消失2
「ジャックさん、マサヨシが昨夜から行方不明のようです。何か、知りませんか?」
トリョラ警備会社の本部に来たハイジの一言に、ジャックはのろのろと顔を向ける。
元々はある農家の大きな倉庫だったものを改造したその本部では、数人の男が忙しげに動き待っている。本部にいる連中は全員が基本的には書類仕事だ。
中央にある机に座っていたジャックは、見るからに地味な書類仕事が性に合わないようで、さっきから目線は同じ書類の上を何度も往復している。
「はあ、マサヨシさんが、ですか?」
その声にも顔にも珍しく覇気がない。
「そう、何か知りませんか?」
「あいにく」
陰鬱な目をして、ジャックは遠くを見る。
「この会社を正式に立ち上げて半年、俺はここに常に張り付くばかりですからな。マサヨシさんは、うちとして仕事上絡むこともあるけど、個人的にはもうしばらく会ってませんよ」
「忙しそうですね」
「まあね。戦争からしばらく経つって言うのに、未だに暴れる連中がここいらには多いですから」
ため息と共に、ジャックは椅子に座ったまま体を反らし、天井を見上げる。
「シュネブの方でも、例のグスタフ盗賊団は相変わらずらしいですな」
「ええ。この前も裕福な商店が立て続けにやられて、多くの被害が出たとか」
「戦争中と大して変わらない。人が死んで、不幸になってばかりだ」
酷く乾いた声でジャックは呟く。
「戦争中とは違うことがありますよ」
それに呼応するように、何気なくハイジの出した声も虚ろだ。
「ん?」
「あそこでは、剣を持って敵を殺せば済みましたから」
「戦争中の方が、楽だったような言い草ですな」
「私にとっては」
ハイジは似つかわしくない、顔の半分を吊り上げる自嘲の笑みを浮かべる。
「騎士としても、区長としても最低ですが」
「いや、分かりますよ。敵がいて、殺せばいい。シンプルです。シンプルなものは、いい」
噛み締めるようにジャックは言う。
「さて、マサヨシさんが行方不明ということでしたな。こちらでも、部下を捜索に向かわせます。まあ、色々とやっている人ですから、何か意図があって雲隠れしているのだとは思いますから、そんな心配することもないと思いますぜ」
「かも、しれませんね」
ふう、と息を吐くとハイジは金色の髪をかきあげる。
自分の指から零れる金髪を眺める彼女から、徐々に表情が消えて、本当に人形のようになってしまう。
「お疲れですな」
「お互いに」
視線を交わさず言葉を交わして、それきり二人は黙り込む。
爪を噛む。
懐かしい、癖。まだ何も知らなかった、少女だった頃の癖だ。だがあの少女は死に、聖女だけがここにいる。
そう割り切っていたはずなのに、スカイは自らの爪を噛み続けている。
場末の食堂。赤いローブ姿の彼女の姿は浮いているが、そんなことを気にする彼女ではないし、それどころではない。
待ち合わせをしたはずの相手が、来ない。遅刻というレベルではない。既に、一夜が明けている。
爪を噛む。
「コイントス」
自然に、口から呪うようにその名前が出る。消えてしまった男の名を。
最近、態度が妙な気はしていた。だが、まさかこんな突然に連絡が取れなくなるとは。
マサヨシに『青白い者達』を止めるためと言われてはぐらかされていたが、もう限界だった。遅々として進まない捜査に苛立ち、そろそろ脅しの一つでも入れようと思っていた矢先。
まさか、こんなことに。
「ようやく見つけた」
声。
だが、待っていた人間のものではない。
眼光鋭くスカイが振り向くと、そこに立っているのは一人の少年。目は暗く、顔に傷がある。
「誰?」
「聖女様。お話があります」
「こちらにはないけれど」
そのスカイの言葉を無視して、少年は横に座る。
「俺の名前は、アルベルト」
「だから、こちらには話はないと」
「コイントスは来ませんよ」
