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静2

 トリョラが毒されていくのを、指をくわえて見ていた。

 もちろん、実際には何とかしようとしたこともある。だが、全ては空回りして、状況はどんどんと酷くなっていく。

 きっと自分の周囲の人間も、内心では自分を見限っているのだろう。


「大丈夫ですか? 根つめすぎですよ」


 心配して声をかけてくる部下に笑顔を返しながらも、ハイジはその部下のことを信用できない。

 自分を見限っているだろうし、下手をすればそれどころではなく、汚職をしているのではないだろうか。

 そう思ってしまう。そんな自分に嫌気もさす。


 区長室、整然としたハイジの机の上には、無数の書類が積み重ねられている。

 未確認のもの、認可したもの、認可しなかったもの、それ以外、にきっちりと分けられた書類の束を、毎日のように増やし、減らし、部下に渡し、渡されている。

 どんな書類にも目を通し吟味し、考え、部下の考えを聞き、会議を開き、そして熟考の末に判断している。


 だが、そんな自分の業務が、果たしてこの町に役に立っているのだろうか。

 ハイジは随分と前から疑問に思っている。疑問に思いながらも、今も書類を片端からチェックしていく。


 町の復興や発展のためにいくつもアイデアを出したし、実現のために奔走した。

 それでも、自分の力がトリョラのためになったことはあるのだろうか。未だに分からない。

 そう、ハイジは自分が神輿に過ぎないことには気付いていた。区長の要請が来た時から、ずっと。戦争で活躍した自分を神輿にしたいだけだと。自分が神輿をすることで町が復興するならと甘んじてそれを受けて、そのために神輿ではない区長役として、マサヨシを副区長とした。

 彼はよくやってくれた。ハイジはそう思っている。


 だが、結果はこの有様だ。


 朝からずっと書類を見ていて目が疲れてきた。サインのしすぎで手首も痛い。


 目を閉じたハイジは手首と目尻を指で揉み解す。


 少し、休憩をしよう。


 近くの部下に少し外すことを伝える。部下は分かりましたとだけ答える。きっと、自分が何をしようが咎められることはないのだろうなと思う。


 少し前から、元々外で動いていて顔を見せることが少なかったマサヨシが全く城に顔を出さなくなった。それでも、警備会社もファンドも酒造所も動いている。何らかの仕事をしているのだろうとは思う。

 だがそれでも、行方不明なことには違いない。


 ハイジは、マサヨシのことに頭をめぐらせながら城の廊下を早足に歩く。


 板張りの鍛錬室に入ると、木剣を手に取り、ハイジは部屋の中央に進む。

 元々は兵士の鍛錬のためのこの部屋にも、活気は一切なくなって、今ではハイジくらいしか使っていないようだ。


 呼吸を整え、背筋を伸ばすと、足を肩よりも少し狭い程度に開き、片足を前に出す。背筋を伸ばすと剣を正眼に構え、ゆっくりと長く息を吸って、止める。

 気合と共に息を吐き出し、剣を真っ直ぐに振り上げると、全力で目の前の空間を斬りつける。

 ハイジは、それを一呼吸分の休みも挟まず、繰り返す。ずっと、繰り返し続ける。

 十回を超えたところで白い頬が上気し、二十を超えて息が荒くなり、三十を越える頃には生え際のあたりからひっきりなしに汗が流れ落ちる。


 それを拭うこともせず、流れるにまかせて、ひたすらに剣を振り続ける。呼吸が苦しくなり、全身が鉛のように重くなり、頭の中に靄がかかったようになってもなおも振る。


 こうしている時だけは、何も考えなくて済む。

 ハイジは鍛錬を超えて、苦行のようにして剣を振るのが嫌いではなかった。

 そう、剣だけ振っていればよかった。ハイジは霞のかかった頭でそう思う。幼い頃から剣を振ることが好きで、勇敢で高潔な騎士の御伽噺に憧れ、正義のため、民のために剣を振るうことが貴族の仕事で、そのために自分は命を懸けるのだと思っていた。

 背が伸びて、多少の分別がついてきても、その思いはずっと燻っていて。


「戦争」


 手を止め、ぜえぜえと息を吐きながらハイジは呟いている。

 あの戦争を思い出す。今も、夢に見る。

 悲惨な戦争。民が死に、敵を殺した。夢の中で、ハイジは血塗れになっている。

 だが悪夢ではない。

 ハイジには分かっている。

 あの戦場に、自分は戻りたいのだ。敵を殺せばいいだけだから、あそこなら誇り高い、正義の騎士になれる。それだけをしていられる。


「いけない」


 また、余計なことを考えている。

 よろよろと姿勢を正し、また剣を振り上げる。

 だが頭の中の考えは止まらない。


 剣だけ振っていればよかった。敵を殺しさえすればよかった。

 それ以外に、自分の価値があるとは思えない。神輿にすら、なれなかった。

 今、実際のところ何が起こっているのか、ハイジには分かっていない。

 マサヨシが行方不明になって、それでも仕事が回っていて、副区長がいなくなったというのにそれを心配するものも責めるものもいない。自分が問えば、誰もが言葉を濁したり、誤魔化したり。もちろん、マサヨシが色々なことをこれまでも裏で動いていたことは知っている。だから自分に説明できないことがあるのも分かっている。

 だがそれでも、今回のこれは、長すぎる。何も情報がなく、ただただマサヨシの顔を見ていない。

 きっと何かが起こっている。けれど、自分は何も知らない。


 目眩。

 無理をしすぎたのか、剣を取り落としたハイジはそのまま片膝をついてしまう。片手もついて、何とか倒れないように体を支えて呼吸だけを繰り返す。全身が重い液体になってしまったかのように、地面に張り付いて立ち上がれそうもない。

 ぜえぜえと喉が鳴っているかのような呼吸を続けているうちに、少しずつ呼吸のペースは落ち着いてくる。目を何度か強く閉じて開いてをして目眩もおさまってくる。


「情けない」


 呟き、何とか体を起こして剣を拾う。


「戦争、か」


 また、気付けばそのことを考えている。

 透き通った緑色の瞳が、じっと木剣を映す。


 そこに、


「ああ、ここですか、区長」


 部下の一人が慌てた様子で走りこんでくる。


「どうかしましたか?」


 さっき倒れたとは誰も想像できないくらいに、呼吸も姿勢も無理矢理に戻し、瞬間的にハイジは凛とした立ち姿で、落ち着いて部下に対応する。

 人の前では、どうしても騎士然としてしまう。もう呪いだ。


「ええ、お客様です」


「分かりました」


 とはいえ、汗まみれだ。


「一度、水を浴びてからでいいですか? 少しだけ待ってもらうように言って下さい」


「は、はあ」


 一瞬だが言いよどみ嫌な顔をする部下。


 それを見て、ハイジははてと首を傾げたくなる。待ってもらうように伝えるのすら気がひけるほどの人物。それほどの大物が訪ねてきているということだろうか。


「客とは、誰ですか?」


「その」


 そうして、部下は予想だにしなかった名前を出す。


「ファブリック様です」


 ロンボウの第一皇子の名を。

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