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ハイジ1

 謁見の間、という単語からマサヨシが想像していたよりも遥かに質素な部屋に通される。

 古く色あせた、元は鮮やかな赤色だったと思われる絨毯と、一段高いところに置かれている飾り気のない椅子。それだけだ。

 その椅子に、少女が座っている。


 目に眩しい白銀の鎧。それと不釣り合いな細い手足、華奢な首筋。金髪碧眼はどうやらこのノライの人々の特徴らしいが、彼女のそれはその中でも特徴的だ。

 瞳の緑はまるでエメラルドで、髪は黄金を溶かしたよう、そして肌の白さは、陶器のようで、マサヨシには少女がまるで人形にしか見えない。


「楽にしてください」


 人形めいた少女が、にっこりと笑う。


「紹介状、拝見しました。ミサリナさんのお知り合いなんですね。とにかく、正式なトリョラの住民になっていただけるのであれば歓迎いたします」


「ああ、じゃあ、籍がもらえるんですか?」


「もちろん、すぐに発行いたします。少しずつでも、トリョラに住まれている皆様が正式にノライに帰属していただけることこそ、城を預かっている我々の使命ですから」


 胸を張って言う少女の顔は晴れやかだ。

 おそらく、心底そう思っているのだろう。だからこそ恐ろしい。

 ほんの少し、マサヨシはその少女から心理的な距離を置くことを決める。

 地獄への道は善意で塗装。この言葉がうんざりするほどの真実であることを、前の世界で何度も経験している。純粋な善意は、純粋な悪意と同様に性質が悪い。予測とコントロールが不可能という点で。


「むしろ、皆さんがあなたのようにちゃんとした住民となることを望んでくれれば、トリョラも生まれ変わって……ああ、紹介がまだでした!」


 突然、少女が椅子の上で飛び上がってから立ち上がる。


「いえ、ミサリナからお名前は聞いてますよ」


「それでも、自己紹介しなければ。失礼いたしました」


 立ってから、少女は改めて背筋を伸ばし、生真面目な顔をして胸を張る。


「私はハイジです。この城の主をしています、ハイジ=ゴールドムーン。よろしくお願いいたします」


「どうも、俺は、マサヨシ=ハイザキです。ただ」


「記憶を失っているんですね、書いてありました。お気の毒に」


 記憶喪失という出来事も、何も疑うことなく信じているらしく、ハイジは眉を寄せて我がことのようにつらそうな顔をする。


「何か、できることがあれば何でも仰ってください。私は騎士です。騎士は、善良なる領民を守るために命を懸けることこそが誉れですから」


「ああ、じゃあ、ちょっと相談があるんですけど」


 こんなにとんとん拍子に話が進んでいいのか。

 マサヨシには、前の世界からの経験上、スムーズにことが進む時こそ警戒する癖がある。

 少し警戒しながら、言葉を続ける。


「仕事です。何か、仕事はないかと思いまして」


 あとは、ハイジが喜びそうな言葉を更に続けて、親身になるようにしていけばいい。


 交渉の基本、その7。

 実利が関係しない箇所では、できるだけ相手が欲しい言葉をあげることを心がける。


「籍も手に入れたことですし、真っ当な仕事について、税を収めて、ちゃんとした国民になりたいんです」


「素晴らしい!」


 言いながら自分でも流石に嘘臭いかとマサヨシが心配したようなセリフだったが、ハイジは感動のあまりに目を潤ませてさえいる。


「いやあ、あなたのような人を守るために、我々騎士はいるのです。お仕事ですね、もちろん、任せてください。このハイジ、ゴールドムーンの名にかけて、素晴らしいお仕事を探させてもらいます」


