赤目1
真っ白い空間に机と椅子。
もう半分見慣れたような異様な光景に、マサヨシはもう戸惑うことなく、ただこの世界の主人の登場を待つ。
「やあやあやあ」
快活な声とは不釣り合いな青白い肌。銀色の巻き髪。
華奢な少女が、ドレスを靡かせながら突如として現れる。
「お待たせしたかな?」
「いや、特に。ところでさ」
「おっ、何かな何かな。そちらから話してくれるとは嬉しいねえ! 一層、親しい友人になれたみたいだねえ、我々は」
「そういう訳じゃないけど。あのさ、『青白い者達』って知ってる?」
「はっはっはっ、さすがに神が下界に疎いからといって、それくらい知っているとも!」
胸を張る少女の名はイズル。隠し事、嘘、騙しの神だ。
「あれだろ、君の世界で言うところの無差別犯罪集団だ」
「そうそう。あれって、あんたの信徒?」
「何い?」
真っ赤な目を見開いて、大袈裟にイズルは驚く。のけぞりすらする。
「ちょっと待ってくれ給えよ、私の信徒!? 違う、彼らと私は何の関係もないよ。どうしてそんなことを言うんだね?」
「だって、どっちも肌青白いし」
「これは単に病弱な少女っぽいデザインをしているだけだよ! 言っておくが、一応神だからね、外見くらい変えようと思ったら変えられるんだよ」
「あ、そうなの?」
「嘘だよ。私の言葉を信じてどうするんだね」
「嘘の神様だったね、そういや」
呆れてマサヨシは頭をかく。
「で、俺の話は終わりだけど、そっちは?」
「ふうむ、今ので終わりかね。下らない話だったねえ! あっはっはっ」
快活に笑って、
「君、手紙を読んだんだろう?」
その手紙が、ハンクからのものを指していると瞬時に気付いたマサヨシは顔をしかめてみせる。頭を抱えながら眠りに落ちることになったその原因、手紙の文面をありありと思い出す。
「読んだよ、あれね。戦争が始まるって」
「正直なところ、私としても期待以上なんだよ、君の活躍は。私も鼻が高いよ。町を一つ、支配した。そして、戦争。これを踏み台に君は飛翔するのだ」
「勝手なことを」
マサヨシは吐き捨てて、
「言っとくけど、俺は戦争なんてものに関わるつもりはないからね。どうにかして人に押し付けるつもりだ」
「いやあ、廃れ神だった私にも春がきたよ、はっはっは」
全くこちらの話を聞かず、胸を張ってイズルは大笑いする。
「ああ、しかし、同じく廃れ神だったはずのハーサイト・イも最近態度がでかいんだよねえ。向こうも信徒が活躍してたりするのかねえ」
「弱者の神だっけ。陰湿なんでしょ」
「うむ。私なんかとは全然性格が違うのだよ。君は見込まれたのが私でよかったねえ。はっはっはっはっは」
響く笑い声の中、机と椅子、そしてイズルの姿が薄れていく。
「おい、これで終わり? 何の話だったの?」
「いやいや、とりあえずお礼と激励をしたかっただけさ。特に、これからのことをね」
快活なイズルの言葉が、マサヨシには悪魔のささやきにも聞こえる。
「戦争さ。生き延びるんだ、君は。まずはそれだけ考えたまえよ。今の君は坂を転がる雪玉だ。生き延びさえすれば、自然と存在が大きくなる。はっはっは、それも、きっと私の予想を超えてね。期待しているよ」
いつになく、城内の面々は緊張している。
それは、アインラードとの戦争の気配に居住まいを正している、というよりも、圧倒的な異物が城内にいるための拒否反応のようなものだ。
「お待ちしておりました」
城主であるはずのハイジが、謁見の間で直立不動でその異物を出迎える。通常ならばありえないはずの光景。
ハイジも、顔を緊張に強張らせている。
