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蠢く思惑

「わしも、老いた、のお。昔は、これ、くらいじゃあ」


 ぜえぜえと荒い息をつきながら、タイロンはよろよろと足場にしていた枝に腰を下ろす。


「にしても、強いの、若造。こんな、苦労したのは、オオガミとやり合った時、以来じゃ」


「オオガミ」


 全身をずたずたにされ、もう虫の息でタイロンの真下、木の幹に背を預けるようして座り込んでいるハヤブサは、その名を静かに繰り返す。


「伝説の殺し屋、タイロンの弟子。最終的にタイロンに挑んで殺された」


「よう知っとるのお。まあ、わしが大々的に宣伝したんじゃがな」


 タイロンの息は落ち着いてくる。体力はほぼ底をついている様子だが、身体的な目に見えるダメージは少ない。ハヤブサと比べて、どちらが優勢なのかは明らかだ。


「もう魔術も使えんじゃろ。放っておいても死ぬじゃろうが、前はそれで見逃してこんなことになったからのお。きっちりとどめを刺させてもらうぞ」


「殺す? 俺を」


 きょとんとした顔で頭上のタイロンを見上げたハヤブサは、やがてにやにやと締まりのない笑みを浮かべる。


「殺す、いいね、やってみろよ」


 瞬間、タイロンは身震いしてその場から消える。木から木へと全速力で飛び移りながらその場から遠ざかる。


「まずいわ、ありゃあ」


 思わずタイロンは呟く。

 完全にタガが外れている。あの絶望的な状況で、本心から笑っていたハヤブサから底なしの悪意、敵はおろか自らをも含めた全存在に向けた悪意。


 もしも、自分の命と引き換えにタイロンを殺す手段があるなら、あの時の奴なら喜んでその手段を使っただろう。

 タイロンは確信する。

 もっとも、実際にそんな手段が、奥の手が存在する可能性は低い。だが、もしも存在したのなら、あそこで踏み込めば、確実に死んでいた。

 長年、殺しの世界にどっぷりと浸かってきたタイロンの直感がそう叫んでいた。

 だから退いた。奴とは戦うべきじゃあない。戦うのではなく、完全に奇襲にて暗殺するべきだ。相手が気付く前に、一撃で決着をつける。そういう風にして命を奪うべきだ。


「やれやれ、観客がおらんで助かったわい」


 ついさっきとは正反対の感想を思わず漏らす。

 観客がいれば、逃げるのは難しくなっていただろう。もし逃げたことが世間に知られれば、営業成績に影響することは確実だった。





 蛙が飛び跳ねる。人間の掌ほどもある大きな蛙だ。

 ぴくりとも動かない、ハヤブサをただの物体とみなしたらしく、その体に乗って、また飛び跳ねる。ハヤブサは動かない。

 蛙が高く跳ねて、その位置がハヤブサの顔に近づく。


 瞬間、ハヤブサの首から上だけが凄まじい速度で動き、その口で蛙を捕食する。

 二度三度その歯で切り裂いてから、飲み下す。大きな肉の塊が喉を降りていくのが外から見ても分かる。


「ふう」


 焦点の合わない目が、ゆらゆらと彷徨う。


「ああ、全く、怖がりめ」


 淡い光がハヤブサを包み、ゆっくりと彼は体を起こす。


「こっちは命なぞ惜しくはないのに。お前を殺さないと道具に戻れない」


 寄りかかっていた木の幹に手を伸ばすと、その幹を握り千切る。そうして、その木片を口に放り込み噛み砕く。


「まだまだ空っぽだ。栄養を取らないと」


 抑揚のおかしな声でそう言って、ごくりとそれを飲み下す。





 吐く。際限なく。もう、吐くものなどなくて、胃液だけをひたすら地面に吐き出す。

 マサヨシの脳裏には、かつての酒を飲みながらのジャックとの会話がリフレインしている。


「敗戦ってのは悲惨なの?」


 まだアインラードとの戦争が始まる前、ジャックと何気なくそんな話題になった。


「まあ、悲惨ですな。人が沢山死ぬし、生きるのもつらくなる。敗戦国はしばらく相手の国からは人間扱いされませんからな。亡国なんてことになったらもう最悪です。この世の誰からもまともには扱われない」


「いい負け方をしても?」


「そりゃあ、マシな負け方はあるでしょうが、どっちにしろ負ける時点で悲惨です。どこまでその悲惨さを減らせるかって話ですな。大体、戦争に負けても大して悲惨じゃないなら、わざわざ金と国民を減らして必死に抗戦せんでしょ」


「そりゃそうか」


 続いて脳裏に浮かぶのは、串刺しにされた少年少女。老人や中年の女の死体。悲鳴。衝撃。怒号。虐殺の現場。


 防ぐ。それを防ぐためなら、大抵のことは許されるはずだ。

 元の世界だって、戦争となれば何でもありだったじゃあないか。俺は間違っていない。間違っていないはずだ。

 思いながら、またマサヨシは吐く。


 朝焼けの中、城から少し離れた森の中。人気のないそこで、ひたすら吐き出す。


 嘘は言わなかった。強制もしなかった。間違ったことは何もしていない。そうだろう?


