再戦
矢と礫による数十の一斉攻撃。
そのことごとくが逸れて命中しなかった。相手が避けたのではない。勝手に矢や礫が逸れていったのだ。
そうして、反対にこちら側の何人かが風の刃で切り倒される。
まずいな。
突如として戦場に現れた『青白い者達』のエルフ討伐、そのために編成された部隊の長を任された時は、これほどとは思っていなかった。
歴戦の兵である隊長は、唇を噛んで動揺する部下にもっと散らばるように指示を出す。
「木に隠れろ」
毒の塗ってある罠の多数設置されている山中というとてつもなく動きにくい状況。遮蔽物が多い。敵は近接攻撃を躊躇わせる毒の血液を持ち、風の魔術を使ってこちらの遠距離攻撃を逸らし、向こうは風の刃を飛ばす。
敵を一人だからといって侮った覚えはないが、しかしそれでも予想していたよりも遥かに状況はこちらに不利だ。疲弊していた前線部隊がこのエルフ相手に壊滅状態になって、まとな情報をシャロンの元まで運べなかったのが痛い。
一時撤退を本気で検討したところで、隊長の目に人影が映る。
何だ?
その人影は、あろうことか隊長の指示を無視し、ふらふらと敵であるエルフの方へと近づいていこうとしている。
恐怖でいかれたか。
舌打ちして隊長が引き戻そうと手を伸ばしかけて、やめる。
誰だ、あれは?
ふらふらと隊長の横を通り過ぎていくその人影は、薄暗いからよく見えはしないが、鎧を着込んでいない。軽装も軽装だ。部下ではありえない。
千鳥足で危険な方向へ歩いていくその人影に驚いたのは、隊長だけではない。多くの部下が、その謎の人影に目を見張り、危険だというのに木の陰から顔を出して覗き込む兵士すらいる。
ゆらゆらとした酔っ払いのような歩みながら、不思議と罠を回避しつつ人影はエルフに迫る。
それまで機械的に兵士を殺戮するだけだったエルフは、そこで初めて近づいてくる人影に気がついたのか、顔を向ける。
きょとん、としている。そんな顔をしていると、まるで普通の少女のようだ。顔色は悪いが。
隊長がそんなことを場違いにも思っている間に、その人影はやはり、当然のように風の刃に斬り倒される。
だが。
時が戻ったかのように、斬り倒されたはずの人影は即座に起き上がり、またエルフに一歩、近づく。
エルフの顔が少し歪む。驚愕か、怒りか。
何やら呟きながら、あと数歩の距離まで近づいた人影に掌を向ける。
風の刃が、人影をずたずたにしていく。しかし、今度は倒れすらしない。人影は、風の刃に切り刻まれながらも、ふらふらと近づいていく。
どうして。泥人形か何かか?
だが、すぐにどうして倒れないのか、その理由が分かって、隊長は息を呑む。
「あの光は」
淡い緑の光が、ちらちらといつの間にか人影を包んでいる。その光に照らされて、人影の姿がはっきりと見える。その長い耳も。
「ハヤブサだ」
横の部下が、呆然と呟く。
そう、それは全滅したと報告を受けていた、精鋭部隊の隊長、ハヤブサだった。
ハヤブサは、体を揺らしながら風の刃をかわす。いや、即死することのみを避ける。そうして、出来た傷を即座に魔術で回復させていく。それをしながら、エルフに近づく。いや、既に剣が届く間合いだ。だが、斬れば毒の血を浴びるリスクがある。
「面倒な」
どこか抑揚のおかしな声を出して、それまでの歩きからは想像もできない速度で距離を詰めたハヤブサは、剣を振るうのではなく、そのエルフの細い首に喉輪を喰らわせる。
「う」
