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コイントス1

 ミサリナは、もう何枚目か分からない書類に判子を押す。


「ああ、肩がこったわけよ」


 ぐるぐると首を回していると、お茶を運んできた秘書の少女がくすくすと笑う。


「ミサリナさん、そんな歳じゃないでしょ?」


「年齢関係なく、同じ動きばかりしてたら問題だって起こるわけよ。商社っての、正式に作ったらここまで面倒とは思ってなかったし。荷物運んで買ったり売ったりしてたのが懐かしいわけよ」


「贅沢な悩みですねえ」


「贅沢ね、確かに、ねえ」


 改めてミサリナは周囲を見回す。

 ミサリナ商会を立ち上げ、小さなものとはいえ、事務所としてトリョラ郊外の屋敷を手に入れた。一国一城の主だ。


「何もしなくても、他の行商人からお金が入る仕組みなんでしょう? うらやましいですねえ」


 助手はお茶の入ったカップを机に置く。


「何もしなくてもって、書類作業してるわけよ」


「でも、それはミサリナさんに先見の明があったからですよね。トリョラの開発計画に巨額の投資をしたからってことで、あーあ、あたしにもミサリナさんみたいな商才があったらなあ」


 その言葉に思わずミサリナは苦く笑う。

 確かに書類上は、ミサリナ商会がマサヨシのトリョラ区開発計画に、つまり道路の建設、整備に多額の資金を投資したことになっている。書類上は、その時点での商会の全資産にも近い額の投資を。

 もちろん、それは真実ではない。実際には、資金の一割程度の投資にすぎない。後は、マサヨシが自ら借金したものを、偽装したのだ。ミサリナがしたのは名義貸しのようなものだった。


 玄関の方からドアの開く音。


「あれ? お客様ですかね」


 助手がぱたぱたと玄関にかけていこうとして、その足を止める。

 その『客』は、既に部屋にまで入って来ていた。足音を立てることもなく、一瞬のうちに。


 異様な格好。

 白と黒でまだらの、だぼついたひとつなぎの服を纏っている。全身をすっぽりと包んだその服のせいで、体の線は一切分からない。ただ、顔は細く、神経質そうな細い目鼻立ちが長い金髪に半分隠れている。


 そのデザインのためか、どこが袖なのかミサリナには見分けが付かないが、ともかくその男の手が現れて、差し出される。掴んでいるのは一枚の金貨。


「裏か、表か?」


 静かな男の問いかけ。


「誰?」


 ミサリナが問い返すが、男は無視してコインを空中に弾き飛ばす。


「遊ぶな」


 コインが宙を舞っている間に、もう一人、部屋に入ってくる。赤いローブに全身を包んだ、少女。


 男は宙のコインを掴み取ると、そのまま部屋の外へと下がっていく。


 入れ替わるように登場した少女は、褐色の肌と、獣じみた目。


「噂は聞いているけど、ひょっとしてあなたスカイ?」


 ミサリナの問いかけに、


「そう、初めまして、ミサリナ」


「初めまして、スカイ」


 挨拶しあう二人を目の前に、助手の少女は顔面蒼白で凍りついたように動かない。





 握る。小指を意識して固く握り、親指と人差し指に近づけば近づくほど柔らかく握る。

 ようやく掴んだコツだ。


 握るっているのは軽い木製の模造剣。

 マサヨシはそれを右下に剣先を少し下げるようにして構える。特に師もおらず、義勇軍の訓練の中でほとんど独学で身につけた剣術だ。だから、構えには名前も理由もない。何となく、それがマサヨシの中で一番しっくりくるだけだ。


 対するハイジは、真っ直ぐに剣を中段に構える。寸分の狂いもなく。どこまでもハイジらしい構えだ。


 無言で、ハイジは打ち込んでくる。それも、真っ直ぐに前に飛び出しながら、そのまま振り下ろすだけのものだ。

 だがその速度はおそろしく速く、そして迫力が尋常ではない。かわせるはずのそれが、足が動かずかわせない。

 代わりに、剣で受け止める。


「う、お、ぬっ」


 自分持っているものと同じ軽い木剣とは思えないその剣撃の重さに、マサヨシは唸る。


 無言、真っ直ぐに睨んだままでハイジは圧してくる。


 踏ん張りきれず、マサヨシは何歩か後退する。

 このままでは、体勢を崩される。

 マサヨシは、あえて一気に全身の力を抜き、横に自然とずれるように移動する。


「えっ!?」


 驚愕するハイジ。当然、さっきまで圧していたその勢いのまま、ハイジ一人が前に進み、マサヨシの横を通り過ぎてバランスを崩す。


 背後が、がら空きだ。

 マサヨシは体勢を立て直すと、その背後に向けて剣をはしらせる。

 無論、ハイジも向き直り構えようとするが、それよりもマサヨシの剣が命中するのが早い。はずだった。


 実際には、マサヨシの剣はハイジに命中しない。ハイジに当たったのは、剣を握っていたマサヨシの腕だ。


 振り返ったハイジは構えなおそうとしていた。していたが、それと同時に既にマサヨシに向かって突っ込んできた。まだ自身が剣を構えられていないのに、だ。まるで体当たりでもするかのような勢いで。


