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動7

 別荘のテラス。

 森に囲まれたこの別荘では、明け方、朝の森の空気独特の清涼さが屋敷を包む。

 その清清しさを堪能するかのように、テラスで木々の間を突き抜けてくる朝日に目を細めながら、フリンジワークは深呼吸を繰り返している。


 その背中を眺めながら、居間でメイカブは手持ち無沙汰にうろつきまわる。


 あの演説をしてから、メイカブだけを連れてこの人里離れた別荘へと直行したフリンジワークは酒を飲むでもなく、食事をしてさっさと寝てしまった。そして朝も早くに起床して、さっきからずっとテラスから昇りつつある朝日を眺めている。


 あの演説の内容がファブリック以下、フリンジワークの兄弟達の耳に昨夜のうちに入ったのは間違いないはずだ。だとすれば、今も血眼になってフリンジワークを捜しているに違いない。この別荘にいると嗅ぎつけられて、連行されるまであと半日といったところだろうか。


 それが分からないフリンジワークではないだろうに、今もぼんやりと朝日を浴びている。柔らかな朝日に包まれたフリンジワークは、更に英雄画じみている。


 今、この別荘には住み込みのメイドが数人、それ以外はフリンジワークとメイカブしかいない。朝の静寂。屋敷はしんと静まり返っている。


 かしゃん、かしゃん。

 その静寂の中に、かすかな、奇妙な音がきこえてくる。金属の軋む音。

 かしゃん、かしゃん。

 メイカブはその音の出所を目で探して、すぐにそれを見つける。


 金時計。

 フリンジワークが取り出していた、王族や大貴族くらいしか手に入れることのできない金細工の時計。無意識になのか、フリンジワークはいつの間にか手にしていた金時計の蓋を親指で開けて閉めてを何度も繰り返している。

 かしゃん、かしゃん。

 その都度、音が鳴る。


「メイカブ」


 不意に、金時計に目を落としたフリンジワークが声をかけてくる。


「あん?」


「お前には言っていなかったが、実は、客を呼んでいる」


「え?」


「この辺りは、有名な別荘地だ。十分歩けば、ちらほらと別の貴族共の別荘があって、どら息子や隠居した連中が無為な時間を過ごしている。一緒に、朝食でもどうかと思ってな」


 そこで振り返り、ふっと柔らかい笑みを浮かべるフリンジワーク。


「そろそろメイドが朝食会の準備をしてから客が来る。時間もないし、手が足りない。『勇者』にこんなことを頼むのもなんだが、客の対応を頼む。なに、俺はここで待っているから、客をここに通してくれさえすればいい」


 いつもならば文句を言うところだが、今のあまりにも奇妙な状況にメイカブは何も言うことができない。


 そして、フリンジワークの言葉通り、メイド達が手際よく朝食の準備をする。焼きたてのパン、バター、フルーツ。

 大量のそれを、シルクのテーブルクロスを敷いた巨大なテーブルへ並べていく。

 その一方で高級な豆を炒り、それを挽いていく。その鮮烈な香りが部屋中を漂い、メイカブも香りだけで目が冴えていく。


 やがていかにも貴族の放蕩息子といった出で立ちの若い男や、着飾った令嬢、脂の抜け切った老人や化粧の濃い中年の女、ぞろぞろとおしゃべりをしながら屋敷の門を潜ってくる。

 メイカブが出迎えると、彼らは皆一様に『勇者』に出迎えられたことに興奮し、案内でフリンジワークの前に連れて行くとぺこぺこと英雄然としたフリンジワークに頭を下げる。


 ずっとテラスで朝日を浴び続けるフリンジワークは柔らかく笑い、彼らの挨拶にも如才なく返し、どうということのない世間話さえする。だがその話しぶり、表情、言葉遣いの全てに威厳と気品が備わっている。

 初めてフリンジワークと対面する彼らの顔からは「これがフリンジワークか。『無能王子』と言われていたらしいが、なかなどうして……」と見直して感心している様がありありと感じられる。


 だが、それがどうしたというのか。

 案内を続けながら、メイカブは内心首を捻る。

 あの演説で一部の民衆の、そしてこの朝食会でごく一部の貴族の支持を取り付けたかもしれない。元々の名声や勢いもある。

 しかし、だから次期国王に、とはならない。何より、あの演説で勝手なことを言ってしまった余波は、確実にロンボウだけでなくエリピア大陸全てを揺るがす。次期国王どころか、下手をすれば責任を取らされてギロチン台行きもありうる。

 一体、何を考えている。


 かしゃん、かしゃん。

 テラスで、朝日を全身に浴びながら金時計の蓋を開け閉めをしながら客の集まるのを待っていたフリンジワークは、全ての招待客が席に着いたのを見計らい、ゆっくりとテラスから部屋に入ってくる。


