瓦礫の王2
「まあ、正確に言うと君への詫びが3に対して僕への恨み言が7だがね」
「どうして、クライブさんが自殺したんだ?」
顔を踏まれ、強制的にクライブの死に顔を見せ続けられているマサヨシの声は、それでも静かなものだ。
「そりゃあ、恩人でもある君を裏切った挙句、それが無駄になったからさ。ああ、この言い方じゃあ分からないか。そもそも、どうして彼が君を裏切ったと思う? 何故、彼が僕に君の動向を教えてくれたのか」
「さあ?」
「分からないのか」
心底がっかりした声。
「あれだけ指導してやったのに、君は結局アマチュアだったな。そんなだから人を動かせないんだ。いいかい、人を動かすには金、女、それから家族だ。容赦なく、そこを突く。そうしないといけない。君は取引相手の母親がどこに住んでいるのか把握しているか? ミスをした部下の娘か息子を、見せしめのために痛めつけて、時には耳か鼻を削いだか? そういう『努力』を怠っているから、君はアマチュアなんだ」
マサヨシの頭にかかる体重が増す。
「ああ」
みりみりという、頭に響く音を聞きながら、悟る。
「ベッキー、か」
「そうそう、そういう名前だったな。あの若い少女。全く、犯罪じゃあないか、あの歳の差は? それはともかく、彼女を人質にとって脅したんだよ、新婚だったら新妻が弱点になるのはセオリーだ。子どもがいれば子どもを使ったがね」
「彼女に、何を?」
言いながら、マサヨシは憤怒と悔恨にまみれたクライブの死に顔をもう一度見る。
「何を? いや、最初は何もしなかったよ。人質だからね。僕に協力するなら安全を保証するって言っただけだよ。ただ、ほら、いざ君を拉致しようとした時に結局失敗しただろう、コイントスのおかげで。彼のミスではないけど、結果として、ね、ほら、ペナルティーが必要だろう?」
「何をしたんだ?」
「あー、まあ、先に結果を言ってしまうと彼女は泣き喚いて死んでいったよ。その途中経過のことはあまり言いたくないな。慣れている僕でも、しばらくはうちの豚を食えない気分なんだ。ああ、今のはヒントになってしまうかな。ともかく、ロクでもない殺し方だよ。時間もかかったしね。ともかく、そこのそいつ、クライブだっけ、君をここに運び込んだ後で奥さんに会わせろって喚いたからね、どういう風に死んだのかを細かく説明してやったら、そうなったわけだよ」
ふっ、と頭にかかっていた体重が消える。
クーンが足を上げたのだ。その上げた足の先で、クライブの顔を蹴る。
「取り押さえられたままびっくりするような大声でぎゃあぎゃあと喚いた後、最終的に君に詫びて舌を噛み千切った。まあ、大した死に方じゃあないな。パターンと言えばパターンだよ」
「どうしてだ」
「ん?」
「どうして」
よろよろと、マサヨシは顔を起こしてクーンに向ける。
「俺をこうしたかったんだ? ここまでして、どうして?」
「まだ気付かないのかい?」
くすくすと笑って、その起こしたマサヨシの顔面目掛けて、またクーンは踏みつける。
「潮時だろう、この商売も」
「商売?」
「シュガーだよ。莫大な利益をもたらしてくれたが、そろそろ幕引きだ。まさかハンクやノライの王が関わっていたとは知らなかったが、しかしフリンジワーク、ハイジ、それからレッドソフィー教団。もう、終わりにする頃だ。首謀者の首が括られなければいけない。相応しいのは、君だろう?」
「クーン、お前が」
話の流れで、予想していたため、マサヨシの声に驚きはない。ただ、諦めだけがある。
「僕が『瓦礫の王』だ。無論、偽物だがね」
物心がついた時には、全ての事を裏側から見る癖がついていた。
それはクーンの性質というより、立場によるものだろう。真っ当な商売も後ろ暗い商売もどちらも精力的に行う巨大な商会。その創設者の子、という立場だったからこそ、クーンは世界がどんな仕組みで動いているのかを幼い時に理解できていた。
父の言う正論の裏にどんな本音が隠れているのか。真っ当な商売の裏でどれほどの裏取引が行われているのか。金というものがどういう風に流れるのか。全てを見てこれた。
だから、商会を引き継いだ時、心底不思議だった。
何故、誰も自分のようにしないのか。もっと簡単で効率のいい金の稼ぎ方があり、もっと単純で効果的な人心の掌握の方法がある。誰もそれをしない。
クーンはそれをやった。