 いや、実際にそれは体当たりだった。

 可憐な少女の体がぶつかる。そのはずなのに、柔らかさなどどこにもない。どこまでも固い、大理石の塊でもぶつけられたような衝撃にマサヨシの呼吸は止まり、体が後ろに少しだけ跳ね飛ばされる。


 そして、休む間もなく、ハイジの真っ直ぐ振り下ろすだけの一撃。


「うわっ」


 横に転がるようにしてマサヨシは避けて、その最中に不安定な体勢ながらも、当たればもうけくらいの感じで剣を振るう。


「うっ」


 呻き。どうやら、ハイジの足に当たったらしい。だが、それを確かめられる体勢になる前に、


「うわっ」


 こん、という音と衝撃。

 マサヨシの頭に、真上から剣が振り下ろされている。

 信じられないことだが、さっきかわされてからすぐに、まだハイジは向き直り突進とともに剣を振り下ろしたということなのだろう。

 能力、というよりもそのあまりにもの猪突猛進ぶりにマサヨシは呆れ果てて、


「負けたか」


 息を吐いて、どう、と仰向けに倒れる。


「いえ、そちらの攻撃が先に当たりました。私の負けです、マサヨシ」


 冷静に言うハイジも、さすがに息を切らしている。


「実戦だったら、区長は足を軽く斬られてるだけ。一方の俺は、頭をかち割られちゃってる。負けだよ負け」


 そして、マサヨシは上半身だけを起こす。


「さすがは『姫騎士』。真正面から真っ直ぐ敵に向かっていって、倒す。俺にはできないな」


 二人がいるのはトリョラ城の中庭。

 他の者では遠慮してしまうので訓練にならない、というハイジの頼みで、マサヨシはハイジと剣の仕合をしていた。


「大体、俺は剣の腕はせいぜいが並ってところだし、『姫騎士』に敵うわけがないと思うんだけど」


「私がその二つ名を手に入れるほどの戦功を得られたのは、ただ運がよかったからです。実力は、そう大したものではありませんよ」


 白い首筋を濡らす汗を、ハイジはハンカチを取り出すとそれで拭う。


 何となく、見てはいけないような気がして目を逸らしたマサヨシの目に、ちょうど向こうから近づいてくる人影が映る。

 ジャックだ。


「マサヨシさん、それから区長、失礼しますぜ」


「ジャック、どうかしたの?」


「ええ。ちょっとお話が」





 およそ一時間後、マサヨシとジャックは、ジャックの家で遅めの昼食をとっている。


 中央に置かれた鍋には、相変わらずのサネスド料理。遅めの昼食だ。

 訪ねてきたマサヨシを見て、テンションの高くなったフィオナがうきうきとしながら手早く作ってくれたものだ。


「また来てくれたのねん、嬉しいわあ」


 にこにこと邪心なさそうに笑うフィオナに、マサヨシは頭を下げる。


「悪いね、お姉さん。毎回毎回ずうずうしく」


「マサヨシさんならいつでも歓迎よん、弟が世話になってるし」


「あー、悪いけど姉さん、ちょっといいか?」


「ああ、仕事のお話? じゃあ、ちょっと奥に引っ込んでおくわね」


 あっさりとそう察すると、マサヨシに手を振ってから、フィオナは部屋の奥、キッチンの方へと消える。


 それを見送りながらマサヨシは鍋を皿によそい、中身をすする。

 辛い。だがうまい。今度、白銀でもサネスド料理を出してみようか、そんなことを考える。


「それで、いいですかい、マサヨシさん」


 辛いものが苦手らしいジャックは、顔をしかめながら一口入れて、


「シュガーの件です」


「ああ、結局、追跡はどうなったわけ?」


 買い取った行商人風の男は、ジャックの部下が追跡することになっていた。気付かれないことを第一として、だ。途中で打ち切って、次の機会にそこから先を追跡すればいいわけだから、焦る必要はない。