今、謁見の間には兵士長や副官のような、役職付きのものしかいない。人払いされている。重要極まりない内容を話すためだ。
「馬を潰す勢いでここまで来た。そうまでして作った時間だ。余計な挨拶は無用。さっさと本題に入ろう」
鈍く銅の色に輝く鎧に身を包んだ男は、びっしりと生えた顎鬚を撫でる。
男は背丈は普通だが体格ががっしりとしている。髭と髪は黒に近い濃い茶色。瞳は鈍い緑。肌は浅黒い。
だが、そんなものよりも最も目を引く特徴は、顔の刀傷だ。かなりの深手だったのだろう。もう古傷だというのにくっきりと痕が残っている。額から頬にかけて、顔の左側面を縦に傷がはしっている。その傷は左目の上を通っている。瞳を辛うじて避けたその傷は、左目の光を奪いはしてないようだ。
しかし、左目の白目の部分がその傷のため、真っ赤に染まっている。
男の『赤目』の二つ名は、ここから来ている。
「義勇軍の指揮官は?」
「今、呼びに行かせました。すぐに来ます」
「じゃあ、今のうちに言っとくか」
ハイジの返事を聞いて、男はどっかとその場に、あろうことか謁見の間の赤絨毯の上にあぐらをかく。
「民間人の寄せ集めの部隊を作戦に加える。あんまり褒められたことじゃあないが、そんなことを言ってもいられん。そもそもこの戦争は負け戦だ」
にやりと笑って、その言葉に凍りつく面々の顔を男は見回す。
「どうした? あん? まさか、勝てる戦いだと思っていたわけじゃあないよな? もうじきシュネブからの本隊が到着して、あんたらと義勇軍がそこに組み込まれる。それでも、兵力も錬度も装備も、アインラードには敵わない。くく、義勇軍の指揮官には言うなよ。逃げ出すかもしれない」
そこで、男の真っ赤な左目がぎろりとその場にいる面々の目を射抜くように睨みつけながら動く。
「あんたらはプロだ。誇りがある。まさか、逃げ出さないよな、負け戦だとしても」
「もちろんですっ」
叫ぶようにして返事をしたのはハイジだけだ。男は愉快そうに笑って、
「いい返事だ、ゴールドムーンの嬢ちゃん。とにかく、俺達の仕事を肝に銘じておく必要がある。いいか、勝つことを考えるんじゃあない。負け戦なんだ。いかに負けないか、いや、負けるまでの時間を引き延ばすか。これはそういう戦争だと思っておけ」
「あなたほどの人が指揮をとっても、ですか?」
「はっはっは」
ハイジの質問に男は大笑いする。
二人以外のその場にいる面々は、青白い顔をしてただ黙って二人のやり取りを呆然と眺めている。
「俺を過大評価しすぎだ。それに、向こうの指揮官も手強い。名将だ。知ってるだろう?」
緊張した面持ちで、ハイジはこくりと頷く。
「ええ。『勝ち戦の姫』ですね」
そうハイジが答えていると、
「失礼します」
見張り役の兵士が謁見の間の外から大きな声を出す。
「どうぞ」
「はっ」
謁見の間に入って来た兵士が、
「マサヨシ殿が、到着したとのことです」
そう話すと、謁見の間がこれまでとはまた違った緊張感に包まれる。
「ふん」
楽しげに片眉を上げてみせる男は、赤い目を輝かせる。
「どうも、面白そうな奴らしいな。厄介者なのか?」
「え? 何のことです?」
城内を漂うペテン師への警戒心に全く気付いていないハイジはきょとんとしてから、
「ああ、すぐに入ってもらってください」
と見張りの兵士に伝える。
ほどなくして、白いシャツに黒いジャケットとスラックス、革靴で腰には長剣を差した、黒髪黒眼の男が現れる。傍には、狐の獣人を伴って。
「どうもどうも」
擦り切れたような笑顔を浮かべて、その男は挨拶をする。
「マサヨシです」




