顛末
革張りのソファーに寝転がり、酒瓶を次々と空けては、その酒瓶を壁に投げつける。
フリンジワークはさっきからその行動を何度も何度も繰り返している。
床一面に、尖った瓶の破片が散らばっている。
「やられたな」
呟く彼の顔は酔っているものの、その目は冷たく静かだ。何かを、ずっと考え続けている。
「『ペテン師』のことかい?」
無精ひげを撫でながら、傍らに立つメイカブが言う。
「いや、あれを殺せなかったのは、いいさ、仕方ない。お前としては、口封じにコイントスを殺すはずが、殺せなかったから残念だったろうが」
「いや、楽しみにはしてたけど、マサヨシに返り討ちにされる奴相手には、特に食指は動きやしないさ」
メイカブは苦笑してから、
「じゃあ、アインラードの方の話か」
「ああ」
また一つ、酒瓶を空にしてフリンジワークは息をつく。
「これを招いたのは俺自身だ。俺が、あの戦争で活躍してしまったことがこの結果を生んだ。おそらく、あの戦争で負けた側の大国に近づくつもりだったんだ。ロンボウかアインラード、エリピア大陸の二大国のどちらかが弱るのをじっと待っていた」
「戦争に負けていれば、こちらに来ていたってことか?」
「おそらくな」
「けど、分からんな。奴は本物の『瓦礫の王』なのか? だとしたら、どうして今までずっと、サネスド大陸では内戦が続いていた?」
「多分」
酩酊しているにも関わらず、フリンジワークの言葉が乱れることはなく、目は鋭く宙を睨む。宙の、己の思考を睨む。
「続いていたんじゃあない。続かせていたんだ、奴が。エリピア大陸にはない多数の毒、文明を知らない野人共の集団、そして地獄のような延々と続く内戦。これが、ロンボウやアインラードがあの暗黒大陸に手を出さなかった理由だ。それを、奴がコントロールしていたとしたら、どうだ?」
「サネスド大陸を外敵から守るために内戦状態を維持していたと? そして今回、機会とみて内戦を終わらせた? 可能なのか、そんなことが?」
「俺に訊くな。もし大陸規模で本当にそんなことができるとしたら、それは」
空の酒瓶を壁に投げつけ、ゆっくりとフリンジワークは指を組む。
「それは、本物の『瓦礫の王』の御業としか言いようがない。とにかく、確かなのは事実だけだ。暗黒大陸の無数の国は嘘のように、気づいたときには一つの巨大な帝国、サネスド帝国に変わっていて、その皇帝は『瓦礫の王』を名乗っている。そして、帝国は今、アインラードと国交を結ぼうとしている。それは事実だ」
「戦争に負けて、分裂しかけたアインラードにとっちゃ、大国でありつづけるための千載一遇のチャンスだな」
「だから、高く買う。サネスド帝国をな。一番の売り時に売り込んだわけだ。しばらくの間、アインラードはサネスド帝国、いや『瓦礫の王』を中心に動く。ひょっとしたら、エリピア大陸もそうかもしれない」
だるそうに、背もたれを掴むとフリンジワークは起き上がる。
「シュガーなんぞに構っている暇はなくなった。いや、さっさと内部のノライ派を潰せるならそれにこしたことはないが、そう簡単にもいかないようだ。なら、そこに気をもんでいる場合でもない」
「シュガーも、『青白い者達』も放っておくつもりか?」
「果報は寝て待て、だ。すぐに動きがある。それよりも、今は『瓦礫の王』だ」
「偽物の『瓦礫の王』は?」
「クーンか。下らん、どうせ、もう死んでいるか死んでいるより酷い状況だ」
二人の話は、ノックの音に中断させられる。
「入れ」
「失礼します」
フリンジワークの従者の一人がドアを開けて、床に散らばる瓶の破片に眉をひそめる。
「あとでこの無能王子に片付けさせるよ」
メイカブが肩をすくめると、従者は愛想笑いをしてから、
「謁見を希望する者がいます」
「ああ、いいよ。思ったより早かったな。ここに通せ」
「いえ、しかし……」
「いいから、通せ」
面倒臭そうにフリンジワークは手をひらひらと振る。
一礼してから、従者は消える。
「いいのか、こんな惨状を見せて」
「いいさ。ガラスの瓶の破片くらいなんてことはない。そんなことが問題にならないほどに、向こうは俺が必要で、そして」
姿勢を正し、フリンジワークはソファーに座りなおす。
「俺も向こうの力が必要だ」
「失礼」
入って来た男は、フリンジワークの言葉どおり、部屋中の破片をまるで気にしない。それどころか、瓶の破片を踏み潰し耳障りな音を立てながらフリンジワークまで歩み寄ってくる。
「待っていたよ。『ペテン師』が希望通りに動いてくれなくてな。お前に、動いてもらえればと思っていたんだ」
「僕も彼に愛想が尽きてね。君となら、仕事がやりやすいと思ったんだ」
その美貌のエルフは、フリンジワーク相手に一切ひかず、そう言い放つ。
「歓迎するよ、ザイード。俺の片腕のメイカブだ」
紹介されて、にやにやと笑ったままでメイカブは軽く会釈する。
「お前に、俺のもう片方の腕をやってもらえれば心強いんだが」
「悪いが、僕の興味はただ一つだ」
ザイードは目の前に右手を出すと、それで拳を作る。
「シャンバラの名の下に、『青白い者達』を消し去る」
涎を拭う。
眠っていた。いや、意識が途切れていた。
薄暗い地下室、座り心地の悪い椅子で、いつの間にか長い時間を過ごしていたらしい。
マサヨシは、傍らの紙包みに目をやる。白い粉の残滓がそこにある。
シュガーを摂取すると、時間の感覚がおかしくなる。あそこに粉があったのは何分、いや何時間前なのか。
「以上です。もうじき、シュネブの方の組織もうちの傘下に入ります」
声。
のろのろとそちらに顔を向けると、頬に傷のあるまだ少年といってもいい見た目の男が、紙の資料を手にしている。
いつからそこにいたのか。いや、さっきからずっと、彼の報告を聞いていたのか。
記憶が曖昧だ。
「アルベルト」
だが、男の名は覚えている。だから名を呼ぶ。
「何です?」
「どうしてなのかな、と思って」
マサヨシは顔をしかめる。鈍痛。まだダメージは回復しきってはいない。今でも喋っていると、痛みがぶり返す。だから、シュガーに頼ってしまう。
本当に、痛みのせいか?
