後始末2
城の前で、退屈そうに木にもたれていたジャックを見つけて、マサヨシは軽く手を挙げながら近寄っていく。
「待たせたね」
「いえいえ、で、どうです?」
二人で白銀の一号店までの道のりを歩きながら、話す。
「どっちから聞きたい?」
「何と何です?」
「くだらない話と、どうでもいい話」
「じゃあ、くだらない話で」
「ああ」
マサヨシは会議でのハイジの話をまとめて説明する。
「なるほど」
頬から喉にかけての毛を撫でて、
「ちなみに、マサヨシさんはその提案をどう思ってるんですかな?」
「いいんじゃないかな。実現不可能って点に目を瞑れば」
「よかったですよ、意見が一致して」
そうして、二人同時にため息をつく。
「問題は、非合法だから彼らは金が稼げてるって点だ。税金を払うなら酒の価格は当然上がる。品質的には最悪の酒を高い金を払って、一体誰が買う? 俺だって買わない。うちの店で扱っても、在庫の山ができるだけだ。どこかから仕入れたちゃんとした酒を買うさ」
「材料や設備、あとは訓練さえすればある程度の品質のものができるだろうと思っているんでしょうなあ」
苦笑するジャックにつられるように、笑わないまでもマサヨシも口の右端を吊り上げる。
「性善説、とは少し違うか。信用してるんだよね、基本的に人の可能性って奴をさ。今、酒の密造なんてしている奴らは仕方なくしているだけで、まともな仕事をしたいはずだ。だから、それができる環境に置いて、代わりに必死の努力を要求すれば、きっと努力してくれるはずだ。そう思っている。今回のことで言えば、誰もがプロの職人が作る酒にも匹敵するような酒を造れるように一丸となって努力すると思い込んでいる」
「環境や致し方ない事情で堕ちた連中もいますが、大部分は努力ができない、しないのではなくてできないから堕ちた連中がほとんどだというのが、実感としてないんでしょうな」
「普段、触れ合ってないわけだからね。トリョラの、ああっと」
言葉を探していると、
「掃き溜めの連中とですな。俺みたいな」
そのストレートな表現にマサヨシは今度こそはっきりと苦笑する。
「まあ、失敗するよ。ただ、ハイジとしては精一杯妥協したんだろうけどね。不法行為を撲滅するのではなく、利用して合法にしようとしたってところが」
「それで妥協ですか。潔癖ですな、区長様は」
呆れた口調のジャックに、
「潔癖な人間は向いていないよ、人を管理する立場は。さっき、危うくそうアドバイスするところだった。彼女のあまりの潔癖ぶりにね」
「中々含蓄のある言葉ですな。で」
ジャックの表情が真剣なものに変わる。
「結局、どうするおつもりですかな?」
「どうもできない。ハイジの案は、既に了承済みだよ。おそらく上の方は全て分かった上でね。これを俺が実行しなかったらそれを理由にいくつか刑を上乗せして処分。実行して失敗してもありとあらゆることを俺の責任にして処分。副区長に任命された時点で、俺の仕事はつまりそういうことだよ。スケープゴートだ」
「そのまま死ぬつもりですかな」
問いには答えず、マサヨシは曖昧に薄く笑う。
「ああ、それとも関係するんだけど」
「はい?」
「どうでもいい方の話。皆、勲章をもらったと思うけど、俺はずっともらっていなかったんだ。戦争の勲章をね。それがどうやらもうすぐ授与されるらしい。爵位と一緒に」
「ほう」
心底驚いたらしく、ジャックが目を丸くする。
「貴族様になられるわけですな」
「多分、ハンクの差し金だ。義勇軍の全員分の手柄を俺が独占して、自分の爵位に変えたと思わせたいんだろうね」
空の端を見て、マサヨシはいつかの会話を回想しながら続ける。
「人を管理するには、そうでないとね」
「お前、俺がどうやって金を稼いでいるのかは知っているのか?」
唐突な父親からの質問に、マサヨシは箸を止める。
「もう、公務員の給料じゃないよね?」
「ああ。警察のキャリアだったのは昔のことだ」
「いまいち知らない。知りたくないし」
おそらくろくでもないことで金を稼いでいるのだろうとは分かっているから、マサヨシはそう言う。
「はっはっは、小市民的でよろしい。そうだ。お前が知りたくないような方法で金を稼いでいる。その金でお前は養われている。知らないのが正解だ」
父が顎で指し示すのはテレビ。つけっ放しのそれは情報バラエティを流していて、そこで政治家の汚職をパネラー達が糾弾している。
「人の上に立つ人間、人を管理する人間のすることは、つまりそれだ。手を汚して、その利益を管理される側、下にいる人間に配分する。その利益が汚れていると気付かれないようにだ。だから、彼らは綺麗なままでいられる。お前と同じだ」
齧っていた、もう肉のついていない骨を吐き出して父は傷だらけの顔を歪めて笑う。
