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敗戦の足音1

 疲れのために足を滑らせる。

 そのまま転がり落ちていくギンの体を、


「おい、大丈夫か?」


 受け止め、抱き上げてくれた男に、


「どうも、すまねえな」


 と礼を言い顔を上げてから、それが正規軍の兵士だということに気付く。


 ギンに負けないくらいに疲れ果てた顔に泥をつけた兵士は、


「無理もない。そろそろこっちも限界だ。義勇軍は、もう下がっていろ、と格好をつけていいたいところだが、そうもいかん」


 へらへらとため息をつきながら笑う。


 最初は「戦場に素人が出てくるな」と正規の軍からは邪険にされていた義勇軍だったが、実際に義勇軍の提供した毒の罠のおかげで戦線を辛うじて保ち、そして正規軍も義勇軍も全力で敵に抵抗し続け、消耗し果ててしまっているうちに、そんな風潮はどこかに行って、今や一丸となっている。いや、一丸とならざるを得ない。正規軍のプライドも、義勇軍の反感も薄い紙のようなものだった。実際の苦痛、危険、恐怖の前には破れて消える。


「ようやく一休みできると思っていたけど、ほら、どうやら休憩は終わりみたいだ」


 その兵士の言葉にギンが耳を澄ますと、確かに遥か向こうの方が騒がしくなってきている。慌ててもとの持ち場に戻り、同じ義勇軍の兵士と共に弓を構える。


「編成しなおした兵士がとうとう来たらしい。多分、これまでの疲れ果てた連中とは違うぞ」


 呻きながら、さっきの正規軍の兵士が剣を握り締める。


 やがて現れたのは、足取りも力強い、明らかに新たに投入されたアインラードの兵士達だ。大きな木の盾を背負い、慎重に山中をこちらに進みつつあるが、その進行速度はこれまでの比ではない。相手のコンディションもいいし、何より、


「まずいな、もう、そこまで罠は残ってないか」


 罠だらけ、と表現するのがぴったりだった戦場も、もはや罠の残数はそれほどではない。


 やがて敵兵達が射程内まで近づいてきたところで、ギン達義勇軍は必死で矢を射る。数十の矢は、しかし大きな木の盾でほとんどが防がれる。


 罠の仕掛けられた地帯を抜けてきた敵兵、その突出した連中目掛けて、正規軍が剣と槍を持って突撃する。そうして、何とか撃退する。


 まるでもぐら叩きだ。


 それでも、じりじりと敵は進行してくる。


 このままじゃあ、最終防衛線まで下がるしかないかもしれない。

 ギンは、皮膚が切れて指が血だらけになるのも厭わずに矢を射続けながら、そんな絶望的な思いにとらわれる。

 まずいと思ったら、城を中心とした最終防衛線まですぐに下がれ。もう、それほど持ちこたえられそうもない。

 そう指示したジャックの言葉を思い出す。


「おい」


 突然、横で弓を構えていた兵士がギンの肩を強く叩く。


「あん?」


「来たぞ、ハイジだ」


 後ろを振り向くと、猛烈な勢いで白銀の鎧の少女を先頭にして、新しい正規軍の一団が突っ込んできている。

 ギン達を掠めるように通り抜け、そのまま敵の一団へと突進する。


「うお」

「おい、ちょっと」


 最初からいた正規軍の兵士達がその突進を止めようとする。


 それはそうだ。何故なら、彼らは罠の地帯を抜けてきた敵兵ではなく、まだ慎重に罠の地帯を進んでいる敵兵目掛けて突進していっている。自分達が罠にかかる。


 だが、そんなことは考えてもいないかのような突進を先頭のハイジが行っているため、結局止めきれず彼らは敵兵達とぶつかる。不思議とハイジの兵士達が罠にかかることはなく、そしてその凄まじい勢いの攻撃に不意を突かれた敵兵達は次々と簡単に倒されていく。


