コイントス2
よく、これを見つけたな。
山の奥、木々の間に雑草に隠されるようにして広がっているチャモドキの畑を眺めながら、そんな感想を抱き、マサヨシは屈んで特に意味もなくチャモドキの葉を撫でる。
そのざらざらとした感触を味わいながら、マサヨシはただ待っている。
「マサヨシさん」
草をかきわけるようにして、ジャックが現れる。
「お待たせしましたな」
そう言うジャックの後ろには、ただただ疲れたような顔をしたスヴァンが首根っこを掴まれるようにして連れられている。
「ああ」
ゆっくりとマサヨシは腰を上げる。
「スヴァンさん、お呼びだてして申し訳ない」
「なに」
枯れた目でスヴァンはマサヨシの背後にある畑を見て、ため息を吐く。
「構わん、用も分かっている」
「これでも、話が出てから一ヶ月は待っているんだ。色々あってね。具体的には、金と女でここいらの田畑の管理をしている役人を黙らせた。まあ、いずれやらなきゃいけないことだったけどね。とはいえ、ここまで焦ってそれをしなきゃいけなくなった理由は」
足でさっきまで撫でていたチャモドキを揺らす。
「こいつのせいだよ。隠し畑が拡大しているからだ。こんな場所にまで畑を作っているとはね。で、どうしてこのタイミングでチャモドキの生産を拡大しているの?」
「正直に答えろよ」
ジャックが鋭い声を出すが、スヴァンはまるで死人のようにそれを無視し、薄く笑う。
「分かっているんだろう?」
「他に取引先が出来たんでしょ?」
スヴァンは頷く。
「貴様」
激昂するジャックに、
「まあ、落ち着いて」
声をかけて、マサヨシはスヴァンに顔を向ける。
「その取引を今更止めろ、とは俺達は言えない。そっちで問題を起こして、本筋の『青白い者達』への道が切れるのは避けたいからね。どうせ、そこまで読んで、そっちと取引したんでしょ」
黙って、スヴァンは暗い目をする。
「まったく、『青白い者達』と根本は一緒だ。失うものがないってのは、怖いね」
「あるさ。今の生活だ。今の、村の最低限の生活。たとえわしが責任をとって殺されようと、そうやってチャモドキの取引を拡大し続ければ、そしてそれをあんたらが止められなければ、村の生活は続く。村長として、わしはそれを続けなければならない」
「はん」
マサヨシは呆れたような声を出してから、目を細め、スヴァンの死んだ目を覗き込む。
「で、俺達はその取引を保護し続けるしかないわけだ。『青白い者達』を見つけるために。いや、下手をしたら見つけた後も協力するはめになるかもしれない。なにせ、どんな大義名分があろうとシュガーに関係していたと公になれば俺達の首は飛ぶわけだからね。そのピンチをチャンスにする捨て身の姿勢は見習いたいけど、今、俺が知りたいのはそんなことじゃない。誰?」
その問いかけに、初めてスヴァンの表情が動く。困惑、もしくは緊張。
「取引相手は誰なの?」
「嘘か、本当かは分からないが」
低い声でスヴァンは答える。
「あの日、あんたらの警備をかいくぐって、使者が現れた。そいつは、『瓦礫の王』の使いと名乗った」
「なにい?」
ジャックが顔を歪め、
「下手な冗談だ」
吐き捨てる。
「スヴァンさんはそれを信じたわけ?」
「信じるも信じないもない。ただ、縋るだけだ」
「もう、チャモドキの受け渡しはしてるの?」
「ああ。あんたらの部下の警備をかいくぐってな。まだまだ少量の取引だが、向こうは取引量を増やすように提案し続けている」
「それでこの隠し畑か」
マサヨシは少し考えてから、
「使者は、どんな奴だった?」
「慎重な男だ。はっきりとは姿を見たことはない。ただ」
「ただ?」
「獣人だった」
「獣人なんぞ珍しくもない。ほとんどヒントにもならんな」
そうぼやくジャック自体が獣人だ。
確かにヒントにはならない。
「ただ、『瓦礫の王』の使いという話が、少し信憑性が出てくるってことかな」
マサヨシは呟いて、
「分かった。それじゃあ、これからはそっちについても教えてね。取引を止めろとか、邪魔はしないからさ。それと、どこにどれくらい隠し畑を増やしたか、これから増やすつもりかも教えてよ」
「わしを殺さんのか?」
「俺は、別に。ジャック、殺したい?」
ジャックはその問いかけに苦しげに目を伏せて、
「別に」
「じゃあ、この話は終わりだ」
マサヨシはそう言ってから、顔を歪める。
視線の先にあるのは、森の木々。
「誰か、来るぞ」
そのマサヨシのセリフに、ジャックとスヴァンも目を見開きそちらに視線を向ける。
時は、少しだけ遡る。
ザイードに凍死させられかけた二人の男、彼らは隠し畑の一つの見回りに来ていた。
村の中でも乱暴短気なために鼻つまみ者である彼らは、自らこのチャモドキ栽培事業における荒事を買って出ていた。
村のためという大義名分のもと、暴れられる。偶然畑を発見した気の毒な者達を蹂躙する。
それは彼らの自尊心を満たしたし、村の人々も眉をひそめながらも彼らの存在を必要として、同時に恐れていた。
彼ら二人組は、自分達の暴力性に誇りさえ抱いていた。
だから、彼らは訳のわからないままに、獲物であったはずの乱入者に、エルフの魔術師にいいようにやられたことをべったりと脳の裏側に張り付いたように忘れられない。恥であり憎しみの対象であり、拭わなければいけない何かだ。
そう、拭う機会を捜している。
