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戦争の終わり1

「人殺しめ」


 赤いローブを頭から被った、レッドソフィーの信徒。顔は闇になっていて見えない。ただ、その闇の向こうにあるこちらを見下ろしている目だけは何故かはっきりと認識できる。


「人殺しめ」


 また、吐き捨てるように言われる。


 別に何も思わない。それは真実だ。だけど、それがどうした? 戦争になったら、誰だって人を殺す。兵士は人を殺す。自分や自分の大切な人を守るために。国や居場所を守るために。誰がそれを責められる?


「人殺しめ。罪のない、武器を持たない人々を殺した」


 だから、それが何だっていうんだ。戦争になれば民間人の虐殺なんて日常茶飯事だ。現に、俺はそれを見た。そう、目にしたんだ。どちらにしろ、ここで俺達が負ければ、俺達のいた場所でそれが起こる。そうだろ?


 それに、俺は会談に出席した。たった一人で。殺されることを覚悟で。

 だから、いいだろ? 同じだ。人の命を利用したけど、自分の命だって利用した。それでいいだろう? 平等だ。

 自分の命を賭けることで贖罪になるなんて思ってないけれど、だけど。


「人殺しめ」


 正しいことだとは思わない。けれど、俺のしたことは、戦争では普通のことだ。

 普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通のことだ。普通の





「はっ」


 目を覚まして、思わずマサヨシは笑う。

 木製の椅子に縛り付けられている。きつく、きつく。おそらくは地下。ランプの光だけが光源の薄暗い部屋。石壁。殺風景で狭い部屋。

 違う、鉄格子がある。牢屋。地下牢か。

 いずれにせよ、懐かしい感じがする。あの時は、ツゾ達に監禁されたんだったか。気絶させられ、拉致監禁される。全く同じだ。


 鉄錆の味。唾を吐く。朱に染まったそれが床に落ちる。

 呼吸。黴と土の臭い。

 頭が締め付けられるように痛むが、それを無視して考える。ここはどこだ?

 最後の記憶は、ガンツが殴りつけてくる映像。なかなか無茶な手段に出たものだが、実際には想定内だ。

 そう、マサヨシは自身が殺害される等により城に帰還できないケースも想定していたし、そのための手も打っていた。遺書というか、置手紙だ。

 とはいえ、それがなくとも聡明な『赤目』ならば正しく状況を判断して、篭城戦を選択するだろう。そう、いまや、トリョラの陥落が長引けば長引くほどに、アインラード、というよりシャロンにとっては血液が失われるに等しい。

 ただ、とマサヨシは縛られたままで頭を振る。

 ただ不安なのは、あの交渉の時のシャロンのどこか他人事のような顔だ。自分の喉元に刃がゆっくりと迫っている状況だというのに、平然としていた。いや、違う。きょとんとしていた。驚いてはいたが、危機感というものが感じられなかった。まるで、何も分かっていない子どものように。読み違えたか? いや、しかし、その分側近らしき男、ガンツが狼狽していた。今のところ、自分が捕らえられていることも含めて想定内に物事は動いている。


 足音。

 薄暗い鉄格子の向こうに、松明を持ったアインラードの兵士に付き添われるようにして、見覚えのある体格のいい将校が現れる。


「やあ」


 笑いかけてやる。

 向こうは、無反応だ。


 やがて、鉄格子の扉を開けて、その男、ガンツは牢に入ってくる。


「やってくれたな」


 低く呟かれる呪詛。


「俺、気絶してからどれくらい経った?」


「貴様のために、ここまで乱されるとは」


「ここどこ? まあ、多分、あの小屋、俺が気絶させられた小屋から一番近いアインラード領の城の地下牢ってとこだろうけど」


 突然、腹を蹴られて椅子ごと床に倒れながら、マサヨシは嘔吐する。血と胃液しか出ない。

 髪をつかんで引き起こされる。


「言え。貴様のことだ。俺達の破滅を免れる絶対的な手を、交換材料を用意しているはずだ。でなければ、こちらがお前の話に乗らない可能性がある。例えば、全てがお前の手によるものであることを記したお前の署名入りの書」