「汚れた政治家を糾弾している連中は、その実、自分達が非常に間接的にではあるが、その汚れたことによる利益の一部を受け取っていることに気付いていない。当然だ。気付かせないためにシステムがあるし、政治家の仕事は結局のところそれを気付かせないことにこそある。泥を被る、ただそれだけのことだ。人の上に立つ、人を管理するとはそういうことだ」
「父さんがやってるみたいに?」
「そういうことだ。だから、正義、これは純粋に親心から忠告だが」
「何?」
「平穏に、静かに暮らしたいなら、人の上には立つな」
ハンクはゆっくりと腰を下ろす。最近は、体が全くうまく動かず、腰の上げ下げにも気を遣うようになってきた。もう長くないだろう、と予想している。それでも、その前に自分の策の仕上げを、後始末をしなければ死んでも死に切れない。
「ほら、お茶だ」
麻の上下という王族とは思えない質素な服装をしたフリンジワークがカップをテーブルに置く。
「あなたにお茶入れをさせてしまうとは、恐縮ですね」
「なに、俺とハンクさんの仲だし、今日は二人きりの話だ。使用人がいないから、もてなす側が茶を入れるのは当然だぜ」
ベッドとテーブル。そして無数の本棚とそこに入っている書物や紙の資料の数々。普段のフリンジワークの印象からは想像もできない彼の私室で、ハンクと彼は向かい合って座る。
「あんたとは長い付き合いだ。腹を割って話そう。まずは、俺は賭けに勝った。あんたのおかげでな。この機会に礼を言う。国での俺の支持は急速に上がって、親父の後継者のところに俺の名前が挙がっても一笑に付される、なんてことはなくなった」
「王になるつもりが?」
「なってもいい。暇つぶしにはなる」
考えをまとめるように、フリンジワークはテーブルを指でとんとんと叩く。
「ただ、どちらにしろ、これから数年の間、ロンボウは大きく動く。そこでどう泳ぐのか、基本方針を定めておきたい。ノライ側はどうなんだ? 貴族はあんたが言い含めて、こっちでも餌はくれてやるが、問題は王族だ。王が自らの国を失い貴族になる。単なる利益不利益の問題ではない。プライドってのがある。俺には理解できないけど、王族のプライドってのがね」
「ノライ王は、もともとこの混沌の時代に小国を治めるには向いていない方でした。国の極秘情報ではあるが、知っているでしょう?」
「まあ、うちの諜報員がね。数年前から、心を病んで部屋から出られない状況なんだって?」
「加えて、王には跡取りがおりません。通常なら王族のどなたかを養子にとられることになりますが、一言で言ってしまえば、ロンボウとアインラードに挟まれた小国の王になろうとする気概のある方はおりませんでした。ここ数年は、王権の押し付け合いという珍しい状況が続いておりました」
「なるほど。むしろ貴族連中よりも、王族の方がロンボウに吸収されて安堵しているわけか」
ハンクはただの老人のような目をして頷く。
「国としては情けないことですが」
「心底、ノライはあんたでもっていた国だったんだな。危機的状況下で、吸収されるなんて道を選びたくなる気持ちも分かる」
そこで、ぽんとフリンジワークは手を叩く。
「ああ、そうだ。トリョラだ。例の件、うまく動いているみたいで何よりだ。ゴールドムーンの娘がうまく動いてくれているらしい」
「ええ」
「いいのか?」
そこで、フリンジワークの目が細くなり上目がちにハンクを窺う。
「何がですかな?」
「ペテン師だ。それなりに優秀なんだろう? このままだと本当に人身御供になるぞ」
「優秀、ですか」
ふいっと窓を向いて、そこからハンクは空を見る。
「お茶の葉は、こうやって煎じて飲むには優秀ですな」
カップをかかげる。
「ん?」
「だが、生で食べるには適さない。優秀さとは、そういうものです。私は、彼の優秀さを十二分に活かすつもりで、今の状況を作り上げた」
「最終的に生贄にしてこそ活きると?」
「そういうことです。こんなに美味なのに乾燥させて煎じるなんてもったいないと、生で食べた方がより美味だろうにと、あなたの言っておられるのはそういうことです」
「『料理人』らしい喩えだ」
フリンジワークは笑ってから、味わうようにゆっくりとお茶を飲む。
「あんたがいいなら、それでいいさ。うちの『勇者』は不満気味だがな。せっかく助けたのにと」
「ああ、一人でアインラードの領地に切り込んだ英雄殿ですか。メイカブでしたか?」
「ああ。今や、ロンボウの国民的英雄だ。プロパガンダの成果もあってな」
「私兵が英雄になる。これも、あなたを有利にする理由のひとつですな」
「もっと楽しいことが起こりそうな気もするが」
す、とフリンジワークは一枚の紙を取り出す。
「それは?」
「親書だ。数年ぶりの」
ひらひらとそれを揺らす。
「フォレス大陸からの」