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静7

 品のいい、大商人の旦那にしか見えない男は、ずっと自分の髪を捻っている。


「良し悪しだなあ」


 その呟きに髪と髭に覆われた熊のような男が反応する。


「何がです?」


「いやあ、確かにうちは大きくなった。どうしようもない馬鹿は消えて、効率のいい金稼ぎができるようになった。実際、これまでの強盗とシュガーじゃあ、安定性も利率も全く違う」


 山中にある、洞窟を改造した隠れ家の一つ。元々はグスタフ盗賊団のアジトの一つだったものを、今でも使用している。

 上品な、のっぺりとした起伏のない顔に形だけの苦笑を浮かべているのはグスタフ。かつてはノライに巣食う巨大な盗賊団の団長をしていた男だ。

 いや、今も団長の座は変わっていない。だが、マサヨシに協力してシュガーの製造と販売に関わって以来、盗みはほとんどしていない。する暇も必要もないからだ。


「ただ、代わりに、グスタフ盗賊団って組織は消えた気がするねえ」


「マサヨシの組織に吸収されたと?」


「というかさ、マサヨシの組織なんてあるのか? こう、なんか、組織って言うよりももっとぼやっとしてるさ、こう、中心になんて言うの、ルールだけがあって」


 身振り手振りで、何か丸いものを表現しようとするグスタフ。


「ああ、仕組みだけがあって、そこに色々な連中がくっついてるだけってことですか?」


「そうそうそう、それそれ」


 我が意を得たりとばかりに何度も頷き、グスタフはびしっと指を差す。


「いいね、そういうことだよ。でさ、そのわけがわからないもの、組織ですらないものに、取り込まれちゃった感があるんだよね」


「考えすぎでしょ。俺達の部下はいるし、金だって入ってくる。今、頭が命令すりゃ、部下は全員集まってきますよ」


「それはそうだと思うよ。そこを疑ってるわけじゃないから。ただ、思うのは、なんつうのかな、気持ち悪いんだよ、実体がない気がして」


 グスタフは背を屈めながら立ち上がる。

 狭い洞窟では、椅子から立ち上がる時にそうしなければ頭をぶつける。


 傍らのランタンを手に、隅に転がっている酒瓶まで歩いて拾い上げると、それをラッパ飲みする。


「ふう。見ろ、この酒を。俺は覚えているぞ。老人を殺した時にこの安酒を金と一緒に奪った」


「こっちのチーズは子どもさらう時に若い母親を殺してついでに持ってきたやつですよ」


 熊のような男の投げてよこしたチーズを受け取ると、グスタフはそれを肴にまた酒を飲む。


「実体がある。そうだろ? 俺がこの手で奪って殺したり、俺の命令で部下が殺した。どの部下がやったのかだって大体分かってた。けど、今はどうだ? 手元に入ってくる金は誰がどうやった金なのか、全く分からない。俺の部下と言える連中が一体何人いて、どんな奴らなのかすら分からないんだ。恐怖だろ?」


「頭らしくもない」


「ん?」


「だったらさっさとやめて、今のマサヨシの組織の連中ぶっ殺して、そこから金を根こそぎ奪えばいいじゃねえですか。殺して奪うんなら、実感だってあるでしょうよ。そもそも、俺らぁ、それやって生きてきたんだから、元に戻るだけだあ」


「そうか」


 チーズを一口齧り、呆然としていたグスタフはゆらゆらと揺れながら笑い出す。


「そりゃあ、そうだ。言う通りだ。確かにそうだ、らしくなかった。それでよかったんだよな、俺らは」


 ほろ酔いで笑い続けるグスタフの目に、凶暴な光が宿る。


「じゃあ、さっそく、やるか?」


「頭、でも、ほら」


「ああ、そうか」


 それは一瞬で、獣のような異様な光は一瞬でグスタフの目から消える。


「今、色々と話が動いている最中だった」


「ですぜ。動くのは、それからでもいいです。ひょっとしたら、今よりもいい餌場にありつくかもしれませんしな」





 いつものように豪奢な造りの一室。だが、いまやその部屋の意味はまるで変わっている。


「私室から、牢獄か」


 呟くヒーチの前に座っているのは、演説の日から変わっていない、いやむしろ磨きがかかっているかのような男ぶりのフリンジワークだ。

 優雅に笑い、足を組んで座っている姿は、既に王の風格と言えるものを見につけている。


「ようやく会えた。会いたかったんだ、お前に」


「俺に?」


「ヒーチ。サネスド帝国の大使。時の人だ。会いたいと思うのが妙か?」


「さあて」


 椅子に腰掛け、胸を張っているフリンジワークとは対照的に前屈みになってじっと真正面のフリンジワークを見つめるヒーチ、その目には感情と呼べるものは宿っていない。


「……今の俺に会うのは大変だろう?」


「ふふ、軟禁中だものな。大使を軟禁とは、アインラードの連中も無茶をする。サネスド帝国と戦争になっても構わないというのかな」


「そう仕向けたのはお前だ。身近な脅威の方を優先するのは当然の話さ。ロンボウと戦争になりかねないなら、最優先はそれの回避だと考えてもおかしくはない。実際、俺がトリョラを手に入れようと画策して動いていたことを考えれば、俺以上のスケープゴートはない。うまくいけば、ロンボウと戦争するのがサネスド帝国になって、漁夫の利になるかも、くらい都合のいいことを考えているかもしれない」