 あれから丸一日。何らかの成果は出ているはずだった。


「予想通りというか、何と言うか、途中で切り上げましたけど、チャモドキはトリョラのある問屋に運び込まれましたぜ」


「やっぱりそうか」


 唸る。

 違法なものがトリョラに運び込まれるというのは、いわば当然といえば当然だ。悪徳でできているような町なのだから。

 しかし、戦争前までトラッキはアインラードの領地だったはずだ。ということは、以前は国境を越えて運ばれていたことになる。


「トラッキとトリョラの間にあった国境って、通りやすかったりしたの?」


「あの辺りですか。どうでしょうなあ。おそらく都市部に比べれば穴くらいあったでしょうが、何の根回しもなく定期的に行き来できるとは考えにくいですなあ」


 つまり、黒幕が裏で根を張っていたということか?

 マサヨシは首を傾げる。

 そんな巨大な力を持つ、そしておそらくは金も持っているであろう存在と、弱者の神。どうもうまく結びつかない。

 そう考えた時に、マサヨシは父の言葉を思い出す。





「相対的なんだ」


 唐突に父が言う。


「何が?」


「こんな調査を知っているか? 軍人に現状に満足しているのか、幸福だと感じているのかどうかをアンケートをした。その結果を職種ごとに分析した。調査前、予想ではエリート職の方が当然に満足度が高いと考えていた。給料は高いし、全ての軍人の憧れだ。花形と言えば、パイロット。パイロットこそが満足度が最高値になるだろうと予想していた。どうなったと思う?」


「ってことは、話の流れからして、違ったんだよね?」


「当然だ。違わなければわざわざ話さん」


 傷を歪めるようにして父は笑い、


「最高は憲兵。そしてパイロットの満足度は非常に低かった。何故か分かるか? 憲兵は特に憧れる業種でも給料が高いわけでもない。だが、憲兵内で差がつきにくい。だがパイロットは、尊敬を集め給料が高いが、その中でも更に差がついている。同じパイロットでもより尊敬を集めるエースがいて、同じパイロットでも自分よりも遥かに上の高給取りがいる」


 父は両手をゆっくりと組み合わせる。


「身近にある嫉妬、侮蔑の対象。分かるか? 誰も満足できない。しようとしない。上に立つ人間は、ここのところをよく理解して、利用しなければならない。正義、お前が静かな生活を求めるのならそれにも関係しているぞ。それは、つまり周囲と差をつけないということだ。嫉妬の対象になってはいけない。侮蔑の対象になっても、だ。注意深く、コントロールするんだ」


「それって」


 マサヨシが顔をしかめるのを見て、父はマサヨシが全部言う前に答える。


「そうだ。難しい。勝つよりも、上に行くよりもおそらく完璧な平穏の方が難しい」





 力を持っているからといって、劣等感を持っていないとは限らない。力を持っていても、周囲に比べて己を弱者と認識することは、ありうるか。


 父の言葉を思い出し、マサヨシは考え方を変える。

 力を持っているが、周囲がその自分よりも更に圧倒的に力を持っている状況。そんな状況に置かれている人間こそ黒幕、と考えなきゃいけないか。


「それはいいんですがね」


「え、何?」


 てっきり、その話だと思っていたので眉をひそめる。


「その、チャモドキのことなんです」


「うん」


「部下が、新しいチャモドキの隠し畑を複数発見しました」


「それが? 別に、今更文句を言うようなことじゃないでしょ」


「いえ、それが、明らかに新しすぎるんですな。我々が、スヴァンと接触した後に作られたものです。我々に見つからないように、こっそりとね」


「つまり」


 マサヨシは目を細め、足をゆっくりと組む。

 頭の中では、複数の考えがぐるぐると渦巻き、答えを求めている。


「どういうことだと思う?」


 凄まじい辛さの汁を口に含み、ジャックの答えを促す。


「俺達に監視され出してから、チャモドキの生産を増やす意味が分かりませんな。まるで」


「まるで?」


「まるで、そのタイミングで新しい取引先が見つかったかのような」


 ジャックの言葉に、マサヨシは黙ったまま汁を飲み干す。


「そう思うなら、行こうよ。別に我慢する必要なんてない。俺達は、スヴァンの首根っこを捕まえてるはずだ。でしょ?」


「ですな」


「問い質せばいい。ああ、俺も一緒についていっていい? 興味がある」


 その話をしながら、マサヨシは既に別のことを考えている。

 今、隠し畑のことを部外者に見つかるわけにはいかない。区の職員で田畑の管理をしている役人。その役人を早急に抱きこまなければ。

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