会談2
「どういうつもりかは知らないが、片耳だ」
その反応に気味悪いものを感じながらも、シャロンが答えると、
「やっぱり、か」
顔を覆ったまま、マサヨシはため息。深く、長いため息。
「それじゃあ、多すぎるな。その箱いっぱいには、ならない」
ぽつりと、こぼしたマサヨシのその一言に、意味を理解するよりも先に、シャロンの背筋に冷たい電流がはしる。
「賭けには負けた。負けてしまったよ」
ゆっくりと、マサヨシは顔を上げる。その表情は幽鬼のようだ。
「けど、あんた達も負けたな」
「何を、言っている?」
嫌な予感がこみ上げてくるのを感じながら、シャロンは問う。
「いや、あんただけじゃない。皆だ。誰もが、賭けに負けた」
「だから、何を言っている!?」
抑えきれない不吉な予感に、シャロンは怒鳴るようにして問う。そんな声を出したのは生まれて初めてのことだ。視界の端でガンツが驚愕している。
「懺悔だよ。と言っても、大したことはしてない。俺はね。したのは、あんたらだ。俺は、世間話をしただけだ」
どろりとした視線を、マサヨシは宙に彷徨わせる。
「俺を責めるもんだから、嫌味を言ってやったんだよ。文句を言いやすいところにだけ言ってるだけだろうってさ。小国だから、こっちに文句を言ってきているだけで、攻めてくる側のアインラードには言っていない。怖いからだろうってさ。そこからは、もう、売り言葉に買い言葉だ」
「何の、話だ?」
「だから、世間話の内容だよ。特にアインラードなんて秘密主義だし、戦争ばっかりやってる大国だ。こっちの義勇軍のことを責めるよりも先にそっちを止めろって話だろ? 絶対にアインラードの方が何の罪もない人々のことを不幸にしてる。特に戦場に近い場所では、アインラードの国民だって困ってるはずだよ。中にいるレッドソフィー信徒だってね。でしょ?」
肩をすくめて、虚ろな視線をマサヨシはガンツに向ける。
「そうでしょ?」
「お前」
それきり、ガンツは絶句する。何か、恐ろしいことを思いついてしまったように。
「そうしたらアインラードには外部からは入りにくいって話になってさ、でもそんなの言い訳じゃない。中立の立場の国、例えばキリシアから強引に入国しようと思えばできるはずだ。それをやってアインラードの指導部に文句も言わず、アインラード国内の困っている人々を助けもせず、弱いものを叩くだけか。そうやって挑発しちゃってね。まあ、売り言葉に買い言葉ってやつ」
その時の様子を思い出しているのか、マサヨシは暗い目を細める。
「そのまま険悪なムードで別れちゃったんだよね。だから、俺は何もしてない。ただ、世間話に失敗しただけだよ。何かを要請したわけでも、依頼したわけでもない。ただ」
両手を広げる。
「それは、起こってしまった」
「落ち着け、シャロン、はったりだ」
そう言うガンツの顔面は蒼白だ。
「目撃者もいるし、すぐに公になる。そうでしょ? アインラードの国境でレッドソフィーの信徒がどこかに連れて行かれて、それきり行方不明ってことはさ。それに、そもそもあんた達から問い合わせしちゃったんでしょ? とぼけるのは難しいだろうね」
マサヨシは目をぎょろりと小箱にやる。
「虐殺し、拷問した。何の罪もない、レッドソフィーの信徒を。きっと彼らは、自分達は善良なる信徒だ。罪もない人々を助けたいだけだと言い続けていたんだろうね。それを、あんた達は訊く耳を持たず、一方的に痛めつけた」
目を見張り、凍りついたように凝視するシャロンに、
「ところで、あんたらからの提案だけど、丁重にお断りさせてもらうよ。籠城でもして少しでも長引かせれば、アインラードはノライを敵に回したままで世界から非難を受けることになる。小国ノライのそのまた一地区にすぎないトリョラすら落とせていないとなれば、強気に出てくる国も出てくるかもしれない」
少なくとも、とマサヨシは目は乾いたままで、口だけで笑顔を作る。
「あんたは、終わりだ。この戦争でアインラードが負けることはないにしても、司令官としてのあんたは終わる。強いアインラードの象徴、『勝ち戦の姫』は汚名に塗れて消えてなくなる。で、どうも、ことはそれだけじゃ済みそうにないな」
唇を舌で舐め、マサヨシの空洞のような目がシャロンの中まで覗き込もうとする。
「あんたらの国が割れる。下手をしたら、あんたら側の派閥が負けてクーデターすら起こりかねないってところか。さすがにそこまでは予想していなかったけど、なるほど、あんた達も大変だね」
そしてガンツに視線を移して、
「どうしたの? 汗、凄いよ」
脂汗でじっとりと顔を光らせたガンツは、いつしか呼吸も荒くなっている。
「あなたは、最初から、そのつもりで?」
ようやく、絞り出すようにしてシャロンが問うと、肯定か否定か、マサヨシは黙って肩をすくめて、
「俺はあんたを評価してる。さっきも言ったけど、あんたは徹底的だ。そして、鮮やかな策は求めない。俺が偽物のレッドソフィーの使節団を入国させようとするなら、それを逆手にとって国内で泳がして罠にはめたりなんてしない」
マサヨシの目が、ぞっとするような光を帯びる。
「あんたは確実に勝つ。策を潰して、折れかけているトリョラの、俺の心を折るだけで勝利は手に入る。なら、それをするだけだ。鮮やかな策も、これ以上の無理な力攻めも必要ない。レッドソフィー教団の偽物を策にしたこと自体、俺の弱みにもなるしね。策を潰し、俺の弱みを握る。それが確実だ。だからそれをやる。それも、徹底的に」
