怯え
狂ったようにひとしきり笑ってから、ぜえぜえと息も苦しげにマサヨシは話を再開する。
「ええ、と。どこまで話したっけ? そうそう、最初からって話ね。だから、俺は最初から、計画してたって話だ。全部ね。タイロンを使って原料を仕入れる繋がりは作ったし、シュガー精製のための施設も作り上げる目途はついた。けど、実際にシュガーを捌くとなると、中々難しい、そうだろ? ノウハウもない。誰かに販売網を作ってもらって、それを乗っ取る方がよさそうだ。けど、俺の周囲にいる悪人は小物だったり、もう引退してただの老人になったりしてる。結局、あんたくらいしか思いつかなかったからね、ツゾを使ってあんたを巻き込んだってわけだよ」
クーンの表情からは完全に余裕が消え、三白眼でマサヨシを睨み付けている。自分がシュガーに関わったのがマサヨシによる誘導だというのが何よりも許せないのか、これまでにない憤怒の表情を浮かべている。
「それに、ほら、あんたが俺を殺そうとしているみたいに、俺としてもいずれ、身代わりに全部の罪を背負う奴が欲しかったからさ。あんたにお願いしたいのは、そこだよ」
「僕を、殺すつもりか? 僕を殺した後で、シュガーの流通がストップしなければ、僕が全ての黒幕じゃないことはすぐに分かるぞ」
「おいおい、こういうのは、そんな風には動かないでしょ。それくらい俺だってわきまえているよ。首謀者の首がとんだからって、組織が壊滅することはない。あんたがいなくなった後にもシュガーがばら撒かれ続けたって、そこまでおかしいとはだれも思わないさ」
ふっと、糸が切れたようにマサヨシの顔から表情が消え、壁に寄りかかって大きく息を吐く。
「ああ、疲れた」
そうなると、肌の青白さが顔中の傷のせいで、まるで死人のように見える。
「ともかく、ツゾを使ってあんたを動かしたんだ。どうしてツゾを使ったかというと、あいつの場合は本気だからさ。あいつは、本気で、あんたと組んで、俺を潰そうと思っていた。できることならね。嘘じゃないから、あんたも信じる」
「僕を殺して、僕の全てを乗っ取るだと、そんなことができると本当に思っているのか? 組織は絶対に崩壊する」
「だろうね。でも、それを食い止める算段はついているんだ。補強する人材を見つけてあるからね。そろそろ」
言いかけたところで、突然ドアが開く。
「おっと、ナイスタイミング」
マサヨシも予想していなかったのか、目を丸くする。
「ん、ひょっとして、ちょうど私の話をしてたかな?」
髪の短い、面長の男がひょいとドアから顔を出す。上品な顔立ちだが、切れ長の目がどうしようもなく軽薄だ。
「ああ、ちょうどね。ビジネスパートナーを紹介しようとしてたところ。そっちは、どう?」
「このアジトの中にいる連中のうち、半分はもともとこちら側だからねえ。もう半分のうちの7割もこっち側に転んだよ。3割は殺した。完了したよ。今頃、クーンの手の内の場所のほとんどで同じようなことが起こっている。元々の仕込みもあるし、私の部下が働いている。裏切った連中は情報提供に協力的だしね。すぐに、ガダラ商会の裏の部分については掌握できると思うよ」
「よかったよかった。彼が、ビジネスパートナーだ。裏切ったあんたの部下から俺が攫われたと連絡を受けてから、すぐにこのアジトまで駆けつけてくれたんだ。ありがたいことだね。まあ、ということだよ、クーン。心配無用だ。ああ、そう、コロコもあんたを裏切っているからね、念のために言っておくけど。どうも、よく分からないけどコロコは独立したいそうだ。何か、大きな動きがあったそうでね。で、部下として押さえつけてくるあんたを切って、対等なパートナーとして俺を選んだ」
「そいつは、誰だ?」
「え? ああ、彼ね。そうか、その話がまだだった。ビジネスパートナーだよ。向こうから接触があって、俺も人手が欲しかったからさ、すぐに話がまとまったわけ。ジャックは、知り合いじゃない?」
「知り合いでは、ないです、が」
低い声で、ジャックは絞り出す。
「予想なら、つきます。どんな奴かという噂は届いていますからな」
「ああ、誰だと思う?」
「グスタフ。グスタフ盗賊団の、グスタフですな」
