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聖女

 兵士からの報告を受けた赤目は、がりがりと頭をかいてから一つ欠伸をする。


「いい知らせと悪い知らせがある。いい方は、ハイジの部隊が敵部隊を発見、真正面から叩き潰したそうだ」


「そりゃあ、よかった」


「な、心配することはなかっただろう」


 深夜、昼過ぎまで寝ていた、というより気絶していたマサヨシにとっては何と言うことはないが、ドラッヘは大分つらそうだ。おそらく戦争が始まってからろくに寝ていないのだろう。多少ふらつきながらもにやりと笑う。


「危険な賭けでしょ。結果オーライだったものの、標的のハイジを迎撃に向かわせるなんてさ」


「今のあいつは、神がかり的だ。受身になることが何よりもまずい。常に攻める側にいれば、そうそう死にはしない。それはそうと、悪い知らせの方、いいか?」


「別に言わないでもいいですよ」


「そうもいかん。お前も関係していることだからな」


「はあ」


 どうやらノータッチで済ますことは無理そうだとマサヨシは諦める。


「それで?」


「聖女共が来た。お前に用だということだ」


「聖女?」


「慈愛の女神、レッドソフィーの信者共のことだ。まさか、知らないのか?」


「記憶喪失ですから」


 言いながらマサヨシは便利なキーワードだと我ながら感心する。


「レッドソフィーの信徒はエリピア大陸最多だ。慈愛と平和、幸福で世界を満たすことを使命とした教会が大陸中に無数に立ち並んでいる。トリョラにも二つほどあるはずだぞ」


「レッドソフィーには縁がないもので」


 嘘の神とは付き合いがあるが。いや、あった、か。


「敬虔なレッドソフィーの信徒、赤いローブを纏った彼らは常に慈善活動のために世界を歩き回る。そして、それぞれの一団のリーダーは常に女性と決まっている。レッドソフィーが女神だからな。その女が聖女と呼ばれているわけだ」


「逆らったらまずい?」


「レッドソフィー教会の敵になるというのは、あらゆる国に戦争を吹っかけられる理由を持ってしまうということだ。影響力はとんでもない。エリピア大陸で言えば、人口の半分がレッドソフィーの信徒と言えるからな」


「げげ、そうか、トリョラではそんなに見ていないけど、そりゃあこの町が特殊だからか」


「そういうことだ。財も、それから暴力もある」


「暴力?」


「聖騎士だ。大国の国軍に匹敵すると考えろ。とにかく、絶対に教会の機嫌を損ねるな。特に、今来ている聖女は現教皇との距離も近い。ただでさえ俺達は風前の灯なんだ。余計な厄介ごとは背負いたくない」


 また、欠伸をしてドラッヘは涙を滲ませる。


「それじゃあ、頼んだ」


「頼んだって、結局どういう用なわけです?」


「知らんよ。戦争してるんだ。聖人君子が文句を付けられるところなんて山ほどあるだろ」


「あ、ちょっと、もう」


 仮眠をとるのか、その場に赤目がごろりと鎧をつけたまま転がるのを見て、それ以上の問答を諦めてマサヨシはその場から去る。




 聖女を迎えるのにただの部屋ではまずいので、謁見の間に待たせているとのことだった。


「え、じゃあ、俺が城主が座る椅子に座らないといけないわけ?」


 謁見の間に移動しながら、聖女達を案内したという城の重臣の一人に思わずマサヨシはそう問いかける。


「そうだが、何か問題か?」


 疲れ切った中年の男はそう問い返す。


「問題って、その、いいんですか?」


「構わん。我らが城主は剣を持って敵に突撃するのに忙しいからな」


 へらへらと重臣は笑って、


「それに城主として相応しい人間だけが座れる椅子というわけでもあるまい。それで言うなら、城主としての資質にかけていた少女がずっと座っていたわけだからな」


 戦争が始まって以来緊張が続いているのだろう。あまりにも積み重なった疲れが、一種のトランス状態にしているのか、重臣は力のない笑顔でつらつらと普通ならば口が裂けても言わないであろう内容を話し続ける。おそらく本心だろう。


