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動8

 あっという間に、軟禁から監禁へと変わった。


 土壁。松明による光。小さな木製のテーブル。そして一面にはられている鉄格子。それが今度のヒーチの部屋の全てだ。


 地下牢の一室で、となりの牢に向かってヒーチは声をかける。


「悪いな、ドラッヘ、つき合わせて」


「全くだ」


 機嫌の悪そうな声が隣から返ってくる。だが、危機感はない。


「しかし、どうしてお前をこんな扱いができる? いくら戦争回避のためとはいえ、サネスド大陸とは……」


「おい、私語は慎め」


 見張りの兵士が怒鳴り、ドラッヘは黙る。


 薄暗い通路にこだまする足音。さっきまで高圧的に怒鳴っていた兵士が、突如として直立不動で敬礼する。


 足音の主は、ヒーチの牢の前で止まる。


「やあ」


 あの足音の主は、干し肉を噛み千切りながら挨拶してくる。


「コロコ、待ってたよ」


 テーブルに腰掛けて、ヒーチは笑ってみせる。


「ああ」


 掌ほどの大きさの干し肉を瞬く間に平らげ、コロコはワインの入った小瓶を取り出し、それを美味そうに飲みだす。


「元気そうでなによりだ」


 片手を上げて合図をすると、見張りの兵士達がぞろぞろと引き上げていく。


「二人きりで話をしよう」


「隣に『赤目』がいるぞ」


「俺は両耳を塞いどくから、ご自由にご歓談ください」


 隣の牢から怒鳴り声が聞こえる。


 肩をすくめて、コロコは今度は白い丸パンを取り出してそれを齧りだす。


「そういうことで、話をしよう」


「いいけど、俺に今更どんな話がある?」


「確認しておきたいことがあって、まあ、答えあわせだ」


 パンも平げて、コロコは一息つくと、


「ヒーチ、お前を軟禁するように進言したのは俺だ。ある推測から、それをしてもサネスド帝国との深刻な関係悪化には至らないんじゃないかと思っていた。で、そうなったんで今度は地下牢行きを進言して、それを聞き入れてもらったわけだ。今や、俺はアインラードの知恵袋で、サネスド帝国との交渉役だ。うまくいけば、更に上に行ける。もっともっと、うまいものを食える」


 コロコは、次は、小魚の一夜干しを取り出すと、頭からばりばりと噛み砕く。


「ヒーチ、お前とはそれなりに長い付き合いだ。俺がガダラ商会で密輸してた時から会って、サネスド帝国や『瓦礫の王』の情報を俺に流してくれた。おかげで、俺はクーンから独立して利権を手にして、そしてただの船乗りが一国の宰相になることだって可能になりつつある。感謝してる。まあ、何よりも感謝してるのは、お前がサネスドの美味いものを色々と紹介してくれたことだが」


 骨を床に吐き出し、コロコは続ける。


「さて、お前に色々と情報はもらったが、俺は一度も『瓦礫の王』に会わせてもらっていない。それどころか、サネスド大陸で色々な連中に顔を合わせたが、その誰もがどうやら『瓦礫の王』本人とは会ったことがないらしい。これを不思議だと思わない方がどうかしている」


「つまり、こう言いたいわけだ。『瓦礫の王』など存在しない。俺が作り上げた幻だと」


「少し違う。俺は、そうは思わない。だって、実際にサネスド大陸の内戦はコントロールされ、帝国は作り上げられた。高い能力と膨大な知識と経験、鉄の精神の全てを持ち合わせた人物なしでそれを成し遂げられるとは思えない」


 コロコの痩せ細った指が、鉄格子を撫でる。


「どういうことか分からない。年齢が合わない気がする。だが、やはり、そうとしか思えない。ヒーチ、お前が『瓦礫の王』なのか?」


 沈黙、そしてヒーチはコロコを見返している。表情を一切変えずに。


「若輩者のお前が、見た目で侮られることを避けるため、そしてネームバリューを最大限活かすために『瓦礫の王』が自分の上にいることにして、帝国を作り上げた。どうだ?」


 返事がないのを確かめてから、コロコは続ける。


「お前が軟禁された後の帝国の動きは、人間で言うところの困惑、そのものだ。それを感じられたのはずっと付き合ってきた俺くらいだろうけどな。で、どうやら、これまでずっと間接的に届いてきた『瓦礫の王』からの指令、これが届かなくなったことがその困惑の原因らしいじゃないか。それが、お前の軟禁とタイミングが重なったのは偶然か? 俺はそうは思わない。そして、とうとうお前は地下牢行きとなったわけだ。今、帝国では頭を失って、また国が割れて内戦が再開しようとしているみたいだぞ」