「おおっと、優秀だ。なるほど、これは、マサヨシが手放したくないわけだ。片腕だ」
おどけながら、グスタフは体を部屋に滑り込ませる。
「元々は、ノライ最大の盗賊団だ。ノライはなくなり、フリンジワークと繋がりを持ったりして多少形は変わったけど、結局のところ無法者の集団だよ。殺して奪う連中だ」
「マサヨシ、そんなずばっと本質を突かれたら返す言葉がなくなるぞ」
グスタフは親しげにそう声をかけてから、クーンを見下ろして、
「初めまして、クーン。いいパートナーになれるかと思って前からお前のことは調べていたんだ。けど、どうも今回のことに関しては完全にマサヨシに上をいかれたね。残念だけど、ここでさよならだ」
毛皮を汗で濡らしたジャックの目は、喋るグスタフに向いている。
冷酷無比の、盗賊団の団長。老若男女区別なく殺し、奪う集団の長。いつか倒したい。そう思っていた連中のトップが、今、自分の目の前にいる。しかも、こちら側として。
悪夢にしか、思えない。
「アルベルト、当然だけど、あいつも俺の仲間だよ。今、何が起こってるか知りたい?」
だるそうに壁にもたれて首を振りながらも、熱病にかかったかのようにマサヨシはしゃべり続ける。
「アルベルトは、スカイに接触している。あんたが『青白い者達』の親玉で、シュガーを流通させてて、おまけに前の戦争でレッドソフィーの信徒をはめたのもあんただって言ってもらってるんだ。多くは嘘だけど、シュガーについては本当だし、そこに関してはザクザク証拠が出てくるわけだからね。というか俺が出すし。だから、スカイ、というより教会もある程度は信じてくれるんじゃないかな」
「それも、最初から計画か」
唸る。
クーンは、怒りに顔を赤く膨らませながら、唸り、怒鳴る。
「何故だ? 最初から、そこまで計画していたのに、どうして、ここまで待った? フリンジワークに命を狙われ、僕に拉致されることになるまで、どうして待ち続けた? どうして、自分の命を危険にさらしてまで」
「どうして、か」
表情はないままに、マサヨシの黒い瞳の、その黒が濁っていく。ただの沼が底なし沼になるかのように。
呟いているのは、自分に問いかけているかのようだ。
どうして自分はここまで待ったのか、と。
「理由の一つは、あんたのシュガー販売網、というよりそれに関連する組織全般が拡大したり構造がしっかりしたりするのを待ちたかったんだ。同時に、その組織の中に俺の勢力が侵食していくのも待ちたかった。理想は、あんたの巨大な裏の組織が完成すると同時に、いつの間にかそれが俺のものになっている、くらいが理想だったけど、まあそれは夢を見過ぎか」
しばらくの沈黙。
よろよろと、マサヨシはジャックに顔を向ける。光の無い目でジャックを見つめる。
「もう一つは、ジャックだ」
「え?」
唐突に出てきた自分の名前に、ジャックは間抜けな声を出してしまう。
「ジャック、そしてジャックを慕う部下。俺には必要だ。これまでも、これからも。けど、同時に信頼していた。ジャックは、清濁併せ呑む度量もあるけど、同時に最後の一線で、悪には踏み込まないと、信頼していたんだ。だから」
真っ黒い瞳に、自分の強張った顔が映っているのを呆然とジャックは見ている。
「だから、俺はどうしていいのか分からなかった。このまま計画を進めて、ジャックに隠し通せるとも思えなかった。殺すしかないのかと、悩んだよ」
顔をクーンに戻し、あろうことかマサヨシは頭を下げる。
「ありがとう。あんたが、ジャックの気高さを折ってくれた。もう、ジャックが俺の悪事に反対する理由はなくなった。一緒に汚れてくれる。あんたのおかげだ。あんたが、ジャックに俺の信頼を裏切らせた。本当に、ありがとう」
そして、マサヨシはゆっくりと顔を上げるが、その目は前を向かず、転がっているクライブの死体を見下ろし、
「ただ、待ったことで犠牲も出た」
呟く。感情をこめず、淡々と。
「ジャックをどうするか決心がつかず、事態がこうなってしまうまで待っていたのは俺の弱さだ。俺の弱さが、人を何人か苦しめ、殺した。今更、それに後悔する資格は無いにしても」
