動1
特に信念や哲学というものはない。
ただ生きていくための手段として自分の腕っぷしを切り売りすることを選んでから、数年でどうやら自分が筋がいいのだと気付いた。戦闘を仕事にすることが、どうやら自分の天職らしいと。
それからは、自分を高く買ってくれる人間を探し歩く日々になる。その過程で何度も争いに巻き込まれ、その結果名と腕を上げた。
ただそれだけの男。そう自分を評価している。
だというのに、今や救国の英雄に祭り上げられている。一部では『勇者』とすら呼ばれている。
メイカブはそれに戸惑いつつも、その状況を楽しむ事に決めていた。
彼にとって、全てはそれだ。戦場での現実も、死線を潜る修羅場も、何もかも、楽しむべきものだ。せっかく強いのだから、楽しめばいい。どんな状況であろうと。
だが、この男と組んでからは、徐々に、本当に少しずつではあるが、自分の中でその物事を楽しもうという気分が薄れていくのを感じている。
うまく説明できないが、この男は異質すぎる。今まで出会ったどんな存在よりも。分かり易い野心家だと思っていた。だが、どうも違う。
メイカブは、自分の目の前にだらしなく座る男を見下ろす。
「あー、何もかも思い通りにはいかないもんだ」
呻くのは、フリンジワーク。ソファーに半分寝るようにして座りながら、酒を呷り、愚痴を言う。
「趨勢は変わらない。ザイードが無茶苦茶をしてくれようと、マサヨシが生き延びようと、結局は俺が支配することになる。そう思っていたのになあ」
「ヒーチか」
メイカブの言葉に、ため息とともに頷いて、
「あーそうだ。まったく、サネスド帝国なんてものが出来上がるのも予想外なら、そいつがベストタイミングでアインラードと組むのも予想外だ。おまけに、そこの大使が傑物なのもな。うまいこと、アインラードの心臓を握ってるみたいじゃあないか。ヒーチがアインラードを使って、サネスド帝国の根をエリピアに伸ばしている。多分、『瓦礫の王』の計画通りに。ふん、とんだダークホースだ」
フリンジワークの淀んだ目が、床を向く。床、絨毯の上には空の酒瓶がいくつかと、くしゃくしゃになった手紙が落ちている。
「けど、それも終わりだ」
「フリンジワーク、嬉しくないのか?」
手紙の内容を知っているメイカブは、思わず尋ねる。フリンジワークのあまりにも憂鬱なしぐさと表情に。
「嬉しい? 父親の死を喜ぶほど薄情だと思ってるのか? はは、冗談だ。俺が国王になる。兄共は文句を言うだろうが、まあ粛清してやるさ。そのことを嬉しいかと言われると、どうもな。無能王子と言われていたところから国王候補になるまでは楽しかったが、今はもう、正直、既定路線だろう? 俺が国王になることは」
また、フリンジワークは酒瓶を空にして、名残惜しそうに瓶の口をくわえる。
フリンジワークはそう言うが、メイカブからするとそんなに簡単なことだとは思えない。
確かにフリンジワークは人気があり、勢いがある。だが、元々の国王候補が、フリンジワークの兄弟達がやすやすと王座を渡すとは思えない。特に、長男であるファブリックは、王を継ぐ理がある。人気もある。
現に、王の死が突然だったために今は混乱しているが、落ち着けば戴冠式で冠を持つのはファブリックになるであろう流れが存在している。
「国王になって、全権力を駆使して、マサヨシを殺し、ノライ派を潰し、トリョラを手に入れて、アインラードを平伏させる。既定路線だ。全て。そこには何もない。『ペテン師』も誰も、それを止められない。俺には分かる。あのマサヨシとかいう男は、そこまでの器量者じゃあないさ。今現在、マサヨシの周囲は俺の手下に囲まれているが、警戒するまでもない。ひたすらに地下室で死人と喋っているらしい。あいつは駄目だ。もう、この流れを変えられるのは今は亡き『料理人』くらいだ」
だが、まるでそれを無視してフリンジワークは語る。
「ヒーチや『瓦礫の王』は、どうだ?」
「あいつらか」
心底、残念そうに顔をしかめながらフリンジワークは酒瓶の口をかみ砕く。