儲かりそうなことには違法だろうが手をだし、その罪を全て商売敵になすりつけた。家族や恋人を人質にとり、弱みを握り、金と女と暴力で黙らせ、多くの人間を自分の意のままに動くようにした。
あっという間に、商会は大きく、強くなった。だがクーンにとってはそれは当然のことであって、どうして誰も同じようにしないのか不思議でならなかった。
そうして、飽きた。
彼にとって金を稼ぐことはもはや単純作業にしかならなかったし、倒したい敵もいなかった。
惰性で商売を続ける彼を、退屈が蝕んでいく。感情が動くことは滅多になくなり、灰色の日常を打破するために何か楽しいことを探し続けるようになっていった。
広げた蜘蛛の巣に、シュガーの情報が引っかかったのは偶然だった。
ガダラ商会は、シュガーには手を出していなかった。倫理的な問題ではない。リスクの問題だ。莫大な利益を得るのは分かっているが、エリピア大陸ではシュガーに手を出した勢力は厳しく罰される。自前でチャモドキを生産し、シュガーを製造し、それで商売するのはリスクが高すぎる。
だが、チャモドキを栽培している者達を見つけた。おまけに、既にそこからチャモドキを買い付け、シュガーを流通させている勢力があるという。
ならば、横からチャモドキを買い付け、シュガーを製造、流通させ、危険になったら全てをその勢力になすりつけることが可能だ。
ならば、躊躇う理由はなかった。
儲けられるだけ儲けてやればいい。
何よりも、その過程で、多くの悲劇と混乱が生まれる。それは、楽しそうだ。
だから、結局のところ、暇つぶしを最終的な理由にして、クーンはそこに踏み込んだのだ。
「信用できる、わずかな部下だけでチャモドキ栽培を捜査したはずなのに、そう思っているだろう? 情報を持ってきたのはツゾの奴だよ。あの小悪党だ。ふふ、クズだが、執念深い。彼は元々、僕とは付き合いがあってね。まあ、うちの下っ端と何度か商売をしたというだけの付き合いだが」
クーンは踏む足に力を込める。
「君、ツゾを怒らせたんだろう? あいつから聞いたよ、子どもを攫わせたんだって? 僕からしたら、それくらいで怒る気がしれないが、ともかくあのクズはそれ以来、いつか君を出し抜く時を待っていたのさ。そして、君達の後をつけてチャモドキの栽培に辿り着いた。それからどうしたか分かるかい? とりあえず、あそこの村長、スヴァンだったか、彼に会ったのさ。もちろん、ただの小悪党一匹って正直に言ったら、向こうが取引に応じないことはいくら馬鹿でも分かっていた。だから、適当にビッグネームを使ったんだよ」
それが、『瓦礫の王』というわけだ。
最初にそれを聞いた時には、そんなおとぎ話の世界の住人の名を使ったことに思わず嘲笑を浮かべたクーンだったが、予想外にその名は独り歩きを始めた。
「そうやってスヴァンから新たに取引をする言質をとっておいて、その情報を僕に流してきたわけだ。最終的に君を潰して、その利権を全部ツゾが引き継ぐことを条件にね。驚いたね。クズは所詮クズだ。君だからこその利権であって、自分なんかが引き継ぎようがないということも分かっていなかったらしい。ともかく、僕はその話に乗ることにした。もちろん、君の利権は何とかしてガダラ商会が引き継ぐつもりさ。そのために、君の商売に深く入り込んだんだ。言っただろう? 港の改装は、投資だと」
クライブとベッキーがどんな風に死んでいったのかを話してから、マサヨシの顔は青白い。その悲惨な結末が、自分にも降りかかることを想像しているのだろう。
そして、その想像は正しい。
さっきから、ずっと冷静だったマサヨシのその顔色を見て、クーンは自分の灰色の世界に少しだけ色味が差してくるのを感じる。
そう、人の猛烈な感情の動き、憎悪、恐怖、絶望。そういうものを感じなければ、自分の感情がなかなか動かなくなっているのを自覚して何年経つだろうか。
「ふふ、おまけに、君はご丁寧にも僕の忠告を素直に聞いて、色町にまで手を出した。それも、そこを仕切るのをツゾに任せるだなんて、まったく、お笑いだね。おかげで、そちらの勢力は、もはや君のものではない。僕のものさ。愉快なことだ。ちなみに、アルベルトという男を知っているかい?」
脂汗まみれのマサヨシは、答えずに荒い息を吐いている。
クーンは、足を顔からどけて、その顔を蹴りつける。
