赤目2
謁見の間に入りながら素早く眼を左右にやって状況を確認したマサヨシは、そこで見慣れない男が中央で胡坐をかいていることに気付く。その左目が赤いことも。
あれが『赤目』か。
マサヨシの脳裏に、事前に予習しておいた、おそらく今回の戦争に関わるであろうノライの重要人物の一人のプロフィールが浮き上がる。
北西のアルバコーネでの数十年続いた地獄のような内戦で名を上げた傭兵。一匹狼の傭兵から、最終的には内戦の行方を左右する巨大な傭兵組織を作り上げ、実際に内戦を終わらせてしまった立役者の一人。
ドラッヘ。通称、『赤目』。あの『料理人』が周囲の反対を抑えつけ、強引にノライの将軍に引き抜いたほどの男。
「あんたがマサヨシか。『ペテン師』なんだろ、この町の顔役だって聞いた」
赤い眼がマサヨシを向く。
「ただの義勇軍の代表ですよ。それも、形だけの」
そして、顎で隣のジャックを示して、
「実質的な代表は彼です」
「げっ、ちょっと、マジですかい」
小声でジャックが文句を言う。
そもそも、詳しいことは伝えず、重要な話があるらしく城に呼び出されたから一緒に行こう、と誘われたジャックはさっきから明らかに困惑している。
マサヨシとしても、さすがに「アインラードと戦争が起こるだって」と手紙の内容を気軽にジャックに伝える気にならなかったので、重要なところはぼかしたままジャックはここにいるわけだ。
「現在の兵力の話をしよう」
いきなり、ドラッヘが言う。
「本隊が来て、この城の兵士を組み込んだとして、一万程度だ。義勇軍が、どれくらいいる?」
「千五百ってところですか」
マサヨシが目をジャックに向けると、戸惑いながらもジャックは頷く。
「それくらいですな」
「併せて、一万二千いけばいい方か」
唇を舐めてから、ドラッヘは笑顔と怒りの中間のような顔をする。眉は吊り上がり、口の両端もまた上がる。
「国境付近で陣形を整えつつあるアインラードの軍勢は、偵察部隊の見立てではおおよそ三万八千。それも、第一陣が、ということだ。その気になれば第二陣、第三陣を出すことも向こうは可能だ」
そのドラッヘからの絶望的な報告に、顔色を変えなかったのはその場にいる人間のうち三人。
顔に決意を漲らせ、揺ぎ無く直立しているハイジ。
ようやくこれが何の集まりなのかを察したのか、顔をしかめて耳の辺りを掻くジャック。
相変わらず擦り切れたような笑みを浮かべたままのマサヨシ。
「そして」
なおも、ドラッヘは続ける。ただでさえ救いようのない話を、更に決定的なものにするために。
「敵方の指揮官は『勝ち戦の姫』だ。知っているか?」
「まあ、それなりに。ジャックは、知ってる?」
マサヨシに水を向けられ、
「アインラードの姫さんでしょ。確か今まで」
ジャックは嫌そうに答える。
「戦で負けたことがない」
ざわめき。
野外に、数千の兵が並んでいる。パズルのピースのように。
少し離れて見れば、全員が赤を基調とした軍服を着ているために、広大な赤い絨毯が地面に広げられているようにも見える。
その絨毯の中心を、一際に鮮やかな赤が動いている。
長く艶やかな赤髪。真紅のドレス。長い手足、指先の爪が赤く染められている。赤い唇。
赤。
シャロン・レッドブラッド。
アインラード国王、マルク・レッドブラッドの第二王子の三女。国王を祖父に持つ王族でありながら、幾多の兵を率いる長身美貌の女将軍。
ただ歩くだけで、兵は気圧され、無意識に体を横にどけ、道が出来ている。
「相手は『赤目』よね。『料理人』は戦上手じゃあない」
歩きながら、シャロンは横を歩く頭を剃り上げた中年の男に話しかける。
「当然そうなる。が、兵力差は覆らん。とりあえず四万程度をぶつければ、それで終わりだ。向こうは降伏のタイミングを探ってるだけじゃあないか?」
中年の男の名はガンツ。彼が王族であるシャロンにこうも気安く口を利けるのは、彼が歴戦の武人であるという以上に、シャロンが少女だった頃からのお目付け役であるという理由が大きい。
「抵抗はしてくる。当然に。問題は、それをどう潰すか」
「シャロン、小細工は必要ない。違うか?」
歩みを止めず、ガンツはそう問いかける。
「違わない。ガンツ、あなたが教えてくれた。圧倒的に兵力で勝っているならば、奇策に頼らず確実に勝利する道を進めばいい」
「そうだ。唯一絶対の勝利への近道だ。それを知っているから、お前は『勝ち戦の姫』となった」
「そうね」
シャロンは髪をかき上げて、足を進める。そうして兵達を抜け、彼らを一望できる小高い丘に辿り着くと、ゆっくりと兵に振り向く。
「兵士諸君」
それほど大きなものではない彼女の声一つで、ざわめきがぴたりと止まり、数千の兵士の視線が彼女に集まる。
よく通るシャロンの声が、その場にいる兵士全ての頭を直撃する。
この場にいる数千人は、アインラードの兵の中でも錬度の高い精鋭の大部隊。実力とシャロンへの忠誠、いや崇拝を併せ持つ、彼女のための兵隊。
それゆえ、彼女の一言一句を聞き逃すまいと、全員が彼女の声に、動きに、表情に全神経を集中させる。
「では、そろそろだ」
何の気負いもなく、シャロンは言う。
「勝ちに行くとしよう」