勝ち戦の姫2
落とし穴に落ちた兵士がそのまま穴の底に仕掛けられていた木の槍に串刺しにされて命を落とす。それを目の前で見た兵士が恐慌状態になり、周囲の制止を振り切ってその場から離れようとして、また罠にかかり命を落とす。
だが、そんなものは少数だ。大部分は、罠にかかっても体の一部に傷を作るだけ。
「くそ、腕がっ」
「負傷した者は下がれっ、手当てを受けろ」
兵士はいくらでもいる。負傷した人間に無理をさせる必要はない。
総指揮官であるシャロンのその大方針のもと、アインラードの兵士達は草木に覆われた山道を、少数の犠牲を出しながらも整然と踏破していく。
だが、
「伝令ですっ」
身軽な格好をした伝令が後方から息を切らせて、現場の指揮官に走り寄る。
耳打ちされたその内容に、瞬時に歴戦の指揮官の顔が強張る。
「分かった。その場で待機だな」
「はっ」
「行け。こちらは大丈夫だ」
「ではっ」
伝令が走り去るのを見届けながら、
「全員、その場に待機っ、指示があるまで待てっ。それから、罠で傷を負った者は、どんな軽い傷でもいい。今のうちに後方に下がって治療をしろっ」
大声で指示を出す。
訓練された兵士達は、指示の通りに途端に動きを止めるが、誰もが顔に怪訝な表情が出るのを隠しきれていない。
疑問を抱くのは理解できるが、今の時点で説明するわけにもいかない。
指揮官は黙り込んだまま、ただ髭を撫でる。
「なんてことだ、全く」
本陣で、頭を抱えるシャロンを、ガンツは横から冷たい目で見ている。
遠く、何重にも重なるようにして、獣の唸り声のようなものが無数に響いている。兵士達の苦悶の声だ。
「向こうがゲリラ戦、それも地の利を活用して来ることは予想できていただろう」
「無論だ。それに、罠の件は既に向こうに仕込んだ鼠から情報を得ていたさ。問題は」
赤い髪をかきあげ、シャロンは片目を細める。
「毒だ。ああ、最初は聞き間違いだと思ったが、実際に死者が出ている。それも、苦悶の末の死だ。死に方を目の当たりにした後方の兵士の士気は、著しく下がっている」
「だが、全て秘密にするわけにもいかんぞ。前線の連中に、罠に毒が仕掛けてあること、だからこそ慎重に進むことを伝えないわけにはいかない」
「分かってる。分かっているわよ。直接、私が伝えて周る。激励と共にね」
そこで、ガンツはにやりと笑って、シャロンの背中を叩く。
「分かっているじゃあないか。そうだ。そうやって鼓舞するのも指揮官の務めだ。お前は強いアインラードの象徴。それでいい。だが、気をつけろよ。前線に近づけば、その分危険にもなる」
「誰に言っているのよ。それにしても」
形のいい顎に手をやり、シャロンは小首を傾げる。
「毒とは、予想していなかった」
「どうして、予想しなかった?」
答えが分かっていながら、ガンツは問う。授業のつもりだ。
「一つ、調達する手段がない。二つ、そもそも真っ当な騎士が選択する手段ではない」
「後者については、相手はあの『赤目』だ。型破りな手を使うこともあるだろう」
「確かに。けれど、それにしても毒は、そもそも中々発想自体出てこないはず。こんな切迫した状況じゃあ、調達を間に合わせる手段がないって前提があればなおさら」
「つまり?」
質問をしながら、ガンツはシャロンと自分が同じ結論に辿り着いているのだと確信する。
「つまり、毒の使用を思いついて、なおかつその調達を間に合わせた人間がいるということ。立案実行させることができる立場の人間の中にね。そしてそれは、真っ当な騎士、貴族ではない」
「義勇軍か?」
「おそらく。調達を間に合わせたところからして、商人? どちらにしろ、今回のことを教訓に、これから鼠と密に連絡を取らないと」
失敗の後悔から頭を切り替えたシャロンには、もはや一片の翳りもない。強国の象徴そのものが、そこにいる。
「それでいい」
小さく呟き、ガンツは頷く。