「おい、今だ」


 ギンは叫んで、弓を構え直す。他の兵士も弓を構える。


 その突進に肝をつぶして、まだ実際にハイジ達とぶつかっていない敵兵も混乱し、ハイジ達の方を見て剣を握り締め、おろおろしている。


 そこに、ありったけの矢を撃ち込みだす。次々と、面白いくらいに敵が倒れていく。


「まだ生き延びれそうだ」


 戻ってきた例の兵士が、泥まみれの顔でにやりと笑う。


 ギンは頷いて、また矢を射る。

 とはいえ、ギンには分かっていた。いや、ギンだけでなく、この戦争に参加している全ての者が分かっているだろう。

 これは綱渡りだ。そんなに続きはしないし、そもそも今この瞬間、キーマンであるハイジが罠にかかったり一撃入ったりした時点で、全ては終わる。


 残念ながら、負けは近い。





「最初から、攻め潰すつもりなんぞ毛頭ない。そうだな?」


 罠の除去が済み、安全が確保された範囲の山中を登りながら、横のシャロンにガンツは問いかける。無論、二人の周囲は親衛隊が囲んでいる。


「もちろん。適当なところで降伏させるつもりだった」


「適当なところ、というのは?」


「当然、トリョラを落としたくらいのタイミングで」


「妥当なところだった。開戦前は」


 足を止めず、ガンツはぎろりと横のシャロンを睨む。


「今は?」


「トリョラを落とす前に、向こうと話をするでもいい」


 苦々しさを隠そうともせず、シャロンは吐き出す。


「時間を含めたコストを、既にかけすぎるだけかけている。さっさと終わらせたい、というのが本音。ただ」


「ただ?」


「それは、絶対的にアインラードの勝利で終わらせなければならない。優勢で有利な条件で講和条約を結ぶ、なんてものでは駄目。完全に、勝利しなければ」


「そうとも。それでこそ」


 ようやく、厳しい顔にガンツは笑みを浮かべる。


「しかし、そうなるとやはり、ある程度の犠牲は覚悟してでも、トリョラは落とさなければ難しいんじゃないか?」


「確かに。城の一つも落とせずに、向こうを完全に降伏させることなんてできない。城一つ落とせずに戦争を終えたと、他国からもアインラードが舐められる」


「仕方ないな。何か、向こうの心を折るような策が使えればいいが」


 話しているうちに、山中に設置された前線基地シャロン達は到着する。基地と言っても、山頂付近の平らな場所に、テントがいくつも張られているだけだ。


「さて、では、激励を頼む。『勝ち戦の姫』」


 ガンツの言葉にシャロンが肩をすくめたところに、


「シャロン様」


 シャロン達の後を追ってきたらしい、軽装の兵士が走り寄ってくる。シャロンから数歩の距離で跪く。


「どうした?」


「それが」


 とその兵士は周囲を見回し、意味ありげな視線をシャロンに向ける。

 周囲には、親衛隊、それ以外の一般の兵士も行き来している。


「許す。近くに寄れ」


「はっ」


 兵士は立ち上がると、シャロンの傍に寄り、耳元に口を寄せ、何かを囁く。


 シャロンの目が細まる。


「分かった、ご苦労」


「はっ」


 その兵士が下がった後、


「何か、急変か?」


 ガンツが問いかける。


「さあて、どう考えるべきか」


 シャロンは唇を指で撫で、


「恐ろしいことを考える敵がいたことは、不幸」


「赤目か?」


「おそらく、ペテン師。そして、それを知れたことは」


 くすくすとシャロンは我慢しきれないように笑い出す。


「幸運。とても幸運。うまくいけば、全部解決する。今日、そこまで無理をして攻め込む必要はないかもしれない」





 野生動物が、兵士の死体をむさぼっている。

 彼はそう思った。手足が散らばり、骨と肉が散乱している。明らかに食い散らかされている。おまけに、毒で死んだ兵士の死体にはご丁寧に少しも口をつけていない。


 ばきばき。ぐちゃ。ぐちゃ。

 音がする。


 彼は、うんざりとそちらを向く。


 彼は脱走兵だった。アインラードの兵士として戦場に駆り出されたはいいが、楽勝のはずの戦争で次々と戦友が死んでいくのを目の当たりにして、嫌になったのだ。

 戦争自体が嫌になった。土いじりでもして余生を過ごしたい。いったんそう思うと、その思いはどんどん膨らんでいった。むしろ、今までどうしてそう考えなかったのかが不思議なくらいだ。

 そして、ある夜、ひっそりと脱走した。

 特に騒ぎにもならなかったようだった。彼以外にも、脱走兵は数多い。脱走中に罠にかかって死んだという笑えない話もあるくらいだ。


 ともかく、彼は兵士の死体と罠を避けながら、一晩中歩き続けた。

 そして、野生生物の咀嚼音。

 骨をかみ砕き、肉を食い散らかす音。


 こんなところで、野生動物に食い殺されるなんて、罠にかかって死ぬ以上に笑い話にならない。

 彼は剣を構え直す。

 森の奥、兵士の死体の近くでうごめいている影を見据えながら、ゆっくりと後ずさる。影は、死体の傍でうずくまって、その肉を貪っている。


 とはいえ、極度の疲労と睡眠不足でぼんやりとした彼の頭では、もう一つの理不尽な考えも膨らんできている。

 ここで、動物に食い殺されるなら、それもそれで楽なんじゃあないだろうか。

 戦争から逃げ出し、それがばれないように怯えながら農業をやって生活する。人目を避け、臆病者だという自責の念に堪えながら生きていく。

 それに比べれば楽なんじゃないだろうか。


 ぶちぶち。ごくり。

 肉を食いちぎり、飲み下す音。


 ぱき、と彼の足が枝を踏み、その枝はやけに響く高い音を出して折れる。


 うごめいていた影が、動きを止める。そうして、その影がゆっくりと彼の方へと向き直る。


 ああ、死ぬのか。喰われて死ぬのか。それでもいいけど。

 そんなことを思いながら剣を握りしめた彼は、しかし。


 数秒後には、何もかもを忘れて、絶叫する。絶叫して、罠のことなどまるで考えずに全速力で逃げ出していく。


 その影を見てしまったからだ。その正体を。


 興味なさげに逃げていく彼の後ろ姿を見送る影の口からは、兵士の一部である真っ赤な肉が垂れ下がっている。ぐちゃぐちゃと音を立てて、それを飲み込む。

 真っ赤に濡れた口を拭う。


「はああ」


 獣の呼吸音のような息をつき、その影、朝日に照らし出された血塗れのハヤブサは立ち上がる。


「ようやく、腹が一杯だ」


 一切抑揚のない声で呟くと、ふらりとその場で倒れる。そのまま、地面で体を丸めて、胎児のような恰好で、眠りに落ちる。

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