強者の死
みんなにつぎのてんかいがわかるわかるいわれてくやしい
心底、驚いていた。
マサヨシの脳裏には、まさか、という言葉しかない。
まさか、ジャックが裏切るとは。
「そうそう、そういう顔だ」
嬉しげに、クーンが手を叩く。
いたたまれないように、顔をこわばらせ俯いているジャックとは対照的だ。
「そうでなくては。そういう顔をしてもらわなくては、困るんだ。諦めなんてつまらないよ。そういう、強い感情を表してくれないと」
「ジャック」
自分のものとは思えないようながらがらとした声で、マサヨシは問う。
「どうして、だ?」
「分かっているでしょう、マサヨシさん」
ようやく、ジャックの目がマサヨシを向く。
その目が、まっすぐに自分を射抜くのを見て、マサヨシは悟る。
ジャックは、覚悟を決めている。もう、後悔をしていない。
「あんたは、沈みかけた船だ。俺は、トリョラのことを考えている。トリョラに住む連中を助けることを。あんたがこれ以上、舵を取るわけにはいかないんですよ。そもそも、今まで首が繋がったことが奇跡なんですからな」
「否定はしない。けど」
マサヨシは、満足げに笑っているクーンを一度見てから、また目をジャックに戻す。
「いいの、それで? そこの男が、どんな男なのか知っているんでしょ? クライブさんも、ベッキーも惨たらしく殺された。何よりも嫌ってる、シュガーをばらまいているのがこの男だよ」
「だから、金も力もあるし、知恵も働く。言ったでしょう、マサヨシさん。俺はトップになれない。その全てがないからです。クーンにはある。だから」
歯を食いしばっているジャックの目は、揺れずにまっすぐとマサヨシを見据え続けている。
「俺は、こっちにつきますよ」
「そう、か」
ゆっくりと上半身を起こし、ふらつきながらもマサヨシは壁にもたれるようにして地べたに座る。
「意外な、結論だな」
疲れた、呟き。それはマサヨシの本心だ。
「潔癖だな、本当に、ジャック君」
横から、クーンが口を出すと、ジャックが差すような目でそちらを睨む。
だがそれを意にも介さず、
「せめて悪役を引き受けるつもりか? はは、泣かせるじゃあないか。正直に言えばいい。大切な姉が人質にとられている、とね」
「貴様」
牙をむくジャックの表情は、今にも襲い掛かりそうな獣のそれだ。
「フィオナ、か」
呟いてから、マサヨシは血の混じった咳をする。
「彼に裏切って欲しくなかったら、彼女を人質にとっておくべきだったね。存在は知っていたんだろう? 君のミスだ。ましてや、コロコを、僕の片腕を彼女に近づかせるとはね。酷い悪手だ。ああ、ジャック君、まだ彼女は無事だから安心したまえ。抵抗したから、ええと、薬指が一本折れてはいるが」
その言葉に、一瞬で膨れ上がる激情に耐えるようにジャックは首をぐるりと回しながら、しかし息を落ち着ける。
「いや……それだけじゃあない。マサヨシさん、悪いけど、さっき言ったことも本心ですよ。結局のところ、強い支配者がトリョラには必要で、クーンはその役を担うと約束した。マサヨシさん、悪いけど、あんたもよくやっていたけど、そのあんたに比べても桁外れに金を持っていて、権力を持っていて、冷徹で、悪知恵が働く。確かにクーンは大勢を不幸にするかもしれないけれど、その何倍もトリョラを発展させて、強くしてくれる」
静かな目と声になったジャックは、マサヨシに語りかける。
「だから、さよならです」
「そう、か」
虚脱して、マサヨシはそうとしか返せない。
まさか、こんなことになるとは。人質を取られているとはいえ、ジャックがこんな決断をするとは。
予想外だった。
「さて、話が終わったところで、僕が続きを話してもいいかな」
クーンは囲んでいる男達と共にマサヨシに一歩近づく。邪魔そうに、足でクライブの死体をどかす。