「内戦を」


 ようやく口を開いたヒーチの顔には、皮肉めいた笑みが張り付いている。


「終わらせるのが得意だったはずが、腕が鈍ったかな。再発するとは」


「認めるのか? お前が『瓦礫の王』だと」


「元々」


 遠い昔を思い出すように、ヒーチは腕を組むと斜め上を見上げる。


「内戦を終わらせてしまったせいで神様に嫌われた。それで、向こう側に飛ばされたんだ。別に無理矢理追放されたわけじゃあなくて、面白そうだから俺が話に乗ったって形ではあったが。見た目こそ同じに変えてもらったが、苦労したよ。何しろ、戸籍がない」


「戸籍?」


「ああ、いいんだ、気にしないでくれ。とにかく、それがないんで最初は非合法な仕事に携わるしかなくてな、売られてた戸籍を買うまでは苦労したもんだ」


 もはや、ヒーチは単に一人で述懐しているだけだ。コロコに語りかけてはいない。


「戸籍を手に入れて、金目当ての女と結婚して、息子までできて……向こうでも勝負という勝負に挑んで勝ち続けてやった。飽きるくらいに。もう、半分、勝利にも飽きた。だから、結局のところ、息子にしか興味がなくてな」


「エルフの魔術か何かの話か? それとも、元々エルフが混じっているのか? その歳で子持ちとは」


「似たようなもんだ。で、何の話だっけ?」


「それだけだ。お前が、『瓦礫の王』だと確認できればいい。それだけが気がかかりだった」


 リンゴをかじり、コロコはにやりと歯をむき出しにして笑う。


「半信半疑だったが、やはりそうか。まさか、『瓦礫の王』がこんな善人だったとはな」


「ん? 俺が善人? どこがだ?」


「何の抵抗もせず牢に入ることで、戦争を避けようとしている。自分の身を犠牲にして戦争を防ぐ。善人だろう? 俺にゃあ、理解できんがね」


 コロコはリンゴを芯ごと噛み砕き飲み下す。


「まさか、あの『瓦礫の王』がそんな奴とは思ってなかった」


「違う。ただ、勝ちたいだけだ、俺は」


 突然、気配もなく鉄格子まで一瞬のうちに迫るヒーチ。

 鉄格子ごしとはいえ一気に距離を詰められたコロコはのけぞり、一歩後ろに下がろうとするが、それよりも早く鉄格子の間から伸ばされたヒーチの手がコロコのリンゴを持っている手首を捉えている。


 鉄格子の隙間は、明らかに人の手が通るほどの幅はない。だというのに、明らかに異様な方向にねじれ、鉄格子を通る幅に変形して、ヒーチの手はコロコに届いている。


 ぼとり、とコロコの手からリンゴが落ちる。


「いいか、コロコ。俺にとって勝利とは、うまくやることだ。起こす必要のない戦争を起こすなんて負け同然だ。人命も含めた資源が、無駄に失われる。だから、他の誰にも止められない戦争を、俺が止められるなら、それは俺によって勝利なんだよ。だれよりもうまくやったことになるからな。正直、難しいとは思うが。俺が牢にいて全ての責任を認めたところで、転がり出した石は止まらない」


 みしみしと音を立て、コロコの手首を握るヒーチの手に力が込められていく。


「なるほど、そういう考え方か」


 痛みに顔をしかめながら、ヒーチは冷静にそう返すと、


「どちらにしろ、お前は負けるわけだ」


「お前もな、コロコ。戦争になればおそらく、アインラードが負ける。アインラードでどれだけ出世しようが、無駄なことだ」


「まだ、分からんさ。それに、それならそれでいい」


「だろうな、お前みたいなタイプはよく知っている。戦争の間に運び出せるだけ資産を運び出して、とんずらだろう? いいな、分かり易い。すばしこくて目の利く、どんな時代どんな世界でも生き延びる人間だ」