「ははあ、鋭い」


 そのまま、頭を石の床に叩きつけられる。側頭部が痺れるようになって、眼球がマサヨシの意思とは別にぐるぐると動き、意識が飛びそうになる。吐き気。視界は点滅する。


「言え。どこにある」


「あー……」


 息のような声を出すことしかできない。


「いいか、お前も分かっているように、こちらは切羽詰っている。どんな手を使っても、どんな拷問をしてもお前を吐かせる」


 汗に塗れた顔を、ガンツは引きずり起こしたマサヨシの眼前まで近づける。


「言うと思う? 言ったら、殺されるのに」


 ようやく喋れるようになって、マサヨシはそう言う。


「楽に死にたいって懇願させてやるよ」


「耳でも削ぐ?」


 激痛。

 何が起こったのかマサヨシには分からない。分かるのは、自分が再び床に転がっているということ。


「時間があれば、餓死させてやるところだ。あれは、一番つらいからな」


 声がどこからか降ってくるが、もはや方向感覚が狂っている。世界が回る。


「経験談?」


「篭城戦を強いられた時にな。部下共が共食いしたよ。トリョラ城も、そうなる。そうしてやる」


「そんな時間はないでしょ」


 最後の力を振り絞ってそう憎まれ口をきいて、意識が途切れる。


 次に意識を取り戻した時には、マサヨシはしっかりと椅子に座っている。全身に痛み、とくに胸、そして胃が痛い。猛烈に気分が悪く、口の中はざらざらとしている。顔のところどころに、何かがこびり付いているのが分かる。少しして、それが乾いた血だろうと見当がつく。


