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ハヤブサ2

 優雅な輪郭と長く尖った耳、彫りの深い顔とアインラード人特有の赤毛。

 闇夜でそれをはっきりと捉えたタイロンは、即座に混ざり者だと判断する。

 まずいのお。

 タイロンは内心呟く。これでは、この目の前の若造を無視して、逃げていった連中を追って殲滅することができない。おそらく全員ともそれなりの兵だろうから、殲滅には時間がかかる。その隙に、遠距離から魔術を使われたら?

 この男を殺してから、逃げた連中を追う。

 その方針を心に決めてから、一気にその混ざり者との距離を詰めるまでが一瞬。魔術を使うと分かっているのだから、近距離戦に持ち込む。タイロンに迷いはない。


「殺し屋か」


 恐るべき速さで距離を詰めるタイロンを、闇夜でしっかりと目で追ったハヤブサは呟いて、剣を抜く。


 剣か。

 タイロンは意外に思う。既に拳が届く距離まで二人は近づいている。


 魔術師と戦ったことは、タイロンの豊富な経験の中でも一度だけ。戦地にて、遠くの敵に向かって火の玉を無数に打ち出していた標的である魔術師を殺したことがある。

 その射程距離と威力は大したものだと感心したが、同時に魔術とは遠距離かつ多数を相手にしなければ効果的ではないと見抜いた。

 現に、火の玉を打ち出すのに数秒を要するその魔術師は、めまぐるしく左右に動くタイロンに狙いを定められず、結局火の玉をかわされ、次の火の玉を打ち出すまでの間にタイロンに首の骨を折られた。


 話に聞く限り、魔術師はそれぞれ己の得意とする魔術を一つ持っている。そして、基本的にはその得意とする魔術以外は使えない。直接的に対手を攻撃する火の玉や風の刃、あるいは凍りつかせる冷気。自分の肉体や装備を強化する魔術。相手を衰弱させる呪い。そして占い。

 前線に出ているからには、直接的な攻撃の魔術だと思ったが。

 タイロンはにやりと笑う。

 強化の方か。だとすれば、気の毒に。どれだけ強化しようと、剣を持って戦うのであれば、結局は近接戦闘技術がものを言う。自分には勝てない。


 ハヤブサの両手に持った剣から繰り出される予想したよりも鋭い太刀筋。

 若造のくせに、やる。

 そう感心しながらも、タイロンはそれを容易くかわして、拳を打ち出す。わき腹。


 拳を打ち込まれたハヤブサは宙を舞う。


 その軽さに、タイロンは驚愕する。

 打ち込まれた瞬間、その方向に自ら飛んで衝撃を殺したハヤブサの技量に。

 剣を振りながら、それをするか。ただの若造じゃあない。





 ハヤブサも驚愕していた。打ち込まれた拳の重さに。

 衝撃を殺して、この重さか。

 凄まじい速度の持ち主であることは分かっていた。だから、自分の斬撃がかわされるところまでは予想通りだった。

 ただ、紙一重でかわすと同時に拳を叩き込んでくる技量の高さにも驚き、さらには打ち込まれた拳の質にも驚愕する。

 まともに打ち込まれていたら、腹とはいえ、その一撃で勝負は決まっていただろう。まさしく拳がそのまま凶器だ。素手で向かってくることに驚いたが、なるほどこれでは素手はハンデではない。


 ふわり、と剣を構えたままで着地して、更に追撃してくるタイロンを迎え撃つ。

 殺し屋、と言っていた。金で殺しを請け負う民間人に、こんなものがいるのか。ハヤブサは驚嘆しながら、横薙ぎに剣を振る。


 退くのではなく、その速度のまま身を屈めて、地面を滑るように剣を潜ってタイロンがまた至近距離にまで近づく。


 拳を喰らったら終わりか。鎧を着込んでおくべきだったか。いや、山を登って道なき道を登らなければならない以上、そんな選択肢はなかった。それに、この男は全身鎧を着込んでいたとしても、何らかの方法でこちらを殺す術を持つ。考えるな。相手も軽装。剣が当たれば終わりなのは向こうも同じ。

 ハヤブサの脳裏に様々な思考が一瞬で交錯する。


 また拳。

 それを今度は、ハヤブサは受けるのではなく身をよじってかわす。そのよじる動きのまま、剣を更に斜めに振るう。


 その剣を、タイロンはなんと手の甲で横から払うようにして逸らす。

 何と言う技量。

 目を見張りながらもハヤブサは、同時に勝利を確信する。

 かかった。

 その一撃は、防がれるための一撃。既に剣は片手持ちに変えている。つまり、残る片手。左手は。


 いつの間にか短刀を握っていたハヤブサの左手が、無防備なタイロンのこめかみに向かう。剣に集中しているタイロンの目は、それを捉えていない。いや、今更捉えてももう防御も回避も間に合わない。





