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敗戦の足音2

「あらゆる生命体は適応能力を持っている。人間もだ。住めば都、というだろう? どんな状況だって、やがて慣れる。分かるか、状況が変わらなければ慣れるんだ」


 父の言葉を思い出す。


「つまりそれだ。お前が言う、平穏というのは状況の不変と同義だ。波風の立たない、代わり映えのしない日常。それがお前の求めるものだ。そうだろう? 慣れるんだ」


 そうだ。だから、きっと、慣れるはずだ。時間が、自分を救ってくれる。


 マサヨシは壁にもたれながら自分にずっと言い聞かせている。

 俺は、自分で自分から平穏を奪った。やってしまったことは、永遠に自分自身を苦しめてしまうような気がする。今は。


 どんな状況だって、やがて慣れる。

 明らかに裏社会の暴力を仕事にしていると思われる体格のいい男、その男を素手で叩きのめし、倒れた男を蹴りつけながら言った父親の言葉を思い出している。


 そう、今はそんな気がするが、いつか慣れる。いつか救われる。

 俺は平穏を手に入れる。静かに、心安らかに暮らすことができる。

 呪文のように自分に言い聞かせる。


 何度も何度も、同じ言葉を心の中で繰り返しながら、町を歩く。

 トリョラの町は、本格的な敗戦の臭いによって、避難が本格化しているためにひっそりとしている。あの騒々しさが見る影もない。


 マサヨシはため息をつく。

 結局、教会に行っての話に、大して成果はなかった。スカイにわざわざ会って、あの敵意を隠そうともしない聖女と話をしてみたが、けんもほろろというやつだった。


 それでいい。

 特にマサヨシは落胆していない。それでいい。それは、想定内だ。

 気まずい中、世間話をして終わった。それは、ある意味でマサヨシの予想通りだ。


「ここまでは順調だ。そう、順調なんだ」


 自分に言い聞かせながら、マサヨシは歩き、そして城の方向を睨みつける。

 かすかに、かすんで見える城。


「戻りたくないなあ」


 呟いて、頭をかきながらマサヨシはそれでも城への道を歩く。

 歩きながら考える。

 どうやら、今日の昼間はやりすごせそうだ。まだ、城まで攻め込まれはしない。おそらく、勝負は明日になる。

 それなら、マサヨシが仕込んだ賭けが成立する。勝った負けた以前に、今日、そのままノライが負けるとなればそもそも賭けが成立しなかった。


 後は、賭けに勝つかどうか。

 勝つことを、本心で、心の底から、マサヨシは望んでいる。祈っている。

 ただそれでも、どれだけ祈るかが賭けに勝つかどうかとは無関係であることくらい、分かっている。





 結局、レイを含む十数人がその策に乗ることに決心した。

 商人であるミサリナが用意した聖女の一団となるための赤い布を全員が纏い、リーダー、つまり聖女役としてレイと同年代の少女が選ばれ、先頭に立った。

 支援物資を積んだ荷車を曳いて夜のうちに出発した。荷車の中身は、食料、薬、それから酒。全てマサヨシが身銭を切って提供したもので、特に酒はそのまま彼の店、白銀からの提供だった。そして、少しだけ色の違う容器に入っている水と酒。そちらには、たっぷりと毒が入っている。


 夜の道を、地図の通りに歩いて、思ったよりも早く、夜が明けて昼になるまでにキリシアとの国境にまで辿り着く。


「これはこれは、巡礼ですか?」


 キリシアへの入国の際には兵士にそう問われたが、


「困窮している方々へ、施しを」


 聖女役がそう答え、他の全員が黙って頷くと、軽く荷物を改めただけで通過させてくれる。

 レイ達が全員、赤いローブを目深に被り、心臓をばくばくと鳴らせていたというのに、兵士達は誰しもそれに気付かず、敬意を持ってレイ達を見送ってくれる。


 兵士達の姿が完全に見えなくなってから、誰からともなくレイ達は笑い出してしまう。

 何となく、全てがうまく行くような気さえする。


 日が真上に昇る頃には、固かった雰囲気もほぐれ、連帯感も出てくる。

 ここからは時間との勝負で、急いでキリシアの国境沿いを移動してキリシアからアインラードへと入国しなければならない。

 だから決して余裕があるわけではないが、あまりにも簡単にキリシアに入国できたことによる安堵、そしてこの危険な任務に志願した運命共同体としての連帯感、更には全員がある意味で『同郷』だということも手伝って、朝焼けの中、レイ達はいつしか話をしながら荷車を曳くようになっていた。


「滅ぼされた故郷の思い出なんて、俺にはないよ」


 昼食代わりの干し肉をかじりながら、足は止めずにレイは言う。


「実際、俺と同い年の連中は、皆そうなんじゃないかな。故郷の恨みとか、そういうのはいまいちピンとこないんだ、悪いけど」


 その言葉に、聖女役をはじめとしたレイと同年代の者が皆、頷く。


「信じられん。それなら、おぬしら、どうしてこんな任務を受けたんじゃ?」


 アインラードに攻め込まれ故郷を侵略された恨みをとうとうと述べていた老人がそう問う。


「俺は、もっと最近の復讐だよ」


 笑って、レイはローブをめくり上げ、腰の辺りにあるまだ新しい傷を見せる。


「山頂の虐殺、あったじゃん。俺、あれの生き残り」


「ああ、あれね。酷かったわね、私もあれの生き残りなんだよ」


 中年の女が顔をしかめる。


 少し驚いたが、レイはすぐにそりゃそうかと納得する。あの虐殺で、あそこにいた人間が全員殺されたわけじゃあない。むしろ、七割くらいは逃げ延びたと聞いている。ここで同じ立場の人間がいても不思議じゃあない。


