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65/202

指導1

 朝早く、白銀の三号店でマサヨシは死んだようにしてテーブルにつっぷしている。


「マサヨシさん、ほら、朝食」


 目玉焼きとパンが運ばれてきて、よろよろとマサヨシは顔を起こす。


「ああ、どうも」


「お疲れだね」


「昨日も夜まで金の工面のための話し合い。睡眠時間がどんどんなくなっちゃうよ」


「じゃあ、別に俺の話は後でもよかったのに」


「いや、いいんだ。で、話って言うのは?」


 その問いかけに、料理を運んできた男はそのまま座る。

 頭の多少薄くなった中年の男。口ひげを生やして小太りの、いかにも料理屋の大将といった風情の男はクライブ。三号店の店長をしている男だ。


「ええ、実は、その、俺、結婚することになってよ」


「へえ、おめでとう。というか、クライブさんまだ結婚してなかったんだ」


「ああ、まあな」


「お相手は?」


「いやあ、その」


 照れくさそうに顔をなでてから、クライブは親指で走り回っているウェイトレスを親指で示す。


「何?」


「いや、だから」


「え? マジで?」


 走り回っている小動物チックなウェイトレスのことはマサヨシも知っている。小柄で金髪の少女。


「ベッキー? 嘘だろ」


「本当だよ」


「いや、だって……え? 犯罪じゃないの?」


「何がだ。相思相愛だし、別にベッキーは未成年じゃねえぞ」


「いや、だけど年齢、クライブさんの半分くらいじゃん」


「愛に年齢は関係ねえだろ」


 多少顔を赤らめてクライブが言う。


「いや、まあ、そうだけどさ。で、その報告?」


「ああ、違う違う。本題はここからだ。あのよ、俺、あいつと二人で話し合ってな、その、この仕事に本腰入れようと思ってよ。二人で溜めた金があるんだ。これ、頭金にしてさ」


「うん」


「この店、売ってくれねえか?」


 予想外の話の展開に、マサヨシはしばらく黙る。


「つまり、オーナーになりたいと?」


「ああ、雇われ店主じゃなくてな」


 意外な提案に、マサヨシはしばらく無言で視線を彷徨わせる。


「総額がどれくらいになるかはあんたに決めてもらうことになるが、どうかな。特に、マサヨシさんが今色々と金がいるって話も聞いてるし、悪い話じゃないと思うんだが」


「まあ、一国一城の主になりたい気持ちは分かる」


 やがて、マサヨシの腹が決まる。


「五千だ」


「うん?」


「五千ゴールドだ」


「ああ、頭金か。で、総額は?」


「それだけでいい」


「うん?」


 クライブは頭を捻り、それから恐る恐るといった様子でマサヨシに、


「おかしくなったのか、マサヨシさんよ」


「おかしくなってない。五千でこの店を売るよ。ただ、条件がある」


「うん?」


「毎月、利益の一割をちょうだい」


「おい、それは」


「聞いてくれ、クライブさん。その代わり、今まで通りに酒の仕入れルートも、その他の俺の持ってるツテも使えるようにする。実際、独立して自分だけでやるとしたら、今の値段で仕入れできないのは分かってるでしょ。損じゃないはずだよ」


