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エピローグ

 白い空間。机と椅子。

 随分と、久しぶりの気がする。この空間にくるのも。

 本当に、この空間に呼ばれたのか。それとも、クスリによる幻覚なのか。それも、自分では不確かだ。

 ただそれでも、少し奇妙な懐かしさを覚えるのは本当だった。


 目に痛いくらいの白、周囲の白を見回しながら、手持無沙汰に椅子を揺らす。


「やあやあやあ」


 懐かしい、甲高い声。

 痩せ細った、白い肌と赤い瞳、銀色の髪の少女。


「お久しぶりだねえー。私の事を覚えているかい?」


「忘れないよ、さすがに。イズル。久しぶりだ」


「うむ、久しぶりだねえー、本当に。はっはっは」


 笑ってから、イズルはレースの手袋に包まれた、細く長い人差し指をびしりとマサヨシに突きつける。


「ところで、いい意味でも悪い意味でも、大活躍しているみたいじゃあないか」


「ああ、悪い意味の方が大きいけどね」


「いやいや、嘘や詐術でここまで大きくなってくれて嬉しいよ、本当に。実際、君をずっと私の信徒として最初から抱えていても、それなりには私は大きな顔ができたと思うよ」


「予想外の活躍だったわけだ」


 その言葉に、イズルは一瞬だけ言いよどんでから、口をへの字にして、


「んんー、いくら私でも気が咎めるねえ。ここまで私の為に貢献してくれた君に嘘をつきっぱなしというのは。怒るかもしれないが、ここで言っておこう。実は」


「いいよ」


 手で、マサヨシはそれを押しとどめる。


「分かっているから、いいんだ」


「むむ」


 イズルは目を白黒させる。


「一体、いつから?」


「いつからだろうな。でも、ヒントはずっと出てたからね、最初から。嘘の神様にしては、迂闊すぎるくらいにさ」


 その言葉に、渋い顔をしてイズルは髪を弄る。


 マサヨシは、イズルからのヒントを思い出している。





「んむ? まずは、異世界に来ることを望むという条件だな。今の私の力では、当人が強く望まない限りは別の世界の人間を召喚するなんて無理だからねえ」


「違うんだなー、全く。私は、悪人が欲しいわけではないんだよ。正しく世界で活躍する人間が信徒として欲しいのだ。言っておくけどね、嘘や人を騙すことがイコール悪いことだと思って欲しくないのだよ。政治の世界だって、正しい行いをするために嘘をついたり隠しごとしたりはあるだろう?」


「そんな人材が別の世界に行きたがるわけがないだろう? 異世界にほいほい来るのは、君みたいなどうしようもない、おっと失礼!」





 そう、最初から彼女は言っていた。その意味では、隠しごとはしていたかもしれないが嘘はついていない。

 最初から、マサヨシよりも優秀な人材を信徒に欲しがっていた。





「お別れをね、しようと思ったのだよ」


「まあ、君が役目を果たしてくれたから、これ以上君に干渉するのもどうかな、と思ったわけさ」


「いや、まあ、そうなんだが。ぶっちゃけ、戦争の準備の時点で君の存在が大きくなって、私の目的は達成されたのだよ。もう、他の神の誰にも舐められない」





 あの時、イズルは嘘をついていて、それを彼女も認めた。

 今考えれば明らかだ。マサヨシが活躍し続ける限り、イズルがマサヨシを手放す意味はない。自分の一番の信徒が、大きくなり続けるのに、どうして解放しなければいけないのか。

 つまり、マサヨシが役目を果たしてくれたから解放するというのは本当だが、その役目というのが嘘だったわけだ。

 そうだ。

 マサヨシは確信している。

 自分の役目は、つまり。


「じゃあ、このタイミングで私が超久しぶりに現れた理由も、分かっているわけかい?」


「ああ。もうすぐ、逢うからでしょ?」


 それを聞いて、イズルは頭に手を当てて、しばらく静かに呼吸だけをする。


「本当に、君を過小評価していたよ」


 静かな声でイズルは言う。


「ただそれでも」


「分かってる。向こうのが上だ。遥かにね」


 マサヨシは足を組む。


「俺はこんな有様なんだ。イズルの判断は正しかったと思うよ」


「ふふ」


 愉しそうに淡く微笑んでから、イズルは、


「また会おう」


「生きてたらね」


 そして、白い世界は眩しさを増し、光の中に全てが融けて消えていく。





 マサヨシはトリョラ城、副区長室の机についている。

 イズルとの久しぶりの対話から引き戻されたマサヨシは、しばらく現実に慣れるために瞬きを繰り返さなければならなかった。


「副区長」


 媚びへつらった笑顔で役人の一人が、部屋に入ってくる。

 昔は、マサヨシを侮蔑していた役人の一人で、今では弱みを握られているために奴隷のように扱われている男だ。


「ああ。会談は終わった?」


「ええ。まあ、特に進展はなかったみたいですけどね」


「だろうね。サネスド帝国は、アインラードと同盟を結んだ。俺達ロンボウとは形式的な挨拶だけだろうよ」


 アインラードの同盟国になったとはいえ、ともかくサネスド帝国の誕生はエリピア各国に衝撃を、そして友好と交流を望んでいるということはそれぞれの国民に熱狂をもたらした。大使が各国を巡るたびに、その国々ではサネスド帝国の新たに出来上がった国旗、白字に黒い十字架の国旗を無数に振りかざして歓迎している。