「なるほど、なるほど。背に腹は、というやつか」


「どうやって、軟禁中の俺に会うことができた? 今のお前は、アインラードの仮想敵のようなものだろうに」


「俺? はは、シャロンに頼んだら会わせてもらえたよ」


 それを聞いて、苦笑しながら舌打ちするという器用なことをするヒーチ。


「あいつもあいつで、きわどいラインだからな」


「ん? どういう意味だ?」


「イっちまってるってことだよ、お前と同じくな、フリンジワーク」


 ヒーチの目が細まる。

 冷気にも似た重圧が、力を抜いて座っているはずのヒーチから放たれる。


 少しも揺るぐことなく、楽しげにフリンジワークは笑ってそれを受け流す。


「失礼な、お前の負けで俺の勝ちだ。敗者が勝者を狂人扱いは見苦しい」


「お前のような手合いはいつの世もいた。誰もがカードの点数を比べるゲームをしているのに、一人だけ自分のカードに火をつけて、よく燃えたから自分の勝ちだとのたまう連中だ。確かにお前のやり方は意表を突かれた。予想していなかったよ。それはそうだ。何故なら、お前のやり方には『意味』がない。戦争が起きて、トリョラが荒廃し、人が死に、瓦礫の国を支配して王様になるつもりか? 何の意味がある?」


「ひょっとして、お前と俺は似てるのかもしれないと思っていたんだが、考え違いだったか。意味ならある。勝てるじゃあないか、お前に。他の俺をコントロールしようとしている連中に」


 大きくなる爽やかな笑顔と裏腹に、フリンジワークの目の奥から笑いが消えていく。


「俺はもう、飽きてさ、勝つことにしか興味がない。ヒーチ、お前は違うのか?」


「似てる。似ているな、フリンジワーク」


 ヒーチの屈み方は酷くなり、いまや飛び掛る寸前の獣のような姿勢で座り、上目遣いでフリンジワークを見ている。


「俺も勝つこと以外にはほとんど興味がない。息子くらいだ。だが、俺とお前では多分、勝利の意味が違う。俺にとって勝利とは、超えることだ。トリョラを奪いシュガーのネットワークを奪おうとしていたのも、俺なら今よりもうまくやれると確信していたからだ。今よりもうまく利益を出し、今よりも犠牲を最小限にして、そして出た利益は今よりもうまく世界に還元できる。同じ土俵で、もっとうまくやる。超えるってことだ。俺は、お前もそうだと思っていた。だから、トリョラを奪うのにも俺と同じように被害が最小限で済むように動いているのだとばかり思っていたんだ」


「超えるか、なるほど、俺とは違う」


「フリンジワーク、お前にとっては、どうなれば勝利だ?」


「対手の計画をぶち壊してやった時だ」





 世界はキナ臭くなっている。

 その中でも、その臭いにどこよりも敏感だったのはトリョラだった。

 再び逃げ出す富裕層、頻発する暴力事件、武器の密輸額も跳ね上がっていく。

 もうすぐ全てが終わると直感的に分かっているのに、ミサリナは武器を取り扱って金を稼いでいる。稼げるだけ、荒稼ぎしている。まるで条件反射のように。恐怖からの逃避のためか、シュガーの需要も高まっていく。マサヨシの組織の中で金庫番としての役割も務めているミサリナにとっては、ただただ取り扱う金額だけがどんどんと膨らんでいく。


 郊外にある商館では、今日も書類の束と格闘している。


「ミサリナさん、これ、どこに置けば?」


 自分の背丈の半分ほどもある書類の束を抱えた秘書が、半泣きでよろよろと部屋に入ってくる。


「そこの隅、置いといて」


「ええ、分かりまし……よっと。ああ、あと、ミサリナさん、槍、小麦、水、それから酒と医薬品、次々に運び込まれて、今、倉庫が一杯だって連絡が来ましたよ」


「近場を借りるか、最悪、ジャックの警備会社から人員借りて見張らせて外に置いとくのでもいいって言っといて。どうせ、右から左、すぐに売れるんだから」


 言いながら、ひたすらに書類に印を押していく。


「よっと……でも、ミサリナさん、本当に戦争、起こるんですかね?」


 書類を整理しながら、秘書が問いかける。

 まだ学び舎を出たばかりだといっていたその少女の顔には、隠そうと思っているらしいが色濃く表れている不安がある。


「どうもそういう動きっぽいわね。アインラード側はヒーチって奴が勝手にやったことだって主張してるけど、ロンボウ側はそもそもヒーチが来る以前からアインラードがシュガーに手を出してるって証拠を出してるし。フリンジワークを中心に敵討ちだって気運も高まってるわけ」