その少年の一言が、スカイの口を止める。
一瞬凍りついた後で、彼女の目が細くなっていく。
「何者?」
「アルベルトですよ」
「名前じゃあない。あなたは、何者?」
「生き残りです」
アルベルトは、自らの胸をとんとんと拳で叩いてみせる。
「え?」
「マサヨシに担がれたんですよ、俺達は。畏れ多くもレッドソフィーの信徒の振りをさせられ、アインラードの連中に獣のように打ち殺されたんです」
目を見開き、スカイの瞳が震える。
「あなた、が」
「胸を貫かれたが、心臓を運よく逸れたんです。それで、死んだ振りをしていて命を拾いました。仲間は皆、死にましたがね。老若男女」
黙って、見返すスカイに向かってほんの少しだけアルベルトは笑いかける。
「あなたを騙った俺があなたの前に姿を現したのは、それなりの覚悟があってのことです。それで、俺の話を聞いてくれる気になりましたか?」
「あなたの、目的は?」
「決まっているでしょう」
ゆっくりとテーブルの上で指を組み、アルベルトは身を乗り出すようにしてスカイの目を覗き込んでくる。
「復讐ですよ」
血だらけで、家に駆け込んできた父は、そのままソファーに転がる。
その壮絶な光景に呆然としていたが、ソファーの父が寝転んだままで笑い出すのを聞いて、ようやく体が動き出す。
「ど、どうしたの?」
ようやく近づいてそう質問すると、まだ低く笑っている父はソファーに寝たままで目だけを向けてくる。
その顔は血で汚れ、ところどころに殴られた痕跡や切傷がある。
「久しぶりにヘタをうった」
楽しそうに笑いながら、父は喋る。笑いを止めようとしても、こみ上げる笑いが止まらないようだ。
ソファーの上で身もだえしている。
「殺されるところだった、ふふふ、逃げ切ったぞ」
「その、何が、そんなに楽しいわけ?」
「生き延びれたからさ。助かるのは楽しいだろ?」
ようやく笑いの発作がおさまったのか、ゆっくりと体を起こした父は、顔の血を拭う。
「ああ、久しぶりに興奮した。どうやって切り抜けるか、あんなに頭を絞ったのは久しぶりだ」
「救急車を呼ぶ?」
「いらない。理由を聞かれても面倒だしな。自分で手当てする。慣れているんだ、傷を縫ったりはな。それにしても、腹が減った」
立ち上がって、キッチンに向かう父の背中に、
「父さん」
「あん?」
「嫌にならないの? そんな、痛い思いまでしてさ」
その言葉に父は振り返って、言葉を選ぶように目を宙に彷徨わせてから、
「さっき言っただろ、久々に興奮したと。もうこの歳になって、修羅場もそれなりに潜って、金も持っているとな、何かに興味を持つことはなかなか難しい」
傷だらけの顔、今夜は更に血と生傷が増えているその顔を歪めて笑い、
「だから、こういうのは楽しい。命の危機ってのは、強制的に興味を持たせてくれるからな」
「他に、興味のあることはないの?」
「勝負で勝つこと、それから、お前くらいだ、正義」
「え?」
「我が子に興味を持つことが意外か? お前がどうなるのか、それなりに興味はあるさ。今、お前がここまで俺とかけ離れた存在になっていることが既に興味深い」
そう言って、再び背を向けてキッチンまで行くと、冷蔵庫からトマトジュースと缶ビールを取り出し、同じく冷蔵庫の中で冷やしていたグラスに両方を注ぐ。
出来上がったカクテルは、父の顔を流れている血と同じ色をしているように見える。
「ともかく、危機というのが嫌いじゃあない。特に命の危機はな。死ぬかもしれないと心底思った時、今まで生きてきた現実が夢だったのかと思うほどに世界を鮮烈に感じる。中々に爽快だ。生き延びた時の感動も格別」
なみなみと注いだカクテルを、一息で飲み干す。
「最初に殺されかけた時、今まで自分を覆っていた薄い膜が剥がされたような気分だった。全ての感覚が鋭敏になって、何もかもをリアルに感じた。それから一週間、初めて人生を生きた気分だった」
