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ツゾ

 早朝の日課となっている倉庫での作業。


「多分いけるわけよ」


 あっさりとミサリナに言われて、マサヨシは体をのけぞらせる。


「え、本当に?」


「元々、ガダラ商会とは前からコンタクトとってたわけよ。商売の幅を広げようと思って。それで、とりあえずありったけ毒を持ってくればいいわけ?」


 酒の詰め替えを終えたミサリナは伸びをする。


「そうだけど……ああ、金って後払いでもいいのかな、それともこっちで何とかして立て替えとくか?」


「いや、とりあえずあたしが払っとくから、そこまで心配しないでいいわけよ。何なら、あたしが自腹を切るから」


「何だ、どうした? ひょっとして悪い物でも食べた?」


 身銭を切るというミサリナの発言を聞いて驚いたマサヨシが言うと、


「ちょっと失礼な。あのね、マサヨシ、その相談をあたしにした時点で、あたしは何十万、何百万ゴールドの価値をあんたにもらったわけ」


「ん? ああ」


 そうか、とマサヨシが呟いて、瓶を詰めた木箱を閉める。

 戦争の情報。いち早くそれを手に入れたミサリナには、巨万の富を手に入れるチャンスがあるということか。


「でも、どうせすぐに全員知ることになるよ、アインラードとの戦争のことは。というか、俺がこれから言うし」


「できるだけずらしてくれない?」


「それをしたらミサリナがありったけの毒物を調達してくれるって言うなら、昼前後までは待てるかな。そこが限界だよ」


 マサヨシとミサリナの視線が絡み合う。余裕のないマサヨシの視線。笑みを含んだ、読みきれないミサリナの視線。


 先に視線を外したのはミサリナだ。


「やめた。マサヨシを追い詰めたら、こっちとしても怖いわけ。分かった、それでいきましょ。今から手当たり次第に借金して、一世一代の大博打させてもらうわ」


「博打が好きだね。もう、博打しないでも、この町を牛耳ることができるくらいには力を持っているし、財も蓄えているのにさ」


 素直なマサヨシの感想に、


「そんなものじゃあ、足りないから。いや、きっと、どこまで成功したって、足りないのよ」


 目を大きく見開いて、ミサリナは笑みを浮かべる。


「足りない、足りない。何をしても足りない。産まれた時から、ずっとそう」


「俺は、ミサリナが恐ろしいよ」


「ちょうどいいわね。あたしは、マサヨシが恐ろしい」


 見開いた瞳が、飲み込むようにマサヨシを捉える。そのまま本当に飲み込まれそうになって、マサヨシは恐ろしくなり、目を逸らす。

 倉庫の高い位置にある小さな窓、そこから差し込む朝日が、倉庫を舞うほこりを浮かび上がらせる。


 結局、警戒されたままか。

 マサヨシは半分諦めながらも、しかし同時に危機感を抱く。

 実物大の自分をよく知っているミサリナですら自分を恐れているこの状態、これがいい結果を引き起こすとはとても思えない。

 今に、何かまずい展開が起こりそうな気がする。





 倉庫を出て、早速馬車を走らせて去っていくミサリナを見送ってから、マサヨシはトリョラの町中を歩いてみる。

 どのみち、昼までは動くことができない。なら、少し今の町の空気を確かめてもいい。理由としてはそんなところだ。


 雑然としてながらも活気に溢れていた町は、確かに多くの有力者が町を捨てて出て行ったこともあって、力を失っているように見える。

 歩いている人々の数は少なく、露店の呼び込みの声にも威勢がない。

 特に、ある程度財力のある人間が住んでいた再開発地区はがらりとした印象がぬぐえない。白銀の本店も、いつもならば朝食を食べる客でにぎわっているはずが、広い店内に二、三人といったところだ。


 ただ、活気はなくなっているというのに、ぎすぎすとした熱気、いやもっと言うならば攻撃性や殺気、緊張感といったものは一刻一刻と増している。マサヨシにはそんな気がする。