 そこで、ようやくミサリナは書類から顔を上げて、


「ま、ちょっと前の戦争のこともあるから、厭戦勢力も当然存在するし、今の時点では五分五分ってことじゃない? でも、もし戦争になったらここは真っ先に巻き込まれるわけ。ねえ、あなた、どうして逃げ出さないの?」


「あたしですか? だって、こういう時こそ稼ぎ時なんでしょう? 現に、ミサリナさんもここで商売をしてるじゃないですか」


「あたしは、ほら」


 今更命惜しさに逃げ出す資格なんてない、そういう言葉を飲み込んで、


「命あってのものだねなわけだし、あなた雇われる側なんだから、逃げ出したら? 別に、ボーナスくらいつけるわよ?」


「それは、中々嬉しいお話ですけど、ほら、あたしってミサリナさんみたいに商人目指してるから、こういうところで逃げ出すのはちょっと」


「へえ」


 ぽかん、とミサリナは口を開ける。


「あたしみたいな商人を? どうして?」


「だって、格好いいじゃないですか。お金を稼ぐのって」


 それだけ言って、秘書は押印済みの書類を抱えて部屋を出て行く。

 後に残ったミサリナは、ずっと口を開けたままそれを見送って、


「そっか、そう、だったっけ」


 一人になってしばらくしてから、ようやくミサリナは呟く。


「そう、格好よかったのよね、仕事して大金稼ぐのって」


 最初は、だから商売を始めたのかもしれない。

 ミサリナはふとそう思ってから、書類をおいて立ち上がると部屋の片隅の鏡の前に立ち、自らの姿を映し見る。

 特に、商売を始めた頃と見た目は大して変わっていない。ダークエルフと言う種族の特徴がそうであることも影響しているだろう。まだまだ、見た目は少女と言っていい。

 だが、目は。

 自分の目、かつては野心にぎらついていた目を見て、ミサリナは愕然とする。疲れ淀んだ目。大金を稼ぎ出す抜け目ない商売人、かつて憧れた理想像の中のミサリナは、こんな目はしていなかった。


 しばらくの間、ミサリナは鏡の前で立ち尽す。





「大誤算だ」


 フリンジワークが思わず漏らした弱音に、メイカブは眉を寄せる。


「珍しいな、そんなセリフは」


 緊張状態にある両国関係を改善して戦争突入を避けるため、という名目でアインラードの王城を訪れて二日、帰りの馬車の中でフリンジワークは感情を吐露する。


「ヒーチ、あの男、逃げ出せるはずだ、なのに逃げ出すつもりがない。反論のしようもいくらでもある。だが、その様子がない。下手をすれば、奴は戦争回避のために罪を被るつもりだぞ。くそ、聖人気取りか、それとも、何か考えがあるのか」


「フリンジワーク……王」


 メイカブは名前の最後に思い出したように王、と付け加えて、


「戦争を、目指してるのか?」


 それは、ずっとメイカブが感じながら、直接確認できなかった質問だった。

 とうとう、それを口に出した。


「ああ、もちろん」


 事も無げに返答して、


「ヒーチがあの様子じゃあ、アインラード側から戦争を切り出す流れにはならないか。まあ、いい。あとは、ハイジだ」


「ハイジ?」


 どうして、ここであの女の名前が出てくるのかメイカブには分からない。


「奴は象徴だよ。ファブリックの奴が最後に彼女を持ち上げたのもよかった。今、彼女はトリョラの、旧ノライの、いやロンボウ自体の正義の象徴だ。彼女が正義の戦いに先陣をきる覚悟を見せてくれれば、一気に人の声は戦争に傾く」


 フリンジワークは指を二本立てる。


「二段構えだ。戦争は回避できない。今度こそ、トリョラも、旧ノライも廃墟になるような戦争が起きるぞ」


「どうしてだ?」


 怒りでも嫌悪でもなく、メイカブにあるのは疑問だ。


「どうして、そこまでして戦争を起こしたい?」


「戦争を起こしたいわけじゃあない。勝ちたいんだよ、俺は。そして、それには徹底的に破壊するしかない」


「誰に、勝ちたいんだ?」


「今は亡き『料理人』、ハンクだ」

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