「うう、む」


 腕組みをして、クライブは唸る。


「確かに、なあ。それに、もし何かあったら、今みたいにマサヨシさんが相談に乗ってくれるってことか?」


「もちろん」


「商売上手だな。けど、いいぞ、よし、決めた。マサヨシさん、その話に乗るぜ」


 ばん、とテーブルを叩いてクライブは立ち上がる。


「つーことで、これからは対等だからな、兄ちゃん」


 いきなり兄ちゃん呼びになったことにマサヨシは苦笑して、


「変なとこに拘るね。まあ、いいよ、クライブさん、それで」


「しかし、面白いこと考えるよな、兄ちゃんも。今、それ考えたのか?」


「まあね」


 要するにフランチャイズという概念を持ってきただけだが、不敵にマサヨシは笑ってみせる。


 交渉術の基本。

 普段から、自分をより大きく見せるチャンスを見逃さず、最大限に自己演出すべし。





 中腰で餌箱に群がる豚を眺めて、クーンはにやにやと笑っている。

 恰幅のいい、まだ三十代前半の男。太い眉と鼻筋、唇が意志の強さを物語っている。


「ようやく軌道に乗り出したと聞いたよ」


「まあ、ようやくね。それで、ついにあんたも俺に会ってくれるってわけだ」


「君に金を貸した連中も胸を撫で下ろしているところだろう」


「ははん」


 後ろに立ち、自分達のいる巨大な豚舎を見回しながら、マサヨシは息を漏らす。


「ガダラ商会のトップの趣味が、豚の餌やりと掃除とはね」


「趣味と実益を兼ねてる。それに、物をあちらから買ってそちらに売って金を稼いでいる毎日なんだ。自分の手で豚を育てて、それを必要としている人々に売る。これが癒しになるんだよ」


 立ち上がり、クーンはようやく豚達から目を離す。


 クーン。ガダラ商会の創始者の孫であり、現ガダラ商会のトップ。

 親の七光りでトップについたと思われがちだが、商才は初代以上とも言われる異端児だ。

 そして、歴代トップの誰よりも黒い噂に包まれている。


「ここの豚は味がいいと人気だ。コロコも褒めていたくらいだ。あちらで、ここの豚を使ったポークステーキを出す。どうだい?」


「もちろん、いただくよ」


 少し離れた場所にある素朴な木製のダイニングで、向かい合い座り、互いにポークステーキに舌鼓を打つ。


 食事が終わり、マサヨシは次々に鞄から書類を取り出す。


「現状、こんな感じだというのを持ってきた。酒造業以外は、概ね順調だ。土木業が思いのほか好調で、これが一番早く投資分を回収しそうだ」


「そうか」


 取り出した書類には目もくれず、クーンは缶を取り出す。その缶には白いクリームのようなものが入っていて、それを両手に塗り始める。


「それから、これはある知り合いの話がヒントになったんだけど、どんどん俺の店、白銀を作っては売り渡していってるんだ。ノウハウごとね。その代わり、永続的に利益の何割かをもらう。始めたばかりだけど、こちらもかなりいけそうなんだよ。トリョラには、商売を始めたい人間は多いから」


「なるほど」


「ある程度補助金も出たから、警備会社の方も何とか利益が出るようになった。その警備のおかげと道路ができたことで商人の行き来も活発になって、トリョラ区全体の経済が活発化してる。まだまだ稼ぎは大きくなりそうだ。その資料が、これ」


 差し出された紙の資料を受け取らず、クーンはクリームを顔にも塗り出す。


「あと、やっぱり農業にも力を入れている。これは区長の許可もとってかなりの予算をもらえたし、そこに更に投資している。トリョラ自体には平地が少ないから難しいけど、区として見れば土地はかなり余ってる。山も多いけど、その山を切り開いての新田開発にはかなりの補助金を出すようにした。こっちも今は赤字だけど、将来的には有望だよ」


「そう。つまり君はこう言いたいわけだ。今現在、そこまで凄まじい利益が出ているわけではないが、概ね自分が手がけた事業は成功していて、前途洋洋だ。さあ、ここで港の方に投資してくれ、と」


「そういうことだけど、ハッタリじゃないよ。資料も持ってきた」


「資料か」


 手には取らないが、ようやくそこでクーンはテーブルの上に広げられた書類を一瞥し、


「これに何の意味がある? この手の資料の数字の捏造はお手の物だろう? 密造酒の関係でね」


 ぴたり、とマサヨシは残りの書類をめくっていた動きをとめ、固まったまま眼球だけを動かしてクーンと目をあわす。


「何の話?」


「いいんだよ、『ペテン師』。僕の前ではそんな風に腹の読みあいをしなくていいんだ。なにせ財力と組織力が違いすぎる。僕が君の上に立つのは、別に君が能力的に劣っているからじゃあない」


 クーンはようやくクリームの缶を閉じる。


「豚舎の掃除をした後はこうやってケアしないと肌が荒れてね。それはともかく、ガダラ商会は、正直なところ裏の商売に関してはエリピアでも一番だと自負していてね。となれば、トリョラに手を出していないはずがないだろう? パインには僕の父親が色々と世話をしてやったそうだよ」


