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戦争の終わり3

 上品な調度品、ランプによって隅々まで照らされた室内。


 磨き上げられた椅子に座り、物憂げに『料理人』ハンクは宙に目をやっている。


「いやあ、待たせたな」


 現れたのは、でっぷりと太った、頭の禿げ上がった中年の男だった。人の良さそうな笑いを緩んだ顔に浮かべている。


「いいさ」


 大儀そうに手を振って答えるハンクの向かいに、その男は座る。


「大役を果たしたんだ。休んでもいいというのに、仕事の好きな奴だ」


 揶揄する男に、ハンクは少しだけ苦笑してみせる。


「まだ後始末が残っている。それが終われば好きなだけ休める」


「ふふん、確かに後始末は必要か。正式に併合が決まるまでの時間稼ぎを頼むつもりが、まさかああなるとはな」


「ああ」


 真っ白い髭をなでて、ハンクはため息を吐く。


「教団を利用するとは。恐ろしい策だ。後先を考えない」


「まあ、いいじゃあないか。その罪はアインラードに擦り付けられそうなんだろう?」


 頬を揺らして男が笑う。


「ああ。しかし、トリョラが生き延びるとは、な」


 ハンクは目を閉じる。


「予想外だった」


「実際、トリョラは潰れると読んでいたわけだ」


「そう。時間稼ぎになればいいと思っていた。王都シュネブさえ無事ならこのまま話がついて、ノライがロンボウのものになれば、と。だから、あなたへの忠告も本心だった。ゴールドムーン卿」


「いや、私も真摯に受け止めて、孫娘には忠告を伝えたさ。しかし、なにぶん、うちの孫は頑固でねえ」


 ぱしり、と剥げた頭を叩いたその太った男こそが、シュネブの中央を牛耳っているノライの大貴族、ゴールドムーン家の当主であるカーター・ゴールドムーンだ。


「トリョラの、前線の状況が悲惨であれば悲惨であるほどいい。ノライが属国になるように他の貴族共を説得する材料になってくれる。だからこそ、ノライとしてはトリョラに投入する人材は捨て駒がほとんどだった。例外は『赤目』くらいか。奴は往生際の悪さで有名だ。地獄のような戦争をなるべく長引かせるためには奴の力が必要だった」


「その地獄で、うちの孫は名を上げたわけだ。ふふ、『トリョラの姫騎士』だ。家族としては面映ゆいな」


「そう、呑気なことを言っている場合でもなかろう」


 ハンクは懐からワインの小瓶を取り出すと、同じく取り出した栓抜きでコルクを抜く。


「グラスはあるか?」


「ああ、もちろん」


 ひょい、と傍らの小さい棚からカーターはグラスを取り出して、二つ、それをテーブルに置く。


 ハンクはその二つのグラスになみなみと真っ赤なワインを注ぐ。


「戦争は英雄を作る。情け容赦のない悲惨なものであればあるほど。奇跡的な逆転劇であればあるほど。君の孫娘もそうだし、今回の件で最も名誉を得たのは『無能王子』だ」


「フリンジワークか。奴の動きは早かったな、あっぱれだ。既に砦や村のいくつかを電光石火で占領したらしいな」


「早かったんじゃあない」


 ぐい、とハンクはグラスを一気に呷る。


「奴は、ノライとロンボウが一つになることが決まる前から動いていただけだ。独断で、だ。私がその話を持ちかけた時から、奴はそれが成就する仮定で動いていた。父の許可も得ず、私兵と、身銭を切って雇った傭兵、果ては盗賊団や殺し屋、殺人鬼まで動員して、この戦争が始まった時から既にロンボウからアインラードまで突き進んでいた。そして、いきなりアインラードに攻め込んだんだ」


「恐ろしいマネをする奴だ」


 カーターはゆっくりとワインを口に含み、


「とはいえ、奴は賭けに勝った。ロンボウでは英雄扱いされるだろう。この戦争の一番の功労者だ。後継者レースでも、一気に他の候補者をごぼう抜きだよ。今から媚を売っておかなければな。特に、属国にすぎない我々としてはね」


