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ハイジ

 副隊長は、精鋭の部下を引き連れて山を降りていく。ほとんど、逃げるように。

 いや、逃げているのだ。副隊長はそう自覚する。

 それなりに死線を潜った経験があるからこそ、あそこで近づいてきつつあった何かが、とてつもないものだと分かった。勝てるのは隊長であるハヤブサ、幼い頃から生体兵器として育て上げられた怪物しかいない。そう感じたからこそ、彼らはその場から逃げ出した。任務遂行を言い訳にして。


 いや、任務を遂行しなければならないのは確かだ。

 副隊長は考えを切り替える。

 ハイジを探し出し、殺す。そしてノライを脱出する。それができればいい。

 既に自分達の侵入は報告されている。迂回されたところで、ある程度ルートは特定されるだろう。迎撃は覚悟しなければならない。それでも、それをやり過ごし奥へと進み、ハイジを殺さなければ。


 草木の茂る急な傾斜を、駆け下りる。

 常人ならば転げ落ちそうなそれを、彼らは飛ぶように走り続ける。


 蛍のように見える町の灯。その手前、僅かに明るいのは城。闇の中に浮かぶそれらを頼りに走り続ける。追うために走っているのか、逃げるためなのかは当人達にも分かっていない。


 どんどんと地面の傾斜はなだらかになっていく。もうすぐ、山を下りきる。


 その時、かすかに聞こえてくるいくつもの重い足音。武装した集団の足音だ。

 それを耳にした彼らは、足を止めず互いに目配せする。


 やはり、警戒されているか。迎撃部隊を放ったらしい。


「迂回するぞ」


 副隊長は囁く。

 部下達は頷き、前方の大きくなってくる足音を避けるように全員が移動しようとする。


 その足が止まる。


「馬鹿な」


 呟いた副隊長は、闇に浮かぶそれが自分の見間違い、もしくは罠ではないのかと何度も目を凝らして確認する。部下達は絶句している。


 こちらを捜している迎撃部隊。

 闇の中行進するその中に、特徴的な白銀の煌きがある。月明かりを反射するそれは、白銀の鎧。ただの兵士が身に纏えるような代物ではない。


「どうします?」


 部下の言葉に、


「待て」


 身を屈めながら、片手を伸ばして副隊長は部下達を黙らせる。

 目を凝らす。

 月明かりで、はっきりと見える。

 十数人の部隊。おそらくは正規のノライの兵集団。その中にある、白銀の鎧と金を融かしたような髪。間違いない。

 どういうことなのか。向こうの連中はハイジを標的にしていると読めないのか。現時点でこの戦争で厄介なのはハイジなのだから、暗殺部隊を送り込むのはハイジの排除のためだと分かりそうなものだろうに。

 少し考えたが、決心する。

 人数ではこちらよりも少し多い。だが、錬度では確実に精鋭部隊であるこちらが勝っているし、何より。


「全滅させようなどと考えるな。不意打ちですれ違いざま、標的を始末する。あとは逃げればいい」


 その言葉に、部下達は頷く。


 決まった。


 彼らは身を屈めたまま、音を立てずにするするとその部隊に近づいていく。


 ざわり、と空気が変わる。

 向こうがこちらに気付いたのだ。それはそうだろう。近づけば、気付く。

 だが混乱する。明らかに浮き足立っている。

 いいぞ、この一瞬の隙に、命を奪う。

 副隊長が抜刀すると、部下達も同様に剣を抜き、全力で駆け出す。


 これが本来の姿だ。

 緊張と高揚の狭間で、副隊長である男はそんな気持ちを味わう。

 彼はアインラードの近年起こしてきた侵略戦争の数々で多くの武功をあげた歴戦の兵士だ。元は平民でありながら、己の腕だけで地位を得て、同じような立場の連中が集まる精鋭の部隊の中でも競争に勝ち続け、トップにまで昇りつめた。