壁から背中を離し、マサヨシはゆっくりとクーンに歩み寄る。クライブを見下ろしたまま。
「さて、話も終わりだ。これ以上話すこともないし、少し疲れた」
死人そのものの顔で、マサヨシは言う。
「お開きにしよう」
クーンは、信じられない。
自分が、嵌められた。常に相手を支配し、動かし、自分の都合のいいように状況を変えてきた、この自分が。
許せない。
恐怖よりも焦燥よりも、何よりも屈辱と憤怒が胸を焦がし、睨み殺すような眼光でマサヨシを貫く。
許せない。こんな、死人のような男が、自分の上を行くなんて。
恐怖はない。そもそも、クーンは恐怖という感情をはっきりと感じたことはない。
何故なら他よりも優れているからだ。だから、警戒はしても、恐怖はしない。絶対に、自分が上だから、対処できるからだ。
今も同じだ。
クーンは憎しみで支配されながらも、冷静な頭で必死に対処の方法を考えている。
自分は優れている。この場にいる誰よりも。
対処できる。ここから、逆転できるんだ。
マサヨシはただ簡単にこの場で自分を殺したりはしないはずだ。情報を引き出そうとする。スカイを使って自分を全ての黒幕に仕立て上げるというのが本当なら、自分の手で殺さずに国に引き渡すつもりかもしれない。それならば、チャンスだ。
そうとも、逆転できる。僕は誰よりも優れている。
クーンは確信する。
恐怖しない。する必要がない。この状況には、対応できる。
「それで、こいつはここで殺すの?」
軽い調子でグスタフが訊く。
「いや、まだ殺してもらったら困る」
そのマサヨシの返事を聞き、クーンは内心でほくそ笑む。
やはりだ。やはり、そうなのだ。
まだ、生き延びて、こいつらを地獄に叩き落とす機会はある。
チャンスは、いくらでも残っているのだ。
「それより、グスタフ、近場で、腕が良くて口の堅い闇医者知らない? なるべく早く来てもらえないかな?」
「ああ、何人か知り合いがいる。呼んで来よう。大分やられたものな、さっさと手当した方がいい」
そのグスタフの答えに、マサヨシは暗い目をしたまま首を傾げ、しばらくしてから、
「ああ」
と納得した声を出す。
「違う違う。俺の怪我はどうでもいいよ。死にはしないでしょ」
マサヨシの目は、ずっとクライブを見下ろしている。感情のこもらない目で、景色でも見るように。
「え?」
「クーンだよ。外傷はないみたいだけど、たとえば持病とかあったり心臓が弱かったら対処が必要だし。舌を噛まないようにする器具とかもあるんだっけ? とにかく、細心の注意を払わないとね」
その意味をクーンが理解する前に、震えが伝わる。
クーンを押さえつけている男達、ついさっき人を簡単に殺した男達が、震えている。
悪逆非道の集団の頭であるグスタフの顔すらも強張り、ジャックは全身ごと表情を凍りつかせている。
マサヨシの、死人じみた男の目に、怯えている。
「死なれるわけにはいかないからさ。それに、ほら、効果的な方法ってのも俺は詳しくないし。色々と相談しないと」
一歩一歩、近づいてくるマサヨシの目が、ようやくクライブから離れてクーンを向く。
その底なし沼のような瞳。青白い肌。クスリのせいだけじゃない。それが、表現のしようもないほどの怒りと憎しみによるものでもあるのだと、今更にクーンは気付く。
「クーン。色々と迷惑をかけるわけだし、ジャックのことの礼もあるから、あんたの願いをきいてやるよ」
また、震えが伝わってくる。
だが、それは自分を押さえている男達からじゃあない。
クーンは、自分の体の芯から、無意識に凄まじい震えが伝わってきているのを感じる。喉が渇く。動悸が激しい。
何だ、これは。
また一歩、マサヨシが近づいてくる。
その黒く濁った瞳に、飲み込まれそうな錯覚にクーンは襲われる。
「聞きたかったんだろ、クーン?」
怯えているのか、俺は。
混乱する思考の片隅で、ようやくそれだけクーンは理解する。
マサヨシは身をかがめ、クーンと額と額をぶつけるほどに顔を近づける。底なし沼の目が、クーンを飲み込む。
「死ぬより酷い目に遭わせてやる。生まれてきたことを後悔させてやるよ、クーン」
その囁きを聞いて、自分にはチャンスなど残っていないのだと、クーンは悟ってしまう。