「そううまくいくかな」


 呟いて、ハンクは目を閉じると長い長いため息を吐く。


「お疲れだな」


「疲れた。あの無気力な王が一番最初に折れたというのに、他の貴族は皆、反対だ。ノライの歴史だの文化だの誇りだのを持ち出して、同じセリフを繰り返してはロンボウの一部となることに反対し続けた。どうして、私以外の人間はこう先を見る力がないんだ?」


「私からすれば君の方が不可解だがね、ハンク。王の懐刀であった君が、どうしてノライを滅ぼすよう動いた?」


「滅ぼすよう動いた? ゴールドムーン卿、あなたも先が見えない人間の一人か。違う、もはや、時間の問題でしかなかった。アインラードが滅ぼさずとも、ロンボウが。ロンボウが滅ぼさずとも、別の国が。ノライに未来はなかった。あとは、どうやって被害を出さずに滅びるか、だ。だから、私はそのために全力を尽くした。いや、それしかすることがなかった」


「じゃあ、この結果がベストだと?」


「私の能力の限りでは。特に、ロンボウが封建制であることが大きい。ノライ王家はそのまま大貴族となり、ノライはその貴族の領地となる。領地の中で領主がどのように統治をしようが勝手だ。つまり何も変わらない」


「事実上、ノライはこれまで通りなわけか」


 二重顎に指を当ててカーターは考え込む。


「変わるのは王が王でなくなり、我々がノライの王の臣下ではなくロンボウの民となるくらいだ。しかし、それが何だ?」


「他国の一部となるのが、それほど生易しいこととも思えんがね」


「事実、そうだろう。これまで通りとはならない」


 あっさりと、さっき自分が言ったのとは反対のことをハンクは口にする。


「トリョラの民が差別されるように、我々も差別されるだろう。だが、それを言うと貴族共は余計に反対するからな。とりあえず変わらないことにしてやった。それは、ロンボウ側にも話を通している。少なくとも最初のうちは、これまで通りになるように配慮してくれと。そうでなければ力を持った貴族、下手をすれば民衆が反旗を翻す」


 だが、とハンクは皺だらけの自分の首を触る。


「真綿で首を締めるように、徐々に、彼らの力を削ぎ、ノライの民を完全に従順なるロンボウの民へと変えていくだろう。ノライという貴族が持つには広すぎる土地はいずれ分割され、あるいは取り上げられ、その時にこそノライの王は名実共に消滅する」


「それでも、自分のしたことは正しいと?」


「一番ましな道を選んだだけだ。ゴールドムーン卿、状況がどう変わろうが、力のある者は正しい選択をすれば生き残れる。あなたも精々頑張ることだ」


 二杯目を注ぎながら、ハンクは上目遣いにカーターを見る。


「ふむ、まあ、うまくやるよ。孫娘がトリョラの英雄になったことだし。少し力を加えてやれば、トリョラは我々が牛耳られるだろう」


「ああ、それか」


 顔をしかめて、ハンクはワインをまた一気に呷る。


「それは、一年ほど待って落ち着いてからの方がいい」


「何?」


「この戦争に勝ったのはロンボウだ。だから、トリョラの民は、義勇兵として戦った彼らは決して満足するような報酬が手に入るとは思えない。人に対してだけではない。今回の戦争で、ノライ側で最も犠牲を払ったトリョラという町には、おそらくほとんど金が注ぎ込むことはないだろう」


「難民移民の町に感謝する必要などないということか?」


「それもある。それに加えて、ノライにはもはやそこに割くための力がないということだ。そんなところに割く力があれば、ロンボウに媚を売るために使う」


「トリョラの民は納得しまい」


「だから、生贄が必要だ。トリョラに流れ込むはずだった金を全て自分の懐に入れた腐った役人。初めから守る気もないのに、戦争で奮闘したものには金や仕事や地位を約束した詐欺師。フリンジワークに確保を頼んでおいた。運がよければ、今頃助け出されているだろう」