夢見るようなとろんとした目つきで、父は語る。
「お前も、死にかけたら分かる」
「分かりたくないし、分かっても、父さんみたいにそれを気に入らないよ」
「だろうな、お前は、それでいい」
目を軽く閉じて何故か満足そうに、父は何度も小さく頷くと、二杯目のカクテルを作り始める。
父の夢から目を覚まして、じめじめとした地下道に持たれてまどろんでいたマサヨシは立ち上がる。
狭い地下道。ただ地面を掘って、周囲を補強しただけの、道というより穴のような地下道。
父の言うことは今になって理解できる。何度も殺されかけて、その度に生まれ変わるような気分になった。そして、やはりそれは自分にとって何度も経験したいものではなかった。父のように、それを楽しむほどの境地には至りそうもない。
それにしても、今の自分の姿は、あの時の父とそっくりだなとひっそりとマサヨシは苦笑する。
体は血に染まっている。その血の出所は、右耳だ。右耳が千切れかけている。さっきからずっと、まどろみながらもその部分を手で押さえて血を止めようとしている。ようやく血も固まってきた。
「さて」
追手がいた場合にそれを撒くために、ずっとトリョラの裏路地の奥の奥や、マサヨシがファンドを使って建設している、まだ建設途中の地下道といった場所を選んでずっと歩き回っていた。だが、それも限界だ。
これ以上手当てもせずに逃げ回るのは難しいし、そろそろ事態も落ち着いた頃だろう。
ただ、とはいえ、このまま外に出れば騒ぎになる。自分が襲われた理由などを調べられるとまずい。何しろ、後ろ暗いところしかないのだ。
「ええと」
頭の中で地図を思い浮かべる。今、自分がいる場所。ここから一番近い地下道からの出口。そこから人通りの少ないルートを選んで、辿り着ける場所。
「戻ることになるな」
また独りごちてから苦笑して、マサヨシはそちらに足を動かしていく。
地下道を出て、日が出ているのを見て思ったより時間が経っていることに驚く。
もう、夜が明けていたとは。
まだ人気は少ない。その中を、さらに人気のない路地裏を通って、なるべく人と会わないように用心しながら歩いていく。
そして、目的の場所へとそこまで苦労せず辿り着く。
「ん?」
この時間でも開いているかと思ったが、閉まっている。だが、その方が好都合か。
マサヨシは、その目的地、白銀の支店の扉を叩く。
「俺だ、マサヨシ。クライブさん、開けてくれ」
そう叫ぶと、中で人の動く気配がして、しばらくして扉からがちりと鍵の開く音がして、ゆっくりと扉が開く。
「ああ、兄ちゃん」
寝起きなのか、まだ頭に血が回っていない様子のクライブが顔を出す。
「ああ、どうしたんだ、それ」
血の気のない、どこかぼんやりした顔でも、さすがに今の血だらけのマサヨシの見た目には驚いて目を見開く。
「ちょっと、あってね。中、入れてくれる」
「あ、ああ、もちろん。入りなよ、兄ちゃん」
開けられた扉から、礼を言いつつ店内に入る。
閉店中の店内はうすぐらく、他の人の気配はない。
「布、あと酒あるかな?」
「ああ、布なら持ってきてやるよ。酒は、奥の貯蔵庫にある」
「金は払うから、一瓶もらうよ」
未だ手で耳を押さえたまま、奥まで進んで貯蔵庫の棚から適当に瓶を掴み出す。透明な瓶。安いトリョラ産の酒だ。
これで消毒するとしよう。
貯蔵庫の出口のところにおいてある小さな木製のテーブルにその酒を置き、
「なあ、クライブさ」
振り向き、布を取りに行っているはずのクライブに顔を向けようとしたところで、マサヨシは猛烈な風を切る音と、目前に迫る風圧を感じる。そして、目の前が暗くなる。
衝撃。鉄の味。頭の芯から足の先まで瞬時に伝わる痺れ。
何かで殴られたのだ、と気付くのと同時にマサヨシの意識が失われる。