 大国だけあってロンボウについては、大使は各区を巡ってそれぞれの長に挨拶するという熱の入れようだ。帝国もそれだけロンボウを重視しているということだろう。


「大使は、どうだった?」


「ヒーチですか?」


「まだ若い、少年みたいだって噂だけど」


「獣の部分が見苦しいからって理由でフードで頭を隠しているから、見えている部分だけでは普通の人間の少年にしか見えないってのは本当ですよ。声は張りがあって特に若い。ただ、実際には年齢は副区長と同じくらいらしいです」


 さすがにこの歴史的な出来事に興奮しているのか、その大使、ヒーチという名の男について役人は熱っぽく語る。


「俺と?」


「ええ。ただ、確かに全身から生気が満ち溢れているって感じなんで、若く見えるのも分かりますがね」


「そうか」


「でも、本当に切れ者らしいですよ。あの歳で『瓦礫の王』の片腕、いや半身とも言われているとか。凄いですよね」


「で」


 その勢いに辟易しながら、マサヨシは言う。


「何の用?」


「ああ、そうだった」


 慌てて、役人は懐から紙の束を取り出す。


「実は、その大使が、酒造所を見学したいとのことで、その打ち合わせで昼食の後に副区長とお会いしたいそうです」


「ああ、いいよ」


 鷹揚に頷く。


「ずっとここにいるから。いつでも来てって言っておいて」


「分かりました」


 一礼して役人が出ていく。


 マサヨシはそれを見送ってから、椅子の背もたれに体重を預け、


「サネスド帝国か」


 呟く。


 まさか、偽物の『瓦礫の王』同士が争っているうちに、本物が暗黒大陸を統一するとは思いもしなかった。いや、本当に本物なのかは分からないが。

 そして、ヒーチ。『瓦礫の王』の半身か。


 マサヨシは長い息を吐く。足を組んで、机の引き出しの中を確認する。そこには、筆記用具などに混じって、紙の包みがある。その中には、白い粉が。


 伸びていこうとする右手を左手で軽く押さえて、深呼吸する。引き出しを閉めると、天を仰ぐ。

 昼過ぎ、ヒーチ大使が来るまで、もつだろうか。





 いつの間にか、寝ていた。

 覚えていないが、悪夢を見ていたらしい。全身にびっしょりと汗。気持ちが悪い。

 マサヨシは顔を起こす。

 まだ、昼間だ。


 不意に、周囲の雰囲気が変わっていることに気づく。


 部屋の中はまるで変わっていない。変わったのは部屋の外だ。何の音もしない。何のざわめきも。


「人払いしたのか」


 呟く。

 ヒーチだろう。それも、当然に思える。


 ノックの音もなく、唐突にドアが開く。


 皮づくりのローブに身を包み、フードで顔の半分を隠した男がそこにいる。背丈はあるが、確かにその口元からは、若さが見て取れる。生気と自信に満ち満ちている。


「入っていいかな?」


「確認していい?」


 半分まだ眠っている頭を持て余しながら、マサヨシは言う。


「ん?」


「あんたが、大使?」


「そうとも」


「じゃあ、どうぞ」


 許可を得ると、滑るように大使、ヒーチは部屋を進む。

 応対用の机と椅子を通り過ぎ、その際に椅子を一脚手に持ったままでマサヨシの執務机の前まで進むと、そこに椅子を置き、座る。


 机を挟んで、マサヨシと大使は向き合う形になる。大使もマサヨシと同じように、ゆっくりと足を組む。


 空気が張り詰める。耳に痛い沈黙が部屋に満ちる。


「ヒーチ、か」


 それを破ったのはマサヨシだ。

 呟く。


「名前を変えないんだ」


「まあ、そうだ。お前もそうだろう?」


「まあね……あと、若くなっている」


「こっちに来る時の条件だ。長く楽しみたい。これくらいの特典がないとな」


「俺の時は何もなかった」


「要求しないからだ。嘘の神相手にただ従ってどうする」


「どうして、こっちに来たの?」


「言っただろう、俺は、お前に興味があるんだ。お前が活躍している世界なら、見てみたくもなるさ」


 ヒーチはフードを取る。まだ若い男の顔が露わになる。

 長めの黒い髪と黒い瞳。マサヨシと同じ。そして、顔中の傷。


「傷は治さなかったの? それも、頼めばイズルがしてくれたんじゃない?」


「かもな。だが、まあ、これは個性みたいなものだ。別に気にならんさ」


 そして、灰崎火一は笑う。


「久しぶりじゃあないか、マサヨシ。何て様に成り果てた」


「父さんは、相変わらずだね」


 父子は、互いに和やかさの欠片もない笑顔を見せ、笑い合う。

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