動3
渋る部下の二人を押しのけて、倉庫の扉を開ける。
そこに並べられている皮袋の山を目にして、ツゾは目を見張る。
明らかに、予定よりも多い。タレコミどおりだ。
「おい、こりゃあ、どういうことだよ」
振り返り言うと、部下のチンピラ二人は顔を見合わせて、決まり悪そうに笑う。
「まさか、先月分をさばけずに在庫が余ってたなんてことは……」
「いやいや、んなわけないでしょ、ツゾさん」
一人が顔と手を振る。
それもそうだとすぐにツゾは納得する。一度シュガーに嵌ったら、二度とは抜け出せず、使用量は増えていく。
それぞれの『支店』でシュガーの在庫がだぶついたことはなく、むしろ毎月足りなくなっているくらいだ。
「だったら、こりゃあ、一体」
「そりゃ、もちろん、別から仕入れたんですよ」
「別って、お前」
凄みかけるツゾに、へらへらと笑うチンピラが倉庫の片隅から素早く鞄を取り上げると、開いて中身を見せる。
「まあまあ、ちょっと、これを見てくださいよ」
その中にあるのは、アインラードの小額紙幣やキシリアの銅貨といった、ロンボウ国外の貨幣が無数に詰め込まれている。どれも、汚れていたり折れ曲がっていたり、使用感のあるものだ。
「こりゃ、なんだ」
「別からの仕入れで稼いだ金ですよ」
チンピラの一人が、訳知り顔で説明を始める。
「さすがにこの地区でクスリを別途ばら撒いたらバレちまいますけど、その外、それも国外なら、シュガーを俺達がばら撒いたとは気付かれないですよ」
「だからって、お前」
「利益の半分をアガリでとられるじゃないすか。こっち、上を通さずにやったら、利益は丸々こっちのもんすよ。多少、仕入れ値は高めっすけど、品質は問題ないし、阿呆みたいに儲かります。どう、乗りませんか、ツゾさん」
黙って、ツゾは顎の下をがりがりとかきながら思案する。
「ねえ、ツゾさん」
もう一人のチンピラが畳み掛ける。
「こうやって金稼ぎながら繋がり持っといて、いざとなったら完全に乗り換えちまいましょうよ。うちの頭、もう駄目でしょ、ありゃあ。片腕のジャックもそもそもこの商売には乗り気じゃないし、今のうちに手を打っておかないとさあ」
黙るツゾの口の端から、徐々に笑みが広がっていく。
説得の成功を確信したチンピラ二人の顔もどんどんと緩む。
「そりゃあ、俺も参加したら儲かるか?」
「もちろんっすよ、そりゃ。ここら一帯仕切ってるツゾさんが乗ってくれるなら、向こうさんも喜びますって」
「向こうってのは?」
「ロンボウの上の方ですよ。おっと、これ以上は言えませんぜ。へへ、まあ、本当に参加してくれるなら」
チンピラの言葉が止まる。顔が固まる。
ぞろぞろと、ツゾの後ろから武装した男達が倉庫に入ってくる。
「ツゾさん、そいつら、何です、か?」
チンピラの声が震える。
「うん? ああ、いや、ほら、お前らの話に乗ろうと思うんだがよ、だったら全部俺が仕切った方が、金稼げるよなあ?」
笑うツゾに、チンピラ達は呆然とする。
「じゃあ、適当に頼むわ」
声をかけてから、倉庫を出ようとするツゾに、
「ツゾさん、ちょっと待ってくれ」
「そうだ、俺たちゃあ、別に、そんなつもりはないんだ。あんたの下でやらせてもらえれば、そう、もう、あんたに金を払ってもいいんだ。半分、いや七割渡すよ」
慌てたチンピラ達の声に、ツゾは嘲り笑い、
「信用できねえだろ、お前らを手下にしたって。俺を裏切るに決まってるんだからよ。一度裏切った奴は、何度でも裏切る。性根は変わらねえ。分かるんだよ」
足を止めずに、出て行く。
背中に悲痛な叫びを聞きながら。
「分かるんだよ、俺も一緒だからな」
笑いに顔を歪め、誰にも聞こえないように小さく呟く。
奴らの言うように、多分マサヨシの先は長くない。ここで金を稼ぎつつ、次の寄生先を探しておくのが無難だろう。