 これ以上関わるのは危険だ。触らぬ神に祟りなし。

 マサヨシはそう見切りをつけて、もう重臣の言葉には反応せず、そのまま謁見の間への扉を開けて進み出る。


 一種異様な光景だ。

 謁見の間、赤絨毯の上に、溶け込むように赤いローブの集団が立っている。


「ああ、どうも」


 とりあえず何と言っていいか分からず、そう言いながら彼らの前を横切り、城主の椅子の前で迷った後、結局マサヨシはその横に立つ。


「ええと、それで、何ですか?」


 重臣もこの部屋までは着いてこない。一人きりになって心細くなったマサヨシは、ともかくそう言う。


「お時間をとらせてしまい、申し訳ございません」


 集団から、一人の女が進み出てくる。

 これが聖女か。

 聖女という言葉のイメージとは随分違う印象の若い女だった。肌は褐色、黒い髪はローブを頭から被っているから隠されてはいるが、おそらく肩の辺りで切りそろえられた短いものだ。青い大きな瞳。はっきりとした目鼻立ち。神聖さよりも、活発さを感じる。


「いえいえ。それで、御用は?」


「我々はレッドソフィーの僕でございます。慈愛の女神の意思を、世界に伝えるためだけに存在しております」


 そう言って聖女が深々と跪くと、続いて後ろにいる全員も跪く。


「レッドソフィーは、この戦争に酷く心を痛めております。特に、本来ならば戦うはずでない民までが剣を持ち、戦地に赴いているとのこと」


「ああ」


 マサヨシはようやく納得する。

 義勇軍についての根本的なクレームか。そりゃ、自分のところに来るわけだ。


「特に、戦うべきでない女性や未来ある子ども、静かに余生を過ごされるご老人までが戦地に駆り出され、つい先日、その何よりも尊い命を落とされてしまったのこと」


 その言葉に、瞬間的にマサヨシの脳裏に蘇るのは、息を殺して地面に伏せていた時に見た少女の目。それから、ジャックにつけられた腕の痛み。


「どうか、戦うべきでない民を戦地へと送るようなことがこれ以上、ないようにお願い申し上げたく、こちらに参りました」


 態度は丁寧だが、しかしそう言って顔を上げた聖女の瞳はあまりにも真っ直ぐに過ぎる。真正面からマサヨシを威圧するかのようだ。


「なるほど」


 口の中がからからだ。マサヨシは唾を飲み込む。


「ああ、その、そうだな、端的に言って、あなた達の仰ってることは正しい」


 ドラッヘに機嫌を損なうなと釘を刺されたからではなく、全くの本心からマサヨシは言う。


「義勇軍、つまり軍人じゃあない人々が戦地に赴いているわけだ。女子どもや老人まで。そりゃあ、正しくない。まったくもって、正しいことじゃあない」


 話しながら、マサヨシは思い出す。





 ヤニがこびり付いて全体的に黄ばんでいる狭い喫煙室。

 タバコを吸うわけでもないマサヨシは、それでもその喫煙室に飛び込んだ。喫煙室くらいしか、多忙を極めるクライアントに直談判する場所が思いつかなかった。


 ヘビースモーカーのクライアントは、タバコを口にくわえたまま、眉間に皺を寄せて新聞を読んでいた。


「考え直してください」


 ほとんど懇願するように、マサヨシは言った。


「無理だ」


 しわがれた声で、クライアントは新聞から目を上げずに答える。


「犯罪ですよ」


「背に腹は代えられん」


 眉間の皺は消えない。


「これを通さなければ、うちは潰れる。従業員の四十人が路頭に迷うんだ」


「ばれないとでも思ってるんですか?」


「ばれて捕まってもいい。どちらにしろ先はないんだ。先延ばしにして何が悪い」


「何の解決にもなっていません。お願いですから」


「なあ」


 そこで初めてクライアントは目を上げてマサヨシを見た。


 その目が潤んでいるのを見て、初めてマサヨシは目の前の中年の男がうちひしがれているのだと気付いた。


「あんたの言うことは正しいよ。けど、その正しさで誰が救われるって言うんだ」


 クライアントはそう吐き捨てて、新聞に目を戻す。


 それ以上かける言葉が見つからず、マサヨシは喫煙室を出る。

 それから数日で、マサヨシはそのクライアントの担当を外され、別の先輩がそのクライアントの担当になる。

 半年後、クライアントの犯罪行為が発覚し、クライアントの会社は倒産。従業員は路頭に迷い、クライアントは結局首を吊った。

 それでも、それを聞いたマサヨシは思った。

 正しくあるとしたら、半年前に彼らは終わっていた。確かに、クライアントは半年間先延ばしにしたのだ。なるほど正しさは誰も救えなかった。





「正しいけれど、戦わなければうまくいくというものでもないでしょう。戦争に負ければ国が侵略されるし、正規の軍だけに任せていればどうやら簡単に負けてしまいそうな風向きだ」


