シュガー2
あの『料理人』ほどの大物の死だというのに、国葬扱いにならなかった。それは仕方がない。そもそも、ノライという国は存在しないのだから。
それにしても、だ。
シュネブの少し中心部からは外れた場所にある、巨大で老朽化した多目的ホール。こんな場所で葬儀がされるとは思ってもみなかった。だがマサヨシが調べたところ、これは故人の遺言だったらしい。
だだっ広い空間に、簡素な椅子が無数に並んでいる。マサヨシが入場した時には、既にその椅子の過半数は埋まっていた。
この世界では、確固たる喪服、というものはないらしい。とりあえず、黒っぽい服を着ていけばいいとのことだ。だから、マサヨシはいつも通りの服装で出席することにしている。
真っ白い肌と黒い上下、そして光り輝く金色の髪が、遠目からでも一際目を引く。
マサヨシは大して苦もなく目的の人物を見つける。ハイジだ。その横に、親しげな太った男。おそらく父親か何かだろうとマサヨシはあたりをつける。
ハイジが一人きりになるのを待って、さりげなく近づこう。
そう決めて、マサヨシは向こうに先に気付かれる危険が少なく、なおかつ行こうと思えばすぐに寄って行ける距離の椅子に腰を降ろす。
あとは、どう説得するかだ。
いくつか案はあるが、結局ずっと考えていてもどの案を使ってシュガー撲滅を待ってもらうかは未だに決まっていなかった。
どうしたものか。
ハイジの首筋を眺めている間に葬儀が始まる。壇上になった人間の退屈な話、ハンクのこれまでの功績が語られる。
上の空で聞きながら、マサヨシはひたすらに、話しかけるタイミングと第一声を考える。
だが、それは何の役にも立たなかった。
「やあ」
唐突に、まだ壇上の話が続いているというのに、後ろから声がかけられる。
不意打ちに体を強張らせ、マサヨシは振り返る。
後ろにいたのは二人組の男女。一人は大柄な男で、葬儀の場だというのに、黒い服こそ着ているものの、無精髭を生やし、僅かだが酒が入っているようだ。目がとろんとしている。となりにいるのは、対照的にきっちりとした姿勢をした、長身の女性だ。その座り姿を見るだけで、きちんとした教育を受けてきた、上流の生まれだということが察せられる。
「う」
その女性は、頭から黒いローブを被っていて顔は見えない。見えないが、僅かに除くのは赤。赤い髪。
その赤を確認した途端、マサヨシの口からは声が漏れている。
「葬儀ってのは退屈だな」
男が囁き、ずっしりとした手をマサヨシの肩に置く。
「俺はフリンジワーク。隣のは、ああ、知ってるよな、シャロンだ」
ベールに包まれたシャロンの顔が笑みを形作った気配がする。
「マサヨシ=ハイザキ。退屈だろう、抜け出さないか? お前に話がある」
フリンジワーク。ロンボウの時期国王筆頭か。
驚きで痺れた頭の片隅でそれだけ思って、マサヨシは曖昧に頷く。
それ以外に何が出来る?
シュネブまで来た旅人が、なるべく旅費を抑えるために泊まりそうな安宿。その狭い一室、それも地下の一室へと、マサヨシは案内される。
促されるままにその部屋に入り、椅子に座る。
簡単な部屋だ。テーブルと椅子が二脚。あとは、ベッドがあるだけ。
残った椅子に、シャロンが座り、そしてフリンジワークはどっかとベッドに腰を下ろす。
「悪いな、まあ、ハンクの奴もあんな場所で俺達が大人しく座っているのを喜ばねえだろ」
フリンジワークは首を回す。
「言いたいことはだな、お前のところの区長から話が上がってきた。シュガー蔓延についてだ」
横のシャロンは喋らない。ただ、黙って様子を窺っている、のではないだろうか。ベールに包まれていてうかがい知れない。
「うちだけじゃなく、隣国のアインラードまで影響が出ている。今や、アインラードは敵国ではなくロンボウの友人だ。放っておくわけにはいかない。彼女も心配している」
その言葉にもう一度シャロンに目を向けるが、微動だにしない。
「ただ、だからこそ、だ。俺は区長に、あのゴールドムーンのじゃじゃ馬には任せたくない。ロンボウとしては、シュガーをばら撒いている黒幕を炙り出したいんだ。根から引き抜きたいんだよ。あの姫騎士様じゃあ、それは無理だ、多分な」
「つまり?」
交渉術の基本。
都合のいい流れになった時こそ、油断するな。
マサヨシは上目遣いにフリンジワークを窺う。
「いずれロンボウ議会から正式に通達がくるが、シュガー対策は俺が指揮を執ることになった」
一瞬、安堵するべきか戦慄するべきか分からず、無重力のような状況になってマサヨシは椅子に座りなおす。
「実働部隊は、お前が率いろ、ペテン師」
部屋の隅で、少女が泣いている。わざとらしく。獣人の少女だ。ほとんど布きれ一枚のような服を身にまとい、若いというより幼い素肌を晒している。
傍らには薬包紙と、その上にある白い粉。