ツゾは決心する。
今の自分の手下共ごと、引き抜かれるのが一番いい。最初から、幹部待遇になれば。夢物語じゃあない。今の自分には組織力と、実績と、金がある。
泥の味が蘇る。
見ていろ。泥を食っていた俺が、成り上がってやる。今に見ていろ、どいつも、こいつも。
コロコが真っ赤に染まった鍋をつついている。
「どうして、ここにいる?」
顔をしかめるジャックの言葉にも、顔を上げようとしない。
「ああ。おかえり。ジャックに話があるんだって言うから、あがってもらったのよん。夕ご飯まだだっていうから」
台所からフィオナが顔を出す。
「ささ、どうぞ、ジャックも食べて。栄養たっぷりよん。たっぷり汗かいて、今日の疲れをリセットしたら?」
笑うフィオナに、ジャックは何とか弱々しい笑みを返す。
きりきりと心臓が痛む。日に日にやつれている自分を見て、姉は心を痛めているのだろう。姉は自分が真っ当な仕事で疲れきっていると思っている。だが、違う。実際には、トリョラの中でも汚れきっている人間の一人だ。
「まあ、座れよ、ジャック」
赤い汁で煮込まれた内臓を口にして、コロコは汗一つかかず涼しい顔で促す。
「お前は客だろうが」
文句を言いながらも、ジャックは隣に座る。
「しばらくだな」
声を潜めてそうジャックが言うと、
「色々と忙しかった。しかし、町もお前も、会う度に酷くなっていくな」
それには答えず、ジャックも赤い鍋料理を一口すすり、その辛さにむせる。
「相変わらず慣れないわねえん」
からからと笑いながらフィオナがまた顔を出す。なにやら洗い物をしているようで、台所から出てくることはできないようだ。
「ほっとけ」
咳き込みながらそう言って、目に涙を滲ませてジャックはコロコに向き直る。
「で、コロコ。俺に話ってのは、何だ?」
「マサヨシがつかまらないんで、お前にお願いしようと思ったんだ。港の使用許可と、しばらく使える隠れ家を提供してくれないか?」
「例の部屋で死人相手に喋ってるんじゃないのか」
そう言いながらようやく咳のおさまったジャックは、しばらく黙ってコロコの痩せた顔を眺める。
この男がクーンではなく、マサヨシ側についた理由は分かっている。独立のためだ。ずっと暗黒大陸、いやサネスド大陸との密貿易を仕切っていたコロコは、『瓦礫の王』と帝国の出現をエリピア大陸の誰よりも先に察知した。だから、自分の重要性が一気に高まることも分かっていて、そのタイミングで独立を目論んだ。それは成功した。
今も、マサヨシの組織と組んでサネスド大陸との貿易を行っている。だが、通常の貿易ならばわざわざ別途に許可を得る必要などない。おまけに、隠れ家。
「輸入する品、ひょっとして、人間か?」
ジャックの言葉に、コロコは唐辛子で煮込まれた肉と野菜を口いっぱいに頬張り、咀嚼しているので答えられない。
慌てて飲み下してから、コロコは笑いながら言う。
「鋭いじゃあないか」
「奴隷売買か?」
「違う違う。奴隷じゃないよ。ほら、最近、物騒だろ? もうすぐ、組織もぶっ壊れそうだしさ、護衛を雇いたいんだ」
「雇えばいいだろう」
「ここらの連中雇っても、すぐに裏切りそうだろ。俺しかない人脈で、護衛を雇うつもりなんだ」
「サネスド大陸の連中か」
「ああ。獣人の腕利きを、まあ、『密輸』するつもりだ」
また、ジャックは黙って、少しずつ椀に入った鍋のスープを啜る。
そして、じっとコロコの目を見る。コロコは視線を外し、ひたすらに鍋を食べ続ける。既に、鍋の具材はほとんど消えてしまっている。
「コロコ」
「ん?」
目を上げるコロコの表情は、かすかに笑っている。
「本当に、護衛か?」
「どうしてそう思う?」