「さあ、これで味方はいなくなったわけだ。そして、この場所の説明をしておこう。ここはガダラ商会が秘密裏に所有しているアジトの一つでね、国境近くにあって、人里離れているから大声で泣いても喚いても誰もやってこない」
愉しそうに笑う。
「それと、ここには僕の部下、盗賊団や傭兵崩れの荒っぽい部下が大勢詰めている。今僕の周りにいる五人だけじゃあないよ。ロンボウの騎士団が攻めてきても、半日は籠城戦でもたせるレベルの武力は持っている」
クーンは身をかがめ、壁にもたれているマサヨシの顔に顔をぐっと近づける。
「この状況下を引っくり返すといったら、ずば抜けた個の武力くらいかな? 君の契約している、最大の切り札。伝説の殺し屋、タイロン。今、この場にいるのかい? 近くに潜伏している? 違うな」
マサヨシは息をのむ。
ここで、タイロンの名を出してくる。意味がないわけがない。
まさか。
「まさか、タイロンを」
「僕は優秀な人材は好きだ。けれど、あまりに突出したものは危険だよ。あまりにも逸脱した能力の部下を一人持つくらいなら、低能な部下を二十人持つ方がいい。何故なら低能だから一人一人の力は大したことがないから、おいそれと裏切れない。それに万が一、裏切ったところで大した脅威にならないからね。だが、異常なまでの能力者はそれ自体がリスクだ。味方にしておければいいが、いざ裏切られたら強大な敵になるし、向こうも裏切り易い。そう思わないかい?」
「あの、タイロンに、何をした? 何を、できたんだ?」
こぼれるほどに目を見開いたマサヨシの問いに、クーンは答えずに語り続ける。
「ましてや彼は殺し屋だ。彼の凄まじいまでの腕を見てきて、何も思わなかったのかい? もし、契約が切れた後、誰かが彼を雇って自分の命を狙わせたら、と。それを防ぐためには、彼と契約し続けるしかない。いくら値を上げられようがね。つまり、立場が彼の下になるということさ。風下に立つのは、負け犬だ。負け犬には誰もついてこない。彼は消えるべきなんだよ」
「どうやって、あの化け物に」
「化け物には、化け物さ」
クーンはようやく答える。
「僕の友人の一人に、怪物がいてね。是非、『見世物』を殺したいという怪物が。だから、時と場所をセッティングしてあげたんだよ。なあに、彼は優秀なハンターだからね、うまくタイロンの近くまで連れて行ってやれば、後は簡単なものだよ」
そこで身を起こし、遠くを見る目をする。
「そろそろ、決着もつく頃かな」
全身に重ねられているダメージ。切れる息。剣による深い傷が数箇所。浅い傷にいたっては無数。
それでも、ようやくチャンスをつかんだ。
その機を逃すタイロンではない。
相手の横薙ぎの剣を捌き、泳いだ相手の体には明らかな隙がある。
首筋に、全身全霊の貫手を叩きこむ。
ただの貫手ではない。獣人特有の、鋭い爪をもってしての貫手。
容易く皮膚と筋肉を貫通し、頸動脈を切断する。
タイロンの、起死回生の一撃は、完全に命中した。
「ぐ」
だが、同時に、相手の全力の正拳が、タイロンの胸に突き刺さる。
強靭な筋肉と太い肋骨を抜けて、衝撃が心臓を叩く。息が止まる。
そして、タイロンは吹き飛ぶ。心臓を打たれて、全身がまともに動かないまま、地面を滑っていく。
木の幹にぶつかり、タイロンはそこで蹲る。
今、タイロン達が戦っているのは国境沿いの森の奥深く。
鬱蒼としげる木々に太陽の光が遮られ、まだ日が沈んでいないというのに薄暗い。
その薄暗い、冷たく湿った地面で、タイロンは呻く。
老いた。
震える全身を何とかもがかせ、顔を起こそうとしながら、タイロンは思う。
とっくの昔に、引退するべきだったのかもしれない。だが、引退して何をするべきか、思いつかなかった。
殺し屋としての契約金。その額だけが自分の価値だった。だから額が上がるように努力して、工夫して、必死で続けてきた。
やめて、何をすればいい? やめた自分に、どんな価値がある?