「いけねえなあ」
部屋の中央、金縛りにあったようにまだ若い男が立ち尽くしている。顔は蒼白で、両腕はぴんと伸びてぶるぶると震えている。
「まだ子どもなのに、それ相手に、それもシュガー使うなんてよ」
「違う、薬は、その、その子が自分で出してきて」
「泣いてるだろうがよ」
震える男の前でだん、と床を踏み鳴らす獣人。ツゾだ。
サディスティックな笑みを浮かべて、ツゾは若い男に詰め寄る。
「なあ、役人がうちの店で女を買ってるってだけでも問題なのによ、それがガキで、おまけに薬使うとはなあ。お前、終わりだな」
「どうして」
男は目を剥く。震えがひどくなる。
「どうして、俺が」
「客の仕事を俺が把握してないとでも思ってるのかよ。とにかく、俺のシマでやってくれたな、役人様よ」
ねちっこく言いながら、ツゾは男の周りを一周する。
怯えた男は、まさに獲物そのものだ。
その男が、かつてマサヨシの協力要請をけんもほろろに断った若い役人だということは、ツゾは知らない。
そんなことを知らずとも、エリート然とした男が自分の一挙一動によって無残に怯え、崩れていくのがツゾには愉快でたまらない。
「本当に、エリートってのは変態が多いな。お前みたいなのは、初めてじゃない。何人も何人もいるぜ。あるいは、聖職者とかな」
爪で、怯える男の頬を撫でる。
「そいつらには、ちょっとしたお願いをしてるんだ。大したことじゃない。俺の仕事にちょっと手を貸してもらってるだけだ。それで、俺もそいつらの欲求解消に手を貸してやる。持ちつ持たれつってやつだ」
ツゾはガラス玉のように怯えて丸くなった男の目を覗き込む。
「協力、してくれるよな?」
数分後、抜け殻のようになった男を部屋において、ツゾは娼館を後にする。
「お疲れ様です」
すぐに、外で待っていた取り巻きの一人が寄ってきてコートをツゾにかける。若い男。いや、少年と言った方がいい。
「おお。後は頼むわ」
「はい。どうしますか?」
「連絡か? ああ、しといてくれ。相手は役人だ。俺が搾り取るよりも、あの人の方がうまく使うだろ」
「分かりました」
そうやって頭を下げる少年。だが、頬に傷があり、その目は驚くほど暗い。
その少年は、ツゾを中心とした無法者たちのグループの中で、若いながらも頭角を現している。
「いつも通り、最後の詰めを頼むぜ、アルベルト」
少年の名を呼ぶ。
「はい」
頷いて、数人の男と一緒にアルベルトは娼館の中へと入っていく。その手の甲は、真っ赤に腫れている。常に人を殴っており、拳が擦り切れ、そこにかさぶたができる前にまた殴ることの繰り返し、絶え間ない暴力がその手を作っている。
「帰るぞ」
残りの取り巻きと共に夜道を歩きながら、ツゾは抑えきれないように笑う。
巨大な組織力と、利権を手に入れた。
金と暴力を手に入れたのだ。自分が、盗賊なんてやっていた時とは比べ物にならないくらいの。
部下のほとんどは頭がついていないような暴力以外は役立たずがほとんどだが、アルベルトのような頭も切れる奴も数人はいる。
順調だ。全ては、順調だ。
「そろそろか」
呟く。
意味は取り巻きには分からないし、それを訊くことも許されてはいない。
そろそろだ。
ツゾは自分に心中で言い聞かせる。
力を付けた。そろそろ、下剋上も可能なはずだ。いつまでも使われる立場など、まっぴらごめんだ。
口の中に甦る、泥の味と感触。
いつしかツゾの顔から笑みは消え、取り巻きが一歩離れるほどの険悪な、手負いの獣そのものの表情が浮かんでいる。
「ねえ」
安宿の一室。
フリンジワークがいなくなった後、暗く狭い部屋にマサヨシとシャロンの二人きり。
死人のように動かないシャロンに、マサヨシが声をかける。
「一つ、訊きたいことがあるんだけど」
そうして、耳元でマサヨシは囁く。
初めて、シャロンの体がびくりと反応する。ほんの、僅か。肩が少し動く程度。
「ああ、今の反応で分かった。やっぱりそういうことか」
「……それを知ったところで」
僅かばかりの沈黙の後、シャロンが声を出す。
「あなたには、どうすることもできない」
「まあね」
そして、マサヨシは口を閉じて、何事か思案する。
目は虚空を呆然と眺めるようだ。
「あの日を思い出す。あの時のあなたと、同じ雰囲気がする」
シャロンの言葉に、
「あの会談の日か。そうだね、そうかもしれない」
ゆっくりとマサヨシはシャロンに目を戻す。
「シャロン、国が分裂しなくてよかったね。大活躍だったそうじゃない。『勝ち戦の姫』の面目躍如だ。『人食い将軍』ハヤブサも活躍したみたいだけど」
「それが?」
「君が反乱勢力を圧倒できたのは、資金力があったからでしょ? 資金源は、シュガーだ」
今度こそ、シャロンの体全体が痙攣したように動く。
「どうして」
「相談があるんだ。悪い話じゃない」