自問の声を無視する。
「今更だけどさ、一応片付いて、落ち着いてきたし、訊いてみようと思って。どうして、俺に協力したの」
「ああ」
そのことですか、とアルベルトは呆れた顔をする。
「ツゾにもそう言われましたよ」
「あいつはどうしようもない小悪党だから、タイミングを見て殺していいよ。アルベルトが頭になって。それで、どうして?」
言葉を探すように、アルベルトは一度目を閉じて、すぐに開く。
「仲間は死にました。生き残った奴らは、死ぬよりも酷い目にあった。そして生者も死者も耳を削がれた。俺だけが死んだ振りをして免れた。全て、あなたの責任です、マサヨシ」
「ああ」
特に反論もなく、ただ頷く。
何も、間違っていない。
「だから、復讐しようと思っていた」
「それが、どうして? 協力を申し出たのはあんたの方からだったじゃないか。騙して俺を殺すつもりかとも思ったけど、それにしては自分があの作戦の生き残りだってことを隠さなかった。何のつもりなのか、未だに分からないんだ」
「あっさり殺すには、あなたは罪を犯しすぎた。そう思いませんか?」
「思うよ。だから、殺すよりも悲惨な目にあわせてやろうとか思うんじゃない?」
「ええ、だから、それをしているんです」
沈黙。
マサヨシは黙って、天を仰ぎ、大きく深呼吸をする。どう考えていいのか、どう感じていいのかが分からない。
しばらくしてから、ようやく言葉が見つかる。
「今の俺が、そこまで悲惨な状況とも思えないけど」
「自分が、どうしてシュガーを始めたのか、その理由は分かっていますか?」
淡々と、表情を変えずにアルベルトは問いかける。
「商品として取り扱っているうちに、興味が出た。ただそれだけだよ」
「本心ですか?」
当然だ、と答えようとして、急に喋るのに疲れた気がして、マサヨシは追い払うように手を振る。
「ああ……もう、いい。報告は分かったよ、ありがとう」
「はい。ああ、それと、これは組織とは関係ありませんが」
薄暗い地下室を出て行こうとして、ドアノブに手をかけたまま、振り返らずアルベルトが言う。
「また、医者が駄目になりました」
「またか」
「不眠症だそうです。精神的に不安定。もう、どれだけ金を積まれようとこの地下室には来ないと」
「血や死には慣れているんじゃないのかな、医者なんだから。まったく、頼りにならない」
「もう使える闇医者はいませんよ。だから、今日はもう誰も来ません」
「仕方ないか。実は、そうじゃないかと思って、最近は自分で医学を勉強してるんだ」
マサヨシの懐には、最近は常に持ち歩いている医学書が入っている。
「ご自分でやるつもりですか?」
「しょうがないでしょ。医者の手助けがもらえないなら」
さて、とマサヨシは立ち上がり、アルベルトとは逆側の扉、赤く錆びた鉄の扉へと足を運ぶ。
「じゃあ、そろそろクーンに会いに行くか」
「もう、引き出せる情報もないでしょうに」
「というか、もう喋られる状態じゃないからね。いいさ、これは完全に、俺の趣味だから」
懐の医学書を取り出し、開きながら扉を開ける。重苦しい軋む音と共に、ゆっくりと扉が開いていく。その途端、扉の間、その闇の奥から、鉄と腐った肉、薬品の鼻を刺す臭いが噴き出してくる。
「どうぞ、ごゆっくり。最後に忠告ですが、シュガーの量は控えた方がいいですよ。簡単に死なれても困りますから」
そう言って、アルベルトは消えていく。
マサヨシは黙って、医学書の内容を読みながら、奥の部屋へと入っていく。
底なし沼の目をしながら。
アルベルトの言葉に、感じるものはない。
そう、何も感じない。今の自分には。