彼女は、『勝ち戦の姫』なのだ。そうでなくてはならない。常に、強い姿を見せ続けなければならない。自分がそう教育したのだ。
酷な事だとは、思いつつも。
白い空間。
もう見慣れた感のあるその空間で、マサヨシは椅子に座った少女を見下ろす。
「で、何の用?」
「んー」
ぱたぱたと細い足を振りながら、その少女、イズルは首を傾げ、しばらく言葉を捜しているのか視線を彷徨わせていたが、
「お別れをね、しようと思ったのだよ」
「お別れ? 成仏するの?」
「私は神だよ、幽霊じゃあない」
頬を膨らませてイズルは、
「いやあ、マジなのだよ。マジで、お別れだとも」
「どうして?」
「まあ、君が役目を果たしてくれたから、これ以上君に干渉するのもどうかな、と思ったわけさ」
肩をすくめて、
「君は活躍してくれた。少なくとも、神界での私の面目は保たれたよ。さすがに正義のハローや慈愛のレッドソフィーは別格だが、他の神は同格に扱ってくれるようになったよ」
だから君をもう解放したい、とイズルは言う。
「今更解放されても、困るんだけど。もう戦争が始まるよ」
「それは私の責任ではない。でも大丈夫だ。君なら乗り切るさ」
余りにも無責任な発言にマサヨシは度肝を抜かれる。
というより、つい最近言っていた話と180度違う。
「戦争で飛翔するのを期待してたんじゃないのか?」
「いや、まあ、そうなんだが。ぶっちゃけ、戦争の準備の時点で君の存在が大きくなって、私の目的は達成されたのだよ。もう、他の神の誰にも舐められない」
そこで、イズルは言葉を切って表情を消すと、
「戦は怖い。人間界を見下ろしているだけの私でも、恐怖で震えるほどだ。気をつけたまえ」
言うだけ言って、まだ言葉も出ないマサヨシを放っておいて空間が白く溶けて消えだす。
「ああ、イズル」
薄れ行く、椅子に座った少女に声をかける。
「何だね?」
「これは、完全な直感なんだけど」
「ふむ」
「嘘をついたでしょ、一つ。どれかは、分からないけど」
そのマサヨシの言葉に、イズルは薄く消えていく顔に笑みを浮かべる。
「それはそうに決まっているじゃあないか。私は、嘘の神だよ」
そうして、空間は消えて、マサヨシは現実に引き戻される。
「大丈夫ですかな」
横にいるジャックには白昼夢を見ているようにも見えたのだろう。
マサヨシは、すぐにさっきの光景を振り払うために首を振って、
「ああ、大丈夫。立ち眩みだよ」
そうして、今、目の前にある、現実の光景に頭を切り替える。
小高い山の中腹。そこに荷物を積んだ木箱が無数に積んである。テントも組まれている。斜面のため、転がり落ちないように木箱やテントの近くには杭が無数に打ち込まれている。
そこを忙しげに走り回っているのは、義勇軍に参加している、老人や女、それからまだ若い連中だった。
彼らはさすがに前線に置くわけにはいかないため、主に補給任務やこういった拠点の設置、そして負傷者が出た場合の、いわゆる衛生兵もどきとしての役割として待機しておく。
敵が罠を避けてこちらを不意打ちするための抜け道、それを防ぐために赤目と義勇軍の山々に詳しい連中とで割り出した数箇所のポイント。そのポイントと本部である城を結ぶ、ちょうど中間の地点にこの拠点は置かれた。
もちろん、この拠点にも、そしてその先にある数箇所のポイントにも、計算の上で割いた必要最低限の兵力しか配置されていない。
あくまでも、罠をかいくぐってゆっくりと進んでくる主力部隊を、弓矢で牽制して少しでも歩みを遅らせるのが本道であり、兵力のほとんどを割くべき作業だ。
「皆に前線で命を賭けさせてるってのに、俺がこんな場所でのんびりとしているのは違和感があるんだよね」
思わず呟いたマサヨシに、
「指揮官が前に出たら逆に迷惑ってもんです。それに、ここまで出ただけでも出すぎなくらいですぜ。本来、城にいればいいのに」
「まあ、戦を肌で感じたいっていうのもあってね」
