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動4

 もう、長い時間、フリンジワークは湯船につかっている。半身浴だ。

 ひっきりなしに汗が噴き出る。生え際からの汗がだらだらと流れ続けて、目を開けておくのもつらいくらいだ。

 白磁の浴室と浴槽。その浴槽の中央でずっと汗を流し続けているフリンジワークの傍らには、藍色の無地の服を来た若い美貌の女が二人、控えている。一人は木製の箱を手に持ち、もう一人は盆を持っている。盆には、細工を施された美しいグラスがいくつも載っている。中に入っている液体は様々で、無色のものもあれば緑や赤に色のついたものもある。


 ひっきりなしに、フリンジワークはそれらのグラスを掴みあげては、一口一口、ゆっくりと飲み下している。緑のものを飲むこともあれば、赤いものを飲むこともある。だが、一番は透明の液体を飲んでいる。何杯分も。


 ロンボウ郊外にある、フリンジワークの所有している別荘の一つ。数日前から、フリンジワークはそこに滞在している。


「もう飽きたな」


 いくつめかのグラスを空にしたところで、フリンジワークはぼやく。


「酒とは違う。全く、いくら飲んでも楽しくない」


「汗をかかれるのであれば、水分を補給されないと」


 女の一人が眉をひそめて忠告する。


 そう、さっきからフリンジワークが飲み続けている無色透明の液体は、要するに水だった。


「それから、こちらの薬湯も飲んでいただかないと。発汗作用があって毒素の排出を……」


「分かっているって」


 遮って、フリンジワークは赤い液体を飲み干して、顔をしかめる。


「くそ、まずい」


「あと半日は、このまま風呂に入って汗を流していただかないと効果はありません」


「冗談だろ?」


「フリンジワーク様、そろそろ」


 声をかけたのは木箱を持っている女で、言いながら女は木箱を浴槽の外に置く。


「ああ、やってくれ」


 フリンジワークの許可を得て、女は木箱から目の粗い布を取り出すと、それに同じく取り出した何らかの薬液を染み込ませる。

 そして、その布でフリンジワークの顔の下半分、そして喉、うなじといった部分に薬液を塗り付けていく。その作業が終わると、女は小さなカミソリを木箱から取り出す。それで、フリンジワークの無精髭をゆっくりと、丁寧に全て剃り落していく。


 フリンジワークは目と閉じて、女にされるがままになっている。ひっきりなしに噴き出る汗を、もう一人の女が拭い続ける。





「待たせたな」


 そう声をかけられて目を上げたメイカブは、己が目を疑う。


 清潔な白いシャツを纏った、青年がそこにいる。

 豊かな赤い巻き毛はしっかりと整えられ、強い意志を象徴するような真っ直ぐな眉の下には、覇気と知性をほどよく兼ね備えたように見える澄んだ瞳がある。肌はなめらかで彫刻か何かのようだが、がっしりとした体格からまるで女々しい印象は受けない。顔周りはすっきりとしていて、見様によっては少年の若々しさすらある。こぼれる白い歯。笑顔は、それを見るものを魅了し、安心させる。


 絵に描かれた英雄像がそのまま抜け出してきたような、その異様さにメイカブは言葉を失う。


「まったく。一日酒を抜いて、おまけにその一日の大部分を浴室で過ごした。酷い目に遭ったよ」


 快活に笑うその男が自分の雇い主、フリンジワークだとはどうしても信じられない。


「ええと、その、フリンジワーク、だよ、なあ?」


「ああ、演説用のな」


 かつかつと速足で歩きだすフリンジワーク。メイカブは慌てて付いて行く。


「国民の前での演説は初だ。なにせ、無能王子だったからな。戦争で活躍してからも、兄貴や姉貴が反対したせいで中々演説の機会がなかった。ようやくだ。ここで、印象をよくしなければな」


「そりゃあ、印象はいいとは思うが」


 ちらちらとその全くの別人のような横顔を見て戸惑いながら、


「いくら印象をよくしたところで、あんたの次期国王がすんなり決まるとは思えんぜ。親父さんは遺言無しで死んじまったわけだし、筋から言えばあんたの兄貴、長男が継ぐもんだろ?」