「そう、だったんだ」


 ゆっくりと力を抜いて、マサヨシは椅子の背もたれに体重を預ける。


「こういう商売は情報が七割でね、ガダラ商会の人間はそこかしこに入り込んでいる。そして、一番うちの人間が多いのがトリョラなんだよ。だから、君から話が来る前から、ミサリナがやってくるよりも更に前から、君の事はよく知っているんだ。納得したかい?」


「ああ、した。じゃあ」


「知っている。さっきの君の話が嘘ではいけれど全てでもないことをね。圧倒的に資金が足りない。投資されたものだけでは到底足りず、借金に借金を繰り返して、今やその利子を払うために新たな投資者を見つけたり借金する始末だ。そうだろう?」


「そうです」


 もう隠す気のなくなったマサヨシは、書類の束を捨てるようにテーブルの隅に投げて、ため息。


「けど、噂にしか過ぎなかったガダラ商会からの投資が現実のものになれば、話が変わる。そう思ったわけ」


「自分で流した噂だろう?」


「そこまで知られているのか」


 肩をすくめて、マサヨシは力なく笑う。


「お手上げだね」


「ガダラ商会の大型の投資による港の事業が公のものになれば、投資が殺到するだろう。そこに君が作った投資を誘うにはぴったりの捏造資料もあることだしね。それを使ってまずは秘密裏に借金を返す。そういう計画かな」


「正確には、そういう計画だった、だけど」


「条件を飲むなら、考えてもいい」


 突然の承諾に、マサヨシは目を丸くする。


「え?」


「聞こえたか? 投資してやる、と言ったんだ。その資料は捏造だとしても、君の事業は将来有望だ。僕としては、現時点で動かせるだけの金をつぎ込んでやってもいい。条件を飲めば」


「投資してもらえなきゃ、縛り首なんだ。どんな条件だろうが飲むしかない。何?」


 体を起こし、前のめり気味になってマサヨシは食い入るようにクーンを見る。歯を食いしばる。


「色町をおさえろ。トリョラの色町だ」


 一瞬の沈黙。


「は?」


 予想外の単語に、マサヨシはそのまま固まる。


「色町?」


「意味を知らないかい?」


「いや、知ってるけど」


「トリョラには娼婦の類は多い。個人でやっているのもいれば、小規模だが組織化されているのもいる。パインがいたころには、奴がまとめ役をしていたが、今では小さな組織がそれぞれバラバラに稼いでいるはずだ。君がまとめて、一つの巨大な組織にしろ。君の力があれば可能なはずだ」


 ジャックが文句を言いそうだ。

 そんなことを考えながら、マサヨシは頷く。


「できないことは、ないだろうね。けど、どうして?」


 クーンは指を一本立てる。


「理由は二つ。根本は一つ。根本は、君の事業は不安定だからだ。まずは、金の面から。おそらく僕が投資した後でも、資金に余裕ができるまで安定はしない。ならば、効率的に金を稼ぐ方法を一つでも多く持っておくことだ。結局のところ、女を使うのは有史以来もっとも効率的な金を稼ぐ方法だからね」


 そして、指をもう一本。


「理由の二つ目。君の事業の不安定さは、その大部分が君の今の地位、副区長という地位に依存しているところにもある。いずれその地位を失うかもしれない。けれど、その後にも今と同じような権力を有していれば、事業は継続する。地位なしに、人を支配する。そんな方法は三つだけだ。金、暴力、それから女さ」


 突如、蛇のようにすばやく伸びたクーンの手がマサヨシの手首を握る。凄まじい力で握られ、骨が軋む。


「君はよくやっているよ、マサヨシ君。けど、まだアマチュアだ。アマチュアに金は投資できない。どんな手を使ってでも儲けを出すというところを、僕に見せてくれ」


 マサヨシは表情を変えず、クーンを見る。まるで遠くの景色を眺めるように。


「どんな汚い手を使ってでも成功するって俺が誓えば、金を出す。つまりそういうこと?」


「ああ」


 そっと、マサヨシは自分の片手首を握っているクーンの手を、握られていない方の手で添えるように包み、


「誓うよ」


 囁くように言う。

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