「お前と『瓦礫の王』がずぶずぶなのは分かってる。『瓦礫の王』がこの町を侵食している。で、その『瓦礫の王』の本拠地から兵隊を輸入しようとしてる。勘繰り過ぎか?」
「はっはっは」
「笑っても誤魔化せんぞ。俺達を潰そうとしている勢力の軍隊を、俺達を利用して輸入しようというのか。ずうずうしいな」
「駄目か?」
「いいさ」
顔を歪めて、笑おうとするがジャックは失敗する。
「どうでもいい。やってやる、それくらい。俺達が潰れるのは、そう悪いことでもないだろうからな」
そう言った瞬間、凄まじい悲鳴が聞こえてくる。
ジャックとコロコ、そして台所から飛び出してきたフィオナは顔を見合わせる。
悲鳴は、どうやら外からだ。
互いに顔を見合わせていたのは一瞬で、すぐにジャックは家を飛び出す。
向かいの家から、ちょうど女が顔を血塗れにして転がり出てくるところだった。
やめて、と絶叫している。
女を追うようにして、男が一人、血走った目をして走り出てくる。その手には血に濡れた食器が握られている。
「てめぇ、亭主に向かって、ふざけた……」
泣き叫ぶ女に向かって食器を振り上げる男に、咄嗟にジャックは飛び掛る。後ろから羽交い絞めにして、とにかく声をかける。
「おい、やめろ」
この夫婦とは顔見知りで、特に男の方とは古い付き合いだった。
大工を生業にしている、すぐにかっとなる短気な男だが、悪い男ではない。声をかければ落ち着くと、そう思っていた。
「離せっ」
だが絶叫した男は、力任せに暴れまくる。ジャックは必死に押さえつける。もの凄い力だ。
ジャックに遅れて、フィオナとコロコも家を出て来る。
フィオナが、地面に泣き崩れている女を支え立たせて、ジャック達の家へと連れて行く。ジャックとコロコ、二人掛りで取り押さえるが、凄まじい力で暴れようとするので、気を抜けば二人とも吹き飛ばされてしまいそうだ。
声を聞きつけて近くの住民が集まってきて、全員で何とか完全に取り押さえられるまでには、ジャックもコロコも顔にいくつか傷をつくり、汗だらけになっていた。
地面に取り押さえられた男は、なおも何かを叫び続けている。口の端に泡を溜めてまで。
家に一度戻れば、フィオナが女を介抱していた。
どうやら頭を少し切っている以外に怪我はないらしく、血を拭かれ包帯を巻いた女は、特に深刻なダメージを受けているようには見えない。
だが、ひたすらに泣き続けている。その嗚咽は、聞いているジャックの気分も沈める。
「ああ、ちょっとちょっと、こっちよん」
泣きじゃくる女をおいて、フィオナは手招きをしながらひょこひょこと台所へと足を運ぶ。
顔を見合わせ、ジャックとコロコは互いに怪訝な顔をしつつも、台所についていく。
「どうもね」
声を潜めて、フィオナは珍しく厭世的なため息を漏らす。
「奥さん、クスリやっちゃったんだって」
その一言で、ジャックは返す言葉が考えられなくなる。
「シュガー?」
代わりに、コロコが平然と返す。
「そうみたいよん。で、家のお金に手をつけちゃって、それでバレてあんなことになったんだって」
「そこまでしてクスリ代を払わなきゃいけないってことは、相当に嵌ってるな」
「どうしよ? これ、あの奥さんの方も捕まっちゃうよね?」
「そうなるだろうな」
フィオナとコロコの会話を聞きながら、ジャックはふわふわと重力がなくなったような気分になって、妙なことにそれが心地よかった。自分が落ちるところまで落ちているのだと姉になじられているようだ。
昔を思い出す。
泣き虫で線の細かった自分。それをいつも庇ってくれて、その後で叱ってきた姉。
ずっとそのままでいるのが嫌で、弟であることをやめて、周囲の人間の兄貴分になってやろうと決めてから、何年たっただろうか。
「器じゃなかったってことだな」
呟きにもならない呟きは、フィオナとジャックの耳には入らない。