは戸惑うように吃った。セス様と比べたらその他の全て、有象無象がどうでもいい人間となるのは純然たる事実だと思うんだけど。つまり、セス様の話を聞けるならメルヴィン君なんてどうでもいいよね?
「セス様の話するなら、今じゃなくパパ様の居ない所でにしてくれないかな…」
「無理ですわ! 溢れる愛により私の口は止まりませんもの! という訳で、はい! 話し始めます!!」
カイン子爵の要望を瞬時に却下し、私はまるで乙女ゲームの冒頭を語るような気持ちでセス様との出会いを語った。
恋愛って楽しい。