そのまま、エルフはハヤブサに片腕で持ち上げられる。しっかりと首は握り締められている。そのままでは、窒息死するだろう。だが、それを心配する必要はなかった。
それは異様な光景だった。
骨格自体はがっしりしているとはいえ、そこまで体格のよくないハヤブサが、痩せた少女とはいえ人間を一人、片腕で掴んで持ち上げているのも奇妙ならば。
ばきり、と音を立てて、そのエルフの喉がそのまま握りつぶされたのも奇妙だった。
緑の光に照らされているハヤブサの服装は、既にボロ布と化している。だが、それよりも、ハヤブサ自身が妙だった。
興味はないとばかりにエルフの死体を投げ捨てるハヤブサを、隊長を初めとして兵士達が呆然と見る。
ハヤブサの左目の瞳は歪な楕円になっている。右目の焦点もどこかおかしい。まるで、夢を見ているような顔だ。緑の光に包まれて、ハヤブサは全身の傷を回復させながらふらふらと、エルフの死体をまたいでその向こうへと歩いていく。
「おい、ハヤブサ」
隊長の呼びかけにも、反応しない。
追いかけて引き止める選択肢は、隊長にはなかった。ボロ布をまとい、何処を見ているかも分からない目をして、ふらふらと歩き続けるハヤブサ。エルフを殺す際に見せた異様な膂力といい、明らかに何かが壊れている。
壊れかけの獣に自分から近づくのは馬鹿のすることだということくらい、隊長はこれまでの経験から学んでいる。
「とりあえず、戻るぞ。報告だ。あった事を、全て」
「え、あ、いいんですか? あいつ死んだんだから、そのままノライに攻め込めば」
「前に出たところで、矢が降ってくる。あくまで、今の我々の装備はあそこのエルフを殺すためのものだった。そう急ぐこともない。それに、ハヤブサの件もある」
隊長は肩をぐるりと回す。
「その報告は必要だ。この戦争では、予想外のことばかり起こっている。慎重すぎるくらいでいい。『勝ち戦の姫』もそこは理解しているだろうさ」
トリョラからは大きく西にずれた山中。アインラードからノライへのルートから外れているので、そこには罠はしかけられていない。
ふらふらと歩き続けたハヤブサは、朝日によってゆっくりと木々の間から淡い光が差し込んでくる中、一本の木の前まで辿り着く。
細く、背の高い木だ。幹の太さはハヤブサの腕ほどしかない。
しかし、ハヤブサは何の変哲もないその木の前で立ち尽くす。いや、木を睨みつけている。
「やれやれ」
やがて、ハヤブサの頭上、木の枝葉の間から声が降ってくる。
「誤魔化すのは無理か。しつこい小僧じゃ。ここまで追ってくるか。殺したと思ったが」
「思い出した」
おかしな抑揚で、目の前、正面の木の幹を睨みつけたままハヤブサが言う。
「腕の立つ殺し屋、白い虎。『見世物』タイロンだな」
「こんな誰もおらん場所で、仕事でもないのに殺し合いなんぞしたくないわい。何の得もない。お互いにのお。どうじゃ、ここは手打ちで」
その声と共に、ハヤブサの頭上から鋭く尖った石礫が打ち出される。とっさに頭を振ってかわしたハヤブサの肩に、深く礫が打ち込まれる。
だが、同時にハヤブサの凄まじい蹴りがその細い木を叩き折っている。
折れた木から別の大木の枝先へと飛び移りながら、タイロンは冷静に状況を分析する。
自分の方は万全とは言い難い。かなり体力を消耗している。だからこそ、もう戦乱に巻き込まれず、そしてまた厄介な依頼を受けることもないよう、こんな場所にまで逃げてきたのだから。
一方、相手はどうだ?