必死に起こした頭。
タイロンの目に映るのは、首筋を貫かれたはずの男の立っている姿だ。
血が噴き出し続けるはずの首からは、既に血が止まっている。そこを押さえている手の指の隙間から、緑色の淡い光があふれている。
回復魔法。
「老いたな」
タイロンの内心の言葉を、そのまま彼は口にする。
若い男だ。タイロンを片腕で殴り飛ばした膂力など、あるようには思えない細身の体。
歪んだ左目が、起き上がろうとするタイロンを映している。長い耳。タイロンがかつて戦ったあの時と変わらない。服装が上等なものに変わり、髪が多少伸びているだけだ。
その胸には階級章と無数の勲章。
「ほんの僅か昔なのに、明らかにあの時よりも弱い。あの時、既に下り坂だったのか。老いとは恐ろしい。全盛期のお前なら、俺を殺すなんて造作もないことだったろうに」
それはどうだろうか、とタイロンは思う。
この相手は、『人食い将軍』ハヤブサは、明らかに強い。全盛期の自分でも、勝つか負けるかは時の運のような気がした。
そんな相手と戦って負けるのならば、悔いはない。
ハヤブサはゆっくりと剣を構える。
「お前を殺して、俺は優秀な道具に戻る。頭は大分壊れてしまったが、それでも、歯車にはなれる。お前を殺して、国の為の歯車に戻るんだ」
歪んだ左目をしたハヤブサはそう言うが、ただ一介の殺し屋を殺すためだけに、大国の将軍がわざわざ剣を握って単独でこんな場所にまで来ている時点で、歯車としては壊れている。
「ははっ」
その滑稽さに、よろよろと立ち上がり、拳を構えながらタイロンは笑う。
おそらく、そのこだわりがどこから来ているのか、ハヤブサ自身にも論理的に説明できないのだろうと思う。
あの時の敗北のトラウマと脳へのダメージ。それが永遠にハヤブサを壊してしまった。優秀な兵士あるいは官僚候補が、化け物に成り果てた。
「やれよ、若造」
次の瞬間、それまでよろめていたとは思えない速度でタイロンはハヤブサに近づき、その首を手刀で薙ごうとする。
だが、それよりも先に、技術ではなく、未だに調整機能が壊れている脳による単純な膂力によって、恐るべき速度で振られた剣が、タイロンを袈裟に二つにした。
「あの時、俺を壊した男は、もういなかったのか。枯れて果てた残骸だけだ」
二つに分かれて崩れ落ちるタイロンを無表情に眺めるハヤブサは、感情の無い声で呟く。歪んだ左目だけが、わずかにぎゅるりと動く。
その時、
「全盛期のわしと戦いたかったら」
信じがたいことに、上半身だけになったタイロンが、血を吐き、自らの白い毛を赤く染めながら喋り出す。
「オオガミの息子を捜せ。わしの孫弟子じゃ。息子の『瓦礫の王』を」
にやりと、最後に笑ってから、タイロンは最後に大きく血を吐いて、動かなくなる。
しばらくの間、黙ってそのタイロンを見下ろして、ハヤブサは微動だにしない。
何故だか、眉を寄せて目尻を下げ、心細そうな顔をして、ハヤブサは二つに分かれたタイロンの死体を見下ろし続ける。
信じられない。
マサヨシは目を限界まで見開き、ショックで呼吸は浅く激しくなりながら、内心にその言葉だけを壊れたオーディオのように繰り返す。
信じられない。こんなことが。タイロンが、死ぬ?
だが、クーンは、目の前の男は、ここで意味のないはったりは言わないだろう。奴が殺したというのなら、そうだ。本当に、何らかの手段であの怪物を殺したのだ。
「そろそろ、こちらも終わりにしよう」
クーンがそう言って顔を向けると、ジャックはびくりと震える。さっきまでの覚悟の言葉とは裏腹に、動揺が隠しきれていない。
「俺に、何を?」
「僕の片腕として、君にはトリョラの支配を手伝ってもらいたい。だから、片腕とするに値する人物だと僕に証明してくれ」
いつの間にか、マサヨシと同じように、ジャックの目は見開かれ、呼吸は激しくなっている。
「さあ、君の手でマサヨシを殺すんだ」
次回
①なろうでは珍しくないけどカタザトとしては結構珍しいことがおこります。
②カタザトとしてはやりそうだけど、なろうでは結構珍しいことがおこります。
暇だったら予想してみてください。