 ぐっと拳を握りめるハイジの真っ白い肌が興奮からかほのかに赤く上気している。


「ところで、紹介状にありましたが、それなりの資金をお持ちだとか」


「ええ、まあ。ミサリナと一緒に仕事をして、その報酬があります。当面の生活資金を覗いても、余裕が3000ゴールド程度あります」


 彼女は親身になってくれている。ここで情報を隠す必要はないだろう。

 マサヨシはそう判断して正直に話す。


「それならば、いいお話があります。仕事ですが、雇われるのではなく自営業をするつもりはありませんか?」


「え」


 あまりにも予想外の話にマサヨシは固まる。





 磨き上げられた大理石の床を、『料理人』は滑らないように細心の注意を払いながら進む。

 齢八十を超えて、転倒のリスクは飛躍的に増加している。打ち所が悪ければ、少し転んだだけでそのまま寝たきりになることも考えられる。


 比較的警備は薄い。王族がその奥に住んでいるにしては。


 木製のドアの前、ローブをめくって兵士に顔を見せる。


「ハンク・ハイゼンベルグだ」


「これは、ハンク様。お待ちしておりました。どうぞ」


 兵士は敬礼をして横にどいて、ドアを開く。


「おーう『料理人』、わざわざ悪いな」


 ドアの向こう、大理石の敷き詰められた広い部屋の奥、飾りの彫られた木製の椅子に、ほとんど寝るように体をずらして男が座っている。

 男の見た目は三十代前半、赤い巻き毛と焼けた肌、がっしりとした体格を持っている素晴らしい青年ではあるが、無精ひげが伸び、両目は虚ろ、そして片手には蜂蜜酒の入った瓶を持っている。明らかに酩酊している。


 そして男の両側から、若い女が二人、露出の多い踊り子の衣装を着てしだれかかっている。踊り子はどちらも赤みがかった健康的な肌とすばらしいプロポーションを誇っている。


「こんな昼間から、飲んでおられるのですかな」


「いいじゃあないか。どうせ第三王子にはやることなんてない。暇なんだよ。あんたも飲む?」


「結構」


「はっはっはあ。で、何か面白い話でもあるのか?」


「呼んだのはそちらだと思いますが」


「あー、けど、呼んだからってわざわざノライから来るほど、あんた暇じゃないじゃん。現に、今まで俺の酒盛りの誘い断ってきたくせに。何か話したいことあるんだろ」


「ふむ」


 そうして、ハンクは両側の踊り子に視線をはしらせる。


「あー、分かった。おい、お前ら、ちょっと部屋に戻っとけ」


 男が言うと、踊り子二人は名残惜しそうに男の頬を撫でながらも、それでも素直に部屋から出て行く。


 二人の姿が消え、ドアが再び閉じられると男は一口、酒を呷り、


「これでいいか?」


「そちらの御仁は?」


 今度は、ずっと部屋の隅に立っている男にハンクは目をやる。


 赤茶けた髪を後ろに流している、筋骨隆々とした男だ。髪の色からおそらくはロンボウの人間だとは分かるが、王子の傍にいるには相応しい人間とは思えない。

 騎士らしくない、無骨な鉄と革を組み合わせて作られた鎧を着込み、腰には長剣を三本、胸にかけている革ひもに短剣を十本、そして背中に弓と矢を背負っている。


「これは、俺の私兵だよ。名前は、ええと、名前、何だっけ、お前?」


「メイカブ」


「そう。メイカブ。貴族の出じゃないから今のところ姓はないけど、まあ、信用できる。俺の懐刀だと思ってくれ。フライが右腕ならこいつは左腕だ。俺の腕になったのはつい最近だけどよ」


「そうか。腕は、確かということですな」


「もちろん。単独でドラゴンを倒したよ。フライがちゃんと見定めた」


「それは凄い」


 本心でハンクは感心する。

 ドラゴンは一体辺りの戦闘力で言うならば、世界最強の種族だ。もちろんドラゴンと言ってもピンからキリまでいるし、竜殺しをして自らの力を証明した英雄も数多い。とはいえ、種族としての平均値を取れば、やはりドラゴンは最強と言える。

 その巨体、飛行能力、鉄のような鱗の全身は守られ、城壁や魔術の障壁も易々と引き裂く膂力を持つ。


 竜殺しは、戦士としての力を立証する一番の手段なのだ。


「で、話は? こっちからしてもいいけど、こっちの話はどうでもいいものばかりだ。ゴシップだよ、ゴシップ」


 男は更に蜂蜜酒を呷る。

 男の名はフリンジワーク。

 ロンボウ国王、その第三子にあたる。長男と次男の間では、どちらを時期国王に担ぐかで派閥争いが水面下で起きつつあるが、彼に関しては無視されている。

 彼が国王になることはない。第一王子、第二王子が国王に不適格と看做されようとも、第三王子が国王になることはない。

 それが、ロンボウの全貴族、いや全国民の総意でもあった。


 自分専用の宮殿にこもり、常に酒を飲み女をはべらかす。

 陰口だった呼び名は、最早公然の二つ名になりつつある。『無能王子』だ。


「あー、ハンク。で、何の用だ? あんたは忙しいはずだ。老い先短いから、時間は大切だろ。ノライの将来を考えるなら、特に時間は大切だ」


「やはり、知っていましたか。戦争のことを」


「うちの占星術師が、ノライを中心に大きな出来事が起こるって予言した。親父や兄貴はノライとアインラードでついに戦争が始まるんじゃないかって噂してるが、俺の見たところ、違うね」