 歩き回りながら、空気の重さにマサヨシはげんなりとしてくる。これは、アインラードの件が片付くまでは、とてもこの町で平穏に暮らすことなんて不可能だろう。


 路地の先に行けば、人だかり。酔っ払い同士が揉めている。

 かなり酔っぱらっているのか、目を血走らせて互いの胸倉をつかんでいる。周囲の人間は止めるどころか大声で煽り立てる。


 爆発寸前の爆弾みたいだ、この町は。

 そんなことを思っているマサヨシの足が、止まる。

 それは狭い路地の向こうに、見覚えのある顔を見かけたからだ。

 向こうも気づいたのか、にやりと笑って寄ってくる。


「よう」


「パインが消えたとはいえ、ちょっと気軽に町をぶらつきすぎじゃあないか、ツゾ」


「ずっとあのボロ家に閉じ込められてたんだ。もういいだろ」


 そう言うツゾの足取りは怪しい。明らかに酩酊している。


「朝っぱらから飲んだくれてるね。少ないとはいえ、パインの部下だった奴も残ってるんだ。あまり調子に乗ったら」


 言いかけたマサヨシの喉が、ツゾの爪の伸びた手で掴まれる。そのまま、力任せに路地の壁に叩きつけられる。


「ぐぅ」


「おい、てめぇこそ、調子に乗るなよ」


 ツゾの目は焦点が合っておらず、赤く濁っている。


「金だ。よこせよ」


「なん、の、金、だ?」


「ふざけるな」


 目玉が飛び出んばかりに充血した目が見開かれる。


「三等分した金だ。ランゴウの奴の金。さっさとよこせ」


 ぎりぎりと喉にかかる力が強くなり、爪が皮膚に食い込み、血が流れる。


「勘弁してよ」


 かすれ声で、マサヨシは必死に言う。


「あのさ、パインがこの町を去ったあの日、取り分は渡したじゃない」


「取り分じゃねえ。お前、自分の分を使ってないだろうが。酒場で儲けてるんだからな。それをよこせ」


「無茶苦茶な。まるで強盗じゃないか」


 言いながら、そう言えばこいつは強盗だった、とマサヨシは少し納得する。


「うるせえ。俺に、あんな危険な汚れ仕事をさせやがって」


 酒臭い息を吐き凄むツゾのその言葉と目から、直感的にそれに気付いて、


「お前……」


 心底マサヨシは驚嘆する。

 ツゾを荒れさせているもの、酒を飲ませているもの。

 それは、幼子の誘拐に手を染めた罪悪感だ。人を殺し、金と物を奪って生きてきた男が、罪悪感か。

 その瞬間、マサヨシの恐怖や焦燥よりも、一時的に興味の方が勝る。気の迷いだ。


「何か、あったの?」


 首を締められながらも、ツゾの瞳を覗き込むようにしてそう問うマサヨシに、逆にツゾの方が気圧されたように首から手を離し、二、三歩後ろへ下がる。


「俺に、俺にガキを攫わせやがったんだ、てめぇは!」


「おい、声が大きい」


 喉を押さえて、かすれ声ながらもマサヨシはそう言って周囲を見回す。


「うるさい。てめぇ、てめぇは、許せねえ。俺は、てめぇだけは」


 呻きながら、ツゾはふらふらとした足取りで路地の向こうに消えていく。


 本当に、あれはまずいかもしれない。

 マサヨシはミサリナがツゾの『処分』を促したことに、今更ながら感心する。確かに、彼女の言う通り、奴を生かしておいては自分の平穏な生活は脅かされるだろう。

 しかし、それでも、殺すことは、それだけはできない。

 ツゾが消えた後の路地を、マサヨシはずっと眺め続ける。





 泥を投げつけられた。

 ツゾの記憶はそこから始まる。獣人ということで、迫害され移り住む毎日。弟が病弱だというのに、落ち着いて看病することもできない。まともに飯も食えず、弟を医者にかけることもせず、ただただ、周囲に疎まれ続け逃げ続けた両親。

 大人たちは、ただツゾ達家族を無視してくる。それは耐え切れる。だが、ツゾと同い年くらいの子どもは、泥を投げつけてきた。犬人間と罵って。


 それでも、両親は。弟が死に掛けても医者にも見せることができない両親は、それでも「故郷に比べれば天国だ」と言ってその環境に感謝してすらいた。


 熱に浮かされ、言葉を覚える前に喘ぎ死んでいった弟の顔。柔らかい毛。

 それでも現状を怨むことなかった両親。弟を埋めるため、硬く凍った土を掘った日の指の痛みと凍え。夕日。泥を投げつけた近所の子どもを、殺気を込めて睨み付けてやった時の怯え顔。弱者と強者。自分が強者の側だと気付いたあの日。


 酩酊したツゾの頭にはイメージが断続的に浮き上がる。必死で足を動かし、まるで水中を歩くような足取りでトリョラの小道を歩き続ける。


 両親は気付かなかった。自分は気付いた。だから、弱者から奪い尽くしてやった。自分は虐げられる側じゃあない。虐げる側だ。剣。初めての殺人。行商人。血。唖然とした死に顔。


「うううう」


 唸りながら、ツゾは無意識に壁を殴りつける。土壁が少し崩れる。


 弟の死に顔、いや死ぬ寸前の顔。幼い顔が、朦朧とした意識の中で緩み、それでも本能的な恐怖に目が凍っていた。あの目。消えない。消えてくれない。

 一匹狼だった自分がうろついていれば、すぐに似たような仲間が見つかった。組んだ。奪い続けた。やがてトリョラという餌場を見つけ、そこで肥え太った。ランゴウという男と組み、更なる大仕事に手を出す。

 何十人も殺して、奪った。両親のことなど忘れ果てた。どこかで野垂れ死んでいるのだろう。どうでもいい。ツゾはそう思っている。

 それでも、消えてくれない。弟の顔。死に際の目。


 痛み。拳を握りしめていたツゾは、いつの間にか爪で自らの掌を傷つけている。


「畜生」


 唸る。何に対するものかも分からず、ただ唸る。


 消えはしなかったが、封じ込めた。自分の奥底に封じ込めてやったのに、それなのに。


 どうということも考えなかった。マサヨシからは、この策がうまくいけばパインが町から消えてくれると説明を受けた。そのためなら、何人でも殺してやるつもりだった。

 孫娘の誘拐。たやすいことだ。殺してやったっていいと思った。子どもを殺すのは初めてだが、別に抵抗があるわけじゃあない。


 それなのに。


 縛りつけて、目隠しをする寸前の、パインの孫娘の目。あの目が。


「こんな、くそっ」


 あの時以来、弟の死に際の顔が脳裏から離れない。いくら酒を飲んでも、忘れることができない、封じ込めていたのに。


 マサヨシと会って、酔いが醒めてしまった。

 再び飲み直すため、ポケットの中の金貨を握って確認した後、ふらふらとツゾはトリョラの中でも治安のよくない地区へと歩いていく。

 そこには、まだ細々と密造酒を飲ませる非合法な酒場が点在しているはずだ。

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