災害
消耗している。見通しの悪い山中。そして、罠があちらこちらにある。
アインラードの兵士達に不利な状況は無数に重なっている。とはいえ、まさかたった一人の敵のために、ここまで何百人という兵士が犠牲になるとは、誰も予想だにしていなかった。勝ち戦の姫ですら。
「くそっ」
まだ日の昇らない山中、必死で走り回りながら、血なまこになってその兵士は敵の姿を捜す。だが、さっきから見つかるのは無数の友軍の兵士の死体だけだ。
もうすぐ戦争は終わるはずだった。
恐怖と疲労でぼんやりとした頭で、それでもその兵士は必死に考える。姪に土産を買って帰る、そのはずだった。罠にかからないようにさえ注意していれば、ノライは落ちる。今回の戦争も生き延びた。そう思っていたのに。
「ぎゃっ」
斜め後ろにいた、少し歳のいった兵士が、右脚を罠の槍に突き刺されて絶望的な顔をする。もう、毒が塗られているのは周知の事実だ。
今度は、左隣にいた兵士が、何も言わずに倒れる。見れば、首筋を切り裂かれて、そこから血が噴出している。
いる。すぐ近くに、奴が。
がちがちと自分の奥歯が音を立てるのを聞きながら、必死で周囲を見回す。
「いたぞ」
誰かの声。近くの兵士が見つけたらしい。
「囲め」
「密集するな、殺される」
「おい、矢はないのか」
「罠に気をつけろ」
「取り押さえるか、殴り殺せ」
口々に声が聞こえる。
そちらに目を向けた時には、既に仲間は全員、五体がばらばらになって地面にばら撒かれている。
そうして兵士は見る。数時間前に突如として現れた、人の形をした災害を。
白に近い金色の髪。尖った長い耳。革の鎧を身に着けた華奢な少女は、間違いなくエルフだ。片手にぶら下げている剣。こちらを睨む暗い目線。明らかに敵意がある。
敵対しているエルフ。間違いなく危険だ。それくらいはエルフの実物を見るのが初めてのその兵士も知っている。だが、目の前のエルフが危険なのはそれだけではない。
肌が白い。いや、エルフは元より白い肌をしているらしいが、あまりにも青白い。肌の下に毒の血が流れているのだ。
青白い者達。
理由もなく、無差別に人を襲う毒の血の持ち主達。
そのエルフが、この戦場に、アインラードの兵達の間に突如として出現してから数時間、この山中は虐殺の間になっている。ノライの兵達も下手に手を出してこない。あまりにも、一方的な虐殺だからだ。
「ひっ」
叫んだつもりが、兵士の喉から出てくるのは引きつった声。それでも、するべきことをした。
毒の血を浴びずに攻撃する方法。ほとんど反射的に、兵士は手に持っていた剣をその青白いエルフに向かって全力で投げつける。
猛烈な速度でエルフに向かっていったそれは、見えない壁にぶつかったように彼女に触れる前に跳ね飛ばされる。
駄目か。
兵士の脳裏に瞬間的に姪の顔と母親の背中、故郷の川の風景が浮かんで、魔術による風の刃が兵士の首をギロチンのように切断した。
ミスをしたわけではない。
それだけが、今のシャロンを慰める唯一の合言葉だった。
自分がミスをしたわけではないし、戦場で予想外の災害に遭遇することはよくある。そう自分に言い聞かせながら、シャロンは何度もテントの中を往復する。
その目には寝不足と憔悴のための隈が刻まれ、さっきから落ち着かず爪を噛んでいる。『勝ち戦の姫』としての面影はない。
「落ち着け。お前が焦ればうまくいくものでもない」
椅子に座ったガンツが窘めるが、
「よりによって、『青白い者達』ですって? それも、エルフの。ああ、あともうちょっとだからと、疲労が溜まったままで力攻めしていたのが裏目に出た」
「現場ではおそらく対処できない。だから早急に後詰の兵士達をその青白いエルフ討伐のための部隊として編成してから投入。判断は間違っていない。前線は一時的に壊滅状態になるかもしれないが、もうじき部隊が到着すればすぐに排除できる。落ち着け」
もう一度、ガンツは窘めて、自分の頭をぴしゃりと叩く。
「どの道、戦争には勝つ。問題は、勝ち方だ。シャロン。眠れ。『勝ち戦の君』が威風堂々としてなければ、いい勝ち方とは言えない」
「いい勝ち方? 半分民間人みたいな女子ども老人を虐殺して、勝って当然の戦争に予想の何倍の時間をかけて、それで予想外の災害で大勢の兵士を殺して、それでいい勝ち方?」
ため息と共に、身を投げ出すようにシャロンは椅子に座り込む。
