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38/202

ハヤブサ1

 机の上に置いてあるオレンジを齧る。

 からからになった体に水分が染みこんでいく。砂漠に水をこぼすように。

 作戦室には、マサヨシとドラッヘしかいない。


「もう少し、休んでいてもいいんだけどな」


 赤目の言葉に、マサヨシは果物を齧るのを止めずに、肩をすくめるだけで答える。


「まあ、いい。お前とジャックが生き延びたのは不幸中の幸いだった」


 マサヨシはそこでようやく果物を齧るのを止め、作戦室を見回す。


「ジャックは?」


「あいつはお前より丈夫だ。生き残った女子ども、老人の部隊の再編成をしてるよ」


「何割生き残った?」


「ん? ああ、七割以上は生き残っている。人的被害はそこまででもなかったよ」


 三割は死んだということだ。もしくは、捕らえられた。

 どろりとした頭でマサヨシは考える。そんな単純な計算をするのにも体力を使う。


「夢を見てた。懐かしい夢だ」


 ぼんやりとしているからか、そんな言葉がつるつるとマサヨシの口から零れる。

 父の夢だ。


「ああ、そうか。状況を聞きたいか?」


 興味がないのか、赤目はそれだけ言う。


「ここに来るまでに、町で知り合い何人かから話を聞いたけど、思ったほど最悪の状況にはなってないみたいだね」


 むしろ、町全体としては戦意が高揚しているほどだ。

 ある、一人の英雄によって。


「陣形が崩されかけたが、見事撃退に成功。むしろこちらが一点攻勢となっているくらいだ。時折、負け戦では救世主、英雄が誕生する。一時的なものだが」


 ちょうど、そこに固い足音を響かせて、作戦室の扉を開け放ち一人の少女が入ってくる。


 少し痩せた頬、美しく輝く瞳と髪の毛、泥と埃に汚れているというのに、むしろ普段より輝きが増しているようにすら見える白銀の鎧。

 生気に満ち満ちたハイジは、足音高く更に一歩作戦室に踏み込むと、背筋を伸ばしたままでマサヨシに顔を向ける。


「マサヨシ、気がついたのですね。よかった、心配していました」


 声も力強い。

 トリョラの城主としてこれまで付き合ってきたマサヨシが見たこともない、強いハイジがそこにいる。


「ああ、心配かけたね」


 そう答えると、にこりと笑った後、すぐに笑みを消して強い目をドラッヘに向ける。


「再配備が完了しました」


「敵は、相変わらずゆっくりか?」


「そうですね。罠を解除しながら、こちらの弓矢を防ぎながらゆっくりと進んできています」


「他に怪しい動きは?」


「ありません」


「そうか。ハイジ、君に撃退された挙句、追い潰されたのがよほど懲りたらしい。向こうもしばらくは正攻法以外の手を使わないだろう。だが、しばらくは、だ。流れがこちらにあるから、ひいているだけだ。いずれ、手を出してくる。いざという時に、君の部隊がすぐに出撃できるように準備は怠らないように」


「はっ」


 勢いよく返事をすると、踵を返し、ハイジは颯爽と作戦室を出て行く。


「張り切ってますね」


 小さくなっていくハイジの背中を見ながらそう言うと、


「立場上、先陣を切って敵に突っ込んでいくのは止めたいところだが」


 とドラッヘは苦笑する。


「が、それで士気が上がり、絶望的な状況で敵を撃退できたのも確かだ。おかげで戦線を維持できているし、ハイジを中心に我が軍の団結力も増している。今更スタイルを変えるのはデメリットの方が大きいだろうな。今、この瞬間、ハイジは神懸り的な力を持っている。負け戦では時々こういうことがある」