マサヨシの両目と口の端がどんどんと吊り上がっていく。
「偽物の使節団がひとつだけだとは思わない。あんたはそんな慢心はしない。全てだ。全て、徹底的に潰す」
「素晴らしい」
ガンツにすら聞こえないくらいの小さな声で、シャロンは無意識のうちに呟いてた。
読まれていた。リスクをとらず、徹底的に全てを行おうとする自分の傾向を。読んで、そこに罠を張っていたのか。
「で、話を続けたいんだけど、ここではっきりさせておきたいことがある」
マサヨシは身を乗り出す。
「つまり、この話し合いの主導権は、こっちにある。俺にあるんだよ、そうでしょ? あんた達の生殺与奪の権利を握っている、とまではいかないけど、あんた達の派閥の行く末に強い影響をもたらすのは、俺だよ。いいかい、ここからのあんた達と俺との話し合いは、要するにこういうものだ。つまり、『あんた達の派閥への悪影響が最小限になるように俺も協力してやるから、ノライから手を引け』。簡単でしょ?」
瞬間、轟音と共にマサヨシが椅子ごと吹き飛ぶ。
唖然とするシャロン。
突如として、ガンツが全力でマサヨシを殴り飛ばしたのだ。
気絶したらしく、呻いたままで起き上がろうとしないマサヨシ。
「ガンツ、あなた……」
「忌々しいが『ペテン師』の言う通りだ。俺達は、奴の最低最悪の罠に嵌って、絶体絶命と言ってもいい」
顔面蒼白で目を見開いたまま、ガンツはシャロンを見る。
「この男は、最初からアインラードに勝つつもりで罠を仕掛けたんじゃあない。俺達だ。俺達が窮地に追い込まれるように罠を仕掛けた。アインラードの勝利は揺るがない。だが、俺達は違う。国内の権力闘争で負ける。いや、この件に関してはそれでは済まない。教団への誠意として司令部の人間は全て首を斬られる。運が良ければ本人だけが、下手をすれば一族郎党全て。シャロン、お前は例外だ。王族だからな。だが」
倒れたマサヨシに近づくと、取り出した縄で手早く両手両足を縛っていく。
「だがそれすら危うい。この男が見抜いたように、この件、国内のパワーバランスが崩れる。分かっているだろう、『西側』が暴れ出しかねない。強いアインラードが、『勝ち戦の姫』が押さえつけていたタガが外れてしまう」
「だからこそ、彼の協力が必要なのでは? ガンツ、手玉に取られたのは忌々しいけれど、彼を手荒に扱っては……」
「シャロン!」
ガンツが両目を充血させて怒鳴る。
「分かっていないのか? これはもう、そんな状況じゃあない。被害を最小限に抑えるだとか、そういうことじゃあない。いいか、この件に関しては、我々が被害を受けた時点で終わりなんだ。生き延びる道はただ一つ、全ての責任をこの男になすりつけることだ」
見下ろしたガンツの目が細まる。
「我々は何も知らない。この男が、教団を誘導して連中をアインラードの国境を越えさせ、そしてこの男自身が偽物の兵士を使って彼らを虐殺した。我々を貶めるために。あるいは、この男が大量の金で数人のアインラードの兵士を買収した、ということにしてもいい。その場合、現場にいた兵士の首も添えて送ってやればいい。ともかく、いいか、今回の件については我々は何も知らない。そうするしかない。この男と話し合いをする余地はない。このペテン師には、最終的には全ての責任を被った上で死んでもらう」
「そうしないと、アインラードが滅びるから?」
「そうだ、シャロン。全てはアインラードのためだ。野蛮な革命で、伝統あるアインラードが消えてしまうなんて耐えられないし、それを防ぐために我々は人生をかけてきた。そうだろう?」
壁を思いきりガンツは殴りつける。
「それが、こんな虫けらのような男に。おのれ」
「どちらにしろ」
奇妙に冷静になっているシャロンは口に出しながら状況を分析してみる。
「問い合わせてしまった手前もあるし、派遣したはずの信徒が行方不明になったということが教団にとって明白になって、アインラードに事実究明の依頼がくるまで、どれくらいかしら?」
「二日か三日、か」
また、ガンツは壁を殴りつける。
「時間が足りない」
「それまでに、彼に全ての責任をなすりつけつつ、この戦争を短期間で終わらせる策を練らないと。ともかく、トリョラ攻めは継続するしかないわ」
「おい、誰か来い!」
小屋の扉を開け放ち、ガンツが外に向かって怒鳴る。
シャロンは無意識のうちに唇を噛んでいる。気絶しているマサヨシを見下ろす。
本当に、ガンツが言うように自分達は追い詰められているのだろうか。よく分からない。これまでは、自分の勝利がアインラードの勝利だった。父からもガンツからも、ただ勝ち続けることがお前の存在意義だと教え育てられた。このペテン師が言うように、アインラード国内が微妙な情勢であることも、自分の勝利にどんな意味があるのかも、成長するにしたがって知識としては理解できた。けれど、実感がない。勝てばいい。勝ち続ければ、それでいい。そうじゃなかったのか。
外に兵士を呼びにいくガンツの背中を見つめる。
ガンツは歴戦の兵士だ。父からの信頼も厚く、常に冷静沈着。そのガンツが、明らかに焦っている。この戦争自体には、負けそうもないというのに。
勝てば、勝ち続ければよかったんじゃあないのか。たとえ、自分の国内での立場がどうなろうとも。
足場がくずれてふわふわと浮遊しているような、奇妙な感覚を味わいながら、シャロンはマサヨシが運び出されるのを見送る。