 だからこそ、未だに訓練だけで実戦経験のない混ざり者の若造が自分の上に立つ隊長になり、今回の任務にあたると知った時には不満を抱いたものだ。

 けれど、実際に会ったハヤブサに、単純な個としての戦闘力で叩きのめされた。自分だけではない。今、この部隊にいるほぼ全員がだ。

 生まれてからのほとんどを戦闘の訓練に費やした、人間というよりも道具。その強さに圧倒された。魔術を警戒していたが、結局魔術を使われることなく、純粋な剣の技量で誰もが勝てなかった。


 だが、今や、自分が指示を出して、精鋭部隊を動かしている。

 これが、本来の姿だ。


 ハイジの部隊に向かって副隊長は突っ込んでいく。部下もそれに続く。

 うろたえる奴らを斬り伏せ、標的の首を落として混乱している間に逃げていく。そうして国に戻れば、勲章ものだ。確実に勝つであろうこの戦争の後には、昇進。貴族となるのも夢ではない。


 副隊長の頭の片隅にそんな青写真が浮かび、それは現実との齟齬で次の瞬間に掻き消える。


「来た」


 自らに奇襲をかけようとする敵を目にしたハイジは、そう言って剣を振りかぶる。すると、一瞬で浮き足立っていた彼女の部隊が立ち直る。全員が剣を構え、地に足が着く。


 まずい。

 数多の修羅場を経験してきた副隊長の背筋が、直感的に震える。

 これは、まずい。


「正義はこちらにあります。行きましょう。ハローのご加護を」


 ハイジは美しい髪をなびかせて、逆にこちらに向かって飛び出してくる。よりにもよって先頭になって、こちらに向かってくる。剣を振りかぶったまま。


 標的が突出している。本来ならばチャンスだ。

 嫌な予感を振り払って、副隊長は加速する。


 何の工夫もない、ハイジの突撃。隙だらけだ。ただ突撃しているだけ。簡単に首を落とせる。

 副隊長は確信する。剣で、研ぎ澄まされた一撃を放つ。


 ハイジはまったく躊躇せず、剣で攻撃するというよりそのまま体当たりするかのように副隊長に向かって一気に近づいてくる。真剣な表情だが、その美しい瞳には喜々とした光が宿っている。


「ぬっ、う」


 普通の人間なら間合いを計るところを、ハイジは全くそれをせずに距離を詰めてきた。そのために、副隊長の剣による一撃は白銀の鎧に当たり、かすらされる。


「ちっ」


 だが当然、こちらもハイジの攻撃は避けている。二撃目を加えようと副隊長が反転しようとしたところで、ハイジだけを突撃させてなるものかと、猛烈な勢いでハイジの後ろから突撃してきた他の兵士達の猛攻にさらされる。


「おのれ」


 だが、誰も彼も錬度ではこちらに劣る。無謀な突撃をしてきた連中など、取るに足らないはずだ。

 それなのに。


「うっ」


 ひるませようと胴体に剣を叩きつけてやった兵士はひるむどころか、それまでの倍の勢いで突撃してくる。致命傷を与えようとした一撃はその勢いに押されて兵士達を浅く傷つけるだけに留まる。

 混沌の中、標的のハイジの姿を見失う。

 まずい。


 そして、気付いた時には副隊長のわき腹には深々と長剣が突き刺さっている。


 その場に崩れ落ちた副隊長は、無数の兵士に全身を踏み砕かれながら、地面からの視点で他の倒れている兵士、あるいは兵士の死体を目にする。

 倒れているのは、どれも自分の部下。ノライの兵士は一人もいない。倒れていく自分の部下はどんどんと増えていく。


 そうして、見える。争う兵士達の隙間、月を背に輝いている、白銀の鎧の美少女。金色の髪、白い肌、鮮やかな緑の瞳。剣を構えて堂々としている姿は、まるで絵画のようだ。


 美しい。

 激痛も忘れて副隊長はそう感嘆してから、納得する。

 なるほど、戦場の英雄か。

 彼女の排除を最優先にしたシャロンの判断の正しさを確信したところで、誰かの長剣が副隊長の頭蓋骨を叩き砕いた。

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