 そこで、ドラッヘは笑みを消すと、無味乾燥した表情でハイジが開けっ放しにしていた作戦室の扉を閉める。


「さっきも言ったが、一時的なものだ。勢いに乗っているから、勝ち続ける。勝ち続けるから、相手は恐れる。恐れるから、勢いに乗る。このサイクルが崩れれば、彼女の神通力も消える。一度彼女が負ければ、というより、先陣を切って敵に突っ込んでいくから、彼女が負ける時は彼女が死ぬときだろうが」


「実際、どうなんですか、彼女の指揮能力は?」


「ないよ。自分を先頭に突っ込むだけだ」


 あっさりと赤目は言う。


「予想外の兵力でお前達が撃破され、敵がこちらの奥深くまで入り込んできた時、当然ながらこちらは突然のことに大混乱していた。指揮系統は乱れ、兵士達は右往左往していた。その時に、彼女が、あろうことか剣を片手に、敵に向かって突っ込んでいったんだよ。彼女は、ほら、目立つ。誰もが何をしていいのか分からない状況だったから、動物的反応で他の兵士達は全員彼女の後を追って突撃した。それで運よく撃退。彼女は英雄だ」


「危険な状況ですね」


「そうとも。が、彼女に頼って我が軍は生き延びている。敵は、『勝ち戦の姫』は、彼女の狂信だけを恐れて攻めあぐねている」


「そうですか」


 息を吐いて、マサヨシは意味もなく天井を見上げる。


「小規模なものでも、虐殺を目の当たりにした兵士はパニックを起こす。その後の道は二つ、狂気と怒りを持って戦いに突き進むか、自分の中に閉じこもるか、だ」


 ドラッヘにゆっくりと目を戻すと、マサヨシは考えながら口を開く。


「いい負け方ってのは、大虐殺を起こさない負け方だって、ジャックは言ってました」


「含蓄のある言葉だ。中々、戦争の本質を知っているらしい」


 本気で感心しているらしく、ドラッヘは目を丸くして何度も頷く。


「敵がトリョラを占領する際、大虐殺が起こると思いますか?」


「起こるだろうな、おそらく。お前が目の当たりにしたものの、何十倍という規模のそれが起こる」


「だったら」


 父の言葉が何か蘇ろうとしたが、それを無理矢理に打ち消してマサヨシは続ける。

 腕の傷、ジャックにつけられた傷が痛む。


「戦わないといけませんね。多分、人としては間違った行動なんでしょうが」


「人としての間違いの集合体が戦争だぞ。今更何を言っている」


 笑うドラッヘの髭面を眺めていたマサヨシは、不意に目を丸くした。


「ん? どうした?」


「あなた、父に似てますね」


「お前、記憶喪失だったんじゃなかったか?」


「そうそう。だけど、ふと思ったんですよ。そういう風に嫌らしく反論できない言葉を吐くところ、父に似てる。きっと、俺の父はそんなことをよく言う人でした」


「なるほど、そりゃあ」


 髭をなでて、


「嫌な奴だな、そりゃ」


 笑うドラッヘ。赤目が三日月になる。父のように。


「ところで、思いついたことがあります」


「ん?」


「敵の次の行動ですよ」


「ああ、そりゃあ、分かっている」


 簡単にドラッヘは返す。


「道なき道に兵力を非効率なほどに注いで、結果ハイジの活躍で失敗。罠を解除し、こちらに弓矢で射られながら進むのには時間がかかる。そして、向こうは時間がかかることを恐れている。だから多くの兵力をお前達にぶつけた。おそらく、恐れているのはお前だ」


 赤い目がマサヨシを睨む。


「俺?」


「罠に塗られた毒で『ペテン師』に策を弄する時間をやるのを嫌ったんだ、『勝ち戦の姫』が。そのために虐殺が起きた」


「俺のせいですか?」


 赤い目と、黒い瞳の視線が絡む。


「お前はどう思う?」


「さあ」


 素っ気無く答えるマサヨシに、またドラッヘは赤目を三日月に歪める。


「傷つくくらいなら虚勢を張るな。とはいえ、悪いことばかりじゃあない。その選択とハイジの活躍により、相手は打撃を受けた。ともかく、時間をかけたくないが同じ手は打てず、ハイジを恐れ、そしてその手のために使える兵力は多くはない。我が軍に比べれば充分過ぎるとはいえ、多くを失い、そしてほとんどを罠の中突き進ませているんだからな」