「トリョラの民の全ての憎しみと不満を背負って、断頭台に向かってもらうわけか」


 そこで、カーターはふと緩んでいた顔を引き締めて、


「君は、最初からそのつもりであの『ペテン師』を?」


 答えず、静かな目をして、『料理人』はワインの三杯目にとりかかる。





 青臭い、緑の液体の染み込んだ包帯を全身に巻きつけられる。特に、顔までそれでぐるぐると巻かれているので息がしづらい。片目も隠れてしまっている。その包帯の上から、更に乾いた包帯を何重にも巻き付けられる。


 意識が遠くなったり、急に覚醒をしたりを繰り返していて、どのくらい時間がかかったのかは自分でも分からない。

 とにかく、気付いた時には、包帯でぐるぐる巻きにされて固いベッドに寝ていた。


「生きてるのか」


 薄暗い天井を見上げて呟いたマサヨシは、口を動かした瞬間に痛みに襲われて顔をしかめる。


「気がつきましたか」


 かすれた声。

 そちらに首を動かそうとすると、またしても今度は首が痛む。とにかく首と眼球を必死に動かしてそちらに向けると、幽鬼のように佇んでいる少女の姿がある。


 生気のない、死人のような顔。いや、目だけがぎらついていて、それがまた恐ろしい。痩せた儚げな少女。痩せこけた、死にそうな少女と表現した方がいいか。


「ハイジ」


 名を呼ぶ。


「酷いザマだ」


「お互いに、ですね」


 薄っすらと微笑んで、ハイジはマサヨシの枕元まで近寄る。


「ここは?」


「トリョラ城です。あなたは、助け出されました。覚えていますか?」


「ロンボウの男に助けられた」


 目を閉じて、男の顔を思い出す。


「あの男は?」


「あなたの救出の後、意気揚々と前線に向かいましたよ」


「戦争は、まだ続いているのか」


 そして、包帯に巻かれた手をそっと上げてみる。手を握ったり、開いたり。その度に痛みがはしって小さく呻きながら、


「いいの? それなのに、こんなところにいて」


「私達の戦争は終わりました」


 力の抜けた声で、ハイジは言う。


「生き残りました。妙な気分です」


「英雄でも?」


「英雄。本当の英雄はきっと大勢死にました」


「それは、確かに、そうかもしれない」


 息を吐いて、マサヨシは笑う。笑うと肋骨の辺りが痛んでむせる。


「戦争の熱が去ってみれば、ひたすらに、疲れただけです」


 俯いてハイジは自らの両手を眺める。


「疲れました。戦争中の方が、遥かに楽だった」


「どうして、ロンボウが?」


 ああ、とハイジが顔を上げる。


「まだご存知じゃありませんでしたか。ノライは消滅しました。名前は、今のところ名残として残っていますが。けれど、誰もが連合王国ではなく昔どおりのロンボウと呼ぶでしょうね」


「そうか」


 それだけで、マサヨシは大体のところを理解する。


「『料理人』の策は、それか」


「あとは、ロンボウとアインラードの戦。戦場は不意を突かれたアインラード側にうつり、トリョラには平穏が訪れました。多大な犠牲を払った上での平穏ですが」


 そこで、幽鬼じみた顔に面白がるような片頬だけの笑みを浮かべて、


「気の早いことに、打診が来ました」


「何の?」


「トリョラは、戦後は周辺地域と共にトリョラ区となる予定だそうです」


「ああ、これまではノライの東区に属していたけど、そうか、トリョラ区ね。まあ、元々、ちょっと特殊な町だし、それはいいんじゃない?」


「その区の長に、ならないかと」


「はっはっは、区の長か。出世じゃんか」


 マサヨシは目を閉じる。また、意識が遠くなりつつある。眠たい。


「おそらく、本家の方からの横槍があったのだとは思いますが」


「それだけじゃあないと思うよ。これまでずっとトリョラを統治してたのはハイジだし、今回のことで英雄になった。ハイジ以上に相応しい人間はいない」


「飾りとしては。けれど、問題は実務です。副区長を誰にするか。それについても、進言がありました」


「誰?」


「あなたです」


「ああ、そう」


 言って、マサヨシは眠りに落ちていく。

 その瞬間、マサヨシの脳裏に浮かんでいるのは、罵声を上げる群衆の中を引きずり回され、断頭台に首を置く自分の姿だ。


 どうでもいい。疲れた。

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