「それでも、子どもを戦地に駆り出す真似が正しいとは言えません」


「ああ、そりゃあ、絶対にそうです。間違っている。けど」


 頭を振る。

 ジャックと一緒に逃げ出して地面を這った時に見た光景が蘇る。


「正しいことをして、戦争に負けたって地獄ですよ」


「戦地で死ぬよりも、ですか?」


「虐殺が起きますよ」


 言い切るマサヨシの目と、聖女の目が正面からぶつかる。


「ならば、この町を捨てては?」


「トリョラをですか? ここ以外じゃあ、生きていけない連中は山ほどいます。ここはね、どこにもいけない連中が集まる町なんですよ」


「なるほど。その弱みに、つけこんでいると」


「俺がですか?」


「ええ」


 挑戦的な光を帯びた瞳が、真っ直ぐにマサヨシを射抜く。


「どうして、そう思うんです? 彼らは、本当に自分から志願してきているんですよ」


「あなたの口車に乗せられて、でしょう?」


 明らかに敵意を持った聖女の言葉に、マサヨシは困惑する。

 どうして、ここまで明確に敵対する姿勢なのか。


「あなたの噂は聞いています。この町を牛耳る『ペテン師』。あなたは町の人々を操っている。彼らの命すらも、自らの利益のために消費する」


 なるほど、とマサヨシは驚きと共に納得する。

 外の人間から見れば、町の裏の利権を持った男が義勇軍の頭をしていたら、そんな風に見られるのか。盲点だった。

 しかし、考えてみれば自分だってそう感じるだろう。どこかの町を支配するマフィアのボスが、その町の人々を率いて戦争に参加しているようなものだ。


「ああ、そうかもしれない」


 そうなると、ここで反論しても無駄だ。

 そう結論付けたマサヨシは否定せず、


「それで、本題は?」


 続ける。


「本題?」


「まさか、あなただって俺が分かりましたと義勇軍を解散させるとは思っていないでしょう。本題はなんです?」


 鋭い目で聖女はマサヨシを睨みつけて、


「今のが間違いなく本題です。しかし、それが聞き入れていただけないのであれば、せめてお願いがあります。教会から食料や薬品といった支援が戦闘地域で困窮しておられる方々へ届きます。それを受け入れていただけるようにお願いいたします」


「それは、もちろん」


 願ってもない話だ。


「ただし、これはあくまで民間の方々への支援です。兵の方々はもちろん、義勇軍に参加されている方へも渡らないようにしてください。我々はこの戦争に絶対反対です。これは戦争に参加されている方々ではなく、巻き込まれた方への支援なのです」


「なるほど」


 支援の品が欲しければ、義勇軍から抜けろということか。まあ、悪くない策だな。

 表情を変えず、マサヨシは頷く。


「他には?」


「我々は今回の戦争において、アインラードを支援するものでもノライを支援するものでもありません。ですので、アインラード側でも戦場近くで不便されている民間人の方々へは支援を行います。これを了承していただきたい」


「当然でしょうね。いいですよ」


 あまりにも軽く了承するマサヨシに、聖女は少し戸惑ったように目を揺らすが、すぐに立ち直ると、


「では」


 と、立ち上がり、踵を返す。

 聖女を先頭に、一団の全てが一斉に謁見の前を出て行こうとする。


「ちょっと」


 それを、マサヨシは呼び止める。


 一団が一斉に足を止める。


「あなたに連絡を取ろうと思ったら、トリョラにある教会に言えばいいのかな?」


 聖女が振り返り、


「ええ。今回の戦争に巻き込まれた方々への支援活動を指揮しているのは私なので、すぐに私にまで伝わります。それと」


 初めて、聖女が笑う。犬歯をむき出しにした笑み。狼の威嚇だ。


「あなた、と呼ぶのはやめてください。名前があります。私の名前はスカイです。敬語も結構」


「分かったよ、スカイ」


 こう呼びかけると、軽く手を挙げて応えてからスカイは謁見の間から姿を消す。一団もそれに続く。


 無音。

 消えてから、しばらくマサヨシは視線を宙に彷徨わせてから、すとん、と城主の椅子に腰を落とす。足を組み、指で自分のかさついた唇を撫で回す。


「ああ」


 眉間に皺を寄せて、マサヨシは呻く。

 脳裏には、虐殺の光景。実際に見た光景とイメージが入り混じっている。大虐殺。滅ぶトリョラ。


 しばらく、マサヨシは動かない。

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