 自分に言い聞かせるのに、気分が悪いのは収まらない。体の奥で、巨大なミミズが這いずり回っているかのようだ。このミミズを吐き出してしまいたい。腹を切り開いてつかみ出してしまいたい。


 ゆっくりと体を起こす。

 口を拭い、朝を睨む。

 恨めしいくらいに、時間はいつも通り流れている。こちらの気分が悪いからといって止まってはくれない。

 そろそろ、別の仕込みをしなければ。


 城内に戻ったところで、何やら揉めている声が聞こえる。

 何だ?

 特にどうしようという気もないまま、そちらに足を進める。廊下の曲がり角、そこで数人の兵士がつかみ合っている。

 喧嘩か、と思ったが、どうやら数人の兵士で誰かを囲んで、何やら押しとどめているようだった。


「まだ休んでおいてください」


「いえ、今、休むわけにはいきません。私の双肩に、トリョラの民の命が懸かっているのです」


「しかし、もう限界です。このままでは、お命まで」


「民のために命を削らずして、何のための貴族ですか」


 多少かすれてはいるが、美しいその声には聞き覚えがある。


「ハイジ、起きたのか」


 声をかけてみると、騒ぎはぴたりと止まる。全員がマサヨシを見る。


 やがて、止まった兵士達をかき分けて、白銀の鎧を纏ったハイジが多少ふらつきながら現れる。


「マサヨシ。顔色、悪いですよ」


「お互い様でしょ」


 思わず笑ってしまってから、マサヨシはふっと表情を消して、


「少し、お茶に付き合ってくれません?」


「私は、そんな」


 口で抵抗しようとするハイジだが、


「重要なことです。打ち合わせしたいことがあるんですよ」


 こう言われて、


「ハイジ様、是非、行ってください」


「そうです。マサヨシ様と作戦を立ててから動く方が、民のためになります」


 兵士達の援護射撃もあり、ハイジは渋々とマサヨシに寄ってくる。


「それで、どこでお話を?」


「ああ、そうねえ。晴れているし、朝日も出てきた。バルコニーなんて、どうです?」


 調理室で温かいお茶をもらって、それを持って二人でバルコニーに向かう。城の三階にあるバルコニーは、今も正に命がけの攻防が行われている山々に向かって開けている。


「ふう」


 風を感じながら、薄い、ほとんどお湯のようなお茶をすする。また気分が悪くなって吐くのを警戒して、少しずつ、本当に少しずつ飲み下す。


 一方のハイジは、貴族の令嬢らしく優雅にティーカップに口をつける。だが動きの優雅さとは対照的に、目がぎらつき、前方の山々のあちらこちらを睨み回している。


「それで、話は何ですか?」


「ああ、うん」


 お茶で唇を濡らしてから、


「どう思いますかね? 義勇軍は、女子どもまで使ってる。それに、俺の発案で毒も使用しています。そういうの、どう思います?」


「私はしません」


 ハイジは山々を凝視する。


「私にはできない。けれど、必要なことだとは分かります」


「必要? 本当に?」


 マサヨシは思わずハイジの目を覗き込む。


「女子どもや老人を戦場に引っ張り出すのが、本当に必要かな? 毒なんて使うのが本当に必要かな? 俺は、自分でね、自信がなくなってきちゃいましてね」


「戦争に策は必要ですよ、絶対に」


 奇妙に、ハイジは強く言い切る。


「卑怯な騙まし討ちや、味方を犠牲にする作戦、そんなもの、戦場では溢れている。それくらい、私だって知っています」


「意外だなあ」


 思わず声を漏らすと、


「戦争に勝つ、というのがどういうことなのか、幼い時に何度も祖父から聞かされました。正義のための戦いならば何をしても許されると」


 横目でハイジを見て、マサヨシは彼女が本気で言っていると判断して無言で先を促す。


「今回、憎きアインラードは何の大義名分もなく我が国に攻め込みました。それを撃退するのは正義の戦いです。そのためになら、何をしても許されるでしょう。ただ、私はハローを信仰しています。そして、これは正義の戦いです。ならば、ただハローと己の正義を信じ、敵に正面から正々堂々とぶつかる。それで勝てるから、そうしているだけです」


「はは」


 乾いた笑い声に、ハイジが顔を向ける。


「何か?」


「いや、改めて思っただけ。あなたは、敵に回したくない」


 本心から、マサヨシは言う。

 狂信者と争ってはいけない。交渉の余地がないからだ。


「それでも」


「え?」


「いや」


 それでも俺が何をしようとしているか知ったら、きっと君は許さないだろう。

 その言葉を飲み込んで、一緒にお茶も飲み下す。


「やれることをやるだけですよね、お互い」


 誤魔化すように笑ってマサヨシがそう言うと、


「その通り」


 頷いて、ハイジの目が鋭くなる。


「動きがあったようです、行きます」


 カップを勢いよくマサヨシに押し付けて、ハイジは小走りでバルコニーから城内に入る。


 両手にカップを持ったままそれを見送っていたマサヨシは、やがて一人になって、自分の持っているカップを見比べて、ため息をつく。

 ずっと、ここで両手にカップを持って立ち尽くしていても仕方がない。他にも、仕込まなければいけないことは多々ある。

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