 かかった。

 見もせずに、拳をもって『短刀ごと』ハヤブサの左手をタイロンは粉砕する。指を砕き、手の甲を砕き、そのまま腕の骨と肘まで破壊する。


 驚愕の表情に固まるハヤブサ。

 後ろに飛び退こうとするハヤブサに、タイロンは蹴りを入れる。浅い。それでも、それなり以上のダメージはある。


 地面を転がり、それでも苦悶にのたうつよりも先に起き上がり片手で剣を構えるハヤブサに、タイロンは驚嘆する。

 いい戦士だ。あるいは、もう少し経験を積んでいたなら最盛期を過ぎた今の自分に匹敵したかもしれない。

 だが、おしまいだ。

 左手は全ての指が無茶苦茶な方向に折れ曲がり、短刀は取り落とされている。


 ハヤブサは駆け寄るタイロンに片手で剣を振るう。

 それを避けつつ、タイロンは拳を顎に向けて放つ。

 一手。

 上半身を逸らしてかわすハヤブサの膝に、前蹴り。

 二手。

 がくりと体勢を崩すハヤブサは、それでも剣を突き出してくる。

 タイロンはそれを左手で捌き、右手の掌底をハヤブサの顎に向ける。

 これで、詰みだ。かわすこともできず、右手の剣で防ぐのも間に合わない。


「ほう」


 だが、必殺のはずのその掌底は防がれる。

 ハヤブサが即座に剣を捨てて、右手で防いだのだ。

 思い切りがいい。ほとんど尊敬すらしつつ、それでも、タイロンは勝利を確信する。

 一手増えたか。


 捌いていた左手を戻して打ち抜く。それで終わりだ。


「う」


 顎。打ち抜いたんじゃあない。打ち抜かれた。

 タイロンの視界が揺れる。

 視界の端、自分の顎を打ち抜いた、ハヤブサの左手を確認する。魔術によるものか、緑の光に包まれている。

 視界が回る。意識が遠のく。

 まずい。今、気を失ったら、死ぬ。それにしても、左手。まだところどころ歪ではあるが、確かに原形をとどめる程度の損傷にまで回復していた。まさか、そうか。この男、回復魔術を得意とするのか。盲点だった。自分を回復させながら戦うとは。想定すべきだった。

 タイロンの意識が沈む。体から力が抜ける。

 最後の力を振り絞って、舌を自らの歯の間に挟む。

 もし死ななければ、次に意識を取り戻した時、全力で腕を振る。それだけを心に刻み付ける。

 暗転。





 サーカスでは人気者だった。

 毛の色が白いからという理由で、同族からも奇異の目で見られ、捨てられて売られた。たらいまわしにされた挙句、大陸の外に商品として密輸され、見世物としてサーカス団に売り払われた。

 そのことを特に悲惨と思ったことはない。タイロンの主観では、物心がついた時には見世物になっていた。

 やがて毛が白いだけでは飽きられ、火の輪をくぐったり、綱を渡ったりという曲芸をしなければならなくなる。団長は厳しく、寝る時間も与えず鞭を打ちながらタイロンを訓練させて、うまくいかない時には食事もない。そんな日々。

 それでも、タイロンはその時、団長を怨むことすらしなかった。その世界しか知らなかったから。他の連中と扱いが違っても、それを不服と思わなかった。白い虎は自分だけだから、自分は他の連中とは別なのだと理解していたから。


 別の町に向かう道中、船が海賊に襲われ、サーカス団員の男は殺され、女子どもは海賊の奴隷にされた。

 タイロンも奴隷になったが、特に生活が変わったわけではなかった。それまでも奴隷のようなものだ。ただ、時折危険な戦いの最前線にも駆り出されるようになっただけ。


そうして、分かった。

 自分は別なのではない。ただ、力がなかったから以前は別に扱われていただけだ。現に、より強い暴力に襲われて団長も団員も死に、残った連中も自分と同じように物として扱われている。

 誰もが同じだ。ただ、強いか弱いかだけの違い。

 強いとは何だ?

 暴力と、金だ。


 半年間海賊船の奴隷として生き延びたタイロンはついにその結論を出した。金と暴力を持てるものが強い。強いことは尊い。

 そう結論が出た夜、タイロンは海賊も、自分と同じように生き延びていた海賊の戦利品たちも全て皆殺しにした。サーカス団での過酷な鍛錬と海賊船での奴隷としての労働や戦闘の数々は、既にタイロンの五体を凶器に変えていた。