「光栄だ」


 一本一本、指を引きはがすようにして手首からヒーチの手を引き離すと、コロコは屈んで床に転がっていた食べかけのリンゴを手に取り、袖で埃をはらってから、またかじる。


「そうとも、俺は生き延びてやる。生き延びてうまい飯を食ってやるさ」


 変色した手首をさすりながら、コロコはゆっくりと牢から遠ざかっていく。


「ふん」


 ごきごきと音を立てながら、ヒーチは鉄格子の間から突き出していた腕を戻す。


「どちらにしろ、負けるか。確かに、正しいな。後は、ふふ」


 楽しそうに、笑う。


「息子任せにするしかないかもしれない。俺から離れれば変わるかと思って勘当したんだが、くく、別の世界にまで行って、こんなにまでなるか。俺が息子を頼るとはな。面白い、面白いな、ふふ、たまらんな」


 笑っているところに、


「おーい、もう耳外していいか、おーい」


 隣りの牢から怒鳴り声がする。





「最近は、この薄暗い部屋でずっと過ごしている。食料もここに持ち込んでいる。どうも、妙に思われているみたいだ」


 真っ暗い部屋、死臭、蝿の羽音。


 その中でマサヨシは語る。


「それはそうだろう。おかしく思わない人間などいない」


 ねっとりと生暖かい闇の向こうから返事。


「分かってないな、つまり、それほど俺のことを注意深く見ている人間がいるってことだよ」


「見張られていると? なるほど、フリンジワークの手の者か」


「多分ね。シュガーでラリって人生捨てて、この暗い部屋で死体と喋っている抜け殻。そんな風に思われてる」


「大体正しいじゃあないか」


「まあね」


 苦笑してから、


「けど、これが俺にとっての平穏なんだ。どんな金や権力でも手に入らないものだ。あいつらには分からない」


「なら、このまま死んでいくつもりか?」


「いや」


 マサヨシの声から笑いが消える。


「心に引っかかってることがあってさ、それは一応、ケジメをつけておこうと思って」


「ほう?」


「これでも、ただ、だらだらしているだけじゃあなくて、タイミングを計っているんだ」


「それで、そのケジメをつけるタイミングとやらはいつになりそうなのかな?」


「もうすぐさ」





 綺麗にセットされていた髪をかきむしると、少し前の酒浸りだった頃の面影が戻ってくる。

 そんなことを、横で見ていてメイカブは思う。


「くそ」


 苛立たしげに髪をかきむしるフリンジワークからは、英雄像が崩れつつある。元の、性質の悪い放蕩息子に戻りつつある。


「うまくいかないものだ」


 旧ロンボウの王都であるシュネブ、その最高級の宿の一室に入ってから、ずっとフリンジワークは愚痴を垂れ流している。


 アインラードからの帰り、シュネブで一泊してから王城へと帰還する予定だった。だが、その予定通りにするべきかどうか、心が揺れているのはメイカブから見ても分かる。


「くそ、どういうことだ? まだ、返事が来ないだと?」


「女から返信がなくてうろたえるとは、フリンジワークもただの男だったんだな」


 メイカブの冗談にも反応せず、どっかと椅子に腰を下ろすとフリンジワークは宙を仰ぐ。


「何故だ」


 両手で顔を覆うフリンジワークは、独りごちる。


「喜び勇んで賛同するはずが、返事がないだと? ハイジ、あの女は、正義の戦いが大好物じゃあないのか? 俺が見誤ったか? いや、違う。俺は見抜いていたはず。あの女は、正義と戦いが好きな、愚かな騎士だ」