「は? 何でですか?」
「試したいのかな、自分を。戦を目の当たりにして、どうなるのかを」
試練だ、と言っていた父の声がマサヨシの脳裏に蘇る。
太った中年の女が、木箱から次々と食料品を取り出して、選り分けていく。老人たちが革のリュックに詰めていっているのは、兵士への嗜好品としてマサヨシが提供している白銀の酒だ。というより、つまりは安価な密造酒だが。そして、そうやって食料や酒が詰め込まれたリュックを背負って、最前線の兵士達へと険しい山道を登って届けに行くことを夢見て目をキラキラさせている少年少女。獣の特徴を持っていたり肌や髪の色が違ったり、全ての人々の特徴は千差万別だ。
「いつ出発したらいいですか?」
待ちきれないのか、まだあどけなさを顔に残す犬の獣人らしき少年がマサヨシの前に走りこんでくる。
「まだだよ」
どうしてそこまで早く危険な目に遭いたいのかと不思議に思って、マサヨシはジャックと目を合わせて互いに苦笑する。
英雄志願。しかし、それを馬鹿にはできない。城や町にこもっていられるのにここにいるのはマサヨシとジャックも同じだ。
ばたばたとまた走って戻っていく少年が、義勇軍の頭領に直接話しかけた勇者として他の少年少女に持て囃され、中年の女の一人に落ち着きがないと叱られ、老人たちに笑われる。
その光景を視界の端に収めながら、マサヨシは訊くともなしに訊く。
「ジャック、戦争に参加した経験あるっけ」
「ありますぜ。少年兵として何度か、成人してからも傭兵の真似事をしとりました。トリョラに来る前ですがね」
「どう?」
「どうって、戦争が、ですか? 人生と同じですよ。楽しいこともあればつらいこともある。そして、全体的に見れば悲惨の塊」
「なるほど。俺は、義勇軍とやらを作って、そこに女子どもに老人までも突っ込んでしまったわけだ」
わざとらしい自嘲の笑みを浮かべようとして失敗し、マサヨシの顔にはぎこちない歪みだけが浮かぶ。
「マサヨシさんが作らなくたって、できてたでしょ。それに、ここにいるこいつらは、トリョラが無くなれば彷徨って、死ぬよりしんどい目に遭うのが分かってる。だから、命を賭けて戦争に協力しますよ。別にあんたのためじゃなく、自分のためにね」
「負けるかな」
本当に小さな、人に聞かせるためではない、独り言としての呟き。
「負けるでしょう」
それを聞き逃さず、ジャックは瞬時に答える。
「『赤目』の言葉にウソはないでしょうな。『料理人』がうまい策を打って、それでなるべくいい負け方で負ける。そのために粘るためだけの戦争。それがこれです」
「いい負け方、か。どんな負け方だろうな」
負け方の話を二人がしているとは周囲は気付かず、戦争の勝利に向かって貢献していると確信しながら誰もが動いている。それを眺めて、マサヨシは奇妙な疎外感を覚え始めている。
「国にとっては色々とあるんでしょうが、我々にとってのいい負け方の条件は二つでしょうな」
「ほう、二つ」
「一つは、自分が死なないこと」
「もう一つは?」
「大虐殺を起こさないこと、でしょうな。戦争に、大虐殺はつきものですから」
吐き捨てるように言うジャックに、
「大虐殺、じゃなくて、虐殺を起こさせないこと、じゃいけないの?」
そうマサヨシが問うと、ジャックの目から不意に力が抜け、声も投げやりになる。
「虐殺を起こさせないってのは、無理ですよ。この戦争で兵士の誰も死にませんように、ってのと同じですな。虐殺は起こります。それに」
ジャックがそこで浮かべた笑いは、あまりにも疲れたもので、ふとこれからジャックは死ぬのではないかとマサヨシは不安に思うくらいだ。
「我々が虐殺をされる側か、する側かさえ、分かりませんよ。いずれにしろ、虐殺されます。敵も、味方も、敵でも味方でもない連中も」
「経験談?」
その問いにジャックは答えず、ただ女子どもや老人が動き回っている光景を眺める。