「せめてあと半年早くにアインラードに手をつけていれば、な。残念ながら、間に合わない。多分、『料理人』並みだとは思うが。エリピアの覇権を俺が手にする流れは、変わらない。今現在の基盤が、力が違いすぎる。その後で帝国とロンボウが戦争をするかもしれないし、それはそれで楽しそうではあるけど」
破片を吐き出しながら、
「少なくとも、しばらくは退屈だ」
そのどろりとした目を見ているうちに、メイカブは自分もどうしようもない倦怠感に包まれそうになって、慌てて姿勢を正す。
百人いれば九十九人が楽しみ、興奮するであろうこの状況下で、フリンジワークは退屈し切っている。それは異常だ。
その退屈が、自分にも感染しつつある気がして、メイカブはひそかに怖気を震う。
フリンジワークの私室から退出して、城の兵士も使う鍛錬所で、ひたすら剣を振るう。
今の時間、夜も更けたこの時間には、鍛錬所には他に誰もいない。そこで、ひたすら自己鍛錬に打ち込む。
今では、この時だけが、メイカブにとってフリンジワークのことを唯一忘れられる時間になっている。他は駄目だ。いくら一人でいようと、酒を飲んでいようと、寝る時ですら、フリンジワークの退屈に倦んだ声と目がべったりと自分の内面に張り付いてしまっている。
だから、この時だけは、全てを忘れて、全精力をここで吐き出してしまうように、ただただ剣を振るい、木でできた標的に着せた鉄の鎧や兜を木剣で叩き斬ろうとする。
恐ろしいことに、メイカブの技量ゆえ、しばしばそれは成功してしまうのだ。
だから、今回も、気づけば木剣が鉄の兜を真っ二つに斬り割っていた。
「精が出るねえ。すばらしいなあ」
久しぶりに聞いた声。
誰もいないはずの鍛錬所のはずが、すぐ後ろで突然に声がする。
「フライ」
それだけの鍛錬の最中にも、一切呼吸を乱すことなく、メイカブはその声の主の名を呼ぶ。
『見張り屋』フライ。
メイカブが知る限り、最も古いフリンジワークの私兵。何の変哲もない服装に、特徴のない顔と体格。強いて言えば、手足が多少長いくらいが特徴といえば特徴の男だ。年齢も、二十代後半にも見えることもあれば、四十代の前半にも見える。
自分がフリンジワークの私兵になる時の見定め役だったこともあり、メイカブはフライに対して親近感を勝手に持っている。
ただ、その親近感というのは、例えば殺し合いになっても軽口をたたき合える気がするという、その程度のものに過ぎない。
「どうかしたか?」
「いやあ、何、あんたが心配でなあ」
フライは、手でジョッキを傾けるしぐさをする。
「どうだ、一杯?」
断る理由もない。
メイカブは手早く片付けると、フライに連れられて夜の街を歩く。
フライが案内したのは、仕事帰りの肉体労働者でごった返す大衆酒場だ。喧騒の中をするするとフライは進み、酒場の奥、入口から死角になっている場所にぽつんと空いているテーブルへと腰を下ろす。
こんな混雑しているのに、ここのテーブル席が空いているなんてことがあるのか?
奇妙に思いながらも、それ以上考えることはせずにメイカブはフライの向かいに腰を下ろす。
一応は勇者、と祭り上げられているというのに、席に着くまで、誰からも声をかけられず、目すら向けられていない。
逆に不自然だ。
メイカブは警戒レベルを引き上げるよう自分に言い聞かす。
二人で安酒で乾杯をして、ぱさついた焼いた鶏肉をつまみにしばらくは黙って互いに酒を進める。
「なあ」
しばらくして、ぽつりとフライが口を開く。
「あんたあ、大将を裏切る気はないか?」
「フリンジワークを? 裏切って、どうする?」
「決まってるだろお」
鶏肉を噛み千切り、
「ヒ―チ、それから『瓦礫の王』につくんだよ」
その返答に、酒を呷ってから、メイカブは顔をしかめてみせる。だが実際には、表情ほどには訝しく思っていない。
さて、どうしたものか。
メイカブの脳裏には、蜘蛛の巣にかかった蝶が映る。
問題なのは、どちらが正解なのか分からないことだな。
思う。そして、喜ばしいことは。
思わず、笑う。唐突な笑顔に、フライが戸惑いの表情を見せる。
喜ばしいことは、自分が蝶ではなくてメイカブということだ。