「『ペテン師』の入れ知恵じゃあないか?」


「ありえない。メイカブ、奴の周囲は部下が張っているんだ。もう、最近では人と接触をほとんどしていない。地下室で死体とお喋りばかりしている」


 顔が覆われたままでメイカブを向き、指と指の間からのぞく、フリンジワークの目がぱちぱちと瞬く。


「面倒だが、仕方がない。ヒーチの件もある。多少強引にでも焚き付けなければ、火が消える」


 指の間の闇に浮かぶ目が、落ち着きを取り戻す。揺れ動いていた瞳が、メイカブに定まる。


「便りを出そう。王城と、トリョラの方の城にも。懐かしの我が家に帰るのは延期して、トリョラに影響力を持っている面々と会食でもするとしよう」


「なあ、フリンジワーク」


 不意に、メイカブは衝動が抑えきれなくなる。ずっと抱いていた、純粋な興味本位の質問をしたいという衝動。


「何だ?」


「そうまでして戦争をしたいのか? このままアインラードが戦争を回避できたとしても、奴らはもうおしまいだ。頼みの綱のサネスド帝国との関係は滅茶苦茶になるし、ロンボウの風下に立つことになる。エリピア大陸の宗主はロンボウになり、その王はお前だ。それで、いいんじゃないか?」


「なあ、メイカブ」


 不意に、ぞっとするほどにフリンジワークの声が優しくなる。それは今までメイカブが聴いたことのない声色で、メイカブの背筋が凍る。


「俺はずっと、勝つことしか興味がなかった。世界は退屈で、ガキの頃から誰かの計画をぶち壊してやってそれで起きる混乱だけが暇つぶしだった。それが勝利と、勝利の意味だった。大人は全員阿呆ばかりだと思っていたよ。王も歴戦の将軍も有能な宰相も、全員だ。全員に勝ってやった」


 指の間からのぞく目が細まる。


「一人を除いて。ハンク、『料理人』と呼ばれたあの小国の参謀は、子どもだった俺を利用した。分かるか? 利用されたんだ。奴にとっては、俺も材料の一つに過ぎなかったわけだ。その頃からずっと、付き合いは続いていた、が、俺の目的は昔からずっと変わらない。ハンクに、あの『料理人』に完璧に勝つことだ。奴の計画を滅茶苦茶に破壊すればいい。奴の計画は何のためだ? ノライという弱国のための計画だ。それなら、ノライを破壊し尽くしてやる。滅ぼしてやる。そう思っていた」


 だが、とフリンジワークの声が急に冷める。


「あろうことか、奴はあえて戦争でノライが消滅する方法を選んだ。王が『青白い者達』の中枢だというスキャンダルも、いつか利用して滅ぼしてやろうと思っていたらザイードというエルフに消された。そしてハンク自身、あろうことか老衰でこの世を去った。メイカブ、今の俺が勝つには、奴が国という形を捨ててでも残そうとしたものを徹底的に破壊するしかない。それはノライの文化であり、国民であり、風土であり、町であり、歴史であり、そして」


 フリンジワークの瞳が収縮する。血走った目。


 自らの恐怖の理由を、今更にメイカブは理解する。

 この男は、違いすぎる。


「そして他国との関係性だ。だからその全てを破壊し尽くす。人命も国土も文化も歴史も、ノライと深く関わってきたロンボウもアインラードも、全てだ。あの世のハンクが、こんなことならフリンジワークを幼い頃に利用するんじゃあなかったと後悔して後悔して地獄に落ちるよりも苦しむように、壊してやるんだ」


 だから、とフリンジワークの静かな、しかし昂ぶりを隠せていない声は続ける。


「どうしようもない、何者も得をしない、誰も彼をも殺してしまうような大戦争が必要なんだ」





 夜が明けぬうちに、非公式の会食の知らせがトリョラに届く。

 会食はトリョラ城の一室で、厳重な警備の元、極秘でおこわなれる運びとなる。

 出席者は、トリョラに大きな影響力を持つ、限られた者達。

 区長であるハイジ=ゴールドムーン。副区長、マサヨシ。治安の悪化著しいトリョラの治安維持を担っている警備会社の長、ジャック。同じく治安維持を担う、非営利団体であるトリョラ青年自警団の団長であるアルベルト。トリョラ区新商会同友会書記長ミサリナ。レッドソフィー教会トリョラ区代表の聖女、スカイ。

 そして、フリンジワーク。

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