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ファンド1

「薬用ねぎのサラダです。猪のベーコンを添えてあります」


 ウェイターが置いた前菜を、男は凄まじい勢いで平らげる。


「うまい、うまい。薬用ねぎが、ベーコンの脂のきつい臭いを見事に消しているな」


 口をナプキンで拭う。


 黒光りする木製のテーブルと椅子。シルクのテーブルクロス。ダークブラウンの絨毯。銀細工に包まれたランプの柔らかな光。

 ロンボウ王都、ウィルランド。その中でも長い伝統を誇る、王都で一、二を争うレストラン。その一席で、男は食事を楽しんでいる。


「じゃがいものポタージュです。調味料として、鰯の塩漬けを使っています」


「ああ、これもいい」


 一口すすり、男は声を上げる。


「淡白なじゃがいもに鰯の滋味深さがよく合う。どことなく田舎料理の風味もあるな」


「肉料理です。金身鳥のソテー。オレンジのソースを絡めています」


「んん、これは、ほう、肉とオレンジのソースとは、と思っていたけれど、これはなかなか。ソテーと甘さがこうマッチするとは」


 ナイフで片端から肉を切り取り、フォークで突き刺し、オレンジに輝くソースに絡めてから次々に口に放り込み、咀嚼する。

 大いに語り、大いに食べ、そして大いに飲む。あっという間に肉を平らげただけでなく、一杯でウィルランド市民の平均月収が消えるようなワインのグラスを空にする。


「ソースがもったいないな。パンをくれ。シンプルで、塩の強い丸パンだ。このソースに合うはずだ」


 すぐにウェイターは注文どおり、それを持って戻ってくる。

 男はパンをちぎると、皿のソースを拭い、パンを次々に口の中に魔術のように消していく。ワインのお代わりもあっという間に空にする。


「香草と藁で焼いた白身魚のパスタです。お好みでこちらのチェコオイルをかけてお召し上がりください」


「ありがとう」


 オイルの入った瓶を受け取ると、それをなみなみとパスタの皿に注ぐ。


「この料理は好物だ。そして、こいつはオイルをかければかけるほどうまくなる。いくらかけても料金は変わらないんだ。だったら好きなだけ……と、これくらいでいいか」


 皿の底にオイルがたまるくらいになって、ようやく男は瓶を戻すと、フォークでパスタを巻いて猛然と口に運ぶ。口いっぱいに頬張ってから、ワインで流し込むようにして食べていく。グラスがまた空になる。


「柔らかいパンを。オイルにつけて食べるんだ。三つくらいくれ」


 パンをちぎって、オイルをぬぐい、染み込んだパンを流れるように口に運ぶ。


「何だ、また食べていないのか。ソテーが残っているじゃないか。食べないなら、もらっていいか?」


 そこで、ようやく男は対面に座っている相手の様子を見る。とは言うものの、男の判断は間違っている。相手は、食べないわけではない。男の食べる勢いが常人離れしているだけだ。


「味わって食べているだけよ」


 その獰猛なまでの食事ぶりに呆れていたミサリナは、ようやくそれだけ言う。





 名は、コロコ。

 痩せ細っているその男が獣のように料理を平らげていく様を、ミサリナは唖然と見守ってしまっていた。噂には聞いていたが、これほどとは。


「いい店を知ってるわけね」


 そうミサリナが言うと、


「飯に金を使うタチでね。おかげで金がたまらない。本当は、うまけりゃ格式なんかはどうでもいいんだけど、うまい店に限って格式が高いところが多い。ここもそうだ。雰囲気代が入ってるぞ、ここの料金には。飯さえ食わせてくれりゃ、それでいいのにな」


 パンを頬張り、コロコは空のグラスを掲げてお代わりを要求する。


「で、高い金を払ってまで俺の食事に付き合う理由は何だ? 言っとくが、デートじゃないから割り勘だぞ」


「そこは期待してないわけよ」


 ふう、と息を吐いて気を取り直してから、ミサリナは真っ直ぐコロコを見る。


「投資の話」


「投資? それなら、商会の連中に言え」


「だから今、言ってるわけよ」


「俺はただの雇われ船乗りだよ」


 黙殺して、ミサリナは一口ワインを口に運ぶ。複雑な味が広がり、一瞬ごとに変化していく。


「商会の投資担当に話せ」


「コロコ。あなたは確かにガダラ商会に雇われている身だけど、ただの船乗りじゃあない」


「アルバコーネ内戦の難民。密輸業者に拾われて、ガキの頃から小船に乗っては法律ばかり破っていた。今では、ガダラ商会に雇われて船に乗ってる。それだけだ」


「暗黒大陸との輸出入はどの国でも禁じられている。ガダラ商会の利益の六割は今や暗黒大陸との密輸によるもの。その密輸が行われるのはあなたが作り上げたルートで、今でもあなたが管理している」


「デザートは、ソルベか。ここのはうまい、お前も食うだろ?」


 一息でグラスを空にして、


「それでも、投資は俺の領域じゃあない」


「コロコ。商会に投資して欲しいのは、港についてなわけ」


 パンをちぎっていたコロコの手の動きが止まる。


「……港?」


「トリョラ区に、シーマという小さな漁村があるのは知ってる?」


「戦争で獲得した?」


「そう。海のないノライにとって、遂に手に入れた港ってことになる。けど、今やノライはロンボウの一部だから、そこまでの価値はない。けれど、貧困に喘ぐトリョラ区の人々にとっては」