彼らは今や村の連中侮られ、嘲笑される対象になってさえいる。
だから生贄を捜している。自らの暴力性を見せしめ、また村の他の連中を怯えさせることのできる生贄を。
そして、その時、それに出会った。
新しく拡大した山の奥深く、奥の奥に切り開いた隠し畑。
そこに佇んでいるのは、赤いローブの女。
他の村人ならば、その赤から、彼女がレッドソフィーの聖女だと気付き、畏れただろう。村が滅ぶことを予感して絶望したのかもしれない。
少なくとも、聖女をどうにかしようという発想はなかったはずだ。たとえレッドソフィーを信仰していなかったにしても、それでも最早本能のように聖なるものを畏れている。
だが彼らは違う。
二人は聖女を発見し、顔を見合わせ、ほくそ笑む。蹂躙の予感に、あるいは恥を拭う機会の到来に。
そして、近づこうとして。
それに気付いた。
チャモドキを黙然と眺めている聖女と、それに近づいている自分達。その中間に、突如として、男が出現していた。
白と黒のまだらの布、その塊に頭が埋まっているようにも見える。それが、いる。
「なん」
突然の出現に、男達はたたらを踏む。うまく言葉が出ない。
男達の手には武器がある。棍棒と鎌。
彼らは反射的にそれをその男に近づき振り下ろそうとして、
「裏か表か」
男の意味不明な行動に意表を突かれ動きを止める。その男との距離は歩数にして三歩ほど。
男はコインを差し出している。
「なんだ、てめぇ」
一人が呻く。感じるのは薄気味の悪さ。
「裏か表か」
繰り返す。壊れた楽器のように。
「表だ」
怯えを隠そうと、男の一人が強張りながらも笑みを浮かべて、嘲りを込めて答える。
その白と黒の布を纏った男は、コインを指で弾く。
何となく、二人組の男はそのコインを目で追ってしまう。
コインは、その奇妙な男の手に落ちて、十字の印を上にする。つまり、裏だ。
「は?」
次の瞬間、二人組みの片割れは間抜けな声を出している。
ついさっきまで、自分の隣にいてコインを見ていたはずの相棒。その相棒が、顔から血を撒き散らしながら、膝を付いていた。
「ぶぶう」
声のような音、もしくは音のような声を出しながら、血とおそらくは脳をどぼどぼと零しながら彼は倒れ、動かなくなる。死んだ。
意味が分からず、残った男は呆然としている。恐怖すら感じない。思考が停止している。
奇妙な男、コイントスをした男は何もしていない。近づいてすらいない。
いつの間にか、奇妙な男のすぐ後ろまで聖女が近づいてきている。
その時に、ようやく男の足元から恐怖が蛇のように這い上がってくる。呼吸ができない。
「お前達のリーダーに会わせろ、今すぐに」
聖女は、言葉少なにそれだけ言う。
睨み殺すかのような鋭い視線。
マサヨシ達の視線の先には、血の気の全くない男が、転ぶように駆けてくる姿がある。そぜいぜいと息を切らしながら山を走ってきた男は途中で木の根か何かに躓いたらしく、そこで勢いよく転んで、そこで精根尽き果てたのか、肩を上下させながらもう立ち上がることなく、倒れたままだ。
その倒れた男の向こう側から、真っ赤なローブが近づいてくる。男とは対照的に、ゆっくりと。
「スカイ」
マサヨシは名を呟く。
「とうとう、尻尾を出したな」
聖女が鋭い目を吊り上げて、三日月形に口を吊り上げる。赤いフードの下の、その悪鬼じみた表情がはっきりと見える。
「生き地獄を、味あわせてやる」
聖女のものとは思えない、憎悪と歓喜に満ちた声。
「説得は不可能、って感じですな」
諦めたようにジャックが横で呟く。
どうしたものか。
そうマサヨシが悩んだその時には、既に彼はマサヨシの傍にいる。
白と黒のまだらのつなぎ。長い金髪。
景色に突如として混じりこんだその異物に、スヴァンとマサヨシは目を剥く。
「コイントス」
呟くのはジャック。
「知り合い?」
マサヨシが一瞬、ジャックに目を向けた次の瞬間、その男、コイントスはコインを右手で差し出している。
「表か、裏か」
「表」
ぼう、とコイントスを眺めながらマサヨシは即答する。
コイントスが金貨を弾く。
全員の目が、宙を舞うコインに引き寄せられ、そして。
異様なことに、空中に存在している手によって、キャッチされて落ちてこない。
木の枝の一つ、そこに足の指の力だけで掴まり、宙吊りになった獣人がいる。いつの間にかそこにいたその逆さまの獣人が、コインを空中でキャッチしたのだ。
白い虎は、唸る。
「まったく、最近、殺し屋稼業とは関係ない仕事ばかりやらされとるのお。ボディーガードとは」
不満そうなタイロンは、それでも地面に音もなく降り立つとコイントスと相対する。
「お主がコイントスか。噂は聞いとるぞ。商売敵め」
「俺は殺し屋じゃあない」
呟くコイントスの手には、再び金貨が握られている。
「表か、裏か」
「スカイ。どうする? ここでこっちの腕自慢とそっちの腕自慢がやりあったら、どうなるか俺にも分からないよ。俺も君も死ぬかも」
マサヨシが、のんびりとした声を出す。
「マサヨシ」
殺気を隠そうともしないスカイの声が空気を震わせる。
「貴様」
「スカイ、色々思うところはあるだろうが、今や選択肢は二つだ。一つ、このまま乱戦に突入。もう一つは、とりあえず話をしてみる」
どっちでもいいよ、とマサヨシは言って、コイントスに顔を向け、
「裏」
答えて、笑う。
コイントスは、もうコインを弾かない。