鈍い音がして、マサヨシは顔をそむけた。
「知らないのか。ツゾの片腕になっている男だよ。彼は、君のやった作戦の生き残りさ。レッドソフィーの信徒の偽物をさせられて、生き延びた少年だよ。くく、分かるかい? 僕は、君の敵ばかりが力を持つように仕向けていったんだ」
のろのろと、血と汗にまみれたマサヨシが顔を向ける。
「あんたが、『瓦礫の王』だったのか」
「少なくとも、そう名乗って、チャモドキを仕入れ、シュガーを製造し、その販売網を作り出していった。最初にツゾがそう名乗ってしまったから、仕方なしにだがね。だが、そんな突拍子もない話を馬鹿共が半分信じているのには笑ったよ」
だが、とクーンは肩をすくめる。
「何事にも終わりはある。ハイジ、あの世間知らずがシュガー撲滅に乗り出すのならばまだやり様はあったが、フリンジワークが手を出してくるとなると、誤魔化すのは難しい。たくさん金は稼がせてもらったが、もうおしまいだ。もちろん、終わらせるには生贄が必要だ。最初は、『青白い者達』の首謀者に被ってもらおうと思っていたんだが、君の所の捜査が進まなくてね、仕方なく君に被ってもらうことにした。いずれにしろ、近いうちに潰そうとは思っていたから、構わないけどね」
「俺を、どうするつもり?」
打撃、そして心理的な衝撃を受け過ぎたせいか、マサヨシの目線はぼんやりと定まらない。黒い沼のような瞳が、ふらふらと彷徨っている。
その声にも力はない。
「最初は、そのまま殺そうと思っていたんだが、色々と訊きたいこともあったから、攫って聞き出してから殺すことに作戦変更したんだ。して正解だったよ。コイントスについては暇つぶしになったし、『青白い者達』の黒幕の情報については、うまく使えばロンボウの中枢に食い込める情報だ」
「俺を殺したからって、うまく俺に全ての罪をなすりつけられると思うの?」
「できるさ。証拠の偽造はいくらでもできるし、そもそも君がシュガー以外で違法なことをしていた証拠は山ほど見つけられるしね。それに、君に全ての罪を擦り付けるのに異を唱える勢力があると思うか? 元々、首を斬られるために副区長に据えられた君に」
クーンは手を前に出すと、指折り数えていく。
「ハイジか? 駄目だ。彼女は潔癖症だ。君が汚れ仕事をしていた、という一点だけで、君は敵に認定される。ミサリナ? 彼女は賢い。損得勘定で言えば、僕についた方が得になると判断すれば僕につくさ。ザイード? 知っているよ。君は、彼と仲違いしたんだろう? それも当然だ。君は、予想がついていたのに、ずっと彼に『青白い者達』の黒幕の正体が分からないと嘘をついていたんだからね。どうも、彼の方がそれに勘付いたようじゃないか。まあ、君の気持ちも分かる。ノライが完全解体される情報を彼に渡せるわけがない。一番に首を斬られそうな君がね」
喉が渇いた。
男たちの一人に目をやると、すかさずその男はクーンに水を差しだす。
それを喉を鳴らして飲んでから、クーンは続ける。
「後は、誰だ? 君の味方をしそうな連中。君の裏の勢力については、既に事実上僕が牛耳っている。ツゾは君が死ぬのを待っているさ。レッドソフィー教団の連中は、君ができるだけ苦しんで死ぬように祈っているんじゃあないか? アインラードが君を助けることもありえない。フリンジワーク達の勢力は、そもそも君に殺し屋を差し向けるくらいだよ? どうだい、他に誰か君の味方はいるかい?」
「ジャックが」
震える声で、マサヨシが言う。
「ジャックがいる」
ようやく、ここまで来た。
クーンは、この後の展開を思い浮かべて笑みをおさえきれない。
マサヨシに、それを言わせるために今までの全てがあったようなものだ。
「そうだ。君の片腕。君の相棒。彼とその部下。君の仲間達がいる」
そして、クーンは手を叩く。大きく、強く。
「入っておいで」
その合図で、ゆっくりと、男達の間を縫うようにして、一人の男が、獣人が姿を現す。
伏し目がちに、表情を強張らせて。
「ジャッ、ク」
呟くマサヨシの顔が凍り付き、目が見開き、呆然としてる。
その表情を見て、クーンは全身が震えるような感動を覚える。これだ。これが、見たかった。
「さあ、マサヨシ。他に、誰か味方になりそうな人間の名前を思いつくかい?」
その問いかけに、愕然としているマサヨシは言葉を返さない。