「失った兵は、開戦前の予想の何倍?」
「計算したくもない。ただ、何度でも言う。シャロン、お前が勝った時に堂々としていれば、アインラードの代表として『勝ち戦の姫』として振舞ってくれれば、それでこの国はまだ戦える。また大きくなれる。王の期待を裏切るな」
その言葉に一切の反応を示さず、
「寝るわ」
立ち上がり、シャロンは振り返りもせずにテントを出て行く。
「おやすみ」
ガンツは、背中に優しく声をかける。
薄暗い中、山の斜面に身を伏せている一団を発見して、マサヨシは自らも身を屈めながらそちらに近寄る。
間違いない、義勇軍の面々だ。
「ちょっと、いい?」
「あっ、マサヨシさん」
声をかけられた兵士が、弓を片手に慌てて体を起こそうとするのを、
「いいからいいから。今、貴重な一休みタイムなんでしょ、青白い者達のおかげで。ところで、ジャック、どこ?」
「ジャックさんなら」
兵士の指差した方向を早足で進むと、すぐにうつぶせに地面に伏せている狐の獣人の姿を見つける。
「ジャック」
「マサヨシさん。どうしましたかな?」
「いや、今、大丈夫かい? 力を借りたいんだ」
「ほう」
体を起こして、ジャックは首を鳴らす。
「何ですかな?」
「今しかないと思うからさ、今のうちに、ええと、これ、これだ」
マサヨシは折りたたんでいた紙をポケットから取り出す。
「義勇軍の中で、ここの出身の人を集めて欲しいんだよ。ここに書いてある出身のさ」
紙を受け取り、そこに羅列してある地名をざっと見たジャックは、
「これは、しかし……」
唸る。
「できれば、女や子ども、老人がいい。後方支援に回っているような連中が」
「マサヨシさん、あんたは」
見開かれたジャックの目がマサヨシの目を覗き込む。
「本気ですか?」
「本気も本気だよ。このまま戦争に負ければ、虐殺が起きるんだろ? だったら、それは防がないと。赤目も、ジャックも、何も知らないでいい。ああ、俺が何をしようとしているなんて、知らない。だろ?」
「マサヨシさん」
「俺の一存だよ。気にしないでくれ。とにかく、これは命令だ。そこの出身の女子ども、老人。兵士として前線には立たせにくい連中を呼んでくれ。予想外の天災でアインラードが混乱して、余裕がある今、この時しかない」
「マサヨシさん、俺は」
「命令だ。城まで呼んでくれ」
特に力を込めることなく、無感情な声でそう繰り返すマサヨシをしばらくジャックは見つめて、
「了解しました」
そう答えると、傍の兵士にしばらく抜けることを伝えてから、ジャックは走り出す。
その背中を見送り、マサヨシは暗い目をして、城へと踵を返す。
倒れるように寝込んでいたから、全身が妙な形で固まってしまっている。
ミサリナは廊下の隅で、ストレッチをして全身を伸ばしていく。動かす度に、ばきばきと体中から音がする。
「ああ、いたいた」
声をかけられ、思い切り伸びをしていたミサリナはそちらを向く。
「マサヨシ」
名を呼んでから、ミサリナは思わず顔をしかめる。
「酷い顔ね」
「そう?」
不思議そうにマサヨシは首を傾げるが、頬はこけ、血の気がない。皺だらけのシャツと黒の上下。目には力がなく、口元は嘲るように歪んでいる。
「ああ、ちょっと前に起きたんだけど、色々戦況に変化があったみたいね」
「いいことも、悪いこともあった。まあ、いい。それで、さっそくで悪いけど、もうひと働きしてほしいんだよ」
「人遣いが荒いわね。で、何なわけ?」
あっさりとミサリナが言うと、
「あれ、いいの、そんな簡単に」
持ちかけた方のマサヨシが戸惑う。
「金銭も労力も、今更引けないくらいにトリョラに投資した。もう、トリョラを失うくらいならオールインした方がマシってわけ。それで、何をしろって?」
「物資の調達。それと、荷車を数台。ああ、赤い布もできる?」
「赤い布?」
「ああ、でも、そっちは教会に頼んだら何とかなるかな。どう思う?」
「何を、考えてるわけ?」
「何って」
虫けらを嘲り笑うように口を更に曲げて、マサヨシは視線を迷わせる。迷子のように。
それで、さっきからずっと自嘲していたのだとミサリナは気付く。
「何って、酷いことさ」
呟いて、結局マサヨシの視線は地に落ちる。
その立ち姿が、一瞬、まるで磔にされて拷問されている最中のように見えて、ミサリナはそれ以上言葉をかけるのを躊躇う。