「ああ」


 声を出してみる。多少しわがれてはいるが、ちゃんと出る。次の瞬間、どうしようもない渇きに襲われる。唾を飲み込もうにも口の中はからからに乾ききっている。

 一体、どれくらい経ったのだろう? 確かに、水と糧を断たれるというのは苦痛だ。苦痛でしょうがない。


 乾きで、一秒が一時間にも思える時間の中で、ただただマサヨシは待ち続ける。


 絶え間ない苦痛。それを受けている間、奇妙なことにマサヨシは平穏を感じる。

 罪を償っているような感覚。苦痛に支配されて余計なことを考えずに済むという安堵。


「独りよがりな。まあ、平穏とは元来そういうものか」


 父の声が聞こえる、気がする。

 当然、幻聴だ。


「言う気になったか?」


 声。

 いつの間にか床を見ていた。マサヨシが顔を上げると、ざらついた視界の中、そこにはガンツがいる。もう、これが夢なのか現実なのか、時間の感覚も分からない。

 意識が連続していない。


「喋れないのか?」


 口の中に何か押し込まれる。

 何かは分からない。ただ、それが水分を含んでいることは分かる。


 乾いた砂に水が染み込むように、ほんの少しのその水分が全身に一瞬にしていきわたり、ぞっとするような快感に体が震えだす。

 この快感のためならば、何を捧げてもいいと思えるような感覚。


 急速に視界がクリアになる。ガンツの顔がすぐ近くにある。圧倒的優位だというのに、追い詰められた顔をしている。


「言う気になったか?」


 再び、ガンツが繰り返す。


 交渉術の基本。

 マサヨシは頭の中で、言葉を捜す。

 こういう時の、交渉術の基本。何だったか。


「言う気になったか?」


 交渉術の基本。

 相手を追い詰めすぎるな。譲れ。譲ることで、相手を更なる泥沼に嵌らせろ。

 そう、これだ。これがあった。

 マサヨシは自分に言い聞かせる。

 落ち着け。追い詰めているのは、こちら側だ。そう、喉笛に噛み付いているのは、俺の方だ。


「言う。言うから、水、水をくれ」


「駄目だ。言うのが先だ」


 まあ、いい。

 ガンツは頭が回る。まさか、俺の発言の真偽が判明する前に殺しはすまい。

 熱を発している頭で、必死に考える。


「……分かった。タイロンだ」


「何?」


 ガンツの顔が歪む。


「タイロンって、殺し屋に託している。神出鬼没だ。知っているか? 伝説の殺し屋だ」


「貴様、ふざけているのか?」


「ふざけていない。奴に託した。合図をしたら、俺本人にだけ、渡してくれと、金を渡して契約している」


 嘘だ。だが、肝心なのは、これを嘘だと相手が断言できないことだ。


「頼む、水を、水をくれ」


「神出鬼没な殺し屋だと? そんな夢物語を信じろというのか?」


「ハイジを殺す精鋭部隊が潰されなかったか?」


 ガンツの顔が固まる。


「あれは、俺がタイロンに依頼したんだ」


 明らかに、ガンツは動揺している。信じつつある。当然だ。その部分は本当なのだから。

 交渉術の基本。

 突拍子もない嘘を言う場合には、突拍子もない真実を、根拠と一緒にくれてやる。突拍子もない真実を信じるのと同時に、嘘の方も信じてくれる。


「……合図は?」


「え?」


「どんな合図だ?」


「水を、くれ」


 マサヨシはぜろぜろと喉を鳴らす。


「いいから、言え! 合図は何だ!?」


 激昂するガンツを、乾いたマサヨシの目がじっと捉える。

 その目に、ガンツは気付いていない。


「城の、バルコニーの手すりに布を巻きつける。何色でもいい。そうしたら、その日の夜に、城内にタイロンが来る。そういう手はずだ」


 だけど、と息も絶え絶えにマサヨシは続ける。


「俺以外には絶対に渡さないようにと、そう念を押してある。俺を解放して、今からでも話し合いといこうよ」


「黙れ」


 拳に歯を当てて、噛み締めながらガンツの目が激しく動く。おそらく、色々なことを考えているのだろう。どうすべきか、をだ。


「水を、くれ」


 そう言うと、ようやくガンツは舌打ちしつつ、革の水筒を差し出し、マサヨシの頭から水をかける。慌てて上を向いて口を大きく開ける。水が、入ってくる。

 この快感。熱を持っている頭が水で冷えるのも心地いい。無心に、ただただ水が体にしみこむのを感じている。


「鼠に合図をさせても、その後に接触ができん。くそ、だが」


 ぶつぶつとガンツは何か呟きながら、牢の中を歩き回る。


 足音。それも、かなり騒がしい。


「ガンツ将軍!」


 大声と共に、鉄格子の向こうに兵士が現れる。ぜいぜいと肩で息をしながら、もたれるように鉄格子を掴んでかろうじて立っている。


「何だ、どうした?」


 その兵士の異常な様子に、ガンツは瞠目する。


「き、奇襲です」


「奇襲だと?」


 意味が分からないのか、ガンツは眉を寄せる。


 それは、マサヨシも同じだ。

 奇襲? 篭城して時間を稼いでいるはずのトリョラから、奇襲だと?

 意味不明な行動だし、そうだとしても兵力などたかが知れている。これほど慌てる理由がどこにある?


「どこを襲われた? それに、一体どの程度の勢力だ?」


「それが」


 言いかけて、兵士はマサヨシに今更ながら気付いてはっと口をつぐむ。


「いい、言え!」


 気がたっているらしいガンツは、苛立たしげに叫ぶ。


「はっ、そ、それが、奇襲は先ほど、各地で同時に起こりました」


「各地だと? 馬鹿な、トリョラ軍ではありえない。まさか、ノライの本隊を防衛ではなく攻撃に全て回したのか?」


「いえ、それが、その」


「どうした?」


「どうやら、報告を聞く限り、奇襲してきたのはノライ軍ではありません」


「何?」


 何が起こっているのかは分からない。しかし、『料理人』の策だ。

 混乱するガンツを尻目に、マサヨシは直感する。

 例の、発動まで時間を要する策。それが、ついに実を結んだ。


「その、まだ未確認の情報ですが、奇襲をしてきたのは」


 ごくり、と唾を飲んで、兵士は続ける。


「盗賊団、傭兵部隊、それからロンボウ軍です」

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