プロローグ
それは通常通りの警邏業務に見える。
何も知らない者が見たらそうだろう。だが、違う。それが分かる。
国境付近を歩く警備の兵の数は明らかに多い。五人一組のチームを作って歩いている。また、緊張感が違う。常に叫べるように顔をあげ、目は常に周囲を見張るように動き、いつでも剣を抜けるように手に力が入っている。
赤を基調としたアインラードの軍服に身を包んだ兵士達のその様子を、じっと見ている。見下ろしている。
彼らから遥かに離れた場所、アインラードとノライの国境である山脈、その一つの山の頂上付近に生えている一際大きな樹。
その枝の先の先。小鳥がとまっただけでも大きくしなりそうなその枝の先端に、奇跡のように片脚の爪先、足の指で枝を掴むようにして、一人の男が立っている。
「参ったのお」
自らの手を丸めて穴を作り、その穴に片目を当てて覗き込む。そうやって、遥か彼方のアインラード国境付近の様子を見下ろしていた。
普通の人間なら何も見えるはずのない距離のそれを、男は凝視している。
男は虎の顔をしている。両手両足にも鋭い爪が生えている。そして全身は白い毛に覆われている。
名は、タイロン。
「仕事ないから動こうと思えば、これかい」
ため息と共に、タイロンは手から目を離す。
この状況で自分のような怪しい人間がうろついて目に付けば、仕事を探すよりも先に捕まって疑わしきは罰せよで殺されることは確実だろう。
こんな目立つナリでは完全に数日、数ヶ月身を隠して営業活動をする、というのは無理だ。タイロンは諦める。
「戻るかの。しかし」
今や戻ったところで向こうも同様の状況のはずだ、とタイロンは判断する。
当然ノライも厳戒態勢のはずだ。もっとも、トリョラは雑多なものがぶちまけられたような町だから、多少は潜り込み易くはあるだろうが。
「気が進まん。食えん奴だが、もう一度接触してみるかの」
あの男に相談すれば身の振り方くらいは教えてくれるかもしれない。あるいは、うまくいけば仕事くらい世話をしてくれるかも。
タイロンの頭には、黒い髪と瞳の男の顔が浮かんでいる。
次の瞬間、白虎の姿は消えている。細い枝が、わずかなしなりを戻して葉が一枚だけ舞い落ちる。