「だったらできることは一つ」


「ああ、今度は、少数精鋭をこちらに送り込んでくる。そして、その侵入ルートはそれこそ無限だ。予想のしようがない。その少数精鋭でこちらを乱す。あるいは、うまくいけばハイジを殺す。それで我が軍は終わり。問題は、予想はできても手の打ち様がない点だ。精々が、ハイジを囮にした水際作戦くらいか?」


「そのことですが」


 マサヨシは唇を舐める。


「何とかなるかもしれません」


「何?」


 ドラッヘの赤目が細まる。


「ルートの予想のしようがないぞ」


「ええ、ですから、高い敵の動きを見張れる場所で監視をしておいて、見つけ次第そこに迎撃に向かう」


「馬鹿な」


 笑い出すドラッヘの視線は冷ややかだ。


「おそらく敵は闇夜に紛れてくる。遠目で発見できるものか。発見できたとして、そこから迎撃は絶対に間に合わん。そもそも、何人にそれをさせるつもりだ? こちらにはそこに多くの戦力を割けない」


「難しいでしょうね。本人も、成功するかどうかは五分五分だと言っていましたよ」


「本人?」


「けど、引き受けました。金はかかりましたけどね。ああ、まあ、どうせこんなこともなければずっと隠しておいたような金です。別に惜しくはないか」


「おい、何を言っている?」


「こちらが割く戦力は一人だけです。それで、敵の奇襲を防げれば御の字でしょう?」


 唖然とするドラッヘを無視して、マサヨシは机の上に置いてあるオレンジを手に取り、


「これも食べていいですか?」





 闇に紛れるよう暗色の服を纏った集団が、険しい山をよじ登っていく。


 その一団の中に、彼はいる。長い耳とほっそりとした顔立ちはエルフのものだが、そのわりに体つきはがっしりとしており、顔立ちもエルフの優美さよりも硬質な印象が強い。


 彼の名はハヤブサ。この精鋭部隊の、隊長を務めていた。

 それでいて、これが初陣だった。


 彼は『混じりもの』として、珍重される一方で差別されるもの。エルフとそれ以外の種族の混血だ。エルフよりは劣るものの、魔術を操る才能を持つ。

 

 ハヤブサはアインラード人とエルフの混血だった。十数年前にアインラードに立ち寄り、国側の懇願にも関わらず数ヶ月で国を去っていったエルフと、ある村娘の間に生まれた子。

 生まれた途端に母親から引き離され、アインラードの軍部に引き取られたハヤブサはエリート兵士として育て上げられた。だが、周囲がいかに持ち上げようとも、ハヤブサには自分が生体兵器としての価値しか認められていないことくらい分かっていた。