 それからは、ただ、己の暴力を高め、その暴力を元手に金を稼ぐことだけを考えてきてきた。

 そうして。


 激突。

 舌に痛み。

 覚醒する。





 正確に顎を打ち抜かれたタイロンは、意識をとばしてそのまま地面にゆっくりと倒れていく。

 素早く身をかがめて、ハヤブサは剣を拾い上げて、両手で握る。

 そうして、地面に倒れつつあるタイロンの頭目指して、全力で振り下ろす。


 剣がタイロンの頭を割る寸前、先にタイロンが地面に倒れこむ。

 次の瞬間、


「がぁっ」


 吠えたタイロンが身を起こしながら腕を振る。適当に振るったと思われるそれは、しかし威力とスピードは十分で、胴体にそれを食らったハヤブサは体のバランスを崩す。口から血がこぼれる。


 剣は軌道が変わり、タイロンの耳をかする。


 馬鹿な、復帰が早すぎる。

 驚愕しつつ体を立て直そうとするハヤブサが見たのは、身を起こしたタイロンが貫手を自分の顔に向かって放つ姿だ。


「う」


 かわそうとするハヤブサ。だが、かわしきれない。その左目に、タイロンの小指が、その先の鋭い爪が深々と突き刺さる。


「おのれ」


 それでもひるまないハヤブサは、剣をタイロンに突き刺そうとする。

 こんなところで。俺は、シャロンを超える道具に。国の為の希少な歯車に。

 頭の片隅にそんな思いが浮かぶ。


 そして、剣が突き刺さるよりも早く、更に腕を伸ばしたタイロンの爪が、目を完全に潰し、眼底を貫き、脳にまで達す。


 視界が真っ赤に染まったハヤブサは、自分の穴という穴からどろりと液体が流れ出るのを感じる。そして、その感覚を最後に、ハヤブサの意識は消失する。





 どう、と耳や鼻、目から赤黒い液体をこぼしながらあおむけに倒れたハヤブサを見下ろし、


「はあー……」


 長い長いため息をつき、タイロンはがっくりと地面に腰を下ろす。


「疲れたわい」


 これは、追いつくのは無理だ。

 諦めて、タイロンは座ったまま深呼吸を数度して呼吸を整えると、のろのろと立ち上がる。

 間違いなく、最近では一番手ごたえのある相手だった。


 逃げて行った連中も、迂回する分目的地に辿り着くのは遅れるはずだ。義勇軍の連中に報告はしてやった。まあ、多分間に合うだろうし、間に合わなくとも自分の仕事じゃあない。

 そう判断して、タイロンはもう帰ることにする。

 依頼された仕事はした。料金の分は働いたはずだ。


 最後にもう一度、びくびくと緩やかに痙攣するハヤブサの体を見て、


「やれやれ、二、三日は動けんかものお」


 ぼやきながら、肩を回してタイロンは闇に消える。





 久しぶりの強敵との苛烈な戦いが、タイロンの判断を鈍らせたのか。

 それとも、必然だったのか。


 タイロンは最終的なとどめを刺さずにその場を去った。

 それは、あながち判断ミスとは言えない。脳に損傷を負い、すぐに息絶える死に体の男に更に攻撃を加える必要は必ずしもないのだから。

 しかしそれでも、結果的に見れば詰めが甘かった。


 タイロンの誤算の一つは、ハヤブサが混沌としてはいるものの、地面に倒れた衝撃で薄く意識を取り戻していたことだ。奇しくも、タイロンがそうであったように。

 だが、この誤算だけではミスのうちには入らない。意識がかろうじてあったとして、指一本動かせず、そのまま死んでいくだけならば何の問題もない。いや、動かせたところで、どうしようもないだろう。回復魔法を使ったとしても、脳の致命傷の傷は深すぎて、回復するまでに命が尽きる。


 もう一つの誤算は、タイロンが意識を取り戻した瞬間に腕を全力で振ると決めていたように、ハヤブサもそれを心に刻んでいたということだ。

 その命令をハヤブサの壊れかけた脳はずっと身体に送り続けていた。そうして、ようやく身体がそれに応えて動き出したのはタイロンの姿が消えてすぐのことだった。


 ハヤブサの右手が、その指が、潰された左目に突き入れられる。そしてそのままもっと深く、脳の寸前にまで突き入れられる。


「ぐああああああ」


 苦悶の声というよりも、動物の鳴き声のようなものがごぽごぽという呼吸音と共にハヤブサの喉から漏れる。


 そして、緑の光が左目の眼窩から漏れ出す。


 ハヤブサは、命に直結する最深部の傷、脳の傷を最優先で回復させるため、敢えて自らの指を傷深くに突き入れたのだ。


「あ、はあああああ」


 無事な右目がぎょろぎょろと激しく動き回り、大きく開いた瞳孔が虚無を睨み回す。


 がくがくと自らの左目に指を突っ込んだままで体を痙攣させていたハヤブサは、やがてゆっくりと指はそのままに立ち上がる。


 よろよろと、半死半生のまま、ハヤブサは歩き出す。

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