プロローグ
誰でもいいから、早く私を殺して欲しい。
誰でもどんな理由でもどんな悲惨な殺し方でも、私を殺してくれるなら構わない。
正確に言うなら、私が絶え間無く迷惑を掛けてしまった、世界を股いで二世界分も愛している彼と、私がこの世で一番憧憬する彼女以外なら、誰でもいい。…私を殺す事で二人にまた迷惑を掛けるのが嫌だから。
自殺をする勇気の無い卑怯で臆病な私は、そうやって今日も自分への他殺を夢想していた。
開けた自室の窓から外を見下ろす。王宮の五階から見渡す景色は相も変わらず素晴らしく美しく、けれど味気ない。心が沸き立たない。景色のせいではなく。
この国の殿下の婚約者で次期王妃な私は、色々と理由があり不本意にも今この王宮で暮らしている。
大層な身分だとは私自身が一番思っている。似つかわしくない身分だとはもっと思っている。この座にはあの人の方が似合っていただなんて…血反吐を吐く程に思い知っているし、わかり切っている。
平民からは陰で聖女様と呼ばれ慕われ、次期王妃という立場を手に入れ、ただの子爵令嬢が十六歳にして随分な成り上がりだ。
「聖女様、もうおやすみになられてはいかがですか?」
私付きのメイド、ティファが労わるように私に声を掛けた。
だけどその呼び名は相変わらず、私が嫌うそれで。私が聖女様と呼ばれるのを嫌っているのを知っていて、彼女は完璧に仕事をしながらもそうやって嫌味だけは滲ませる。
つい先日までこの国の公爵令嬢の中で一番権力を有していただろう彼女のメイドをしていたティファは、私の事が嫌いだ。憎まれていると言ってもいい。だったら早く殺してくれればいいのに、というのは私の身勝手だろう。
「ええ、そう致しますわ」
私は素直に従う言葉を吐いた。ティファは仕事の出来るメイドらしく、一礼しそっと部屋を出て行く。
私は窓を開けたままで寝間着に着替えると、実家であるイノシー家で与えられていた豪華なベッドよりもさらに云倍も豪華なベッドへと身体を倒した。
どうしてこうなってしまったんだろう。
目を閉じて暗闇の中、何百回目の自問をする。
私は私が幸せになりたくて、私の好きな彼と彼女も幸せにしたくて、それだけだったはずなのに。
わかっている。これは全部私のせいだ。全部、全部全部全部私が悪い。
「ありがとうございます、神様。今日も私は幸せです」
勝手に地獄の底へと落ちて行く陰気な考えを振り払うように、私は口癖のようになった毎日の謝辞をほぼ義務的に呟いた。
窓から吹いて来る風は秋になりかけの季節には肌寒く、ほんの少し不快だ。だけど不快なぐらいで丁度いい。
私はそのままゆっくりと意識を手放した。
窓は開けて眠る事にしている。
死神がいつでも入って来て私の寝首を掻いてくれるように。