 シャロンの目を思い出す。

 最初に出会った時、ほぼ同い年の『勝ち戦の姫』はハヤブサを見下していた。訓練所を視察に来たシャロンと、紹介されたハヤブサ。

 あからさまに見下してくる目。ただただ、訓練を繰り返していたハヤブサにはそれは衝撃だった。

 誰もが自分を持ち上げる。あるいは、腫れ物に触るようにする。

 それなのに彼女は見下してきた。

 理由は、すぐに分かった。どうしてシャロンはハヤブサを見下すのか。それは、彼女も同じだからだ。国のための道具。

 同じ道具として、彼女はその既にその時活躍していた。勝ち戦の姫として。一方のハヤブサは、未だ訓練中。だからだ。

 完成された道具が、未完成な道具を見下す。それだけの話だ。


 それに気付いた時から、ハヤブサの目的はシャロンに追いつくことになった。もう二度と、あの目に見下されない。それだけだ。


 闇夜をハヤブサと共に這う数十名の者達は、どれもがアインラードの兵士の中から選びぬかれた精鋭中の精鋭。それでも、彼らのハヤブサの見る目には恐怖と嫌悪がある。

 しかし、それをハヤブサは厭うことはない。それで当然だ。自分は、彼らとは違う。自分は、生きた兵器。アインラードのための道具。誰もが恐れる。それでいい。


 闇夜を進みながら、ようやく絶壁に近い山道が揺るやかになっていくのを感じて、ハヤブサはスピードを上げる。


 標的であるハイジの顔は、昼間の戦で確認した。

 なるほど、とハヤブサは納得したものだ。

 白銀の鎧を纏い、一片の恐れも見せず、敵陣に突進する美しい少女。旗印になるに充分だろう。

 ああいうのが厄介になるらしい、とは訓練所で習った。兵士の間だけ通用する神話。不死身の英雄。その幻想こそが、劣勢の軍勢を神々の軍団へと変える原動力になる。


 だから、彼女を殺す。

 無謀な突撃を繰り返す彼女は放っておいてもそのうち死にそうではあるが、しかし現時点で圧倒的優位なはずのアインラードは苦戦しており、時間は出血している。

 シャロンは早く確実に彼女の息の根を止めるよう決心し、その切り札としてハヤブサがついに実戦に投入された。

 あの『勝ち戦の姫』が自分を頼る。それはハヤブサにとってこの上ない喜びだ。この任務を成功させ、自分を有用な道具として彼女に認めさせる。

 そしていずれは、アインラードのための道具として、彼女の上だと証明する。

 この任務は、その第一歩。


 ハヤブサの足は自然と速まる。もう、彼らが進むのはほとんど平坦な道になっている。


 敵に捕捉される前に敵の中深くに食い込み、突発的に見つかったならその目撃者を速やかに消す。そうして潜入し、標的を殺し、逃げさる。

 少数精鋭にしかできない仕事だ。


 まだ暗いうち、山を抜け敵を抜け、内側から標的であるハイジを襲うことがこの仕事の肝だ。だからこそ、足を止めることはない。地面が平坦になったのならば、彼らは身を屈め、足音を極力殺したままで素早く進み続ける。止まることなく。

 そのはずだ。


 だというのに、ハヤブサは足を止める。

 つられて、部下も足を止める。


「隊長?」


 訝しげに部下の誰もがハヤブサの顔を見る。


 仮面のように固く整っているハヤブサの顔には何の表情も浮かんでいない。ただ、先の闇にじっと目を凝らし、息を殺している。


 やがて、ゆっくりと右腕を横に伸ばし、


「迂回しろ」


 振り返らず、そう言う。


「は?」


 戸惑う部下達。一人が、後ろからハヤブサに問いかけようとしたところで、


「時間との勝負だ。向こうはすでにこちらを視認した。おそらく報告されている。包囲されないうちに、標的を殺せ」


「隊長、その……」


「全員でかかっても仕留めるのに時間がかかる。俺以外では時間稼ぎにもならない。行け、早く行け。全速力で」


 部下達の何人かの顔色が変わり、はっと目を見開いて前方の闇を見やる。

 彼らにも、凄まじい速度で近づいてくる何かの気配が伝わったのだ。


「行くぞ」


 副隊長の役割を持った兵士が囁き、右に向かって駆け出す。他の全員ももはや迷わずそれを追う。


 去っていく部下に視線を動かすこともなく、前方の闇を凝視していたハヤブサは、


「凄まじい足だ。もう、この距離まで来たか」


 ぽつりと呟く。


「若い頃はこんなもんじゃないわい」


 闇から、深いため息と共に声。


「しかし、流石にこの歳でこの距離を全力疾走はきついわ」


 白い影が闇から浮かび上がる。


「義勇兵、か?」


 身構えるハヤブサに、


「殺し屋じゃ」


 白い虎が答える。

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