「さあ、そろそろ時間だ」


 フリンジワークの合図で、メイド達が各々のカップにコーヒーを注いで回る。


 席に着いたフリンジワークは、また音をたてて金時計の時間を確認して、しばらく動かない。


「フリンジワーク殿、まだかな?」


 焦れたのか、客の一人がそう言うが、


「まあ、もう少し。決められた時間通りに朝食を食べるのが習慣になっていてね」


 フリンジワークは軽く笑って、なおも金時計をずっと眺め続ける。


 もちろん、これは嘘だ。

 メイカブには分かっている。フリンジワークが規則正しい生活とはかけ離れた生活をおくっていたことを、メイカブはずっと目にしてきている。


 じっと金時計の動く針を見ていたフリンジワークは、突如として顔を上げて、客を見回す。非の打ち所のない笑顔。


「時間だ」


 金時計を懐に収め、素晴らしい香りのコーヒーの入ったカップを掲げる。


「それでは、朝食を始めよう」





 ロンボウの第一王女、シャルは朝にブランデーを垂らした紅茶を飲むことを日課としている。侍女に準備させたそれを一口飲んだシャルは、突然、喉をかきむしり苦しみ出す。

 周囲の人間はおろおろするばかりで、医師が駆けつけた頃には、両目を大きく見開いたままでシャルは絶命していた。その舌は真っ黒に染まっている。





 一口、コーヒーを口にふみ、フリンジワークはうっとりと目を閉じる。


「この朝食会のために、わざわざキリシアから輸入した豆だ。いや、素晴らしい香りと苦味だ」


 そうフリンジワークが言うと、客の誰もがそれに賛同し、口々にそのコーヒーの素晴らしさを褒め称える。





 争うような物音と怒声。

 慌ててロンボウの第四王子、クロイツの私室に兵士達が飛び込んだ時には、そこには誰もおらず、ただ豪奢な部屋が荒らされていた。


 それと同時に、覆面をした二、三人の男達が遥か向こうの廊下を逃げていくのを見た兵達は、慌てて男達を追う。


 だが、まだ若い兵士の一人は、ふと荒らされた部屋、その中の一点が気になって、同僚が怒鳴りながら男達を追う中、立ち止まってしまう。

 置いていかれた形になったその兵士は、今からまた追いかけるのを諦めて、ゆっくりと私室に入り、その気になっていた部分へと歩いていく。


 開け放たれていた窓。

 子どもくらいしか出入りできないであろう小さな窓が開け放たれ、その窓枠が破壊されている。まるで、何か窓を通らないはずのものを無理矢理通したように。


 ゆっくり、ゆっくりと兵士は窓に歩み寄り、ゆっくりとその窓から顔を出して、下を向く。


 そこには、手足を不自然な方向に捻じり地面に頭を割られた、クロイツの死体がある。


「はえ」


 兵士は、そのままどたりとしりもちをつく。





「無作法だが、こうやって食べるのが一番うまい」


 言いながら、フリンジワークはフルーツを次々と手づかみにして、かじりつく。

 その荒々しい食べ方に、客たちは苦笑する。だが、その苦笑は親近感からくるもので、決して不快に思ってのものではない。それは、客たちがその後も談笑しつつ食事を続けていることからも分かるだろう。


「パン、パンも是非食べてみてくれ。バターも一級品なんだ」


 楽しそうに、口に果実を頬張りながらフリンジワークは言う。





「まだ見つからないのか」


 邸宅で、部下に当り散らすファブリックには貴公子の如き優雅さはまるで失われている。

 フリンジワークの演説のことを耳にしてから、激昂したファブリックはフリンジワークの身柄を取り押さえるべく私兵を使って昨夜から夜を徹して捜索しているが、まるで見つからない。


 自宅の居間を作戦本部として、広い居間には今、フリンジワークの私兵達が集められている。


 ファブリックは無意識のうちに爪を噛んでいる。見栄えが悪いからと、幼い頃に封印した癖がぶりかえしてきている。

 ともかく、フリンジワークを取り押さえ、狂人として牢に入れるでもして、内々にこの件を治めなければ、大変なことになる。


「くそ」


 手がかりがない。


「ファブリック様」


 部下の一人が部屋に飛び込んでくる。


「どうした?」


「フリンジワーク様を乗せていた御者が見つかりました。どうやら、フリンジワーク様は集会場から真っ直ぐに別荘に向かったそうです」


「別荘? どこの別荘だ?」


「例の、日の森の」


「あそこか」


 唸り、ファブリックは頭をかきむしる。


「よし、兵を編成して引きずりだしてこい」


「はっ」


 部下達は緊張した面持ちで頷く。


「いいか、生かしたままで奴を」


 言いかけたファブリックの喉に、ナイフが突き刺さる。


「う」


 驚愕の表情で、そのまま崩れ落ちるファブリック。


 呆然とする部下達。

 それは投げナイフだった。ナイフが、どこからか投げられたのだ。


 一体、どこから?


 ようやく、そこまで部下の頭が回った時には、既に居間の兵士達にお茶を配りにきていたメイドが、脱兎の如く逃げ出しているところだった。


「追えっ、追ええ」


 絶叫し、兵士達が追いかけるが、邸宅を飛び出したメイドは身軽な動きで壁を乗り越え、猿か何かのようにひょいひょいとあらゆる障害物を乗り越え、飛び越え、町の雑踏へと消えていく。


「嘘だろ」


 見えなくなったメイドの姿を見回し捜しながら、起こったことの重大さにファブリックの部下はへなへなと崩れて膝をつく。





 バターをたっぷりと塗ったパンを四切れ平らげると、フリンジワークは指を拭い、また金時計を取り出すと時間を確認する。


「さっきから、随分と時間を気にされてますね」


 客の一人に問われ、コーヒーを一口飲んだフリンジワークは笑って金時計から目を外し、


「習慣だから、大事なんだ。何時から何時まで、朝食をとっているか、ということが」


 そして金時計を客達に向ける。


「ほら、もうすぐ朝食会も終わりだ。朝食は、六時から七時と決めている」





 その日、午前六時から七時までの間に、第一皇子ファブリックをはじめとする有力なロンボウの王族が多数、殺害された。

 混乱の中、その日のうちに、フリンジワークはこれがシュガー密売組織による報復であること、そしてロンボウは決してこのような暴虐には屈しないことを全国民に向けて宣言した。

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