 フリンジワークは瓶を揺らす。ちゃぷちゃぷと中の蜂蜜酒が音を立てる。


「悪いが、ロンボウにとって、ノライとアインラードの戦争は大事件にはなりえない。普通にそれが起こるなら、だ。戦争になればノライはどう考えてもアインラードと国力的に勝負にならない。馬鹿ならともかく、あんたが手綱を握っているなら、無駄な戦争を長々続けたりしない。落としどころを見つけるさ」


「過大評価かもしれません。私を高く評価しすぎているのでは?」


「へっ、かもな。けど、だとしたらあんたの過大評価は俺だけじゃあない。誰もが、『料理人』ハンク・ハイゼンベルグの影を恐れてる。幻想を恐れてる。そりゃあ、ああ、あんたが作り上げたもんだろ。そりゃあ、あんなしょぼい国じゃ、幻想を武器にするしかない」


 体をゆらゆらと揺らしながら、フリンジワークはゆっくりと指をハンクに伸ばす。


「結局、あんたでもってるんだ、あの国は。俺の予想じゃ、ハンク・ハイゼンベルグが770年に生まれていなきゃ、今頃ノライはうちの属国になってるかアインラードに滅ぼされているかだ。ああ、本当に酒はいいの?」


「ええ、結構です」


「じじい、あんたが俺の相手をしてくれる理由は分かってる。馬鹿な息子ほど可愛いからな。親父は、俺の言うことなら一応耳を貸してくれる。ははあ、俺を通してロンボウを動かす気だ」


「かも、知れませんな」


「じゃあ、このタイミングで、ロンボウにどうして欲しい? ん? 戦争関係だろ。いや、実を言うとな、ハンク、俺は、最初に占星術師の予言を聞いて、てっきりあんたが死ぬんじゃないかと思ってたんだ。そうすりゃ、大事件だ。アインラードが動く。他の国も動く。うちも巻き込まれる。だろ?」


 毎回、会うたびにハンクはこの王子に驚かされる。

 常に酩酊していて何も生産的なことはしてない。だからこそ、自分も含めて国の動きを俯瞰で見ることができる。常に客観的で、そして妥当な予測を行う。


「私は長くない。それは確かでしょうな。エルフでもなければドワーフでもない。ただの人間だ。もう肌は紙のようになっていて、毎日トロールの脂肪から作ったクリームを塗りつけているのにすぐに乾燥する。けれど、そちらの占星術師の予言は私の死ではないですよ。私の死ではなく、私の提案こそが大きな変化です」


「聞こうじゃないか」


 そうして、ハンクはその提案を語る。


 しばらく黙ってそれを聞いていたフリンジワークは、話が終わると笑い出す。


「はあっはっは、それを親父に伝えたら、俺が酔っ払ってると勘違いされるな。いや、勘違いじゃあないか。にしても、馬鹿げた話だ。おい、メイカブ。どう思う?」


「判断は俺の仕事じゃあない」


 それだけ言って、メイカブは口をつぐむ。


「固い奴だ、全く」


 フリンジワークは舌打ちをして、


「まあ、いいけどよ、じいさん。それは、俺の一存じゃあ、さすがにどうにもならんぜ」


「分かっています。こちらから話が出た時に、そちらで下地ができていれば結構ですので」


「ふうん」


 酒に濁っていたフリンジワークの目に、少しだけ理性の光が宿る。

 寝るように座っていた体を起こして身を乗り出し、


「訊いていいか? 何故だ?」


「あなたの言うように、私の先は長くない。いなくなった後のノライを考えて、最善の手を打つだけです」


「舐めた話だ。あんたがいなくなっても、あんた以上の器の人間がノライの舞台に登場するかもしれない。あるいは、とんでもないことが起きて全部ご破算になるかもしれんぜ。『青白い者達』が関わったりな」


「それならそれでいい。ただ、私はやるべきことをやろうとしているだけです」


 無言で、『無能王子』と『料理人』は睨み合う。


「じいさん、ところであんた、どうして俺があんたの依頼を受けるって前提なんだ? 断るかもしれないだろ」


「断りますかな?」


「いいや、しない。そっちの方が楽しそうだ。受けてやるさ。親父に話をしてみるよ」


 笑って、再びフリンジワークは姿勢を崩す。


「平穏な国の第三王子なんてやることがない。人は仕事をするか酒を飲むか女と遊ぶかだ。そろそろ、俺に仕事ができたっていい。作るとするよ、俺の仕事をな」


「そうしてください。すぐに、この国も、ノライも、アインラードも揺れます」


「楽しみだ、なあ、メイカブ」


「ああ」


 私兵はにやりと笑って、初めてハンクの前で感情を露にする。

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