 そこで、ミサリナもグラスを一気に空にする。


「希望になりうる」


「何の投資だ?」


「小さな、粗末な漁港。それを、商港にしたい」


「どのくらいの投資が必要だ? 見当もつかない額になる」


「その代わり、商会に優先的な利用権を与えるわけよ」


「とても額と労力につりあわない。ペテン師のアイデアなんだろ、裏を話せよ」


 じっとコロコの目がミサリナを見ている。ソルベがやってきても、目を動かさない。


「……密輸に使う港として、使ってもいい」


「今の港で充分だ」


「嘘。取り締まりだって厳しくなっているって噂はあたしにも届いてる。使える港が一つでも増えるのは大歓迎のはず。信頼できる港からの輸送手段とセットというなら、なおさら」


「輸送手段?」


 コロコの目が細まり、


「ああ、お前が運んでくれるのか。しかもその運ぶ品が正当なものであることは、副区長様が保証してくださると?」


 ソルベをゆっくり口に運び、


「一考の価値はあり、だ。ただ、それでも港の改修、いや、最早完全な建設か、その額全てを投資は難しいと思うが」


「でしょうね。それはペテン師も織り込み済みっぽいわけよ」


「ほお」


 目を丸くしてコロコは初めて素直に興味を表す。


「じゃあ、これからどうするつもりだ?」


「そんなの」


 ミサリナは鼻を鳴らす。


「あたしが知るわけないでしょ。ガダラ商会の密輸担当に話を持ちかける、とりあえず頼まれたのはそれだけなわけよ。全く、パートナーだっていうのに」


 不満げなミサリナの眉を寄せた表情を見て、コロコはふっと笑う。


「楽しそうだな」


「目、腐ってるわけ?」


「確かだよ。船乗りだからな」


 緊張を解いた様子のコロコは、ウェイターを呼び寄せる。


「失礼。デザートを食べといてなんだけど、魚料理って何か貰えるかな?」





「ファンド?」


 全員が首を傾げる。


 この単語ではやはり通じないか、とマサヨシは確認する。

 会議室、今度はマサヨシが呼んだ面々が集まっている。といっても、メンバーは以前集まったのと同じ、ハイジを含めたトリョラ区の重役達だ。


「酒もいいけれど、それだけじゃあ今、仕事にあぶれている人々は養えない。義勇軍に参加してもらった面々もね。更に、トリョラは今や区だ。新しくこの区の一部になった村々の面倒も見なきゃいけない」


「しかし、優先順位で言えば」


 中年の男性役人が何か言おうとするのを、ハイジは白い陶器のような手を挙げて止める。


「一挙に解決する方法があると?」


「そう」


 一本指を立てて、無理をしてにこやかにマサヨシは笑う。


 交渉術の基本の基本の基本。

 笑顔だ。感情は関係なく、微笑む。


「村々を道路で結ぶ。そしてシーマの港を改修する。交通貿易は全ての基本だ。これで経済を活性化させるし、そもそも、道路や港の建設で仕事が発生する。更に」


 二本目の指を立てる。


「獣や無法者がはびこる山中に道路を建設するのは危険な仕事だ。警備がいる。それは建設の時だけではなく、それ以降、行商人が行き来するのを警護することも必要でしょ。警備団というより、料金を取るから警備会社かな。で、それにうってつけなのは、戦争経験者だ。彼らに活躍してもらう」


「一石二鳥ですね」


 身を乗り出し目を輝かせるハイジの前に、一人の役人がため息をつき、頭まで振りながら割って入る。


「やれやれ、絵に描いた餅もいいところだな。副区長、いいかね、それで需要を作ることはできるだろう。だが、まずその予想通りに作った道路や港が大いに賑わい、警備会社が利用される。その保証がない。更に、そもそもそのための予算は一体どこから出てくる? 区にはそんな財源はないぞ」


 と、男はいやらしい笑いを浮かべ、


「区長のように自分の力で予算の目処までつけておいてから話を持ってくるならともかく、そんな夢物語を聞かされてもこちらとしても何とも言い様がないな」


「そんな言い方は」


 抗議しようとするハイジを目で制して、


「そう、その通り。そのためにファンドって方法を使いたい。つまり投資だ。ただし、通常の投資と違って、何に、じゃあない。俺に投資してもらう。そして、俺がそれを運用する。具体的には、さっき言ったようなトリョラのために使う。半分民営、ってことになるけどね。そもそも歴史上、私財を投げ打って町の発展に尽くした偉人は大勢いるみたいだからいいでしょ。で、そうして儲かれば、そこから配当を出す。個別に契約を交わす形式にすれば、法的にはオッケーみたいだよ」


「馬鹿な。合法でも、そんなやり方は聞いたことがない。誰も出資しない」


 まだ嘲笑う男に、


「まだ正式には何も決めていないし、アイデアを話した時点で既に非公式ではあるけど、二口、出資の意向を確かめてある」


「誰だ?」


「一つは、ミサリナ商会」


「個人の小さな商会だ。それなりに儲かっているとは聞いているが。それに、そもそもが副区長、あんたの身内みたいなもんじゃないか」


「もう一つは、ガダラ商会」


 その一言で、全員が黙る。ハイジも目を見開いている。それはそうだ。ガダラは、エリピアで五本の指に入るだろうという商会だ。


 交渉術の基本。

 虎の威は積極的に借りろ。嘘ですら構わない。後で本当になるのなら。


 そう、この嘘は後で本当になる。ミサリナがそうしてくれる。

 マサヨシは信じている。彼女の能力と、利益を追求する欲望を。

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