「友達も死んだし、ほら、目の前で抵抗できない弱い連中が、俺もそうなんだけど、アインラードの兵士に一方的に殺されていってさ」


 考えをまとめながら、足を動かす。


「だから、復讐っていうのとはちょっと違うかな。一方的にどっちかがどっちかを殺したりするのって、おかしい気がするんだ。殺し合いならともかくさ。だから、チャンスがあったら、弱い俺があいつらを攻撃しないと、バランスが悪いっていうか」


 そこまで話して、うまくそれ以上言葉にできずにレイは頭を振る。


「弱い人間も一方的にやられるだけじゃあ、嘘だろ。そういうことだよな」


 すると、ずっと黙って聞いていた、レイよりも少し年上の少年が言う。

 少年の顔には大きな古傷が斜めにはしっており、眼差しは冷たい。その言葉にどんな思いがこめられているのか、どんな過去があるのかはレイには分からない。


「ふん、それでも、お前らみたいなガキが来るもんじゃないと思うがな」


 目の細い老人がそう言って、横にいる老婆に腰を蹴られる。


「全く、この人は憎まれ口ばっかり叩いて」


「本当のことだろう。あのペテン師が思いついたこんな危険なことに、ガキが参加するとはな。世も末だ。わしはどうせ先は短い。故郷をあいつらに追い出された時のことを、最近思い出すし、ここらで過去を清算するのも悪くないかと思ったが、お前らはな。大人しく、生きて子どもでも作ればいいんだよ」


 唾を吐く老人。


「作らないよ、可哀想だろ。こんな世に産んじゃあ」


 顔に傷のある少年が、独り言のような声量で呟く。





「ジュリ――」


 何かを呟こうとする敵兵を、ハイジは兜ごと叩き割る。

 あるいは家族の名前だったのかもしれない。


 一息つくこともせず、既に血と脂で切れ味などほとんどなくなっている剣を構えなおして、次の敵に突っ込もうと獲物を捜す。


 だが、残りはもういない。退却する一団を追撃したわけだが、既に目の届く範囲に敵兵の姿はなかった。逃げおおせたか、死んで地面に転がっている。


「もう、夕方ですか」


 木々の隙間から差し込んでくる光が赤みを帯びているのを確認して、ハイジは目を細める。


「これで、あいつら、しばらくは襲ってこないでしょう」


 大笑しながら部下の兵士が顔についた返り血を拭う。


「そう、ですね」


 先ほど自分が仕留めたアインラードの兵士の死体、二十代後半から三十代前半といったところだろうか、その死体を見下ろしながら、ハイジは考える。


 自分だったら、この程度の攻撃では済ませはしない。例の災害のために一時混乱したとしても、戦況は圧倒的に向こうに有利だ。そして、こちらは疲弊し切っている。ある程度の犠牲を出してでも、ひたすら攻めれば城も落とせる時期だ。

 噂の『勝ち戦の姫』がそのことに気付いていないわけもない。


「そんなことをせずとも、こちらを倒す方法を見つけた……?」


 呟いてから、自嘲の笑み。


 そんなことを自分が考えていても、仕方がない。考えるべきは赤目。それから、ペテン師。

 彼のことを考えた瞬間、ハイジの胸に痛みのようなものがはしる。


「どうかしましたか?」


 突如として表情を変えたハイジに、部下が心配して声をかけてくるが、


「いえ」


 言葉少なに、ハイジは手でそれを遮る。


 ペテン師。自分よりも遥かに清濁併せ呑むことができる男だと思っていたのに。

 バルコニーでの会話を思い出して、ハイジは唇を噛む。

 まさか、マサヨシが倫理を気にするとは。


 幼い頃から、ハローを信仰してきた。騎士として、民のために命がけで堂々と戦うことは当然だと思ってきていた。

 人の命は尊い。その倫理観は当然ながらハイジにもある。

 頭を割られた兵士の死体を、最後にもう一度だけ見下ろす。

 彼らにも人生があり、思いがあり、家族がある。それは尊重されるべきだ。そんなことは分かっている。だが、その尊重は全てに優先されるわけではない。騎士としての務めや、彼女自身の正義、それらの方が優先される。それらの方が遥かに尊い。

 特に、戦争のような極限状況であれば、なおさら。


 トリョラを統治しようとしながら、濁った水を飲めなかった自分よりも、遥かに適応力があるように見えた、マサヨシがあの体たらくとは。


「まるで、初心な子どもですね」


 小さな声で呟いてみるが、そこにあるのが落胆なのか安堵なのか、ハイジ自身にも判別はつかない。





 未だに、その場から動けず、マサヨシはバルコニーにいる。カップは床に下ろして、死人のようにうなだれている。


 夕日が目を差し、マサヨシは目を細めて顔を上げる。夕日を見ながら、思い出す。


 かつて、会社に入ってすぐに、社長に言われた言葉。


「交渉術の基本。相手の心を折れ。交渉で勝つとは、相手の心を折ることだ」


 呟いて、何気なく夕日に自分の右手をかざしてみる。赤く染まる右手が、ふと血塗れなように見えて、目を見開く。

 当然、幻覚だ。


「心を折る、か」


 マサヨシはずっと自分の右手を見る。

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