「ああ。自分が国王になりたいと演説するつもりはない。もっと、国民が興味のある話をしてやるつもりだ。俺を、見直させてやるさ」


城を出て、待たせている馬車にフリンジワークは飛び乗る。


「見ていろよ、メイカブ」


「え?」


 続いて乗り込もうとしていたメイカブは声をかけられて動きを止める。


「俺が、勝つ様をな」





 剣を振るう。

 年々、剣が重くなってきたように思える。それに、激しい動きをしたら数日は体に違和感がある。

 それでも、鍛錬を欠かすわけにもいかない。


「くそ」


 汗まみれになって、ドラッヘは剣を手放す。横腹が痛い。


「歳をとったもんだ、俺も」


「いえいえ」


 拍手をするのは、赤いドレスと赤髪の美少女、シャロン。赤い唇で微笑みを浮かべ、木漏れ日の中に立つその姿は歳に似つかわしくない妖艶さを感じさせる。


「ハヤブサと打ち合えるのは大したもの」


 そのシャロンの言葉に、ドラッヘの相手を務めていたハヤブサは無言で頷き、自らも剣を手放す。汗ひとつかいておらず、息もあがっていない。


「大体、あなたは腕自慢ではなく、指揮能力の高さが売りのはず」


「売り、ね。まあ、そうだが」


 息を整えながら、ドラッヘは言う。


「にしたって、これは、情けない。若い頃は、剣にも、自信があったんだが」


 苦笑しながらも、ドラッヘの目は笑っていない。ずっと、興味をなさそうに空を見ている男を、『人食い将軍』のハヤブサを見ている。


 ヒーチの私兵ということで、客分としてアインラードの王城に迎えられたドラッヘが「体が鈍る」ということで中庭を鍛錬目的で使わせてもらうことになってすぐに、相手役として登場したのがハヤブサだった。


 噂は聞いていた。恐ろしいものから、信じられないものも。


 実物はどうだったのか。

 ドラッヘは驚愕した。ハヤブサ、エルフの混ざりものであるこの男は、技術は優れているが、それだけだった。剣の腕自体は、上の中といったところか。優れた兵士ではあるが、それくらいの遣い手ならばいくらでもいる。

 だがハヤブサは、技術ではなく能力が異常だった。その膂力、剣を振るスピード、反射神経。ドラッヘとの鍔迫り合いを、片手持ちでしのいですらいた。


 戦場でこの男と遭遇したならばどう対処するか。

 それをドラッヘはずっと鍛錬中に考えていた。今もずっと、ハヤブサを探り続けている。


「ハヤブサは将軍ではあるが、自分が剣を持って突撃するタイプ。むしろ、その個として武力だけで将軍になったようなもの。そのハヤブサと打ち合っているのだから、剣が得意不得意という問題ではないわ。剣士としても一流」


「はん」


 どっかと、ドラッヘは地面にあぐらをかく。


「普通なら、それなりの年齢の子がいる歳だ。こんなもんだろう。元々前線に立つタイプじゃあなかったが、そろそろ本当に傭兵稼業も考えないとな」


 薄く笑ったまま、シャロンはそんなドラッヘを見ていたが、やがて、


「ハヤブサ、もういいわ」


 声をかけられて、ハヤブサは頷き、落ちた剣二本を無造作に拾い上げると去っていく。


「『赤目』、少し話せる?」


「いいとも」


 汗をぬぐっているドラッヘの横に立ち、シャロンはドラッヘと並んで同じ方向の空を、木々の間の狭い空を眺める。


「マサヨシのことは知っている?」


「大分ヤバいらしいな。地下室で死人と喋っているとか」


 頷いて、シャロンはドラッヘの赤い左目に目線を合わせる。


「私はアインラードが強くあるための道具だった。それを、破壊された。レッドソフィー教会に狼藉を働き、アインラードの弱みそのものになった。大勢が私の為に戦争で死に、処刑され、闇に葬られた」


「それについては俺は何も知らんぞ。あの『ペテン師』が何か画策していたのは知っているが、あいつの一存だ」


 涼しい顔でドラッヘは言ってみせる。何の動揺も後ろめたさも感じない。

 それが戦争というものだ。それだけの話だ。


「それに、あんたは結局、その後で全てを取り返した。分裂しかけたアインラードをハヤブサと一緒に統一し直して、『勝ち戦の姫』として、強いアインラードの象徴として返り咲いた。地位も権力も、圧倒的な国民からの人気もある。それでいいじゃないか」


「恨み言を言いたいわけではなく」


 シャロンは美しい髪をかきあげると、自らのこめかみを指でノックする。


「完璧に近い人生を送っていた。私も、ハヤブサも。自分がどんなものになるのかしっかりと見据えて、そのための過程を一つ一つ確実に実行していた。それが、一度全部駄目になる。どんな気分が、想像がつく?」


「完璧な人生をおくってないから分からんなあ。なにせこの歳で嫁も子もいないんだ」


 からからと笑いながら、ふっとドラッヘは遠い目をする。


「うちの相棒、ヒーチなら何て言うかな」


「確かに、興味深い」


 頷いてからシャロンは、


「私もハヤブサも、やり直そうとしている。完璧な自分に戻るために」


「やり直す? どうやって、やり直す?」


「分からない。ハヤブサは、自分を壊した張本人を倒したと言っていた。それでも、元の自分に、完璧な自分に戻れないと言っていた」


 黙って頷きながら、ドラッヘは二人を見切った気分になる。

 おそらく、シャロンとハヤブサと、話が通じることはないだろう。完璧な自分に戻るだとか、やり直したいだとか、世迷言が過ぎる。

 脳裏にこびり付いている、のっぺりとした地獄の如きあの内戦を思い出す。


「どう? あなたは、何か思いつかない? あの内戦の中を渡り歩いた『赤目』なら、何か分からない?」


 この二人には、通じないかもしれないが教えてやりたい。

 この世には、完璧なものもなければ、やり直しの機会もない。一方通行だし、全ては徐々に壊れていく。ただそれだけのものだ。


「俺には、とても」


 客分の身でそんなことを言うつもりもなく、ドラッヘはひたすらに誤魔化し続ける。

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