魔術が無尽蔵に使えるという話は聞いたことがない。おそらく、魔術は精神的にも消耗するはずだ。明らかに致命傷を与えたはずだし、ボロ布と化した装備を見るに、それ以外にも多くの攻撃を受け、それを魔術で回復してからここまできたはず。
ハヤブサは肩に刺さった礫を引き抜く。傷口が緑の光に包まれて回復していく。だが、最初にタイロンと戦った時と比べて、その回復速度は遅く、光も弱々しい。
よし。まさか、ブラフではあるまい。明らかに消耗している。あと数撃で一切は終わる。
「はあ」
獣の息のような声を上げて、ハヤブサは剣を引き抜くと、それをタイロンが飛び移った大木の幹へと叩きつける。それなり以上の太さのあった幹が一撃で叩き斬られ、ゆっくりと倒れていく。だが、同時に剣の刃も欠け、ひびがはいる。
異常だ。
さらに別の木へと飛び移りながら、タイロンはその膂力に驚嘆する。
最初の蹴りでおかしいとは思ったが、やはり力が恐ろしいものになっている。それに、気付かれないように木から木に飛び移っているというのに、正確に自分がどこの木に移ったのかを把握している。
いや、そもそも、ここまで自分を追ってきたこと自体がおかしいのだ。
手に持っていた、最後の一つの礫を投擲する。
ハヤブサは体を揺らしてそれを避ける。
ここまで自分を追ってきたのは、二つの意味でおかしい。
攻撃をかわされたことを気に留めもせず、タイロンは考え続ける。
一つ、どうやってここまで追ってきたのか。視覚? ありえない。聴覚? 音など立てていない。嗅覚? まさか。読み? どうやってこの場所を読む? 第六感? ありえない、と断言するところだが、むしろそれが一番しっくりくる。
二つ、そもそもどうして奴は自分を追っているのか。戦争中に、任務を放り出して個人的なリベンジ? 鍛え上げられた完璧な兵士、というのがタイロンが戦った印象だ。その印象からは、そんな行動を取るとは思えない。思えないが、それ以外にもう戦争に参加するつもりのないタイロンを追ってくる理由は思いつかない。
壊れた、か?
枝から枝へと体重がないかのように飛び移ってハヤブサから距離をとりながら、タイロンはその考えが妥当なものか検証する。
頭へのダメージで性格が変わってしまったり、ある能力が著しく低くなったりという現象はタイロンも何度か見たことがある。話によると、逆に頭の何かが壊れてしまったために何かの能力が過剰になるケースもあるらしい。
眼球ごと、頭の奥まで突き刺してやったつもりだった。それを何らかの手段で生き延びた奴は、しかし壊れてしまった。魔術ではそれを回復しきれなかった。この考え方はどうだ? それならば、奴が最初の印象からは考えられない、不合理な自分への追跡をしてくることも納得できる。それに、異様な膂力と第六感。
地上を、しっかりと追ってくるハヤブサを見て、タイロンは跳びながら舌打ち。
間違いない。見れば左目の瞳が歪だ。完全には回復していない。回復魔術では、完全なダメージの回復はできないらしい。それで、壊れてしまっている。
そうなると、やはりここで仕留めるしかない。このまま逃げても、奴は異様な第六感で追跡し続けてくる可能性がある。何のメリットもなかろうとも、だ。
決めた瞬間、タイロンは突如として動きを反転、地上を追ってくるタイロンに向かって飛び降りる。
頚動脈を、爪先で抉るような空中からの蹴り。
それをハヤブサは剣で防ぐ。元々、ひびの入っていた剣はその一撃で砕ける。
そうして、タイロンは着地。至近距離でハヤブサと向かい合う。
「タイロン、ああ、やってくれたな」
引きつった笑いを浮かべて、目の焦点は合わせず、ハヤブサは言う。頭を揺らす。
「俺を壊した。道具になるはずだったのに」
ぶつぶつと呟きながら、ハヤブサは手に持っていた剣、もはや柄だけになったそれをタイロンに投げつける。
タイロンがそれを手の甲で払った時には、既にハヤブサはタイロンの至近距離まで近づいてきている。
素手で叩けるほどの至近距離。それは本来、タイロンの優位な距離だ。
だが、タイロンは躊躇うことなくまっすぐ後ろに跳ぶ。
今のハヤブサは、おそらく人間の骨を握りつぶすし、拳足は人体を容易く破壊する。単純な膂力によって。
距離をとりながら、更に追ってくるハヤブサに向けて鞭のように足をしならせて蹴りを放つ。タイロンの蹴りはハヤブサの頬に命中。がくんと頭が揺れ、動きが止まるが、それだけだ。
姿勢を崩すこともなく、ぎろりとハヤブサは距離をとったタイロンを睨む。もっとも、その焦点は微妙に合っていないが。
これでいい。
タイロンは油断なく身構える。
中距離から、ヒットアンドアウエィでダメージを蓄積させる。身体能力ではなく、技量で圧倒する。今、相手は頭のどこかが壊れて、ブレーキが利かなくなってきている。身体能力を頼りにするのは危険だ。
「よりにもよって、観客がおらんとはの」
久しぶりの強敵との戦いだというのに、自らの強さをアピールする相手がいないことにがっかりしながら、タイロンは牙をむく。